恩若ノ峰・源次郎岳(70/山梨百)・竜門峡:急逝した弟の追悼登山、半袖隊長、真夏に登る山じゃなかった💦
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- GPS
- 07:17
- 距離
- 20.6km
- 登り
- 1,307m
- 下り
- 1,099m
コースタイム
- 山行
- 6:42
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 7:17
★EK度数:40.03=20.06+(1416÷100)+(1216÷100÷2)
→→→判定「●EK40〜50未満 日帰りとしては非常にきつい」
EK度数=合計距離+(累積標高上り÷100)+(累積標高下り÷100÷2)
(標高グラフ機能の「SRTM標高」値を採用)
Thanks to murrenさん⇒
http://www.yamareco.com/modules/yamanote/detail.php?nid=142
合計距離: 20.6km /最高点の標高: 1531m /最低点の標高: 398m
累積標高(上り): 1416m /累積標高(下り): 1216m
【参考文献】なし
天候 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
![]() ![]() ![]() ![]() 【往路】甲斐大和駅16:42 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
コース状況/ 危険箇所等 |
★コース状況【全般】![]() ![]() (1)塩山駅から恩若ノ峰・源次郎岳・嵯峨塩館と緑滴る広葉樹林帯を歩く。 (2)最高地点でも1477m(源次郎岳)なのでとにかく暑い…特に塩山駅から恩若ノ峰登山口までは酷暑の道路歩き。 (3)恩若ノ峰は眺望なし・源次郎岳は山頂部が伐採されているものの春~秋は眺望は樹林で隠され極めて限定的。 (4)シャクナゲが咲く時期を除けば花も期待薄か(今回はシャクナゲも咲かず)。 (5)竜門峡歩きは、涼味を感じながらの夏場でこそのもの。 【塩山駅〜恩若ノ峰登山口(害獣除けフェンス)】 ●舗装道路歩き。誤って文朱院に行かないように。 【恩若ノ峰登山口〜恩若ノ峰〜源次郎岳】 ●広葉樹林と杉林が混在する道。山高原地図では破線で「源次郎岳から恩若ノ峰まで道標はほとんど無く判断力を要す」との注意書きあり。 ●確かに道標・赤テープ類とも少ないが、それなりの踏み跡はある。幅広い尾根部分では踏み跡が薄くなるが、よ〜く見れば通じている。 ●恩若ノ峰では眺望皆無。源次郎岳への縦走路の取付きに迷うが、「恩若ノ峰」山頂道標の背後に赤テープがあり下り坂が通じている。 ●源次郎岳山頂直下は急坂で足元が切れ落ちている箇所があるがロープが設置されているので、頼り過ぎない程度に活用しよう。 【源次郎岳〜嵯峨塩鉱泉】 ●下日川峠・嵯峨塩分岐点までは下り一方かと思いきや、意外にも骨のある登り道。 ●分岐点以降は、林道横断を挟んでカラマツ林の中、なだらかな下り道。 ●嵯峨塩館への下り分岐点道標見落とさずに。山高原地図にも「下りでは牛奥の畑が見えてきたら左へ曲がる屈曲点(=鋭角に戻るように左折)を見落とさないこと」との注意書きあり。 【嵯峨塩古銭〜竜門峡〜甲斐大和駅】 ●竜門峡遊歩道を歩く方が、天目山温泉を経る道路歩きより、ショートカットとなる。 ●但し「遊歩道」との名前に騙されてはなりません・・・完全に登山道です。 ●ログは甲斐大和駅を通過して大和橋西詰三差路まで達しているが、個人的な赤線回収のためで、往復2kmほど余計に歩いている。 ●なお立寄り湯として「嵯峨塩鉱泉、天目山温泉、田野の湯」の候補先三つあり。 ★水場 ![]() ★渡渉箇所 ![]() ★残雪状況 ![]() ★泥濘状況 ![]() ☆半袖 ![]() ★半袖 ![]() ☆半袖 ![]() ★入山者 ![]() |
その他周辺情報 | ★登山ポスト![]() ★トイレ ![]() ★駐車場 ![]() ★コンビニ ![]() ★商店 ![]() ★携帯 ![]() ★温泉 ![]() ★飲食店 ![]() ★酒類調達処 ![]() ![]() ★前泊施設 ![]() |
写真
感想
「登る時季を間違えた!」…の一言に尽きます。
暑かった…特に塩山駅から恩若ノ峰登山口(害獣除けフェンス)までの舗装道路区間はとりわけ暑かった。
駅前を歩き出して10分もしないうちに「シマッタ!なんでこんな日に」と後悔している自分がいました。
実はこの日は日光男体山に登ろうかと考えていました。
ところが、12日(水)に3歳下の実弟が急逝。
飲酒癖・離婚・離職などの課題に直面し、最後は引き籠り状態となり、実母と同じ屋根の下で暮らしていました。
母も拙者も、さんざん、「働け」「自立しろ」「社会に出ろ」等々の苦言を呈し、叱咤激励して来ましたが、そうは簡単に納まらないのがこの病気の怖さ。
そこには昔の弟とは別人格の弟がいました。
He is not who used to be.・・・彼は昔の彼ならず。
何の解決もみないまま、あっさり、弟は母より先にあの世に旅立ってしまいました。
係る事情から通夜・告別式等は行わず、母・拙者・1号隊員の3人だけで、16日(日)朝に荼毘に付しました。
その16日に遅刻するなんて……絶対に許されません。
もしくは前日山から戻れず已む無く欠席……なんてことも有り得ません。
・・・てことで遠出するのは止めて、近場の山で、弟の追悼登山です。
弟には登山なんて趣味はなかったので、一緒に山を歩いたことはありません。
拙者はラグビーでしたが、弟はバスケットボールだし・・・、少年時代のソフトボール、いや幼少期のかくれんぼ・鬼ごっこ・めんこ遊びなどなどが思い出です。
山を歩きながら涙の代わりに大量の汗を掻いて来ました。
今後は母の介護が重要になって来ました。
なんだかんだいいながら、年老いた母の傍に弟がいたのはある意味安心でした…ある意味の怖さも同居していましたが…。
高齢化するとともに認知症が進んでいるかのように見える母をどう支えて行くか?
今後の大きなテーマとなりました。
☆源次郎岳(げんじろうだけ)1476.6m・・・山梨百名山(70座目)
お疲れさんどした<m(__)m>
隊長
コメント
この記録に関連する登山ルート
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様々な思いも流されたのでしょうね
memento mori
生きていくというのは、
なかなかに簡単なことではないですね
遅レスにて失礼しますm(__)m
母の代わりに弟急逝を親族に電話したら、一様に「母が・・・」と思ったと言っていました。
ホントに簡単ではないですね、生きて行くことは・・・。
今日も「まさか」の一日でした。
肉親なればこその悩みは辛いですね。
私にも50歳過ぎた「行かず後家」が一人いて悩みの種です。
今回一人山行をしてみるといろいろな想いが胸をよぎり
寂しさも増して私には不向きかと思いました。
でも、この寂しさを乗り越えて生きていかなければなりませんね。
超・遅レスにて失礼しますm(__)m
肉親の場合は、好いも悪いも色眼鏡で見てしまいますから・・・冷静に見ることが出来ない場合が多いです。
一人山行も慣れてしまえば、勝手気まままに歩けますから気楽なものですよ。
言葉がありません。
まず、急逝された弟さんのご冥福を。
人生の歯車が噛み合わなくなるのは、ちょっとした事故、いさかい等様々でしょうが、深い山でルートミスしたときの様に、元のルートに戻ることが難しいこともあるでしょう。
小生も職場ストレスで、精神病一歩手前まで行ったこともあり、家族の支えがなかったら、ルート復帰できなかったかもしれません。
ひとり残されたお母様のことも心配ですね。
真夏の低山の大変さも、人生の大変さに比べれば物の数ではありません。
でも、隊長ならば、蜜藪のような難問もきっと活路を見出すものと信じています。
PS そういえば、隊長の故郷、山口県には、県の名峰の一つ、莇ヶ岳の近くに「弟見山」という1,000m級の山があります(詳しくは知りませんが)。故郷に帰られた際の弟さんの追悼登山としても良いかもしれませんね。
無チャンコ遅レスにて失礼しますm(__)m
お気遣い頂き有難うございます。
odaxさんにも辛苦の時代がおありでしたか。
なぜ弟がそんなことに・・・と、母は今でも言っています。
でも・・・その頃はもう一緒に暮らしていなかったので、よく分かりません。
莇ヶ岳の近くに「弟見山」ですか。
母も長年暮らした山口県にまた行ってみたいといっております。
母は麓の宿で待機させ(のんびりさせ)、拙者だけ、スタコラサッサと登って来ることにしましょう。
yamabeeryuさん
弟さんの御冥福をお祈り致します
subaruさんと直前まで、呑んでました
70座達成おめでとうございます😳でも、なかなかバリっぽいですが、山頂の標識は新しいですね〜
でわ、、今度、、、
muttyann
遅コメにて失礼します_(_^_)_
subaruさん、一日空けての連チャンですね。
15日は高尾駅バスターミナルでお帰りのところでしたが・・・呼び止めてしまいました。
山梨百名山、今年の目標は70座でしたが・・・75座に上方修正してもいいかな?
・・・と思っていましたが、新たな難題が降りかかってきました
山頂道標は順次新しいものに取り換えられているのではないでしょうか?
yamabeeryuさん、こんにちは。
弟さんとの思い出、興味を持って読ませていただきました。そうなんですよね、私は長男で独身、弟もいるが離婚して今は独身、父母はまだ元気なれどもう65歳を過ぎていて、私の今住んでいるところからは新幹線すら届かない、飛行機のみ。気温の差から、関東には絶対に来ないと言っています。
いろいろな思いがあると思います。そして、今の日本、いろいろな姿があるのと思います。
うちの職場でも精神疾患を発病されて休んでいる職員がいます。本当、「次は自分かも」と思う機会多すぎです。弟さん、慰めてやってください。
aideieiでした。
真面目すぎてもダメなんですよね・・・適当にちゃらんぽらんしてないと
拙者の職場でもいろいろ苦しんでいる同僚がいらっしゃいますよ。
それなりに年を食ってからの移住は難しいと思いますよ。
母も今更転居するのは嫌だ!と言ってましたからね。
弟さんのご冥福をお祈りいたします
我が家にも恒例の母がおります。
私が山に毎週行けるのは、家族皆が健康だからこそと思っています。
hamburg
遅レスにて失礼をば致します。
自分の健康も重要ですが、家族の健康もとても大切です。
体調面の健康だけ得なく、精神的な健康も欠かせませんね。
行ける時に行くぞ!・・・と無理するのもよくないようです。
適度が一番!です。
何をどのように言ったら良いのか、言葉が見つかりません。
私には1つ上の兄がいます。今は、要介護5の痴呆症の母を兄と交代で介護できるおかげで、そして家族の理解協力があって、好きな登山を続けることができています。
介護、多くの方が今後避けては通れない大きなテーマだと思う気持ち、皮膚感覚でわかります。
各地で猛暑日が観測される時期になりましたね。熱中症にはお互い気をつけましょう。無理すると突然、症状が表れるみたいですよ。
弟さんのご冥福をお祈りいたします。
地域のケアマネさんと今週面談予定です。
母と昔話をすると、けっこうスラスラと会話がはずむので、介護認定は無理なのではなかろうか・・・と1号隊員は言っております。
仰る通り、自分一人でやれる範囲は限られますから・・・周囲の理解・協力がないと、好き勝手なことはやれませんね。
無理すると突然症状が現れる・・・その通りだと思うような「まさか」が生じて困惑しております。
弟さん、私と同じぐらいの年齢ですね。
ご冥福をお祈りいたします。
私と兄は4つ違いなので、兄弟の立場が逆ですが、色々とある兄です。
現在、兄と私で母の在宅介護をしていますが、兄は応用は出来なくても決められたことはやってくれるので、貴重な介護の担い手になっています。
弟さんの急逝によって介護が現実に。
色々と大変かと思いますが、介護も調べないと分からない、聞かないと教えてくれないことが沢山あります。
是非、うまくバランスを取って
弟も決して悪意があるからの言動ではない・・・と頭では理解していても、現実となると「この野郎!」思うこと、しばしばでした。
母も随分と心細くなったようです。
今までは転居するなんて考えもしなかったのに、もう一人暮らしは無理ではないか・・・と言い始めました。
でも、母のことを心配する前に、自分のことを心配せねばならぬことになっちゃいました
yamabeeryuさん
急逝された弟さんのご冥福をお祈りします。
これからのお母さまの介護
1号隊員さまもご無理のないよう・・・
とは言っても、何かと制度やしくみも複雑で心配はでてきますね。
「恩若ノ峰」
あの山々の一角にそのような名前のつく峰があるのですね。
あの山々に通じる登山道があるとは
いえ、さらにはあのあたりに登る方がいるとは
本当に皆さまのレコで初めて知ることが多いです。
ところで、ここ数年「勝沼」は最高気温がやけに高くて
「今日の最高気温地点」ではたびたびニュースにも登場します。
盆地は昔から暑かったですけれど
そんな特別暑い勝沼付近を歩かれてご無事で何よりでした。
お気遣い頂き有難うございます。
「おんじゃくのみね」と読むこの山は拙者も全く知りませんでした。
登山口に着くまでの道路歩き、本当に暑かったです。
道路の両脇に並ぶブドウ畑には、小さなブドウの実がぶら下がっており、晩夏あるいは初秋の収穫期に向けて成長するのですね。
半袖隊長
実のご兄弟の急逝はお辛いですね。
弟さんのご冥福をお祈り申し上げます。
隊長、今年は前厄ですね。
私は迷信などあまり気にしないほうですが、40代の厄年では自分の周りで交通事故が続き、急いで厄除け神社でお祓いをして頂きました。
網膜はく離の術後退院なさったら、街歩きで川崎大師や佐野など行かれてみては?
お気遣い頂き有難うございます。
会社の先輩からも同様のアドバイスがありました。
調べてみたら前厄でした。
昨年、高幡不動に行っただけではダメだったようです。
街歩きのついでではなく、信心深く参らねは……。
半袖隊長
半袖隊長今晩は
高尾駅で声をかけていただき有難うございました。あさかわではニゴリ一杯タイムでお話し出来て良かったです・・かなり重たい話をサラッとされるので驚きましたが、翌週入院にはさらに驚きました。先ずはご自分の事を落ち着かせることが先決ですね。
山ではとてもついて歩けませんが、A作戦ならいつでもお付き合いいたします
お帰りになるところを呼び止めること2度目。
こちらこそお付き合い頂き有難うございました。
あの席では、自身が網膜剥離で入院手術することになるとは思ってもいませんでした。
自分でも、びっくりぽんの展開です。
退院まで数週間かかることになりそうて、その後は亡き弟の身辺整理、年老いた母の環境整備に奔走することになりそうです。
半袖隊長
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