粥見神社前で松阪ルートと分かれます。
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粥見神社前で松阪ルートと分かれます。
道標「右さんぐう、左まつさか道」
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道標「右さんぐう、左まつさか道」
大見道路改修記念碑。難所の大見坂は粥見と柿野の間にありますがこの付近も一体となって整備されたのかもしれません。
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大見道路改修記念碑。難所の大見坂は粥見と柿野の間にありますがこの付近も一体となって整備されたのかもしれません。
県道に合流しますが青看板の奥にある家の左横が旧道です。
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県道に合流しますが青看板の奥にある家の左横が旧道です。
その入口。船戸の渡し場への旧道です。右は新道で櫛田川を桜橋で渡っています。
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その入口。船戸の渡し場への旧道です。右は新道で櫛田川を桜橋で渡っています。
船戸の渡し場。川に向かって道が伸びています。対岸にも同じような場所が残っています。
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船戸の渡し場。川に向かって道が伸びています。対岸にも同じような場所が残っています。
船戸の渡し場を示す案内看板。かつては川伝いに綱があってそれに沿って舟が航行していたそうです。
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船戸の渡し場を示す案内看板。かつては川伝いに綱があってそれに沿って舟が航行していたそうです。
櫛田川の流れ。新道の桜橋で渡ります。ちょうど橋の影になっているあたりが渡しのルートだったようです。
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櫛田川の流れ。新道の桜橋で渡ります。ちょうど橋の影になっているあたりが渡しのルートだったようです。
対岸の渡し場跡には石積みが残っています。
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対岸の渡し場跡には石積みが残っています。
文字が読めない石碑。比較的新しいものなので写真3で紹介したような道路改修のことが刻まれていたのかもしれません。
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文字が読めない石碑。比較的新しいものなので写真3で紹介したような道路改修のことが刻まれていたのかもしれません。
桜峠への道筋。道路と横に流れる川が改修されています。
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桜峠への道筋。道路と横に流れる川が改修されています。
かつては川に沿った道筋であったものと思います。
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かつては川に沿った道筋であったものと思います。
桜峠。峠の先の左側に旧道の痕跡。
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桜峠。峠の先の左側に旧道の痕跡。
しばらくこのような感じで新道と旧道が交わって進みます。
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しばらくこのような感じで新道と旧道が交わって進みます。
小川を渡る手前の旧道の痕跡。道路断面を見ると右の端が旧道だったようです。
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小川を渡る手前の旧道の痕跡。道路断面を見ると右の端が旧道だったようです。
いずれ消滅してしまうであろう旧道部分。旧道と新道といったりきたりです。
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いずれ消滅してしまうであろう旧道部分。旧道と新道といったりきたりです。
多気町のモニュメント横の旧道に入ります。
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多気町のモニュメント横の旧道に入ります。
国道(新道)と直交。
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1/11 10:28
国道(新道)と直交。
この辺りから和歌山別街道の標識が目立ってきます。
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この辺りから和歌山別街道の標識が目立ってきます。
この付近の旧道風情。
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この付近の旧道風情。
ここは左の道。弧を描いて再び合流します。
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1/11 10:38
ここは左の道。弧を描いて再び合流します。
ここも左が旧道と思われますが自信がなかったので両方歩いています。
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ここも左が旧道と思われますが自信がなかったので両方歩いています。
この角の石積みを見ると明らかに変更の手が加えられているので左が旧道である可能性が高いように思います。
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この角の石積みを見ると明らかに変更の手が加えられているので左が旧道である可能性が高いように思います。
このなだらかな坂は矢坂。
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このなだらかな坂は矢坂。
国道と直交します。
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国道と直交します。
五箇篠山城が見えてきました。北畠具教が謀殺された時と本能寺の変の時に北畠再興を図る北畠具親が2度のろしを上げた城ですが失敗に終わっています。
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1/11 11:05
五箇篠山城が見えてきました。北畠具教が謀殺された時と本能寺の変の時に北畠再興を図る北畠具親が2度のろしを上げた城ですが失敗に終わっています。
道なりに進みます。右手に城跡があって資料館があります。
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道なりに進みます。右手に城跡があって資料館があります。
ちょうどこの辺りの左手に公衆便所があります。
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ちょうどこの辺りの左手に公衆便所があります。
旧道らしいウネウネ具合。
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旧道らしいウネウネ具合。
ここは左へ。右は栃原駅方面(熊野街道)の道筋です。
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ここは左へ。右は栃原駅方面(熊野街道)の道筋です。
一車線で時折り車が通ります。
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一車線で時折り車が通ります。
櫛田川沿いに進みます。
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1/11 11:46
櫛田川沿いに進みます。
右に旧道の痕跡。
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1/11 11:50
右に旧道の痕跡。
街道は左へ。右上に進む草道をたどると立梅用水が現れます。
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街道は左へ。右上に進む草道をたどると立梅用水が現れます。
立梅用水は1823年に丹生宿の灌漑対策で作られています。用水沿いは巡検のための道。
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立梅用水は1823年に丹生宿の灌漑対策で作られています。用水沿いは巡検のための道。
ここで川沿いの道と分かれます。右へ。
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ここで川沿いの道と分かれます。右へ。
左へ。丹生宿の入口です。
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左へ。丹生宿の入口です。
宿場内の道筋は少し複雑です。左へ。
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宿場内の道筋は少し複雑です。左へ。
左へ。
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左へ。
このように昔の屋号が掲げられています。
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このように昔の屋号が掲げられています。
枡形の跡。
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枡形の跡。
右へ。
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右へ。
道標があります。左、よしの、かうやみち。右、いせ、さんぐうみち。
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1/11 12:30
道標があります。左、よしの、かうやみち。右、いせ、さんぐうみち。
古い風情が残ります。丹生宿は丹生大師の門前町でもあります。
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1/11 12:33
古い風情が残ります。丹生宿は丹生大師の門前町でもあります。
三重県のルートマップは右を直進して寺の前に出るのですが現地の標識では左に進んですぐの場所で右折するようになっています。
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1/11 12:34
三重県のルートマップは右を直進して寺の前に出るのですが現地の標識では左に進んですぐの場所で右折するようになっています。
三重県のルートマップでの道筋。寺まで一直線。
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1/11 12:39
三重県のルートマップでの道筋。寺まで一直線。
現地の標識での道筋は神社前に出てきます。鳥居を左に曲がると寺の前で三重県のルートマップの道筋と合流します。
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1/11 12:43
現地の標識での道筋は神社前に出てきます。鳥居を左に曲がると寺の前で三重県のルートマップの道筋と合流します。
女人高野山丹生山神宮寺。山門が見事。
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1/11 12:48
女人高野山丹生山神宮寺。山門が見事。
通称として丹生大師とも呼ばれていて丹生神社の神宮寺にあたります。
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1/11 12:51
通称として丹生大師とも呼ばれていて丹生神社の神宮寺にあたります。
寺の前に道標があったので三重県のルートマップの道筋のほうが正しいとは思いますが半信半疑なので両方歩きました。
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1/11 12:48
寺の前に道標があったので三重県のルートマップの道筋のほうが正しいとは思いますが半信半疑なので両方歩きました。
丹生宿の江戸時代の道筋の地図と案内されてますが新道も載っていることから信ぴょう性は薄いものと思います。
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1/11 12:58
丹生宿の江戸時代の道筋の地図と案内されてますが新道も載っていることから信ぴょう性は薄いものと思います。
右へ。伊勢本街道、大河内方面の道筋との本来の追分。
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1/11 13:06
右へ。伊勢本街道、大河内方面の道筋との本来の追分。
左に弧を描くように道があったのですが途中で消滅してしまっています。建物の前で左に曲がって車道に合流します。
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1/11 13:07
左に弧を描くように道があったのですが途中で消滅してしまっています。建物の前で左に曲がって車道に合流します。
本来の追分の1つ先の筋が明治以降の追分のようでした。立派な道標はこちらに移設されています。
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1/11 13:10
本来の追分の1つ先の筋が明治以降の追分のようでした。立派な道標はこちらに移設されています。
田畑の中を一直線に進みます。
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1/11 13:14
田畑の中を一直線に進みます。
縁切地蔵の下部には道標。
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1/11 13:17
縁切地蔵の下部には道標。
旧道は車道に合流します。
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1/11 13:19
旧道は車道に合流します。
この先で伊勢自動車道と交差しますが車道は直線道なので旧道と考えるのは少々不自然に思います。もしかすると左側の山裾を進んでいたのかもしれません。
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1/11 13:21
この先で伊勢自動車道と交差しますが車道は直線道なので旧道と考えるのは少々不自然に思います。もしかすると左側の山裾を進んでいたのかもしれません。
左へ。近長谷寺の門前町へと入ります。
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1/11 13:30
左へ。近長谷寺の門前町へと入ります。
右へ。
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右へ。
左へ。
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1/11 13:35
左へ。
近長谷寺への入口には立派な道標が立っています。
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1/11 13:37
近長谷寺への入口には立派な道標が立っています。
すぐさんぐうみち。近長谷観音道。大和の長谷寺に行くならここも参りなさいよ的なことが書いてあります。
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1/11 13:37
すぐさんぐうみち。近長谷観音道。大和の長谷寺に行くならここも参りなさいよ的なことが書いてあります。
左の道をずっと道なりに進みます。
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1/11 13:40
左の道をずっと道なりに進みます。
次第に山里の光景になっていきます。
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1/11 13:46
次第に山里の光景になっていきます。
ここは右へ。
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1/11 13:52
ここは右へ。
右いせ道、左あふか道。左は相可の集落への道筋で伊勢本街道と合流します。
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1/11 13:52
右いせ道、左あふか道。左は相可の集落への道筋で伊勢本街道と合流します。
川沿いに。この橋では熊野街道への短絡道と合流しています。
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1/11 14:01
川沿いに。この橋では熊野街道への短絡道と合流しています。
日の丸を掲げる家。
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1/11 14:10
日の丸を掲げる家。
紀勢本線佐奈駅筋。駅には綺麗な公衆便所があります。
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1/11 14:21
紀勢本線佐奈駅筋。駅には綺麗な公衆便所があります。
ここはマップでは真っ直ぐですが左斜めに旧道らしき道筋がありました。
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1/11 14:37
ここはマップでは真っ直ぐですが左斜めに旧道らしき道筋がありました。
その旧道らしき道筋はこのような形で再び合流してきますが合流先の膨らみを見ると旧道らしき道筋から伸びていた場所と思えてなりません。
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1/11 14:38
その旧道らしき道筋はこのような形で再び合流してきますが合流先の膨らみを見ると旧道らしき道筋から伸びていた場所と思えてなりません。
踏切を渡ります。
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1/11 14:40
踏切を渡ります。
国道と直交した先に明治期に作られた新熊野街道の追分があります。
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1/11 14:53
国道と直交した先に明治期に作られた新熊野街道の追分があります。
道標も立っていますが形態的に明治のものです。
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1/11 14:53
道標も立っていますが形態的に明治のものです。
街道は次の角で曲がる説とその次の斜め左への道筋の2つ説があります。
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街道は次の角で曲がる説とその次の斜め左への道筋の2つ説があります。
どちらも弘法の井戸(二ツ井戸)に出てきます。
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1/11 14:57
どちらも弘法の井戸(二ツ井戸)に出てきます。
二ツ井戸の水は澄んでてとても綺麗です。
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1/11 14:57
二ツ井戸の水は澄んでてとても綺麗です。
車道に出て川沿いに進みます。
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1/11 15:01
車道に出て川沿いに進みます。
この交差点付近には旧道らしき道筋が残ります。おそらく今の車道は後年に出来たもので旧道は枡形のように曲がっていたものと思われます。
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1/11 15:06
この交差点付近には旧道らしき道筋が残ります。おそらく今の車道は後年に出来たもので旧道は枡形のように曲がっていたものと思われます。
右斜め方向へ。白いガードレール付近から集落内に入ります。
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右斜め方向へ。白いガードレール付近から集落内に入ります。
旧道らしい道筋を道なりに。
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旧道らしい道筋を道なりに。
道標地蔵。本来の場所から移設されたものです。
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1/11 15:16
道標地蔵。本来の場所から移設されたものです。
この先で県道に合流。
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1/11 15:20
この先で県道に合流。
右に進んで池の周りをぐるりと。
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右に進んで池の周りをぐるりと。
おそらく灌漑用の溜池でしょうか。
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おそらく灌漑用の溜池でしょうか。
県道からの旧道入口。左斜め方向へ。
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県道からの旧道入口。左斜め方向へ。
再び県道に合流して墓の手前で左に入ります。
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再び県道に合流して墓の手前で左に入ります。
県道と直交します。熊野街道との追分がある野中集落です。
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県道と直交します。熊野街道との追分がある野中集落です。
追分。立派な道標が立っています。
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追分。立派な道標が立っています。
右、かうや よしの みち。左、さいこく道。
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1/11 15:43
右、かうや よしの みち。左、さいこく道。
永昌寺。参勤交代のおりで殿様に無礼をした人の首をはねたという話が残っていて供養仏があります。
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永昌寺。参勤交代のおりで殿様に無礼をした人の首をはねたという話が残っていて供養仏があります。
ここからは熊野街道(熊野古道)と重複する区間です。
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1/11 15:57
ここからは熊野街道(熊野古道)と重複する区間です。
左へ。
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1/11 16:01
左へ。
この先で県道に入ります。
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1/11 16:04
この先で県道に入ります。
冬の空って感じです。
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1/11 16:18
冬の空って感じです。
今回の道中で初めてのコンビニ。
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1/11 16:30
今回の道中で初めてのコンビニ。
野篠の交差点。この先で左にカーブしてますがカーブ付近で右に入る道がもしかすると旧道かもしれません。
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野篠の交差点。この先で左にカーブしてますがカーブ付近で右に入る道がもしかすると旧道かもしれません。
田丸城が見えてきました。
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田丸城が見えてきました。
道標。寺へのものです。街道は県道と分かれ城下に入ります。
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道標。寺へのものです。街道は県道と分かれ城下に入ります。
城下への道筋は川で途切れているので右側の橋で迂回します。
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城下への道筋は川で途切れているので右側の橋で迂回します。
その途切れた場所。昔の橋の跡が残っています。
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その途切れた場所。昔の橋の跡が残っています。
この付近には見張りの屋敷があったといいます。
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この付近には見張りの屋敷があったといいます。
クランク状に進みます。右へ。
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クランク状に進みます。右へ。
突き当りを左へ。
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突き当りを左へ。
角には熊野街道伊勢街道の標識が立っています。
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角には熊野街道伊勢街道の標識が立っています。
線路を渡って左へ。
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線路を渡って左へ。
ここがゴール地点。右に曲がると伊勢本街道。左は田丸城です。
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1/11 17:03
ここがゴール地点。右に曲がると伊勢本街道。左は田丸城です。
立派な道標が立っていました。
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立派な道標が立っていました。
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