伊能忠敬ゆかりの水郷佐原の散策+【関東ふれあいの道】 千葉1 坂東太郎のみち(佐原駅〜下総神崎駅)


- GPS
- 05:40
- 距離
- 17.8km
- 登り
- 57m
- 下り
- 38m
コースタイム
- 山行
- 4:07
- 休憩
- 1:33
- 合計
- 5:40
■歩行時間:244分(小休止を含む。見学時間、昼食休憩を除く。)
■距離:17.78km
■累積標高差:+-60m
■行程量:35.56+1.2+0.6=37.36P(18.68EK)(★★)
■ラップタイム:6.51分/P
■エネルギー定数:244*0.03+0.06*10+0.06*0.6+17.78*0.3=13.69
■山のグレーデイング:2A
■消費カロリー:13.69*(76+(7+6)/2)=1,129kcal
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
(帰り)下総神崎からJR |
その他周辺情報 | ■伊能忠敬記念館 http://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/ ■江戸優り 佐原の大祭(2017.7.14-16, 10.13-15) http://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri ■川の防災情報 (PC版)http://www.river.go.jp/ (スマホ版)http://www.river.go.jp/s/ (携帯版)http://i.river.go.jp/ |
写真
感想
三週間前の霞ヶ浦の歩行の続きで、千葉県に足を踏み入れて赤線延ばしをしました。
午前中は、佐原の旧市街を散策しました。佐原は利根川の水運の中継地として栄えた街で、支流の小野川の周辺が重要伝統的建造物群保存地区に指定され、江戸から明治、大正、昭和初期の古い建物が残っていました。佐原で酒造や商売を営んで、隠居後に日本全国を測量して歩いて地図を作った伊能忠敬の旧宅や記念館にも立ち寄りました。
ちょうどアヤメの季節で、川べりに花を咲かせていました。
昼食後は、利根川の堤防の上を上流に向けて約10km歩きました。関東ふれあいの道の「坂東太郎のみち」になっています。日射しがきつかったので、傘をさして歩きました。遠くに筑波山が見えました。
【伊能忠敬について】
伊能忠敬は、実測の日本地図を最初に作った人として有名ですが、1745年に千葉の九十九里の農家に生まれ、佐原の伊能家に使用人として入りました。その仕事ぶりが認められて、17歳で伊能家に婿養子として迎えられ、4歳年上の奥さんの尻に敷かれながらも、その後、商人として伊能家の再興を果たしました。
49歳で家督を息子に譲り隠居し、50歳の時に江戸に天文学を学びに出ます。当時、地球の大きさを知るために、子午線1度の距離を正確に計ることが天文学者の目標になっていました。また、ロシアが蝦夷に迫っていたことに対する江戸幕府の意向もあって、55歳で幕府の測量方として、江戸から蝦夷へ向けて、歩きながらの測量と地図作成の旅に出ました。最初の頃は、幕府からの日当も少なく、費用のほとんどが個人財産からの持ち出しだったようですが、業績が認められるにつれて支援も多くなって、71歳までに計10回の国内の測量の旅(合計35,000km)を重ねました。
1818年に73歳で没してから3年後の1821年に、間宮林蔵らの業績も加えて大日本沿海輿地全図が完成しました。測量誤差は多少あるものの、海岸線が正確に描かれています。地図に引かれている緯線は現在と一緒ですが、経線は、京都を中心に東西に別れて引かれています。
伊能忠敬は、人生を二度生きた、高齢者の星みたいな人ですが、佐原の地元では、大日本沿海輿地全図完成後200年にあたる2021年のNHK大河ドラマ実現をめざしているそうです。
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