霧ヶ峰〜鉢伏山

- GPS
- --:--
- 距離
- 37.7km
- 登り
- 1,942m
- 下り
- 2,904m
コースタイム
- 山行
- 7:18
- 休憩
- 1:12
- 合計
- 8:30
- 山行
- 3:49
- 休憩
- 0:11
- 合計
- 4:00
| 天候 | 1日目(5/3) :晴れ 2日目(5/4) :晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2007年05月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
下山口:JR篠ノ井線松本駅からJR・諏訪バスで登山口へ車回収 |
| その他周辺情報 | 白樺湖温泉\700 |
写真
感想
深夜の中央道を走り早朝の車山高原に着いた。以前に登った道を避けリフト横の地形図に表示のある道を行くが、笹に覆われ正規の登山道としては最早認知されていないようだったが早朝なればこそ行けるのかも知れない。駐車場の標高は1,550mあり既に山頂域の草原だ。笹原を分けて登ること45分。早くも車山(1,925m)山頂に着いた。一木もない山頂にはレーダードームがあり、遠くからでもすぐに分かる山だ。2等三角点「車沢」がある筈で探し回るが分からない何処にあるのだろう? 一木もないと言うことは360°の展望があると言うことで八ヶ岳、蓼科山が近く、富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、浅間山と主要な山岳はすべて見えた。先客のカメラマンの男性が独り三脚を立て撮影中だった。
北西方向の八島湿原を目指して進んだ。以前に蝶々深山経由で歩いているので今回は車山肩から御射山神社経由で湿原の西を通ることにした。湿原越しに鷲ヶ峰、三ッ峰山、美ヶ原そしてこの山行の目的地鉢伏山が春の清々しさに横たわっていた。御射山神社は諏訪神社の古の祭祀が行われた地であるそうだ。八島ヶ原湿原に入るが花は一つもなく依然として笹原が続いていた。ビーナスラインに近づくと時刻は8:30となりそろそろ観光客が出没しいた。そそくさと通過し鷲ヶ岳へと進んだ。湿原だけで飽き足りない観光客が1組登っているようだ。振り返ると湿原越しに車山、蓼科山、八ヶ岳が素晴らしい。小ピークを幾つか越えて3等三角点「鷲ヶ峰」のある鷲ヶ峰(1,798m)山頂に着いた。逆光だった蓼科山の光線状態が良くなるとその存在感は群を抜いていた。
北へと稜線を辿り送電線を4本越えると“ツチヤ”という点名の4等三角点(1,621m)のピークに達した。傍には電波塔が建っていた。西側の和田山南峰(1,657m)と向かい合い、その鞍部を国道142号線がトンネルで越える。ビーナスラインから崩壊した掘割状の和田峠を越え防火帯の急斜面を登り和田山南峰到った。山頂付近まで和田峠スキー場のリフトがあり冬は賑わうのだろうか。北西側の緩斜面を下ると古道が越えている。これは何を隠そう往年の中山道で佐久と諏訪を結ぶ和田峠だが今では古峠と呼ばれている。標高1,600mもあり昔の主要道とはいえ冬に越えるのは並大抵の苦労ではなかっただろう。石碑や案内板があり江戸末期に思い致すと、将軍家茂に嫁ぐため中山道を下った孝明天皇の妹である和宮の一行は旧暦10月20日に京を発ち11月15日に江戸に到着したというので今で言うなら完全に冬季閉鎖の期間だったであろう。こんな山中で歴史に触れるとは嬉しいものだ。
閑話休題、古峠を越え北へと進み三峰山を目指した。和田山北峰(1,722m)に到った。4等三角点「東餅屋」がありこれを越えるとビーナスラインが右側に近づいて来た。稜線の東側に纏わり付いていたが三峰山の登りが始まると東に去って行った。笹原のどっしりした山容の三峰山は観光客にも意欲をそそるのか直下の展望台から散策に来る人達が数人歩いていた。なだらかに進んで三峰山(1,887m)山頂に到った。振り返ると車山は遥か彼方となっていた。逆に北方向に美ヶ原が近づきテーブル状の平らな山容が美しい。さぞかし観光客が多いことだろう。山頂の3等三角点「仙農」の位置から50mほど先が松本市、下諏訪町、長和町の境になっていて北に行くと扉峠から美ヶ原へ続く。今日のコースの鉢伏山へは南西の尾根を下った。この先結構入り組んで道は分かり難そうだ。踏跡薄くなった急坂をジグザグに下り小さなピークで振り返ると山頂で出合った観光客がまだいる。手を振ると気づいたようで歓声と共に手を振り返してくれた。
P1668へ大きく登り返しかと覚悟していたら道は北側を巻いておりそのまま歩いて稜線を外してしまった。巻道というのは歩き難い、最低鞍部で漸く開放され稜線ルートに戻った。3つ程ピークを越えると二ッ山への登りとなった。急登の末辿り着いた二ッ山(1,830m’)山頂は疎林が一部開け展望が良い。1,826mの山頂標識があるがこの標高の3等三角点「二ッ山」は150mほど南にあり少し低い。そうすると二ッ山の標高は1,830mはありそうだ・・・もう一つおかしいことは山頂にあった鉢伏山を示す方向が三角点のある南西方向を指しておりどう考えても下諏訪へ下りてしまう道を示している。地図上で確信した方向に進むと間違いなかった。
西に進み前二ッ山(1,842m)を越えて緩やかな斜面を登り鉢伏山(1,928m)山頂に辿り着いた。山頂は名の通り鉢を伏せたように丸っこくて広々としていた。笹原に木が疎らにあり林の中なら風除けになりテントを張るには好都合だ。でも鹿糞いっぱいで彼らの領域真っ只中だ。まだ14:50なのでこのまま行けば暗くなる前に下山も可能だが下界で泊まるにはお金がいるし、せっかく登ったのだし明日のご来光も見たい。それに何より今日は夜中の0:30に起床したので既に14時間起きていて眠い。
16時過ぎから夕食にして、携帯メールを打っていると、うとうと居眠りしだし17時にはたまらなくなり寝てしまった。遠くで雷が鳴っていたようで夜中にパラパラしたようだが一瞬で止んだ。
2日目(5/4) : 鉢伏山2日目
3時30分に起床し朝食を済ませテントを撤収する頃、美ヶ原と三峰山の間からご来光。山頂で泊まるとこの感激が何とも言えない。草原の山頂域を進み北にあるピークで振り返ると鉢伏山が優雅に横たわっていた。このピークとの鞍部に建物が何棟かあり、その一軒に寄ってみるが鍵が掛かり無人のようだ。営業小屋があるとかあったとかだが確認できなかった。尤もここまでは下から道が通じており車で上がって来ることができる。小ピークの先は前鉢伏山(1,836m)で 3等三角点「悪ヶ洞」が設置されていた。この山も360°の展望があり朝日に焼けだした北アルプスが素晴らしく穂高から槍、常念、大天井、燕、更にその先鹿島槍あたりまで見ることができた。霞がかかり一寸判別し難いが常念の存在感は大きかった。大展望を楽しんだ後は樹林帯に入り北東方面に続く尾根を下った。P1637を越え登り返した処は宮入山(1,531m)で3等三角点「宮ノ入」があるだけで展望もなく、山頂標識すらなかった。
宮入山を下った鞍部は林道が横断する宮入峠で高遠林道が分岐していた。地形図には記載はないがこの先稜線伝いにずっと走っており途中何度かこの林道を歩くことになった。勿論登山道のあるところは林道を避けるが、アップダウンを好まない人にはいいのかも・・・・。
高遠山(1,317m)は緩やかな傾斜で幅5mほどの防火帯が稜線に敷かれ轍の跡があり二輪車が相当入り込んでいるようだった。山頂の傍らに遠慮勝ちに3等三角点「高遠」が何の表示も伴わずにぽつんとあった。下りは直線の防火帯の尾根で500m位先まで見通せた。下りきって林道に出合うと暫くこの林道を歩いた。P1072は林道を外れ強引にピークを踏んだ。この辺りに来て初めて花の姿を見ることができた。タチツボスミレであろう紫の花とコブシの白い花、もっとたくさんの花が見られるかと思っていたのだがこの程度だった。
ここから先は登山道があるかどうかは分からないが、尾根伝いに林城跡を通り金華橋に下りるつもりだった。踏跡を辿っているとどうも1本東の尾根を下りてしまったようで橋倉の集落に出てしまった。このまま下山してしまうのは口惜しく再び山に入り松本市内への先端に位置する金華山(846m)に登り返した。山の登り口付近にニリンソウ、エゾエンゴサクの花を見つけた、これは怪我の功名か? 山頂域は林城跡で14世紀に信濃の守護小笠原貞宗が築き、1550年武田晴信に敗れるまで本拠地としたと云う。麓の金華橋からだと標高差200mほどの山城だ。山頂域は広く空堀や石垣が残っていた。
金華橋から松本駅までは3.9辧当初はタクシーを呼ぼうかと思っていたが、まだ8:16、節約のため歩くことにした。名残の桜並木の薄川堤防を歩き、松商学園の前を通り、30分余りで松本駅に達した。少し来ない間に松本駅はリニューアルされていた。駅前広場からまっすぐ階段を上がりコンコースに繋がっている。良くなったものだ。44分待ちで9:40の列車に乗り茅野まで行き、路線バスに乗り換え車山高原に戻った。接続が悪く松本に着いてから4時間余りを要してしまった。午後のこの時間、車山高原の駐車場は満車、無料駐車場とは言え、昨日から停め続けていることに一寸罪悪感を覚えすぐさま出発した。白樺湖の畔にある白樺湖温泉に入浴(\700)し富士見山の登山口身延町平須に向った。18:10到着し夕食の準備をしていると、同じような人が到着しテントを張った。ただし私は車中泊。
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