(はじめに)
この第1部「四国地方の山々の地質」では前章(1−8章)まで、広義の「四国山地」のうち、登山対象の山が多い「石鎚山地」、「剣山地」の山々の地質について説明してきました。
ところで1−1章でも述べた通り、広義の「四国山地」は、四国を東西に縦断する「中央構造線」(地質境界、地形境界)より南側の山地全体を指し、かなり広い領域です。
この1−9章では、この広義の「四国山地」のうち、前章までで説明していない地域として、「四国山地・南西部」の山々の地質について説明します。
ここでいう「四国山地・南西部」とは、明確な山地名、地域ではなく、大まかに四国の南西部にある山々、愛媛県/高知県の県境やその周辺部付近、という程度の意味合いの地域です(この山域名称は説明の為に仮に付けた名称で、オーソライズされたものではありません)。
この付近は、標高が1500〜1000m程度の、登山対象となっている山々がいくつかあり、また地質学的にも多様性があり、興味深い地域です。
ところで1−1章でも述べた通り、広義の「四国山地」は、四国を東西に縦断する「中央構造線」(地質境界、地形境界)より南側の山地全体を指し、かなり広い領域です。
この1−9章では、この広義の「四国山地」のうち、前章までで説明していない地域として、「四国山地・南西部」の山々の地質について説明します。
ここでいう「四国山地・南西部」とは、明確な山地名、地域ではなく、大まかに四国の南西部にある山々、愛媛県/高知県の県境やその周辺部付近、という程度の意味合いの地域です(この山域名称は説明の為に仮に付けた名称で、オーソライズされたものではありません)。
この付近は、標高が1500〜1000m程度の、登山対象となっている山々がいくつかあり、また地質学的にも多様性があり、興味深い地域です。
1)「四国カルスト」とその周辺
「四国カルスト」とは、広義の「四国山地」のうち、南西部の、高知/愛媛県境にある、石灰岩が分布していて、カルスト地形を特徴とする地域です(文献1)、(文献2)。
日本列島には、カルスト地形を持つ地域が多数ありますが、その中でも、山口県の秋吉台(あきよしだい)、福岡県の平尾台(ひらおだい)と、この「四国カルスト」が代表的で、この3つの地域は、「日本3大カルスト」(文献2)とも呼ばれます。
「四国カルスト」地域は、交通面でやや不便なこともあり、全国的な知名度はさほどではありませんが、標高は1400m台で展望も良く、ハイキングに適した地域です。
一般的に「四国カルスト」と呼ばれる地域は、東西方向に長く、南北方向には幅が狭い細長い稜線部からなる地域で、東から西へと順に、「天狗高原(てんぐこうげん)」、「五段高原(ごだんこうげん)、「大野ヶ原(おおのがはら)」といった地域名称にわけられています。
「四国カルスト」地域には、天狗ノ森(てんぐのもり;1485m)、五段城(ごだんじょう;1456m)などのピークがあります。但しこの地域は、ピークを目指す登山というより、高原ハイクをするのに適した感じの地域です(文献1)、(文献2)。
また、「四国カルスト」地域の東方には、鳥形山(とりがたやま;1346m)という山があります。鳥形山は一般的には「四国カルスト」地域に含みませんが、「四国カルスト」地域と同じく石灰岩体で形成されています。
残念ながら鳥形山は全山が石灰岩の採掘場となっており、上から順に削り取られて、まるで航空母艦のような、異様な形の山になってしまっています。
鳥形山は、石灰岩採掘前までは自然林で覆われた自然豊かな山だったようですが、1971年の採掘開始以降、標高は200mも低くなった(2012年時点)とされています。また大部分が企業の私有地となっているため、登山対象にはなっていません(文献3)。
この節では、「四国カルスト」地域に、この鳥形山地域を含めた一帯の地質について説明します。添付の図1もご参照ください。
さて、この「四国カルスト」地域を構成している地質ですが、カルスト地形があることから、石灰岩で形成されているということは素人目でも明らかで、実際にもその山域を歩くと、至る所に石灰岩の岩塊が、草原の中にぼこぼこと立ち並んでいます。
この「四国カルスト」地域、及び鳥形山地域の地質について、産総研「シームレス地質図v2」、(文献4)及び、この地域の地質研究報告である(文献5)を元に、以下、説明します。
この石灰岩の分布域は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「四国カルスト」地域とその東方の鳥形山付近まで合わせ、東西に約30km、南北の幅は広いところで2〜3kmと、東西に細長く分布しています。この石灰岩体は、産総研「シームレス地質図v2」の説明によると、古生代の石炭紀〜ペルム紀(約3.3〜2.6億年前)に形成されたものです。
また地形的に東西に伸びる主稜線と、この石灰岩分布域とは重なり合います。なので石灰岩体分布域はそれ以外の地域に比べて浸食に強かったため、標高1400m前後の稜線が形成されたのではないか、と思います(この段落は私見を含みます)。
地質的には、この石灰岩体分布域と重なるように、海洋性の玄武岩体があちこちに分布しています。この玄武岩体も産総研「シームレス地質図v2」では、上記の石灰岩体と同じ時期に形成された、とされています。
この石灰岩体について、(文献4−a)においては、これまで「ペルム紀付加体」とする考え方、「ジュラ紀付加体」中の構造性ブロックとする考え方などが提唱されたが、現在は「ペルム紀付加体」と考えるのが妥当、とされています。
つまり、「四国カルスト」及び鳥形山岩体を形成している地質体のうち、石灰岩体と海洋性玄武岩体は、古生代の海洋プレート上に形成された巨大な海山であり、それが、ペルム紀に付加した、と言えます。
また、「四国カルスト」の南側斜面部分には、ペルム紀の付加体(メランジュ相)が東西に細長く分布しています。上記の「石灰岩体+海洋性玄武岩体」と同じく、まとめてペルム紀に付加したものと思われ、(文献4−a)でも、そのように説明されています。
(文献5)では、「四国カルスト」地域と鳥形山地域の石灰岩分布域をまとめて、「鳥形山―大野ヶ原石灰岩体」と称しています(以下「四国カルスト石灰岩体」と略す)。「四国カルスト石灰岩体」は、全体として地質図上は南側に弓状に張り出した分布形態を示し、また地質構造上は、北側ほど構造的上位の地質と開析されています。それらのことより、「四国カルスト石灰岩体」とその周辺のペルム紀付加体は、ペルム紀に付加したのち、まとめて、南側へと衝上した(のし上がった)と推定されています。
(文献4−b)によると、四国地方の「秩父帯+黒瀬川帯」においてペルム紀の付加体があることは、1980年代には発見されていたようです。しかし、ジュラ紀付加体である「秩父帯(狭義)」の地理的な意味での内側に、ペルム紀付加体が分布しているのは、やや奇妙な感じがあります。
そもそも「西南日本」のうち、「西南日本内帯」(=「中央構造線」より北側の地域のうち、九州北部〜中国地方〜近畿地方北部)には、ペルム紀付加体からなる「地帯」(「秋吉帯」と「超丹波帯」)が広域的に分布していますが、この四国山地を含む「西南日本外帯」では、この四国山地の一部以外に、ペルム紀付加体分布域はほとんど知られていません。
四国山地における「ペルム紀付加体」の由来や、分布域が重なる「ジュラ紀付加体(=狭義の「秩父帯」)」との関係、更には「西南日本内帯」のペルム紀付加体からなる各「地帯」との関係については、謎が多く、逆に興味深い点でもあります。
この四国山地に分布する「ペルム紀付加体」に関しては、それ以外の(広義の)「黒瀬川帯」の各地質体と共に、章を改めて述べたいと思います。
続いて、「四国カルスト」の主稜線の北側部分の地質を見ると、こちらも地質構造がけっこう複雑です。
産総研「シームレス地質図v2」によると、「四国カルスト」地域のうち、中央部の「五段高原」地域〜東部の「天狗高原」地域にかけての山腹斜面部には、東西に約12km、南北の幅方向には約1−2kmと細長く、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた、泥質片岩(高圧型変成岩)が分布しています。なお、この変成岩体と同様の泥質片岩の岩石は、「四国カルスト」西部(大野ヶ原地域)の南麓にも分布しています。
(文献4−a)では、「四国カルスト」地域に分布している高圧型変成岩体のうち、南西部山麓に分布している高圧型変成岩体(泥質片岩類)を、「新期伊野変成(しんき・いの・へんせい)コンプレックス」 注1) という名称の地質体(広義の「黒瀬川帯」の一部)に相当する、と位置付けています。また(文献5)でも、同様に説明されています。
「四国カルスト」主稜線より北側の山腹部に分布している変成岩体については、(文献4−a)や(文献5)には言及がなく、はっきりしませんが、産総研「シームレス地質図v2」の記載を元に考えると、南西部山麓の変成岩体と同じく、「新期伊野変成コンプレックス」に相当する地質体と推測されます(この段落は私見を含みます)。
更に「四国カルスト」地域の北側、泥質片岩分布域より北には、ジュラ紀付加体(メランジュ相、玄武岩、チャート)が分布しています。これらジュラ紀付加体は、(文献4−c)、(文献5)、(文献6)に基づくと、「地帯構造区分」上、「秩父帯」(細かくは「秩父北帯」(=「秩父帯北帯」、「北部秩父帯」ともいう))のうち、「中津山(なかつやま)ユニット」及び「仁淀川(によどがわ)ユニット」という地質体に属する、とされています。
それ以外に、前述の鳥形山の南側山麓部には、古生代前期〜中期(カンブリア紀〜デボン紀)の各種地質体が分布しています。これらの地質体はまとめて、「黒瀬川帯・古期岩類(くろせがわたい・こきがんるい)」あるいは「黒瀬川古期岩類(くろせがわ・こきがんるい)」と呼ばれるものです(文献4−b)、(文献5)。
これらの地質体については、章を改めて述べる予定なので、この章では詳細を略します。
日本列島には、カルスト地形を持つ地域が多数ありますが、その中でも、山口県の秋吉台(あきよしだい)、福岡県の平尾台(ひらおだい)と、この「四国カルスト」が代表的で、この3つの地域は、「日本3大カルスト」(文献2)とも呼ばれます。
「四国カルスト」地域は、交通面でやや不便なこともあり、全国的な知名度はさほどではありませんが、標高は1400m台で展望も良く、ハイキングに適した地域です。
一般的に「四国カルスト」と呼ばれる地域は、東西方向に長く、南北方向には幅が狭い細長い稜線部からなる地域で、東から西へと順に、「天狗高原(てんぐこうげん)」、「五段高原(ごだんこうげん)、「大野ヶ原(おおのがはら)」といった地域名称にわけられています。
「四国カルスト」地域には、天狗ノ森(てんぐのもり;1485m)、五段城(ごだんじょう;1456m)などのピークがあります。但しこの地域は、ピークを目指す登山というより、高原ハイクをするのに適した感じの地域です(文献1)、(文献2)。
また、「四国カルスト」地域の東方には、鳥形山(とりがたやま;1346m)という山があります。鳥形山は一般的には「四国カルスト」地域に含みませんが、「四国カルスト」地域と同じく石灰岩体で形成されています。
残念ながら鳥形山は全山が石灰岩の採掘場となっており、上から順に削り取られて、まるで航空母艦のような、異様な形の山になってしまっています。
鳥形山は、石灰岩採掘前までは自然林で覆われた自然豊かな山だったようですが、1971年の採掘開始以降、標高は200mも低くなった(2012年時点)とされています。また大部分が企業の私有地となっているため、登山対象にはなっていません(文献3)。
この節では、「四国カルスト」地域に、この鳥形山地域を含めた一帯の地質について説明します。添付の図1もご参照ください。
さて、この「四国カルスト」地域を構成している地質ですが、カルスト地形があることから、石灰岩で形成されているということは素人目でも明らかで、実際にもその山域を歩くと、至る所に石灰岩の岩塊が、草原の中にぼこぼこと立ち並んでいます。
この「四国カルスト」地域、及び鳥形山地域の地質について、産総研「シームレス地質図v2」、(文献4)及び、この地域の地質研究報告である(文献5)を元に、以下、説明します。
この石灰岩の分布域は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「四国カルスト」地域とその東方の鳥形山付近まで合わせ、東西に約30km、南北の幅は広いところで2〜3kmと、東西に細長く分布しています。この石灰岩体は、産総研「シームレス地質図v2」の説明によると、古生代の石炭紀〜ペルム紀(約3.3〜2.6億年前)に形成されたものです。
また地形的に東西に伸びる主稜線と、この石灰岩分布域とは重なり合います。なので石灰岩体分布域はそれ以外の地域に比べて浸食に強かったため、標高1400m前後の稜線が形成されたのではないか、と思います(この段落は私見を含みます)。
地質的には、この石灰岩体分布域と重なるように、海洋性の玄武岩体があちこちに分布しています。この玄武岩体も産総研「シームレス地質図v2」では、上記の石灰岩体と同じ時期に形成された、とされています。
この石灰岩体について、(文献4−a)においては、これまで「ペルム紀付加体」とする考え方、「ジュラ紀付加体」中の構造性ブロックとする考え方などが提唱されたが、現在は「ペルム紀付加体」と考えるのが妥当、とされています。
つまり、「四国カルスト」及び鳥形山岩体を形成している地質体のうち、石灰岩体と海洋性玄武岩体は、古生代の海洋プレート上に形成された巨大な海山であり、それが、ペルム紀に付加した、と言えます。
また、「四国カルスト」の南側斜面部分には、ペルム紀の付加体(メランジュ相)が東西に細長く分布しています。上記の「石灰岩体+海洋性玄武岩体」と同じく、まとめてペルム紀に付加したものと思われ、(文献4−a)でも、そのように説明されています。
(文献5)では、「四国カルスト」地域と鳥形山地域の石灰岩分布域をまとめて、「鳥形山―大野ヶ原石灰岩体」と称しています(以下「四国カルスト石灰岩体」と略す)。「四国カルスト石灰岩体」は、全体として地質図上は南側に弓状に張り出した分布形態を示し、また地質構造上は、北側ほど構造的上位の地質と開析されています。それらのことより、「四国カルスト石灰岩体」とその周辺のペルム紀付加体は、ペルム紀に付加したのち、まとめて、南側へと衝上した(のし上がった)と推定されています。
(文献4−b)によると、四国地方の「秩父帯+黒瀬川帯」においてペルム紀の付加体があることは、1980年代には発見されていたようです。しかし、ジュラ紀付加体である「秩父帯(狭義)」の地理的な意味での内側に、ペルム紀付加体が分布しているのは、やや奇妙な感じがあります。
そもそも「西南日本」のうち、「西南日本内帯」(=「中央構造線」より北側の地域のうち、九州北部〜中国地方〜近畿地方北部)には、ペルム紀付加体からなる「地帯」(「秋吉帯」と「超丹波帯」)が広域的に分布していますが、この四国山地を含む「西南日本外帯」では、この四国山地の一部以外に、ペルム紀付加体分布域はほとんど知られていません。
四国山地における「ペルム紀付加体」の由来や、分布域が重なる「ジュラ紀付加体(=狭義の「秩父帯」)」との関係、更には「西南日本内帯」のペルム紀付加体からなる各「地帯」との関係については、謎が多く、逆に興味深い点でもあります。
この四国山地に分布する「ペルム紀付加体」に関しては、それ以外の(広義の)「黒瀬川帯」の各地質体と共に、章を改めて述べたいと思います。
続いて、「四国カルスト」の主稜線の北側部分の地質を見ると、こちらも地質構造がけっこう複雑です。
産総研「シームレス地質図v2」によると、「四国カルスト」地域のうち、中央部の「五段高原」地域〜東部の「天狗高原」地域にかけての山腹斜面部には、東西に約12km、南北の幅方向には約1−2kmと細長く、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた、泥質片岩(高圧型変成岩)が分布しています。なお、この変成岩体と同様の泥質片岩の岩石は、「四国カルスト」西部(大野ヶ原地域)の南麓にも分布しています。
(文献4−a)では、「四国カルスト」地域に分布している高圧型変成岩体のうち、南西部山麓に分布している高圧型変成岩体(泥質片岩類)を、「新期伊野変成(しんき・いの・へんせい)コンプレックス」 注1) という名称の地質体(広義の「黒瀬川帯」の一部)に相当する、と位置付けています。また(文献5)でも、同様に説明されています。
「四国カルスト」主稜線より北側の山腹部に分布している変成岩体については、(文献4−a)や(文献5)には言及がなく、はっきりしませんが、産総研「シームレス地質図v2」の記載を元に考えると、南西部山麓の変成岩体と同じく、「新期伊野変成コンプレックス」に相当する地質体と推測されます(この段落は私見を含みます)。
更に「四国カルスト」地域の北側、泥質片岩分布域より北には、ジュラ紀付加体(メランジュ相、玄武岩、チャート)が分布しています。これらジュラ紀付加体は、(文献4−c)、(文献5)、(文献6)に基づくと、「地帯構造区分」上、「秩父帯」(細かくは「秩父北帯」(=「秩父帯北帯」、「北部秩父帯」ともいう))のうち、「中津山(なかつやま)ユニット」及び「仁淀川(によどがわ)ユニット」という地質体に属する、とされています。
それ以外に、前述の鳥形山の南側山麓部には、古生代前期〜中期(カンブリア紀〜デボン紀)の各種地質体が分布しています。これらの地質体はまとめて、「黒瀬川帯・古期岩類(くろせがわたい・こきがんるい)」あるいは「黒瀬川古期岩類(くろせがわ・こきがんるい)」と呼ばれるものです(文献4−b)、(文献5)。
これらの地質体については、章を改めて述べる予定なので、この章では詳細を略します。
2) 「鬼ヶ城山系」
「鬼ヶ城山系(おにがじょうさんけい)」とは、愛媛県南部(南予(なんよ)地域)の中心都市である、宇和島市のすぐ裏手(東側)にある山々を指します(文献7)。
この山系の山々は、標高は1000〜1200m程度とさほど高くはありませんが、南予地域では周辺の低い山々、丘陵部より突出しており、登山対象として親しまれています。
この山系で登山対象となっている主な山としては、鬼ヶ城山(おにがじょうざん;1151m)、高月山(たかつきやま;1229m)、三本杭(さんぼんぐい;1226m /日本三百名山の一つ)が挙げられます。
また、この山系には滑床(なめとこ)渓谷という美しい渓谷があります。ここは、観光地として知られていますが、三本杭への登山ルートでもあります。(文献1)。
さてこの「鬼ヶ城山系」の山々の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、その周辺地域が全て、砂岩、泥岩などからなる白亜紀堆積岩(「四万十帯」)の地質体で出来ているのと対照的に、花崗岩類からなっており、南北、東西方向いずれも5−6kmサイズの、花崗岩体となっています。添付の図3もご参照ください。
先に触れた「滑床渓谷」という場所は、この花崗岩分布域に流れる美しい渓谷で、白っぽい花崗岩と青い清流との対比が美しい渓谷です。
(文献4−d)によると、この「鬼ヶ城山系」に分布する花崗岩体は、約20―15Maに起きた、「日本海拡大/日本列島移動」イベントに関連して形成された岩体であり、「西南日本」が日本海の拡大に伴って南へと移動して、まだ若くて比較的熱かったフィリピン海プレート上にのし上げた結果、その境界部で生じたマグマが、その由来と考えられています。
この花崗岩体の年代(冷却年代)は、K−Ar法年代で、13〜14Maという値が得られています。
この時期の火成活動として、四国地方では、1−3章で説明した石鎚山のカルデラ式火山活動や、1−10章で説明する、現在の香川県に相当する地域で火山活動が生じています。
この「鬼ヶ城山系」での花崗岩体の形成メカニズムとしては、まだ若くて温度が高かったフィリピン海プレートと、その上にのし上げた「西南日本」ブロックとの境目で、フィリピン海プレート上部にあった「四万十帯」付加体が部分融解してできたマグマ成分と、より深いマントル由来の安山岩質マグマ成分マグマ成分が、地下で混合してマグマ溜りが形成され、その後、そのマグマ溜りが徐々に冷えて、花崗岩体になったもの、と推定されています(文献4−d)。
この時代の「西南日本」での火成活動については、この第1部「四国地方の山々の地質」のうち、1−3章、1−10章でも説明しており、また第12部「九州地方の山々の地質」などでも説明していますので、必要に応じ、ご参照ください。
※ ”Ma“は、百万年前を意味する単位
この山系の山々は、標高は1000〜1200m程度とさほど高くはありませんが、南予地域では周辺の低い山々、丘陵部より突出しており、登山対象として親しまれています。
この山系で登山対象となっている主な山としては、鬼ヶ城山(おにがじょうざん;1151m)、高月山(たかつきやま;1229m)、三本杭(さんぼんぐい;1226m /日本三百名山の一つ)が挙げられます。
また、この山系には滑床(なめとこ)渓谷という美しい渓谷があります。ここは、観光地として知られていますが、三本杭への登山ルートでもあります。(文献1)。
さてこの「鬼ヶ城山系」の山々の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、その周辺地域が全て、砂岩、泥岩などからなる白亜紀堆積岩(「四万十帯」)の地質体で出来ているのと対照的に、花崗岩類からなっており、南北、東西方向いずれも5−6kmサイズの、花崗岩体となっています。添付の図3もご参照ください。
先に触れた「滑床渓谷」という場所は、この花崗岩分布域に流れる美しい渓谷で、白っぽい花崗岩と青い清流との対比が美しい渓谷です。
(文献4−d)によると、この「鬼ヶ城山系」に分布する花崗岩体は、約20―15Maに起きた、「日本海拡大/日本列島移動」イベントに関連して形成された岩体であり、「西南日本」が日本海の拡大に伴って南へと移動して、まだ若くて比較的熱かったフィリピン海プレート上にのし上げた結果、その境界部で生じたマグマが、その由来と考えられています。
この花崗岩体の年代(冷却年代)は、K−Ar法年代で、13〜14Maという値が得られています。
この時期の火成活動として、四国地方では、1−3章で説明した石鎚山のカルデラ式火山活動や、1−10章で説明する、現在の香川県に相当する地域で火山活動が生じています。
この「鬼ヶ城山系」での花崗岩体の形成メカニズムとしては、まだ若くて温度が高かったフィリピン海プレートと、その上にのし上げた「西南日本」ブロックとの境目で、フィリピン海プレート上部にあった「四万十帯」付加体が部分融解してできたマグマ成分と、より深いマントル由来の安山岩質マグマ成分マグマ成分が、地下で混合してマグマ溜りが形成され、その後、そのマグマ溜りが徐々に冷えて、花崗岩体になったもの、と推定されています(文献4−d)。
この時代の「西南日本」での火成活動については、この第1部「四国地方の山々の地質」のうち、1−3章、1−10章でも説明しており、また第12部「九州地方の山々の地質」などでも説明していますので、必要に応じ、ご参照ください。
※ ”Ma“は、百万年前を意味する単位
3) 「美川高原」(仮称)の地質と地形
前述の「四国カルスト」地域から北へ15kmほどの場所には、なだらかな高原状の地域があります。山(ピーク)としては、「大川嶺(おおかわみね;1526m)」、及び「笠取山(かさとりやま;1562m)」というピークがありますが、これらは、この一帯全域を示す山名ではなく、この一帯のうち、めだつピークの名称です。
この一帯は高原状の地域であり、特段の地域名称はありませんが、この章では、後述のスキー場の名称や、旧村名を元に、「美川高原(みかわこうげん)」と仮に呼ぶことにします(これはあくまで説明のための仮称であり、オーソライズされている名称ではありません)。
「美川高原」は、大部分が、行政的には愛媛県の「久万高原(くまこうげん)町」(旧 愛媛県 美川(みかわ)村)に属します。
「美川高原」は、標高が1500m台と、「四国山地・南西部」では比較的高い部類に属します。ただし地元では、登山の対象というよりは、美川(みかわ)スキー場というスキー場があった場所として知られています。「美川スキー場」はかつて、四国最大規模のスキー場として知られていました。積雪量が減少したことや利用者減少などの影響で「美川スキー場」は、2014年に廃止となり、この山域を訪れる人は少なくなってしまいました。現在では、のどかな高原ハイクが楽しめる場所となっています(文献1)、(文献7)。
さて「美川高原」の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体の大部分が、泥質千枚岩、変成チャート、変成玄武岩といった変成岩類からなります。変成年代は、前期白亜紀〜古第三紀 暁新世(約110〜60Ma)と記されており、「石鎚山地」に多く分布する「三波川帯」の高圧型変成岩類と変成時期的には同じです。
なおこの「美川高原」一帯の地質については、添付の図2もご参照ください。
(文献4)ではこの山域の地質について具体的な説明がありませんが、他の文献も参照した結果、この一帯は、「地帯構造区分」上は、ジュラ紀付加体としての「秩父帯」に位置付けられるようです。
この山域の地質は前記の通り、高圧型変成岩作用を受けていますが、同じ「高圧型変成岩」といっても、「三波川帯」に属する「石鎚山地」では、より変成度が強くて硬い結晶片岩類が分布しているのに比べ、この山域に分布している変成岩類は、それらよりは変成度が低いものです。この山域が、標高が高いわりに岩場などがほとんどなく、なだらかな山容なのは、その変成度の違いや、泥質千枚岩が割と脆くて崩れやすい性質であることも、関係しているのかも知れません(この段落は私見です)
なお、産総研「シームレス地質図v2」をよくよく見ると、この山の付近では、「地滑り性堆積物」があちこちに分布しています。この山のなだらかな山容は、このような地滑りの多発が影響している可能性も考えられます(この段落は私見です)。
この一帯は高原状の地域であり、特段の地域名称はありませんが、この章では、後述のスキー場の名称や、旧村名を元に、「美川高原(みかわこうげん)」と仮に呼ぶことにします(これはあくまで説明のための仮称であり、オーソライズされている名称ではありません)。
「美川高原」は、大部分が、行政的には愛媛県の「久万高原(くまこうげん)町」(旧 愛媛県 美川(みかわ)村)に属します。
「美川高原」は、標高が1500m台と、「四国山地・南西部」では比較的高い部類に属します。ただし地元では、登山の対象というよりは、美川(みかわ)スキー場というスキー場があった場所として知られています。「美川スキー場」はかつて、四国最大規模のスキー場として知られていました。積雪量が減少したことや利用者減少などの影響で「美川スキー場」は、2014年に廃止となり、この山域を訪れる人は少なくなってしまいました。現在では、のどかな高原ハイクが楽しめる場所となっています(文献1)、(文献7)。
さて「美川高原」の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体の大部分が、泥質千枚岩、変成チャート、変成玄武岩といった変成岩類からなります。変成年代は、前期白亜紀〜古第三紀 暁新世(約110〜60Ma)と記されており、「石鎚山地」に多く分布する「三波川帯」の高圧型変成岩類と変成時期的には同じです。
なおこの「美川高原」一帯の地質については、添付の図2もご参照ください。
(文献4)ではこの山域の地質について具体的な説明がありませんが、他の文献も参照した結果、この一帯は、「地帯構造区分」上は、ジュラ紀付加体としての「秩父帯」に位置付けられるようです。
この山域の地質は前記の通り、高圧型変成岩作用を受けていますが、同じ「高圧型変成岩」といっても、「三波川帯」に属する「石鎚山地」では、より変成度が強くて硬い結晶片岩類が分布しているのに比べ、この山域に分布している変成岩類は、それらよりは変成度が低いものです。この山域が、標高が高いわりに岩場などがほとんどなく、なだらかな山容なのは、その変成度の違いや、泥質千枚岩が割と脆くて崩れやすい性質であることも、関係しているのかも知れません(この段落は私見です)
なお、産総研「シームレス地質図v2」をよくよく見ると、この山の付近では、「地滑り性堆積物」があちこちに分布しています。この山のなだらかな山容は、このような地滑りの多発が影響している可能性も考えられます(この段落は私見です)。
4) 中津明神山とその周辺の地質
「中津明神山(なかつみょうじんさん;1541m)とは、前記の「美川高原」の東、約10kmに位置する山です。
標高も1500m台であり、割と目立つ三角錐状の山容の山です。愛媛県と高知県との県境部にあります。なおこの山の名称は、地理院地図では、「中津山(明神山)」と表記されていますが、(文献1)では「中津明神山」と表記されており、地元でもそう呼ぶことが多いので、それに従います。
この山は残念ながら山頂にレーダードームが設置され、山頂直下まで車道が続いている為、登山対象としてあまり人気があるとは言えませんが、山頂からの展望はなかなか素晴らしいものがあります。また近年は山腹がパラグライダーを楽しめる場所となっています。
さてこの山の地質ですが、まず産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体の山麓から中腹までは泥質千枚岩、中腹から山頂までは苦鉄質千枚岩で形成されている、と記載されています。また変成年代は、前期白亜紀〜古第三紀 暁新世(約110〜60Ma)と記載されています。
なおこの、中津明神山一帯の地質については、添付の図2もご参照ください。
一方(文献4−c)では、中津明神山の大部分を構成している岩石種としては、チャート、緑色岩類、砂岩、千枚岩、珪質泥岩、石灰岩、メランジュ相地質体からなる複雑な構成であり、まとめて(この山の名前を元にしたユニット名称と思われる)「中津山ユニット」という地質体名称で呼ばれています。元々ジュラ紀に付加した付加体(「地帯構造区分」上は、秩父帯北帯)としている)が、後に変成作用を受けたものとされています。但し、その変成作用を「三波川変成作用」と考えるか、別の変成作用とするか、複数の見解があるようです。
この山の地質として興味深いのは、南東側の山腹部に、上記の「中津山ユニット」の岩石類とは別に、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた高圧型変成岩類が分布している点です。この地質体の岩石種としては、産総研「シームレス地質図v2」では、泥質千枚岩、大理石とされています。一方 (文献4−c)ではより詳しい説明があり、石灰岩を主とし、緑色岩類(緑色片岩)、千枚岩、片状砂岩からなり、中期トリアス紀〜前期ジュラ紀(約230〜180Ma)に、「パンペリー=アクチノ閃石相」相当の(高圧型)変成作用を受けている地質体、とされています。
(文献8)は、この地質体を、「吾川(あがわ)ユニット」と名付け、「吾川ユニット」に関して詳しく研究した文献ですが、この(文献8)やそれを元にした(文献4−c)によると、この「吾川ユニット」という地質体は、元はペルム紀付加体であり、その後、(周辺の「中津山ユニット」よりも明らかに高度な)、高圧型変成作用を受けた地質体であって、(広義の)「黒瀬川帯」構成メンバーに位置付けています。
また、構造的下位にある、前記の「中津山ユニット」(ジュラ紀付加体)との関係としては、「中津山ユニット」の上に、衝上断層(「名津衝上断層」)によって累乗した後、周辺部の浸食により「クリッペ」(=「ナップ」の小さいもの)として残存しているもの、と考察しています。
ただし、「衝上断層」によって「中津山ユニット」の上に乗っかっているのは議論の余地は少ないものの、どこからやってきた地質体のかは、諸説あるようです。広義の「黒瀬川帯」の形成(メカニズム)にも関連する、議論の多い地質体といえます。
標高も1500m台であり、割と目立つ三角錐状の山容の山です。愛媛県と高知県との県境部にあります。なおこの山の名称は、地理院地図では、「中津山(明神山)」と表記されていますが、(文献1)では「中津明神山」と表記されており、地元でもそう呼ぶことが多いので、それに従います。
この山は残念ながら山頂にレーダードームが設置され、山頂直下まで車道が続いている為、登山対象としてあまり人気があるとは言えませんが、山頂からの展望はなかなか素晴らしいものがあります。また近年は山腹がパラグライダーを楽しめる場所となっています。
さてこの山の地質ですが、まず産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体の山麓から中腹までは泥質千枚岩、中腹から山頂までは苦鉄質千枚岩で形成されている、と記載されています。また変成年代は、前期白亜紀〜古第三紀 暁新世(約110〜60Ma)と記載されています。
なおこの、中津明神山一帯の地質については、添付の図2もご参照ください。
一方(文献4−c)では、中津明神山の大部分を構成している岩石種としては、チャート、緑色岩類、砂岩、千枚岩、珪質泥岩、石灰岩、メランジュ相地質体からなる複雑な構成であり、まとめて(この山の名前を元にしたユニット名称と思われる)「中津山ユニット」という地質体名称で呼ばれています。元々ジュラ紀に付加した付加体(「地帯構造区分」上は、秩父帯北帯)としている)が、後に変成作用を受けたものとされています。但し、その変成作用を「三波川変成作用」と考えるか、別の変成作用とするか、複数の見解があるようです。
この山の地質として興味深いのは、南東側の山腹部に、上記の「中津山ユニット」の岩石類とは別に、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた高圧型変成岩類が分布している点です。この地質体の岩石種としては、産総研「シームレス地質図v2」では、泥質千枚岩、大理石とされています。一方 (文献4−c)ではより詳しい説明があり、石灰岩を主とし、緑色岩類(緑色片岩)、千枚岩、片状砂岩からなり、中期トリアス紀〜前期ジュラ紀(約230〜180Ma)に、「パンペリー=アクチノ閃石相」相当の(高圧型)変成作用を受けている地質体、とされています。
(文献8)は、この地質体を、「吾川(あがわ)ユニット」と名付け、「吾川ユニット」に関して詳しく研究した文献ですが、この(文献8)やそれを元にした(文献4−c)によると、この「吾川ユニット」という地質体は、元はペルム紀付加体であり、その後、(周辺の「中津山ユニット」よりも明らかに高度な)、高圧型変成作用を受けた地質体であって、(広義の)「黒瀬川帯」構成メンバーに位置付けています。
また、構造的下位にある、前記の「中津山ユニット」(ジュラ紀付加体)との関係としては、「中津山ユニット」の上に、衝上断層(「名津衝上断層」)によって累乗した後、周辺部の浸食により「クリッペ」(=「ナップ」の小さいもの)として残存しているもの、と考察しています。
ただし、「衝上断層」によって「中津山ユニット」の上に乗っかっているのは議論の余地は少ないものの、どこからやってきた地質体のかは、諸説あるようです。広義の「黒瀬川帯」の形成(メカニズム)にも関連する、議論の多い地質体といえます。
5) 篠山(ささやま)の地質、及び四国の「四万十帯」について
この章で扱っている「四国山地・南西部」は、四国の南西端である足摺岬へ向かって徐々に高度を下げていきます。その中、足摺岬にも近い場所に、篠山(ささやま;1064m)という山があります。
この山は、本章 第3項で説明した「鬼ヶ城山系」からは、南に約20kmに位置し、高知県と愛媛県の県境にそびえています。なお篠山は、日本三百名山のひとつになっています。
この山は、標高はさほど高くはありませんが、古くからこの地域一帯からあがめられた信仰の山で、また頂上付近にはアケボノツツジの群落などがある自然豊かな山です(文献1)。
ここで篠山という山を取り上げた理由は、四国の「地帯構造区分」上、最も南にある「四万十帯(しまんとたい)」に属する山なので、「四万十帯」の説明を兼ねて取り上げました。
ちなみに「四万十帯」という「地帯」名は、古くは「四万十統(しまんととう)」、あるいは「四万十累層(しまんとるいそう)」と呼ばれたもので、四国西部を流れる、「四万十川(しまんとがわ)」流域が、1900年前後に、詳しく地質研究されたことに由来します(文献11)。
「四万十帯」の地質体には、目視レベルの化石をほどんど含まないことから、永らく、形成時代不明の堆積層とされていましたが、1980年代に、放散虫による堆積年代研究や、地質構造に関する研究が進み、日本で初めて、海洋プレート沈み込み帯で形成された「付加体」であることが明確となった「地帯」でもあります(文献12)。
なお細かいことを言うと、「四万十帯」には、「付加体」として形成された地質体と、前弧海盆堆積物として形成された地質体が含まれています。
(文献4−e)では、両者は岩石種、地質構造での区分は困難として、まとめて「白亜紀」〜「古第三紀」の「付加体」(一部に「前弧海盆堆積物」を含む)としています。
なお、本章第2節の「鬼ヶ島山系」で触れた、宇和島市付近の堆積岩類(砂岩、泥岩など)は、産総研「シームレス地質図v2」の説明では、「付加体」ではなく「海成層」と記載されています。これは、この一帯の堆積岩類を「前弧海盆堆積物」と判断している為ではないかと思われます(この段落は私見を含みます)。
さて、篠山の地質に話を戻し、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、砂岩、泥岩、砂泥互層からなっており、典型的な付加体型の地質でできています。付加時期は白亜紀です。
なおこの篠山付近の地質は、添付の図3もご参照ください。
「四万十帯」は白亜紀の付加体を「四万十北帯」、その南にある、古第三紀の付加体を「四万十南帯」と細分化して呼ぶことも多いのですが、どちらも、岩石種としては、陸源性の砂岩、泥岩、砂泥互層が大部分で、海洋源性の玄武岩、チャート、石灰岩が殆ど分布していない点が特徴といえます。
「四万十帯」の北側、「仏像構造線(ぶつぞうこうぞうせん)」という地質境界線より北側に分布している狭義の「秩父帯」(=ジュラ紀付加体)では、玄武岩、チャート、石灰岩がかなり多く分布しているのとは、かなり対照的です。
同じ付加体であっても、その時代の陸地側の状況や、海洋プレート側の状況、更には海洋プレートの沈み込み角度などによって、付加体の地質(岩石種の組み合わせ)に違いがでると推定されますので、逆に付加体形成時の状況を推定するのに役立つ情報ともいえます(この段落は私見です)。
なお(文献4−e)には、四国南西部の「四万十帯」に関して説明があり、篠山付近は「四万十北帯」に属することは解りますが、篠山付近に関して、詳しい説明はありません。
この山は、本章 第3項で説明した「鬼ヶ城山系」からは、南に約20kmに位置し、高知県と愛媛県の県境にそびえています。なお篠山は、日本三百名山のひとつになっています。
この山は、標高はさほど高くはありませんが、古くからこの地域一帯からあがめられた信仰の山で、また頂上付近にはアケボノツツジの群落などがある自然豊かな山です(文献1)。
ここで篠山という山を取り上げた理由は、四国の「地帯構造区分」上、最も南にある「四万十帯(しまんとたい)」に属する山なので、「四万十帯」の説明を兼ねて取り上げました。
ちなみに「四万十帯」という「地帯」名は、古くは「四万十統(しまんととう)」、あるいは「四万十累層(しまんとるいそう)」と呼ばれたもので、四国西部を流れる、「四万十川(しまんとがわ)」流域が、1900年前後に、詳しく地質研究されたことに由来します(文献11)。
「四万十帯」の地質体には、目視レベルの化石をほどんど含まないことから、永らく、形成時代不明の堆積層とされていましたが、1980年代に、放散虫による堆積年代研究や、地質構造に関する研究が進み、日本で初めて、海洋プレート沈み込み帯で形成された「付加体」であることが明確となった「地帯」でもあります(文献12)。
なお細かいことを言うと、「四万十帯」には、「付加体」として形成された地質体と、前弧海盆堆積物として形成された地質体が含まれています。
(文献4−e)では、両者は岩石種、地質構造での区分は困難として、まとめて「白亜紀」〜「古第三紀」の「付加体」(一部に「前弧海盆堆積物」を含む)としています。
なお、本章第2節の「鬼ヶ島山系」で触れた、宇和島市付近の堆積岩類(砂岩、泥岩など)は、産総研「シームレス地質図v2」の説明では、「付加体」ではなく「海成層」と記載されています。これは、この一帯の堆積岩類を「前弧海盆堆積物」と判断している為ではないかと思われます(この段落は私見を含みます)。
さて、篠山の地質に話を戻し、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、砂岩、泥岩、砂泥互層からなっており、典型的な付加体型の地質でできています。付加時期は白亜紀です。
なおこの篠山付近の地質は、添付の図3もご参照ください。
「四万十帯」は白亜紀の付加体を「四万十北帯」、その南にある、古第三紀の付加体を「四万十南帯」と細分化して呼ぶことも多いのですが、どちらも、岩石種としては、陸源性の砂岩、泥岩、砂泥互層が大部分で、海洋源性の玄武岩、チャート、石灰岩が殆ど分布していない点が特徴といえます。
「四万十帯」の北側、「仏像構造線(ぶつぞうこうぞうせん)」という地質境界線より北側に分布している狭義の「秩父帯」(=ジュラ紀付加体)では、玄武岩、チャート、石灰岩がかなり多く分布しているのとは、かなり対照的です。
同じ付加体であっても、その時代の陸地側の状況や、海洋プレート側の状況、更には海洋プレートの沈み込み角度などによって、付加体の地質(岩石種の組み合わせ)に違いがでると推定されますので、逆に付加体形成時の状況を推定するのに役立つ情報ともいえます(この段落は私見です)。
なお(文献4−e)には、四国南西部の「四万十帯」に関して説明があり、篠山付近は「四万十北帯」に属することは解りますが、篠山付近に関して、詳しい説明はありません。
注1) 「新期伊野変成コンプレックス」について
「新期伊野変成(しんきいのへんせい)コンプレックス」という、やや変わった名称の地質体は、(文献9)によって、2007年に提唱された地質体の名称です。
この名称のうち「伊野(いの)」とは、現在の高知県「いの町」(いくつかの自治体が平成の大合併時代に合併した自治体名)の元となった、「伊野町(いのちょう)」に由来します。
「新期」という名称は、この「伊野地域」に分布している変成岩体について、変成年代の違いにより、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた地質体を「新期」、より古い石炭紀に変成作用を受けた地質体を「古期」と区別したことから付けられたものです。
(文献9―a)によると、「古期」変成岩体は、岩石種としては主に角閃岩(変成相として、「角閃岩相」相当)で、「新期」変成岩体の中にレンズ状岩体として点在している、と記載されています。伊野地域での「古期」変成岩体の変成年代(K-Ar年代)は、約3.5億年前(石炭紀)という値が報告されています。
「新期」変成岩体は、岩石種としては主に泥質片岩で、伊野地域での「新期」変成岩体の変成年代(K-Ar年代)は、約1.8〜1.5億年前(ジュラ紀)という値が報告されています。
いずれも「地帯構造区分」上は、広義の「黒瀬川帯」に属するとされていますが、これらの変成岩体の形成メカニズムなど、詳しいことは良く解っていません。
この名称のうち「伊野(いの)」とは、現在の高知県「いの町」(いくつかの自治体が平成の大合併時代に合併した自治体名)の元となった、「伊野町(いのちょう)」に由来します。
「新期」という名称は、この「伊野地域」に分布している変成岩体について、変成年代の違いにより、トリアス紀〜ジュラ紀にかけて変成作用を受けた地質体を「新期」、より古い石炭紀に変成作用を受けた地質体を「古期」と区別したことから付けられたものです。
(文献9―a)によると、「古期」変成岩体は、岩石種としては主に角閃岩(変成相として、「角閃岩相」相当)で、「新期」変成岩体の中にレンズ状岩体として点在している、と記載されています。伊野地域での「古期」変成岩体の変成年代(K-Ar年代)は、約3.5億年前(石炭紀)という値が報告されています。
「新期」変成岩体は、岩石種としては主に泥質片岩で、伊野地域での「新期」変成岩体の変成年代(K-Ar年代)は、約1.8〜1.5億年前(ジュラ紀)という値が報告されています。
いずれも「地帯構造区分」上は、広義の「黒瀬川帯」に属するとされていますが、これらの変成岩体の形成メカニズムなど、詳しいことは良く解っていません。
(参考文献)
文献1) 石川、伊藤、丹下、豊田、新山、西田、松井 共著
「新・分県登山ガイド 第37巻 愛媛県の山」
山と渓谷社 刊 (2004)のうち、
「概説;愛媛県の山に登る」の項、及び各山々の項
文献2) インターネットサイト
ウイキペディア 「四国カルスト」の項
2023年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88
文献3) インターネットサイト
(高知県)仁淀川町 ホームページのうち、「鳥形山石灰石鉱山」の項
2023年2月 閲覧
https://www.town.niyodogawa.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=987
文献4) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2016)
文献4−a) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5−1−3節−c)項 「四国中西部、鳥形山―大野ヶ原地域の黒瀬川帯」の項
及び 図5.1.13「四国中西部、鳥形山―大野ヶ原地域の地質図」
文献4−b) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5.1.1節 「秩父帯の研究史・地体構造区分・ユニット区分」の項
文献4−c) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5.1.2節「(四国地方の)秩父北帯」の項
及び、図5.1.4 「四国中央部 名野川地域の地質図」
文献4−d) 文献4)のうち、
7−2章 「(四国地方の)外帯珪長質火成岩体」の、
7.3.2節 「宇和島高月山地域の花崗岩体」の項、及び、
7.4章 「西南日本外帯及び瀬戸内海火成活動の成因論」の項
文献4−e) 文献4)のうち、
6−1章 「(四国の四万十帯の)概説」の項 及び、
6−2章 「四国西部の四万十帯」の項
文献5) 村田、前川
「四国西部秩父帯,鳥形山-大野ヶ原石灰岩体と新期伊野変成コンプレックスの地質構造」
徳島大学総合科学部自然科学研究 第27巻 p91-100 (2013)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/page/about
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/105967
(2つつけているリンクのうち、上のほうは、徳島大学関連の「徳島大学機関リポジトリ」というサイトです。下のほうは、そのサイトのうち、上記論文のPDFファイルがあるページです。)
文献6) 村田、前川
「四国中西部 秩父帯北帯の名野川衝上断層」
徳島大学総合科学部自然科学研究 第21巻 p65-75 (2007)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/page/about
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/117534
(2つつけているリンクのうち、上のほうは、徳島大学関連の「徳島大学機関リポジトリ」というサイトです。下のほうは、そのサイトのうち、上記論文のPDFファイルがあるページです)
文献7) インターネットサイト
ウイキペディア 「美川スキー場」の項
2023年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4
文献8) 磯崎、板谷
「四国中西部秩父累帯北帯の先ジュラ紀クリッペ、黒瀬川帯内帯起源説の提唱」
地質学雑誌 第97巻 p431-450、(1991)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/97/6/97_6_431/_article/-char/ja/
文献9) 脇田、宮崎、利光、横山、中川 共著
「地域地質研究報告
5万分の1地質図幅 高知(13) 62号 NI-53-28-11
「伊野地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2007)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13062_2007_D.pdf
文献8−a) 文献8)のうち、
第5章 「古期及び新期伊野変成コンプレックス」の項
文献10) 松岡、山北、榊原、久田
「付加体地質の観点に立った秩父累帯のユニット区分と四国西部の地質区分」
地質学雑誌、第104号、p634-653 (1998)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/104/9/104_9_634/_article/-char/ja/
文献11) 地質団体研究会 編
「新版 地学事典」 平凡社 刊 (1994)のうち、
「四万十帯」、「四万十累層群」の項
文献12) 平
「日本列島の誕生」(岩波新書)
岩波書店 刊 (1990)
「新・分県登山ガイド 第37巻 愛媛県の山」
山と渓谷社 刊 (2004)のうち、
「概説;愛媛県の山に登る」の項、及び各山々の項
文献2) インターネットサイト
ウイキペディア 「四国カルスト」の項
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(高知県)仁淀川町 ホームページのうち、「鳥形山石灰石鉱山」の項
2023年2月 閲覧
https://www.town.niyodogawa.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=987
文献4) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2016)
文献4−a) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5−1−3節−c)項 「四国中西部、鳥形山―大野ヶ原地域の黒瀬川帯」の項
及び 図5.1.13「四国中西部、鳥形山―大野ヶ原地域の地質図」
文献4−b) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5.1.1節 「秩父帯の研究史・地体構造区分・ユニット区分」の項
文献4−c) 文献4)のうち、
5−1章「(四国地方の)秩父帯の付加体コンプレックス・陸棚層」の、
5.1.2節「(四国地方の)秩父北帯」の項
及び、図5.1.4 「四国中央部 名野川地域の地質図」
文献4−d) 文献4)のうち、
7−2章 「(四国地方の)外帯珪長質火成岩体」の、
7.3.2節 「宇和島高月山地域の花崗岩体」の項、及び、
7.4章 「西南日本外帯及び瀬戸内海火成活動の成因論」の項
文献4−e) 文献4)のうち、
6−1章 「(四国の四万十帯の)概説」の項 及び、
6−2章 「四国西部の四万十帯」の項
文献5) 村田、前川
「四国西部秩父帯,鳥形山-大野ヶ原石灰岩体と新期伊野変成コンプレックスの地質構造」
徳島大学総合科学部自然科学研究 第27巻 p91-100 (2013)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/page/about
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/105967
(2つつけているリンクのうち、上のほうは、徳島大学関連の「徳島大学機関リポジトリ」というサイトです。下のほうは、そのサイトのうち、上記論文のPDFファイルがあるページです。)
文献6) 村田、前川
「四国中西部 秩父帯北帯の名野川衝上断層」
徳島大学総合科学部自然科学研究 第21巻 p65-75 (2007)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/page/about
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/117534
(2つつけているリンクのうち、上のほうは、徳島大学関連の「徳島大学機関リポジトリ」というサイトです。下のほうは、そのサイトのうち、上記論文のPDFファイルがあるページです)
文献7) インターネットサイト
ウイキペディア 「美川スキー場」の項
2023年2月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4
文献8) 磯崎、板谷
「四国中西部秩父累帯北帯の先ジュラ紀クリッペ、黒瀬川帯内帯起源説の提唱」
地質学雑誌 第97巻 p431-450、(1991)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/97/6/97_6_431/_article/-char/ja/
文献9) 脇田、宮崎、利光、横山、中川 共著
「地域地質研究報告
5万分の1地質図幅 高知(13) 62号 NI-53-28-11
「伊野地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2007)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13062_2007_D.pdf
文献8−a) 文献8)のうち、
第5章 「古期及び新期伊野変成コンプレックス」の項
文献10) 松岡、山北、榊原、久田
「付加体地質の観点に立った秩父累帯のユニット区分と四国西部の地質区分」
地質学雑誌、第104号、p634-653 (1998)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/104/9/104_9_634/_article/-char/ja/
文献11) 地質団体研究会 編
「新版 地学事典」 平凡社 刊 (1994)のうち、
「四万十帯」、「四万十累層群」の項
文献12) 平
「日本列島の誕生」(岩波新書)
岩波書店 刊 (1990)
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【書記事項】
・2020年にリリースした、第1部「四国地方の山々の地質」を、2022年11月から全面的に見直し作業する際、2020年時点では説明していなかった山域として、「四国山地・南西部」の山域について解説するため、書き下ろした。
2023年2月12日 初版リリース
2023年2月12日 初版リリース
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