俺のシルクロードが東京湾を渡っていたなんて ★南房総岩井海岸(木の根峠)館山(千倉街道)千倉ー鴨川(長狭街道)保田(浦賀水道)久里浜
- GPS
- --:--
- 距離
- 117km
- 登り
- 650m
- 下り
- 646m
コースタイム
■今日は、繭輸出の一大拠点・横浜港(開港1859年)をキーワードに南房総のシルクロードを検証します。
南総の繭の生産地はネットでは解らないまま。
そもそも南房総で今まで桑を意識することがなく、南房総=養蚕の確信がありません
------------------------------------------------
・南総の繭生産地
”千倉・三芳・鴨川”あたりの丘陵地を生産地と仮定してみます
・繭の検査所・製糸場
さっぱりわからず。
・横浜港への道
内房の館山から北の富津までの海岸線は断崖なので、内房のある港に集積し海路で横浜へ送ったと考えるのが自然。
金谷港、岩井港、那古船形港、館山港あたりが良港で、それぞれの港には古道が通じています。
”南房総から江戸”への陸路は事前に解りました。主に2つ
・房州往還(館山ー木更津ー船橋) 内回り
・伊南房州道往還(館山ー千葉) 外回り
------------------------------------------------
■今日のプラン
前半:金谷港、岩井港、那古船形港、館山港とそれを連絡する道を走る
中盤:千倉図書館にて南総の養蚕と流通を洗い出す
後半:生産地ー集積地ー出荷港を結んで走る
■相方:田村麻奈美さん
明治10年生まれ。今日の俺さまの山行に合わせ、明治時代からタイムスリップした養蚕(ようさん)女子。
神奈川県・清川は煤ケ谷村の農家で繭(まゆ)の生産をしている。視点が広く、絹の加工、流通、エンドユーザーにも興味を持っている。
天候 | 晴れときどき曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
船 自転車
帰り:東京湾フェリー浜金谷港から久里浜港まで 全線自転車を使用 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・南房総にサイクルショップは皆無、パンク修理他ができること ★フレンチバルブ(仏式)の車種は、仏式→ママチャリ(英式)の変換ジョイント?があると安心です ・強い南西風になるとフェリー欠航する。電車で帰るはめになる |
写真
感想
■前半:金谷港、岩井港、那古船形港、館山港とそれに通じる道を走る
フェリーで浜金谷港に上陸
・浜金谷港:ここは鋸山の石を出荷していた。陸の孤島。古くから鴨川(外房)からの長狭街道からの連絡路が通じていたが三方は断崖。海路の要衝。
・岩井港:南側に岬がある天然の良港。南北は断崖だが西へ行けば富山あたりで房州往還に連絡する。また南側の木の根峠を使えば那古船形港に連絡できる
なお外房への陸路は大井あたりの丘陵に阻まれ難しかったろう。
・那古船形港・館山港
洲崎にガードされた良港。二つの港は3キロばかり離れているが間に難所はなく容易に行き来できる。房州往還が直撃している交通の要衝
・保田港
長狭街道の終点にある海路の要衝。鴨川をはじめ外房の物資を江戸へ魚を送っていました。魚類は江戸末期まで一旦浦賀で検閲を受けそこから江戸まで回航されたので輸送に手間がかかった。
ーーーーーーーーーーーーー
■中盤:千倉図書館にて南総の養蚕と流通を洗い出す
やはり頼るべきは地元の図書館だ。”南総の養蚕”のような直撃本やNPOの資料はなかったものの、それぞれの”町史”が大変役に立った。
・南総の養蚕業とインフラ、世界の動き
安房での養蚕は、明暦年間(1655〜1657年)に長狭の大幡村に始まる
嘉永〜万延(1850〜60年)世界の養蚕の中心地欧州で蚕の微粒子病が大流行し欧州養蚕業がほぼ壊滅
嘉永6年(1853年)黒船襲来
安政6年(1859年)横浜港開港
明治2年(1869年)スエズ運河開通
明治19年(1887年)木の根隧道開通。岩井〜富浦の陸路確保。この隧道は当時房州随一と言われた。以降手掘りの隧道が房総のあちこちに開設される
明治21年(1889年)千葉の4ヶ所に養蚕伝習場が設営される
難工事のすえ鋸山の沿岸を通る明鐘街道が開通。保田〜金谷間の馬車の往来が可能となった
明治41年(1908年)横浜鉄道(現・横浜線)開通。八王子や甲信地方で生産された生糸を横浜港へ輸送することが目的
大正5年(1916年)安房郡養蚕組合連合会発足
大正8年(1912年)北条線(現・内房線)が蘇我→北条(館山)まで開通し、陸上輸送の主役が鉄道に移る。
大正11年(1922年)鴨川繭市場(生糸検査場)設営
大正12年(1923年)関東大震災。房州も甚大な被害
大正13年(1924年)鴨川前原区に繭組合設営
昭和4年(1929年)房総線(現・内房線外房線)全線開通
昭和25年頃(1950年)国道127号とその隧道群、全線開通
戦後〜昭和35年 千倉の温暖な気候が評価され”長野県養蚕試験場”と契約し早春蚕、初冬蚕の飼育を研究し成功させる
※荒砥米子(あらとよねこ)
文久1(1861)年〜明治34(1901)年 篤農家。甲州宝村嘉畑森島家に生れ鋸南の荒砥氏に嫁ぐ。養蚕技術や甲斐絹の織り方について指導するなど養蚕の奨励に努めた。
ーーーーーーーーーーーーー
横浜の対岸である南房総だが、いかに出遅れていたかがわかるだろう。
それよりも
★なんと鴨川市に繭市場があった。おそらく大正以前にその前進が存在していたと思われる。
★鴨川の長狭街道沿いにある大山村、吉尾村、西条村(すべて現鴨川市)では、繭の生産がかなり盛んであったこと。統計資料も存在していたこと
★明治・昭和に生産地(千倉・鴨川)ー集積場(鴨川)ー出荷港(保田)ー横浜港に至る”海のシルクロード”が成立していたことは決定的であること。
★さらに千倉が一大生産地の長野と通じていたこと!!
”南総ー長野間の養蚕技術伝搬”のルートは、千倉ー保田ー横浜港(御殿峠)ー八王子(小仏峠・笹子峠)ー甲府(塩尻峠)ー長野 という、繭の絶対的シルクロードにも通じるのである。(別に利根川を利用する八王子ー川越ー富岡ルートもあった)
ーーーーーーーーーーーーー
■後半:明治30年前後(1898年)を想定し、生産地(千倉・鴨川)ー集積場(鴨川)ー出荷港(保田)に至る絹の道を走る
今日のルートを記した地図の”千倉ー鴨川ー保田間”がその核心部です。
・生産地(千倉・鴨川)ー集積場(鴨川)
鴨川までは敢えて険しい内陸に踏み込まなくても、海周りの伊南房州通往還で楽勝でしょう。
千倉では桑を見つけられなかったのが残念だったな。なお江見・太海は養蚕実績はなかったとのこと。
・集積場(鴨川)ー出荷港(保田?)
外房の鴨川から横浜まで海路はなしでしょう。歴史ある陸路の長狭街道を使って内房・保田までは楽勝で抜けれます。横根峠が唯一の難所。
・出荷港、到着港の謎
問題は街道終点の保田からどこの港に運んだかです。良港ではありませんが目の前の保田港からが自然でしょう。北の石切り場を支えた浜金谷港までは断崖の連続です。
受け入れの横浜側は便利さでは横浜港ですが、船舶の混乱を避けるため浦賀港受け入れもありえます(浦賀港〜横浜港間は陸路)
保田港ー横浜港への水運が自然か!?
まあ、シルクのインフラは優先課題であったろうから時系列によって隧道、橋梁、はたまた鉄道なども登場し劇的に変わるものでした。いづれの宿題にして今回のレポートを終えることにします。
開港以来のシルクロードの特異性は江戸五街道とは違う、横浜港を拠点としているところにある。
そして横浜は終着ではない。
小虫の吐いた糸はレンガ倉庫に集積、帆船・汽船に座し喜望峰へ。また太平洋航路に乗り出していくのである。
スペシャルサンクス 田村麻奈美さんへ
梅が香や明治より来る名は麻奈美 ほの香
南総で桑探し
春めくや里見の村の桑いづこ 田村麻奈美
君も触れよ大桑ずらり並び居る ほの香
天地に掃立見ゆる忙がわし 田村麻奈美
※天地(あめつち)、掃立(はきたて)=孵化したばかりの幼虫を住処に移すこと。一句目の季題は流れからすれば桑ではなく”春めく”
麻奈美に明治の煤ヶ谷村宮ヶ瀬村を問ふ
宮ヶ瀬に渓音聞こゆ蕗の薹 ほの香
返句
ことごとにあれよあれよに里の春 田村麻奈美
■関連する記録
俺のシルクロードに細やかな雨が降る ★横浜港ー鑓水峠ー八王子 自転車パスハン 2016年04月24日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-852303.html
【チャリ・レコ】愛川は永遠(とわ)に輝く! みんな幸せハピネス! ★自宅ー厚木ー愛川町(半原地区)郷土資料館で納涼して帰りも自走 2015年08月08日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-696062.html
もし明治の養蚕女子が『チャリでシルクロード』を走ったら ★横浜港ー八王子ー小仏峠ー半原越ー清川・厚木★自転車パスハン 2015年06月20日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-662669.html
許すというのは強さの証なのだ(by平沢唯)★神奈川・矢倉沢往還(善波峠)おまけで旧中原街道の起点ゲッツ★自転車パスハン 2014年12月30日(火)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-566976.html
俺のシルクロードがこんなに地味なわけがない★神奈川(三増峠・小倉山)★自転車パスハン 2014年12月14日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-559854.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する