樽前山(爆風だった!)
- GPS
- --:--
- 距離
- 3.2km
- 登り
- 357m
- 下り
- 349m
コースタイム
【歩行時間】(登り)48分 (降り)42分 【休憩含む所要時間】1時間48分
天候 | 曇りのち雪、のち晴れ、山頂付近は爆風! 降雪中は氷点下 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
【帰り】7合目ヒュッテ前駐車場14:00発(レンタカー)途中寄り道しつつ千歳空港近くのレンタカー営業所16:00着 |
コース状況/ 危険箇所等 |
東外輪山分岐までは問題なし(一時降雪で氷点下になり、ガスってしまいましたが)。外輪山は暴風の嵐(これは今回だけの現象?) |
写真
装備
個人装備 |
靴(Caravan Grandking)
飲料水0.5Ⅼ
デジカメ(Nikon coolpix P520)
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感想
北海道旅行の最終日に、その特異な形に前から気になっていた千歳空港近くの樽前山に登って来ました。2時間程度の山歩きなので、東京の高尾山(599m)にでも登るような気楽な気分で登り始めたのですが、予想外の気象現象に、なかなか楽しくも驚きの体験となりました。
平日のためか、7合目ヒュッテ前の駐車場は6〜7台しか停まっていず、空いていました。駐車場で軽い食事を済ませ、デジカメと500mⅬの水だけを持って登り始めました。この辺りは風が強いのか樹木が横向きに伸びています。途中から支笏湖が見えて来ましたが、突然ガスがかかって来て、雪が激しく降り出しました。気温も一気に下がり、氷点下に。冷凍庫に入ったみたいでした。デジカメの動きが鈍くなり、素手が凍傷になるのではと思われるほどでした。
幸い降雪は長くは続かず、天気も次第に回復して、風不死岳や勇払平野が見渡せるようになりました。支笏湖の湖面も青く輝いています。再び快適で眺望抜群の気楽な山歩きになりましたが、外輪山の縁(分岐点)に到達した途端、状況が一変しました。
なんと樽前山中央にある溶岩ドーム方面から、硫黄の臭いと共に猛烈な爆風が吹き付けて来たのです。稜線に立っているのもやっとのことで、踏ん張らないと体ごと吹き飛ばされそうでした。これほどの爆風は初めての体験で、びっくりしましたが、なんとか半身の体勢を取りながら溶岩ドームの写真を撮り、東山山頂まで登り切りました。この時、周りには誰もいません。一人でこの爆風アトラクション?を楽しむことにしました。
東分岐点まで戻り、下山道を10mほど下ると、爆風はぴたりと止みます。先ほどの猛烈な風は幻(まぼろし)だったのかと思い、再び外輪山の縁まで戻ると、瞬時に爆風が襲って来ました。この爆風を体の芯まで体験して、樽前山を後にしました。楽しかった。
コメント
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知らない間に楽しいとこ行ってたんですね〜〜〜♪
rojya-su さん、お久しぶりです。
今回は事件現場探訪(苫前村三毛別六線沢羆事件)が目的で、樽前山は帰京前に
寄ってみたのですが、なかなか楽しく印象深い山歩きとなりました。
それにしても実感として風速50mほどの爆風が1000mちょっとの山で吹くことが
あるんですね。いわゆる爆弾低気圧が通過したのですかね。
rojya-su さんも色々とお楽しみで羨ましい限りです。これから冬山ですね。私は都内間で引越すことになり、またもや山行がしばらくお休みになります。
最後に北海道の旅日記を紹介します。
苫前村三毛別六線沢羆事件現場探訪
10月26日(月)ザックを背負い、13時羽田発のANAで北海道へ向かいました。千歳空港に降り立ち、JR線で札幌へ。札幌駅ビルのスタバで、いつものドリップを注文し、肌寒い(6℃)街中をホテルまで歩きました。途中、紀伊国屋書店で本を2冊ほど買い、北大の植物園の落葉を踏みしめて歩きながら、北海道はすでに冬の季節が到来しつつあることを感じさせられました。
翌27日(火)ホテルのバイキングで朝食を済ませ、大通り公園を散策した後、レンタカーを借り、一路稚内へ。タイヤはすでにスタッドレスになっていたので安心でした。コースは札幌から石狩湾沿いの道に入り、増毛、留萌、苫前、遠別、天塩と日本海側の海岸線を稚内まで北上するものでした。途中苫前では三毛別六線沢奥地まで寄り道するので、360kmほどの走行距離になります。1日500kmまでは許容範囲なので、距離は問題ないのですが、今回は三毛別での羆(ヒグマ)事件現場探訪があるので、稚内に着くのが夜になりそうでした。出来れば、稚内手前のサロベツ原野から利尻岳を見たかったのですが、たぶん無理だと思われました。
暑寒別岳の西側を回り込むように雄冬岬などの断崖に付けられた数多くのトンネルを走り抜けながら、時々垣間見える小さな集落に生活環境の厳しさを見ました。国道231号線が通るまでは、かつて陸の孤島とも呼ばれ北海道の三大秘境の一つであったようです。道沿いの白樺の葉は黄色から薄茶に変色し、次々にその葉を落としていました。
増毛を過ぎ、留萌市に入ると、かつてのニシン漁の賑わいはありませんが、今でもカズノコの加工量は日本一だそうです。しかし、地方都市や郊外の町は日本全国どこでもそうですが、日中からシャッターが降り、一種のゴーストタウン化しています。繁盛しているのはショッピングモールだけですね。
潮風を浴びながら、錆びれた漁師小屋が点在する海岸線沿いの信号のない道(オロロンライン)をひたすら北上していると、いつの間にか苫前町が近づいていました。町に入る手前を右折し、今度は三毛別川に沿って南下します。この道は現在【ベアロード】と名付けられ、クマのプーさんぽい可愛い親子クマのイラストの看板があちこちにありますが、今から100年前、大正4年(1915年)12月9日10日の二日間に7人の人間(胎児含む)を食い殺した羆(ヒグマ)の惨劇事件現場が、その奥地にあるのです。
今ではのどかな畑の中を通るアスファルトの道を20分ほど走ると、事件現場に着きます。まずは三渓神社で慰霊碑にお参りし、六線沢沿いに点在した茅葺きの小屋(現在はもちろんありません)を地図で想像しながら、現地を巡りました。特に惨劇のあった明景家と太田家の周辺は今でも人気(ひとけ)が全くなく、ヒグマが出て来る気配に満ち溢れていて、ヒグマの目撃例も絶えないようです。
アスファルトの道が狭い土の道に変わり、さらに奥へ進むと事件現場の復元地が見えて来ます。粗末な茅葺きの小屋を襲う巨大な羆が再現されていて、なかなか迫力があります。周りは誰もいず、今ここでヒグマが現れたら、どう対処しようかと、現場の地形、状況を下に、いくつかシミュレーションして置きました。これで慌てることはありません。残念ながら(?)ヒグマは姿を見せませんでしたが、大正4年雪の積もった12月当時の現場を想像すると、開拓民の恐怖感が分かる気がしました。
日が暮れて来たので、稚内へ急ぐことにしました。平ぺったい天売島や焼尻島を沖合に見ながら、風力発電の巨大なプロペラがいくつも回転している傍の道を飛ばします。朝方や夕暮れで気を付けなくてはいけないのは、エゾシカの飛び出しです。毎回体験するのですが、道路の真ん中に平気で大きな角を持ったオス鹿が立っていたり、飛び出したりします。北海道をドライブする時は、必ず遭遇するものと思って運転していないと、とても危険です。サロベツ原野に着くころにはすっかり陽が落ち、利尻島の町の明りだけが沖合に見えていました。サロベツ原野を走り抜ける直線道路は30kmほど続き、道路の先端が見えず、スピードが出しやすいですが、鹿の飛び出しだけは要注意です。
稚内で一泊した後、午前中雨だったので、寄り道せず札幌にUターンしました。夜はすすきのへジンギスカンを食べに行きました。締めはもちろん札幌ラーメン! しかし讃岐うどんで鍛えた(?)我が舌を満足させることは難しかったようです。
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