鳥海山
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 15.1km
- 登り
- 1,253m
- 下り
- 1,250m
コースタイム
0:00鉾立山荘3:00起床6:10‐7:00(休)7:10‐7:20賽の河原-お浜小屋-扇子森(1759m)-7:30八丁坂-御田ヶ原分岐-御苗代-七五三掛-(外輪山コース)-行者岳指導標9:27-9:40大物忌神社-10:00山頂10:20-10:30休憩小屋11:10-(千蛇谷コース)-12:15七五三掛-13:45(14:25全員)登山口
天候 | 8月10日;雨・濃霧 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
濃霧の中を登ったので周りの景色で現在地を判断することが出来ず、黙々と歩くのみ。御浜小屋までは石畳の道で反って歩きにくい。 七五三掛から外輪山コースを採ったためにやや大廻りになったが、文字通りの五里霧中だったのでそう思っただけかもしれない。 『←大者忌神社』の標識の所で突然道が分からなくなり、たまたま居合わせた地元の登山者に階段を下りる道を教わった。 濃霧の中,事前研究なし,地図なしで6人がバラバラになる等,まずい山行をやってしまい深く反省 |
感想
東北の山旅〜鳥海山
4年前に、早池峰山,秋田駒,八幡平,八甲田等,北東北の山々と、乳頭温泉郷,後生掛温泉,酸ヶ湯等の温泉,それに遠野ふるさと村,宮澤賢治記念館,三内丸山遺跡,棟方志功館,イヨボヤ会館(村上)等々を5泊で廻ったメンバーが中心になって再び東北の山と温泉を目指そうと言う話しが盛り上がり、検討に検討を重ねて、鳥海山,岩手山,栗駒山をメインとする山と温泉の旅を企画・実施した。
今回は前メンバーにM夫妻が加わって6名の参加となり、2台の車で廻ることになり、仕事の制約のない4名が8月9日10時に安曇野を出発,遅れて15時過ぎに2名が後を追うと言う出発となる。
8月9日
15:27豊科ICより長野道に入る。17:10から北陸道米山SAで夕食・給油。18:30時頃,日本海に沈む真っ赤な夕日を見る。同時刻,先発隊は遊佐に到着するも天気曇りで夕日は見られずの由。先発隊との時間差は5時間。
19:25新潟中条ICで高速を降り、スーパーで向こう2日分の食糧の買出し。以下,夜の7号線をひた走って23:25に鳥海山鉾立登山口に着くも、濃霧で鉾立山荘の場所が分からず、30分あまりウロウロ探してようやく小屋に入る。
すでに宿泊者は寝静まっているので入り口正面の部屋の長椅子の上で横になる。
8月10日
3時過ぎ,長椅子から落ちて目が覚め、そのまま起きて朝食をつくる。鉾立山荘には自炊部屋があってガスや冷蔵庫も備えてあったが、持参のガスで湯を沸かしてアルファ米3Pを湯戻し,フライパンでサケとシシャモを焼き、味噌汁をつくる。
4時過ぎると登山者達が起き始め、自炊部屋にも調理する人が出入りするようになったので、休憩室で早めに食事を済ませてもらい、余分な荷物は全部車に積み込んで6:10出発。
朝方はガスが晴れて星がきれいに見えていたが、それは天頂付近のことで、夜が明けて見ると山にはべっとりと雲が張りついて容易にははがれそうになく、先行きは不透明。歩き始めるとすぐに道の両脇にブナの低木が現れ、そのどれもが大き目の実を沢山つけているのを見る。去年が裏年だっただけに今年の豊作は山の獣達にとっても人間にとっても喜ばしい限りだ。
左手に展望台があるがガスで遠くは望めず、また地図には尾根渡りとの名があるものの尾根を歩いている実感はなく、舗装道路のように固められた単調な道に反感を感じながら歩く。50分で起伏のあるやや広い河原状の平原に出て小休止。
オオバギボウシやニッコウキスゲ,ヨツバシオガマなどが見られる。キスゲの花が大きくてしっかりしていること,ヨツバシオガマの花が高い塔のように立ち上がっていることに驚く。
7:10発。10分たらずで賽の河原を通過。ある程度の視界はあるものの遠くを望むことが出来ず、山全体がどうなっているのかさっぱり分からない中を、ただ次の目標にのみ向かって歩く。道は広いが、両端に岩をブロック状に並べてコンクリートで固め、その間に小石を敷き詰めた道は登山道とは程遠く、自分で石を選んで歩けないので反って歩きにくく、歩くほどに不満が募る。
こんな道がどこまでも続くのなら、登るのを止めてしまいたいと思う頃、遠くから発電機の音が聞こえ始め、御浜小屋に着いて小屋の前を抜けると、そこから先はようやく普通の山道になる。
御浜小屋からは1759mのピークのある尾根の右手を巻くように歩いて10分でピークを越えると再び八丁坂と言う石畳の道となって御田ヶ原分岐まで下り、下っただけ登り返す。
視界は益々悪くなる一方で風も次第に強くなる中、相変わらず何に向かっているのか分からないような登りが続き、御苗代付近のチシマザサの中の分かりにくい道を越えて七五三掛に着く。
ここから道が千蛇谷コースと外輪コースに分かれるが、地図とコース案内を読んで事前研究をしていなかったので、2つのコースがどのような特徴を持っているのかまったく分からず、ただ、左(千蛇谷)のコースがかなり下っている様子なのを嫌って、真っ直ぐ上に向かっていると言うだけの理由で右(外輪山)のコースを選んだ。
こうしてコースの概要も掴まず、また外輪コースであることも自覚しないまま外輪コースを採ったが、結果的にこのコースを選んだことは失敗だった。
次から次へと現れる偽ピークに何度も騙されながらひたすら登り続けること1時間あまり後の9:27,『←大物忌神社』と書かれた指導標でハタと行き詰った。
左手は両側を岩で挟まれた窓になっており、窓から先には『行け』と言われても道がないのだ。代わりに窓の左手の壁から上に向かって踏み跡があったので強引に登ったが、小高い丘を越えると元来た道に出てしまった。
そこに追いついてきた地元の人らしい老人に教えられ、もう一度窓に戻って覗き込むと真下に向かって梯子があるのを発見。小躍りして『行きましょう!』と言うと、その老人は『この風だ,わしは止めとく』と言い、踵を返して来た道を下って行った。いつしか先日の台風下の白馬岳の時と同じかそれ以上の風が吹き荒れ、山は嵐の様相を呈していた。
その老人に教わって初めて外輪コースを登っていることの意味を知り、登っても登っても頂上に着かない訳が分かると同時に、後続の仲間がこのコースを選んでいなければよいが・・と気になり始め、七五三掛まで戻って千蛇谷コースを登り返す考えも一瞬よぎったが、目と鼻の先にあるはずの大物忌神社に直行する方が賢明であると考えて前進する。
9:27強い風に煽られながら梯子を下るとそこから先は大きな岩崩れのあったところをトラバースするハッキリしない道で、所々に印されたペンキを頼りに進むしかなく、それさえも見失ってかすかな踏み跡を辿りガレ場を上へ上へと登って見下ろすと前方に白いペンキの印があるのを見つけ、下ってようやくしっかりした踏み跡に出る。そこから階段状の石道を登り切るとひょっこりと大物忌神社に出た。9:40着。
大物忌神社には休憩小屋があり、数人の登山者が雨を避けて休んでいた。社務所の人に『休みますか』と聞かれて窓口を見ると休憩料300円とあったので小屋には入らず、軒下で5分ほど休んで頂上の新山に向かう。
新山への道は、休憩所から千蛇谷コースを10mほど戻った所から休憩所と神社の横を通って上に伸びているが、視界が殆んどなくてどこを目指しているのかさっぱり分からず、足元の岩に書かれたペンキの矢印を頼りに登るしかない。
おそらく噴火した岩石がそのままそこに堆積したものと思われるが、それは火山弾と呼ぶにはあまりにも大きすぎる巨岩を無造作に積み上げたような岩場で、踏み跡はそれを攀じ登り、乗り越えて高みに向かっていた。
ひと登りすると目の前に中央で2つに裂けた小山のような岩が現れ、矢印はその中に吸い込まれて一旦下り、裂け目を通り過ぎるとさらに難しい岩場の連続登りとなる。その登りに取りかかろうとした所で上から降りて来た津谷さんにバッタリ出くわし、そこで他の人達の様子を知る。津谷さんの話しによると、幸いなことに外輪コースに入り込んだ人はなく、多少の時間差はあるものの全員が千蛇谷コースから登って来ていると言うことで一つ不安が消える。
10:00登頂。外輪を廻ったために30分以上余分に時間を費やしたと思われ、そのため,後から来る人を吸収することなく置き去りにした形になってしまったのが悔やまれた。
15年位前だったと思うが、前回登った時は鳥海山にしては珍しく天候に恵まれ、3時間足らずで苦もなく登ってしまった記憶があった。その記憶から3時間と言う数字が1人歩きして、途中から3時間を切ってやろうなどと言う邪まな誘惑に取りつかれ我を忘れた。千蛇谷コースを登っていればそれは可能だったと思うが、その数字には何の意味のないことであるし、ラストを努めるべき天候だったことを考えれば恥ずかしい限りである。
子どもの頃からの悪天候になるとワクワクして突っ走りたくなる傾向は今も変わらず、まるでガキだ!
山頂には先行者が1人いて、その人とコースのあれこれを話している所へjun1さんが登って来て、さらに塚田さんが着く。頂上と言っても象徴的なものに過ぎないせまい岩場であるし、じっとしていれば寒いのでそこそこに引き上げる。
10:20発。ペンキの印が登る人にしか見えないような書き方になっているので下りは分りづらい。晴れていればどうと言うこともない所だが、ペンキはこう言う日のためにこそあるもので、場所が場所だけに下りの方が危険度は高いので、このペンキのつけ方は一考を要する。
ほぼ下り切った辺りで春河さん夫妻に会い『小屋で待ってます』と激励。休憩料を払って小屋に入ると中は満員に近い。その殆んどは今朝方鉾立の小屋で一緒だった人達であるが『いつ山頂に登ったのだろう?』と考えているうちに下山の支度をして全員下って行った。この天候で山頂まで行くことにさしたる意味はないと言うのは頷ける。『なるほど,これが鳥海山参りか』とその割り切りの鮮やかさに感心させられた。
鳥海山
初めての出会いは1964年,大学3年の夏の東北一周自転車旅行。日本橋を出て7日目,松井田,中野,小千谷,新潟,村上,酒田と進んで秋田に向かう途上で、その時は厚い雲に覆われて山は見えず、どんな山なのかをうかがい知ることはできなかった。その後何度か電車や車で通ることがあったが山はいつも雲の中で、スッキリと晴れた山の全体像を見たことは一度もなかった。
十数年前に佐伯FHC結成前夜の小形と登ったのが初めてで、この時はよく晴れて難なく登ったが日本海に沈む夕陽は期待はずれに終わった。夕暮れ時になると海上に空との境が分らないほどの靄が立ち込め、日没の瞬間を迎えて初めて水平線の位置を知ったのだが、それが予想よりはるかに高い位置だったのに驚いたことだけを覚えている。
その後もすっきりと晴れた鳥海山を見たことはない。鳥海山はそんな山なのだろうと思う。一点の雲をも纏わない山だけがその山の真の姿ではなく、あらゆる姿がその山の持つ無数の貌の一つなのだ。
少なくとも荒々しさの一端に触れることができたのは幸運で、手荒い歓迎を受け胸躍らされた分だけ印象も強く、また増上慢を戒められた意味でも忘れがたい山となった・・。
下山はまとまって行動しなければと思って全員が降りてくるのを待ち、11:10に出発。外輪と違って千蛇谷のコースは風もなく穏やかで、天候がよければ花を楽しみながらのんびり降りたいところ。視界を遮るガスが恨めしい。
凹状の道をゆっくり下って沢に出ると雪渓があり、迷わないようにロープが渡してある。向こうの取りつき点が見えないほどの濃霧で、この沢を下りすぎると危険なので先に渡って大声で位置を知らせながら慎重に渡ってもらう。
雪渓を渡ると急登りになり、登り切ると外輪コースとの分岐点に当たる七五三掛で12:15着。ここからしばらくはチシマザサの被った迷いやすい道なので5分待って吸収し、御田ヶ原への道に向かう。
八丁坂までくれば迷う所もないので後は各自下山となり、一目散に駆け下って13:45に下山したが、それからラストまで40分あまりかかり、またまた置き去りにする格好となる。
あまりいただけない山行になって反省すべき点が多い。特にガスの中の登りでラストを固めなかったことは弁解の余地がなく、無責任パーティーのそしりを免れることはできない。道の選択を誤ればパーティーに対して責任を負えないと言う見本をつくったことを厳しく自戒・・,と、殊勝に反省して締めくくれるはずだったが・・,鳥海山でのトラブルはほんの序章に過ぎなかった。
鳥海山の花
2007-08-10 21:06:06 | 境界線・新境界線 鳥海山の花は魅力的だったが、残念ながらカメラと携帯電話の両方ともバッテリーを切らして1枚の写真も撮れず仕舞いだった。こう言う点でデジカメは不便だ。シガーソケットから充電できる装備を買い込んで備え、470kmも走りながらバッテリー残量を把握していなかったために充電を怠ったのだ。ものを揃えればこと足りたと錯覚する道具バカではせっかくの装備も無いに等しい。
花を見ればカメラを構え、写真を撮れば見た気になるのも道具バカの一種かもしれない。そういう意味ではカメラが無いのもいいことだ。
自然を部分的に切り取ってしまわないであるがままを見ると言うことを忘れがちな自分に気づく。カメラを構えた目には花を揺さぶる風は邪魔だし、隅っこにちょこっと入る無粋な草にも引っ込んでろと怒っていることがある。随分と傲慢になりながらそれが普通になってしまっている。カメラが無ければそんなことは思いもしないだけでなく、風に揺れる様をも丸ごと受け入れてそれを愛でることもできるし、霧に霞んだ花の捨てがたい風情に見とれる自分に戻ることもできる。
きれいに撮るのとあるがままを撮るのとでは随分隔たりがあると思うのは未熟の故なのだろうか・・?
カメラがあるとこんなことを思いもしないこともまた事実で、こんな風に私の思考はいつも自分にとって都合のいい方向に働くのでストレスと言うものがない。けれど、カメラがない時の方が考えることが多くなるのだけは確かのようだ。
以上は前置き。
美ヶ原や霧が峰ではこれから夏本番と言う7月前半がニッコウキスゲの旬であろうと思うが、東北の山では今がその最盛期のようで、数こそ少ないもののよく目立った。キスゲは草原の花と言うが、ここでは草原と言うより賽の河原や千蛇谷などの凹状になった湿地や沢の周辺などで湿性お花畑を形成する植物群に混じって咲いているものが多い。
信州のものより幾分草丈が低く、花びらの幅が広くてしっかりしており色もやや濃いような気がする。8月中旬まで楽しめるとは予想外だった。
ヨツバシオガマは花穂を発達させて上に向かってよく立ち上がっており、10段くらいまで花をつけているものが見られた。それがこの花の本来の姿なのだろうと思うが、近年,白馬岳周辺ではそのようにのびのびと咲いているものをあまり見かけない。
その他,ハクサンシャジン,タカネツリガネニンジン,ソバナ,ハクサンフウロ,チングルマ,ミヤマアキノキリンソウ,トウウチソウ,チョウカイアザミ,チョウカイフスマ,イワブクロ,ミヤマシシウド,ミヤマトウキ,ハクサンボウフウ,ウサギギク,ナナカマド・・・等々,鳥海山は花の種類の多い山で、チョウカイフスマ.チョウカイチングルマ,チョウカイアザミと『チョウカイ』の名を冠したものも3つもある。
霧にかすむ花の風情云々・・,等と言ってもそれは負け惜しみに聞こえる。晴れた日にこそこれらの花達を見たいと言うのが本音であることは言うまでもない。
附;玉川温泉へ
10日の移動を想定していなかったので宿をどこにするかが問題となる。距離的,時間的には田沢湖か乳頭温泉郷辺りが限界であるが、一気に玉川温泉まで飛ぶことにして電話で予約を入れ、到着が9時過ぎになることを了承してもらう。
由利本荘市となったかつての本荘からR105に入り、大仙市となった大曲を経由して仙北市の一部となった角館へ。仙北市の一部となった田沢湖町に向かう途中のスーパーで、向こう2日分の食糧を買い込み、R341をひた走って今は鹿角市の一部になった玉川温泉を目指す。
平成の大合併とやらで馴染みの地名が消え、地理感覚をめちゃくちゃにされた気がする。地理には強い方だが、2つ以上の地名をくっつけて新しい名前をつくられたりするとまるで分らない。
21:30頃,玉川温泉に着く。玉川温泉は入浴だけにして宿泊は後生掛温泉にしたかったがやむをえない。
玉川温泉
玉川温泉は『大噴』(おおぶけ)と呼ばれる湧出口から、pH1.2と言う日本で一番pH値の低い強酸性泉が毎分9,000リットル湧出する温泉で、単一の湧出口からの湧出量としては日本一を誇る。
その主成分は塩酸で、入浴中に顔をぬぐうと強酸性の湯が眼に入って痛い。飲泉は可能だが、注意書きには『水で薄めて飲み、後で清水で口をすすぐか、ストローを使用して歯に付着しないように飲まないと歯のエナメル質が溶ける恐れある』とある。
それほど強酸性の温泉で、大浴場には100%源泉,50源泉と言う浴槽があって、100%に入るとどこにこんな傷があったのかと思うほど体中がヒリヒリするのに驚く。我慢して入れなくはないが、たまらず50%に逃げ込んでホッとした。
しかしこのヒリヒリ感はは決して嫌なものではなく、次にもう一度入ってヒリヒリしなくなった時にはその傷が癒えているのではないかという気がした。事実,翌朝踵の靴ズレの傷が殆んど塞がっていたし、体中の小さな傷などはどこに行ったかと言う感じだった。
あちこちの温泉で山の獣達が温泉に浸かって傷を癒していたのを見て発見した云々〜と言う物語りをよく聞く。玉川温泉もかつては鹿湯と呼ばれており、マタギが発見したとあるが、100%源泉に入って見てそれは実際にあり得ることだろうと実感した。
高血圧症、動脈硬化症、婦人病、神経痛、皮膚病、喘息、癌などに効能があり、また、『効能は万人に対してその効果を保障するものではな』く、一般の温泉同様に『悪性腫瘍』は禁忌症となっているが、近年『癌治療に効果がある温泉』と宣伝され、特に岩盤浴で有名になって以来ここを訪れる人が急激に増えていると言う。
強酸性の湯は一方では田畑を枯らし、魚を殺す『玉川毒水』として恐れられ、玉川の中和を図るためにこの酸性水を田沢湖に導入し、希釈して放流する事業が行われた結果そこに生息していたクニマスが絶滅したと言う歴史がある。。
現在では下流の玉川に流れ込む前に石灰により中和処理を行い、pHの数値を高めてから放流されている。これにより有史以来秋田平野の最大の難題であった玉川毒水は、現在基準地点付近でpH6.8にまで回復し、放流されたウグイが見られるまでになっているが、田沢湖の水質は目標に未だ届かず、回復の努力が続けられていると言う。
湯治湯の宿
東北の温泉地には今も湯治部と言うのがあって重宝している。玉川温泉は高い方だが、それでも素泊まり3900円と安価で10泊しても4万円以内,後生掛温泉にいたっては自炊設備の使用料込みで2100円と超格安,1ヶ月連泊しても6万円台なので長湯治する人には嬉しい限りなのだ。
なので常連客も多く、自前の炊飯器はもちろん,中には冷蔵庫まで持ち込んでいる人もいるし、持ってきた海産物を泊り客に売って商売をする人もいる。
後生掛には大部屋があって知らない客同士が仲良くお互いの食事を覗き込んでご馳走したりされたりするし、誰が一番金をかけずにうまいものをつくるかの批評をして廻る人もいたりして超楽しい。
ふるまわれたつもりが後からちゃっかり請求される場合もあり、4年前には某町の牡蠣の養殖業者にいっぱい喰わされた上に牡蠣論争を吹っかけられたりした。酔っ払っているのか正気なのか分らなくて最期はしっちゃかめっちゃかで潰れて終わり、翌朝は早々と湯に浸かっていたりする。まことに天下泰平なのだ。
玉川温泉は21:00〜6:00は警備員の管理となり、そう言う猥雑さが無くてどこかよそよそしいが、食事の用意をしていると何だかんだと寄ってきて話しかける人がいるのは湯治場の常で、私は手際がいい方なのでテキパキと事を進めているとなぜかおばさん達が物珍しそうによって来る。その後はたちまち旧知のように打ち解けて『このキャベツはもう持ちそうに無いから食べちゃってよ!』等となるのだ。
9時でガスが止まることになっていたが、自前の火器があるのでアルファ米を湯戻しし、レトルトと味噌汁,キュウリのごま油漬け,刻みキャベツ,赤タマネギのスライス,その他で遅い夕食を摂る。
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