車を関ヶ原駅近くに置いて、JRに乗り、一駅で柏原。
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車を関ヶ原駅近くに置いて、JRに乗り、一駅で柏原。
柏原宿問屋場跡 東の荷蔵跡
関ヶ原宿と番場宿間は「九里半街道」と呼ばれる。木曽・長良・揖斐の三川からの船荷が牧田川養老三湊に陸揚げされ、この街道を通り、米原湊へ運ばれた。この間の宿場は問屋場が多いのが特徴(5〜6軒)となる。
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柏原宿問屋場跡 東の荷蔵跡
関ヶ原宿と番場宿間は「九里半街道」と呼ばれる。木曽・長良・揖斐の三川からの船荷が牧田川養老三湊に陸揚げされ、この街道を通り、米原湊へ運ばれた。この間の宿場は問屋場が多いのが特徴(5〜6軒)となる。
柏原宿旅籠屋跡 天保年間旅籠屋数22
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柏原宿旅籠屋跡 天保年間旅籠屋数22
本陣跡(南部家)垂井宿南宮神社へ移築
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本陣跡(南部家)垂井宿南宮神社へ移築
初恋橋(市場川)秋葉山常夜灯&高札場跡
北に折れて行くと最澄が開いたとされる浄菩提院がある。
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初恋橋(市場川)秋葉山常夜灯&高札場跡
北に折れて行くと最澄が開いたとされる浄菩提院がある。
柏原宿 中山道の街道を見る
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柏原宿 中山道の街道を見る
伊吹艾(もぐさ)本舗亀屋左京 寛文元年1661創業柏原では艾が特産で製造販売店が多かった。伊吹山周辺の薬草であるよもぎが原料。子供の頃、祖母が灸(やいと)をすえる手伝いをやらされ、もぐさを固めて火を付けやすいように工夫したことを思い出す。
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伊吹艾(もぐさ)本舗亀屋左京 寛文元年1661創業柏原では艾が特産で製造販売店が多かった。伊吹山周辺の薬草であるよもぎが原料。子供の頃、祖母が灸(やいと)をすえる手伝いをやらされ、もぐさを固めて火を付けやすいように工夫したことを思い出す。
伊吹艾(もぐさ)本舗 亀屋左京商店
トレードマークの福助があったんだけど、店の中を見てもちょっと行方不明?「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
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伊吹艾(もぐさ)本舗 亀屋左京商店
トレードマークの福助があったんだけど、店の中を見てもちょっと行方不明?「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
柏原宿 歴史館 喫茶室併設 楽しそうな声が響いていた。
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柏原宿 歴史館 喫茶室併設 楽しそうな声が響いていた。
柏原宿御茶屋御殿跡 京極氏の清滝寺徳源院への道
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柏原宿御茶屋御殿跡 京極氏の清滝寺徳源院への道
柏原一里塚
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柏原一里塚
柏原一里塚 パノラマ
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柏原一里塚 パノラマ
天野川沿いに西に向かう中山道 西見付跡付近 道の両側に土塁があった。東見付までは13町(1.4キロ)
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天野川沿いに西に向かう中山道 西見付跡付近 道の両側に土塁があった。東見付までは13町(1.4キロ)
長沢 続く中山道松並木
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長沢 続く中山道松並木
鶯が原 北畠具行墓所 こちらから北に京極氏の柏原城跡や徳源院方向に回り込む道が東山道跡と考えられている。
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鶯が原 北畠具行墓所 こちらから北に京極氏の柏原城跡や徳源院方向に回り込む道が東山道跡と考えられている。
中山道より鈴鹿山脈最北端の山々を見る
もう稲刈りの時期
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中山道より鈴鹿山脈最北端の山々を見る
もう稲刈りの時期
小川の関跡 小川=古川=粉川=横川
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小川の関跡 小川=古川=粉川=横川
小川の関 右の旧中山道を歩くが、柵に鍵がかかり通過できない。
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小川の関 右の旧中山道を歩くが、柵に鍵がかかり通過できない。
中山道
気を取り直し、左の醒ヶ井宿へ杉林を進む。
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中山道
気を取り直し、左の醒ヶ井宿へ杉林を進む。
「番の面」遺跡
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「番の面」遺跡
梓河内地蔵堂 「番の面」遺跡続き 近畿で最初の縄文中期(四千年前)竪穴式住居と多数の土器・石器発掘。石斧などは中部山岳地帯の黒曜石製のものもあり、広い交流と交易をもった遺跡とされる。
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梓河内地蔵堂 「番の面」遺跡続き 近畿で最初の縄文中期(四千年前)竪穴式住居と多数の土器・石器発掘。石斧などは中部山岳地帯の黒曜石製のものもあり、広い交流と交易をもった遺跡とされる。
南の名神高速を潜ると南の梓河内集落(あんさかわち)
霊仙山や阿弥陀ヶ峰への登山口がある。
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南の名神高速を潜ると南の梓河内集落(あんさかわち)
霊仙山や阿弥陀ヶ峰への登山口がある。
梓集落
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梓集落
味覚の秋その1
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味覚の秋その1
味覚の秋その2
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味覚の秋その2
梓から醒井宿 推定東山道横河駅あたり
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梓から醒井宿 推定東山道横河駅あたり
国道21号を渡り、左歩道を醒井宿へ
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国道21号を渡り、左歩道を醒井宿へ
醒井宿東の八幡神社
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醒井宿東の八幡神社
醒井宿 民家の古い塀
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醒井宿 民家の古い塀
一色一里塚 石碑
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一色一里塚 石碑
鶯ヶ端より伊吹山を見る
「旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり 初音もたかし 鶯ヶ端」
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鶯ヶ端より伊吹山を見る
「旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり 初音もたかし 鶯ヶ端」
醒井宿 枡形東見附跡
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醒井宿 枡形東見附跡
醒井宿東西八町2軒(876m)
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醒井宿東西八町2軒(876m)
醒井宿 賀茂神社鳥居 伊吹山で白猪により負傷した日本武尊が醒井の清水で体を冷やして治癒した伝説。醒井には三水四石がある。
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醒井宿 賀茂神社鳥居 伊吹山で白猪により負傷した日本武尊が醒井の清水で体を冷やして治癒した伝説。醒井には三水四石がある。
居醒の清水(醒井三水)こんこんと水が湧き出す 彼岸花の頃「道の辺の木陰の清水むすぶとて暫し涼まぬ旅人ぞなき」さて醒井の湧水の源は北の伊吹山なのか南の霊仙山なのか。あるいは2つが合わさっているのか?
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居醒の清水(醒井三水)こんこんと水が湧き出す 彼岸花の頃「道の辺の木陰の清水むすぶとて暫し涼まぬ旅人ぞなき」さて醒井の湧水の源は北の伊吹山なのか南の霊仙山なのか。あるいは2つが合わさっているのか?
延命地蔵奥の石仏群
「結ぶ手に濁る心をすすぎなば憂世の夢や醒が井の水」
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延命地蔵奥の石仏群
「結ぶ手に濁る心をすすぎなば憂世の夢や醒が井の水」
清らかで冷たい地蔵川 冷水の珍魚ハリヨが泳ぐ。
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清らかで冷たい地蔵川 冷水の珍魚ハリヨが泳ぐ。
梅花藻の粉を使用のソフトクリームを食べる
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梅花藻の粉を使用のソフトクリームを食べる
醒井宿本陣跡 料亭「樋口山」
おいしそうな料理メニューが並んでいる。店内には本陣の資料もあるらしい。醒井は中世では「佐目伽井」天保年間で本陣1,脇本陣1,旅籠11、問屋場7
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醒井宿本陣跡 料亭「樋口山」
おいしそうな料理メニューが並んでいる。店内には本陣の資料もあるらしい。醒井は中世では「佐目伽井」天保年間で本陣1,脇本陣1,旅籠11、問屋場7
梅花藻の花が涼しげに咲く。
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梅花藻の花が涼しげに咲く。
問屋場跡 休憩所・トイレを兼ねる
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問屋場跡 休憩所・トイレを兼ねる
清水冷水のみ生育 梅花藻の花(水中花)
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清水冷水のみ生育 梅花藻の花(水中花)
ヤマキ醤油(白壁軒卯建)
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ヤマキ醤油(白壁軒卯建)
江龍家表門のみ(庄屋)
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江龍家表門のみ(庄屋)
了徳寺 御葉附銀杏(オハツキイチョウ)葉の上に銀杏がつく。
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了徳寺 御葉附銀杏(オハツキイチョウ)葉の上に銀杏がつく。
十王水(醒井三水)平安中期、高僧が開く。
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十王水(醒井三水)平安中期、高僧が開く。
居醒橋
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居醒橋
旧醒井郵便局
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旧醒井郵便局
町を流れる清水
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町を流れる清水
西行水(醒井三水)泡子塚
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西行水(醒井三水)泡子塚
六軒茶屋跡あたりから稲刈りの時期
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六軒茶屋跡あたりから稲刈りの時期
丹生川橋 横河古戦場跡 壬申の乱の戦場
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丹生川橋 横河古戦場跡 壬申の乱の戦場
丹生川橋上より阿弥陀ヶ峰と霊仙山を見る。ここから南に入ると丹生や上丹生の集落。丹生は水銀を表し、この辺りには木地師と共に仏壇作り関係の技術者が多い。
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丹生川橋上より阿弥陀ヶ峰と霊仙山を見る。ここから南に入ると丹生や上丹生の集落。丹生は水銀を表し、この辺りには木地師と共に仏壇作り関係の技術者が多い。
河南(かわなみ)集落と松尾寺山 白鳳九年(680)修験道の役行者が松尾寺山中(504m)で修行中、空中より飛来して来た二体の観音像を洞窟に祀った。空中飛行観音。寺は食事処「醒井楼」を経営。
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河南(かわなみ)集落と松尾寺山 白鳳九年(680)修験道の役行者が松尾寺山中(504m)で修行中、空中より飛来して来た二体の観音像を洞窟に祀った。空中飛行観音。寺は食事処「醒井楼」を経営。
三吉集落 国道21号を横切って南に入る。
松尾寺山・八葉山から鎌刃城跡への尾根を見る。
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三吉集落 国道21号を横切って南に入る。
松尾寺山・八葉山から鎌刃城跡への尾根を見る。
北陸道の高架を潜るとすぐに 久禮一里塚跡
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北陸道の高架を潜るとすぐに 久禮一里塚跡
番場宿へと向かう中山道
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番場宿へと向かう中山道
番場宿 問屋場跡
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番場宿 問屋場跡
米原道道標「米原 汽車汽船 道」明治22年建設
前述の中山道の物資を米原湊に運び船積みで琵琶湖を運ぶ関係でこの宿場には6つの問屋場。約一里のこの道を通り米原へ行き北国街道で鳥居本宿への選択も。
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米原道道標「米原 汽車汽船 道」明治22年建設
前述の中山道の物資を米原湊に運び船積みで琵琶湖を運ぶ関係でこの宿場には6つの問屋場。約一里のこの道を通り米原へ行き北国街道で鳥居本宿への選択も。
番場宿 脇本陣跡
番場は中山道の中では最小規模の宿。長さ一町十軒(130m)こちらは東番場になる。東山道の宿駅の1つ。
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番場宿 脇本陣跡
番場は中山道の中では最小規模の宿。長さ一町十軒(130m)こちらは東番場になる。東山道の宿駅の1つ。
番場宿 本陣跡
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番場宿 本陣跡
蓮花寺方面 こちらに向かうハイカーが多い。南北朝の古戦場1333年(北条仲時他432名自害墓所)後醍醐天皇についた足利尊氏との戦い。瞼の母 番場忠太郎地蔵尊(長谷川伸の創作人物)
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蓮花寺方面 こちらに向かうハイカーが多い。南北朝の古戦場1333年(北条仲時他432名自害墓所)後醍醐天皇についた足利尊氏との戦い。瞼の母 番場忠太郎地蔵尊(長谷川伸の創作人物)
鎌刃城への案内が何度もある。
山城は今ブームになっているからかな。20年程前に登ったが、急な崖状の尾根に城跡や土塁があった。
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鎌刃城への案内が何度もある。
山城は今ブームになっているからかな。20年程前に登ったが、急な崖状の尾根に城跡や土塁があった。
細長く続く西番場
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細長く続く西番場
西番場民家
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西番場民家
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小磨針峠へ向かう 時々、車が猛烈なスピードでクラクションを鳴らして通過。米原を通らないで彦根に向かおうとする車に注意。
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小磨針峠へ向かう 時々、車が猛烈なスピードでクラクションを鳴らして通過。米原を通らないで彦根に向かおうとする車に注意。
名神高速と同じ高さになった。
西の山の標高295m
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名神高速と同じ高さになった。
西の山の標高295m
峠で見かけた百合
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峠で見かけた百合
小磨針峠西の水場と地蔵 水が流れている。
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小磨針峠西の水場と地蔵 水が流れている。
西への曲がり角にある道標 名神高速西上。
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西への曲がり角にある道標 名神高速西上。
磨針〈摺針〉一里塚跡 峠下集落の一番東にある。
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磨針〈摺針〉一里塚跡 峠下集落の一番東にある。
峠下集落 仕事していたおじいさんと話す。
2年ほど前に町に下りたが、時々上がってきて家の世話やらしている。この集落も住んでいる人がめっきり減ったと言う。
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峠下集落 仕事していたおじいさんと話す。
2年ほど前に町に下りたが、時々上がってきて家の世話やらしている。この集落も住んでいる人がめっきり減ったと言う。
磨針峠(すりはりとうげ)望湖堂跡より琵琶湖を眺める。江戸期はここでの眺望を大勢が楽しみ「するはり餅」をほおばったらしい。
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磨針峠(すりはりとうげ)望湖堂跡より琵琶湖を眺める。江戸期はここでの眺望を大勢が楽しみ「するはり餅」をほおばったらしい。
望湖堂跡より琵琶湖
望湖堂が本陣にせまる豪華な建物だったので、鳥居本と番場の本陣が奉行に訴状したこともあった。
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望湖堂跡より琵琶湖
望湖堂が本陣にせまる豪華な建物だったので、鳥居本と番場の本陣が奉行に訴状したこともあった。
磨針峠 望湖堂跡 標高154m
「眼前好風景なり。山を巡て湖水あり。島あり。船あり。遠村あり。竹生島は乾の方に見ゆる。」
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磨針峠 望湖堂跡 標高154m
「眼前好風景なり。山を巡て湖水あり。島あり。船あり。遠村あり。竹生島は乾の方に見ゆる。」
磨針峠から急峻な旧中山道草道を転がるように下る。あっという間に下りが終わる。
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磨針峠から急峻な旧中山道草道を転がるように下る。あっという間に下りが終わる。
出た所は佐和山と弁天山の尾根の前の国道8号線。
米原まで2里9町。1611年(慶長16年)の番場と米原間の街道開設後は、大きな荷物の運搬はそちらを通過。
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出た所は佐和山と弁天山の尾根の前の国道8号線。
米原まで2里9町。1611年(慶長16年)の番場と米原間の街道開設後は、大きな荷物の運搬はそちらを通過。
下矢倉 左北国道 米原木之本 右中山道 番場摺針
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下矢倉 左北国道 米原木之本 右中山道 番場摺針
おいでやす彦根のモニュメント
江戸から63番目 江戸へ118里 京へ18里
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おいでやす彦根のモニュメント
江戸から63番目 江戸へ118里 京へ18里
とりいもと宿場祭り 今年は10月1日開催
自治体の熱意が感じられる。
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とりいもと宿場祭り 今年は10月1日開催
自治体の熱意が感じられる。
鳥居本宿民家
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鳥居本宿民家
鳥居本宿民家
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鳥居本宿民家
赤玉神教丸本舗の屋根構え 1753年建設
多賀神社の神教により調合した妙薬・赤玉
有川家は先祖は郷士で有栖川宮家への館入を許された
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赤玉神教丸本舗の屋根構え 1753年建設
多賀神社の神教により調合した妙薬・赤玉
有川家は先祖は郷士で有栖川宮家への館入を許された
赤玉神教丸本舗の店構え
1658年創業 腹痛、食痛、下痢止めの胃腸薬として全国に広がる。
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赤玉神教丸本舗の店構え
1658年創業 腹痛、食痛、下痢止めの胃腸薬として全国に広がる。
枡形見附
赤玉神教丸は、胡麻、胡黄連、苦参、楊梅皮の配剤に寒栖米の溶汁や実胡桃油を調合して製造。20粒入り一服。
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枡形見附
赤玉神教丸は、胡麻、胡黄連、苦参、楊梅皮の配剤に寒栖米の溶汁や実胡桃油を調合して製造。20粒入り一服。
鳥居本宿 町並み 「鳥居本の三赤」道中合羽、赤玉神教丸、西瓜
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鳥居本宿 町並み 「鳥居本の三赤」道中合羽、赤玉神教丸、西瓜
古民家がディサービスの施設に
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古民家がディサービスの施設に
合羽屋 木綿屋
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合羽屋 木綿屋
鳥居本宿本陣跡(寺村家)
本陣は201畳もある広い屋敷だった。先代の当主の同僚だったヴォーリズの設計で昭和12年に建て替え。和風建築を取り入れた近代化遺産として評価されている。
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鳥居本宿本陣跡(寺村家)
本陣は201畳もある広い屋敷だった。先代の当主の同僚だったヴォーリズの設計で昭和12年に建て替え。和風建築を取り入れた近代化遺産として評価されている。
鳥居本宿脇本陣・問屋場跡
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鳥居本宿脇本陣・問屋場跡
近江鉄道駅舎(鳥居本駅)昭和6年建設。
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近江鉄道駅舎(鳥居本駅)昭和6年建設。
鳥居本駅より本陣と脇本陣を見る。
中央の家の左が本陣、右が脇本陣。
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鳥居本駅より本陣と脇本陣を見る。
中央の家の左が本陣、右が脇本陣。
合羽屋(松屋)合羽は当初は琵琶湖周辺の楮(こうぞ)の紙に菜種油を塗っていたが、角田屋が柿渋を塗布し防寒具としての機能が高まり人気を呼ぶ。天候不安定な木曽街道の入口での販売は道中合羽の需要を拡大した。
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合羽屋(松屋)合羽は当初は琵琶湖周辺の楮(こうぞ)の紙に菜種油を塗っていたが、角田屋が柿渋を塗布し防寒具としての機能が高まり人気を呼ぶ。天候不安定な木曽街道の入口での販売は道中合羽の需要を拡大した。
合羽屋看板(松屋)
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合羽屋看板(松屋)
りっぱな常夜灯(格子扉・桧皮葺・擬宝珠)
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りっぱな常夜灯(格子扉・桧皮葺・擬宝珠)
長池地蔵
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長池地蔵
鳥居本宿 古民家が続く。
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鳥居本宿 古民家が続く。
専宗寺 聖徳太子開祖 1640年佐和山城下から移転
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専宗寺 聖徳太子開祖 1640年佐和山城下から移転
彦根道道標「右彦根道 左中山道 京いせ」1827年建立。中山道と彦根城を結ぶ脇街道として活躍。朝鮮通信使が通過したので朝鮮人街道と呼ばれる。
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彦根道道標「右彦根道 左中山道 京いせ」1827年建立。中山道と彦根城を結ぶ脇街道として活躍。朝鮮通信使が通過したので朝鮮人街道と呼ばれる。
中山道から佐和山方面を見る。百々町
佐和山城が廃城となる前は、城郭的な城下町はこちらにまで伸びていた。
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中山道から佐和山方面を見る。百々町
佐和山城が廃城となる前は、城郭的な城下町はこちらにまで伸びていた。
宮谷 八幡神社 古宿 東山道の小野宿あたり
江戸期(寛永年間)以前は鳥居本より小野の方が宿場機能を果たしていた。
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宮谷 八幡神社 古宿 東山道の小野宿あたり
江戸期(寛永年間)以前は鳥居本より小野の方が宿場機能を果たしていた。
小野小町塚
小野美実が奥州(出羽国)からの帰りこの地で誕生間もない女児を養子にもらい京へ。この子が小野小町。
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小野小町塚
小野美実が奥州(出羽国)からの帰りこの地で誕生間もない女児を養子にもらい京へ。この子が小野小町。
原町 塩販売の看板が下がる民家の軒先
119里 原村一里塚は淨琳寺参道口から北へ70mほどの所にあったという。先程通過した大きな狸の辺りか?
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原町 塩販売の看板が下がる民家の軒先
119里 原村一里塚は淨琳寺参道口から北へ70mほどの所にあったという。先程通過した大きな狸の辺りか?
原八幡神社 ひるね塚と白髪塚
芭蕉「ひるかほに ひるねせうもの とこのやま」
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原八幡神社 ひるね塚と白髪塚
芭蕉「ひるかほに ひるねせうもの とこのやま」
彦根インター脇 五百羅漢石碑
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彦根インター脇 五百羅漢石碑
正法寺町 春日神社 西に池沼がある。
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正法寺町 春日神社 西に池沼がある。
528号 狭い中山道を自動車が対面通行で通過するので歩道のない道を歩く歩行者は危ないが、道が現在も生きている証拠かな。
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528号 狭い中山道を自動車が対面通行で通過するので歩道のない道を歩く歩行者は危ないが、道が現在も生きている証拠かな。
大堀山(鞍掛山)(万葉集の鳥籠山(とこやま))
壬申の乱の戦地?(正法寺山との説も?)
古代東山道の鳥籠駅
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大堀山(鞍掛山)(万葉集の鳥籠山(とこやま))
壬申の乱の戦地?(正法寺山との説も?)
古代東山道の鳥籠駅
芹川(不知哉川)いさやかわ
万葉集「淡海路の鳥籠の山なる不知哉川 日のこのごろは恋ひつつもあらむ」
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芹川(不知哉川)いさやかわ
万葉集「淡海路の鳥籠の山なる不知哉川 日のこのごろは恋ひつつもあらむ」
床の山の地蔵
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床の山の地蔵
大堀 千本ヶ原 亀甲山
石清水神社 横に扇塚(彦根藩、喜多古能楽)
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大堀 千本ヶ原 亀甲山
石清水神社 横に扇塚(彦根藩、喜多古能楽)
528号線=中山道で高宮へ。
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528号線=中山道で高宮へ。
木之本分身地蔵
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木之本分身地蔵
洒落た近江鉄道高宮駅。自転車の持ち込みができるので、サイクリストが男女とも多い。
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洒落た近江鉄道高宮駅。自転車の持ち込みができるので、サイクリストが男女とも多い。
高宮駅より霊仙山を見つめる。
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高宮駅より霊仙山を見つめる。
小柄な近江鉄道に乗って彦根。
JRが京阪神エリアのトラブルで遅れていたが、彦根で1時間以上遅れていた米原行き快速に乗れ、米原から車のある関ヶ原へ戻った。
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小柄な近江鉄道に乗って彦根。
JRが京阪神エリアのトラブルで遅れていたが、彦根で1時間以上遅れていた米原行き快速に乗れ、米原から車のある関ヶ原へ戻った。
いいねした人