有明山(対馬)
- GPS
- 00:02
- 距離
- 11.5km
- 登り
- 762m
- 下り
- 760m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
船
|
コース状況/ 危険箇所等 |
金石城址〜清水山、成相山西鞍部〜有明峠は明瞭な道あり 久田からは車道歩き 他は道なし |
写真
感想
対馬は博多港からジェットホイルで1時間45分、対馬海峡を隔てた韓国の釜山の方が九州本土より近い位置にある。近年は島を訪れる観光客は日本人より圧倒的に韓国人が多いようだ。一旦ホテルにチェックインし有明山登山に向かった。街で会う観光客は全て韓国語を話していた。宗氏の金石(かないし)城跡の櫓門を潜り清水山城趾登山口から登り始めた。豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に名護屋城、壱岐の勝本城と共に築かれた城で中腹に麓から石垣を見ることができる。
ハングル併記の指導標が“国境”の街を感じさせ山から下りてくるのは韓国人ばかり、日本語で挨拶しても返ってくるのは半分くらい。会釈があればよい方で、まったくの無視も多かった。韓国人が途絶えた頃二ノ丸に達した。麓から見えていた石垣の場所だ。虎口の様子もしっかり残っており展望良く厳原港が一望できた。更に登ると一ノ丸で“本丸”と称さないことに違和感を覚えるが、二ノ丸同様よく原形を留めていた。朝鮮に渡海する兵を守っていたのだろう。一ノ丸は清水山(210m)山頂域にあり少し行くと山頂に達した。山頂標識はなく単なる最高点で一寸寂しい。
一旦下り、登山道を進むと地形図どおりトラバースして成相山西の鞍部に行ってしまうので、東から来た林道が見えたので藪を突っ切って行ってみると成相山南のダイレクト尾根の先端で問題なく取り付けそうだ。道はないが下草もなく問題なく200mの標高差を登り成相山(416m)山頂に達することができた。
成相山は展望なく山頂標識の設置もなかった。北に進み北峰に達すると真ん中だけ草原状だが周りは樹木が茂っていた。4等三角点「成相山」があるが此処にも山頂標識はなかった。柳ノ壇山(469m)方向だけ展望があった。南峰に戻り南西尾根を下り鞍部に達した。金石城からの正規の登山道が合流した。指導標は有明山へは距離も入っているが成相山は山名の記載のみで付け足しのようだった。有明山への登り返しは230mの標高差があり急登部分もあった。
有明山(558m)山頂には1等三角点「有明山」があり草原状態で展望は素晴らしくこの先の竜本山や舞石ノ壇山(536m)が見え、山頂の北部にある池まで行くと明日行く予定の洲藻白嶽(518m)が黒土山(499m)を従えて横たわっているのが見えた。白嶽の2本の角は九州百名山としての威厳を持って聳えていた。
南に進み下り切った処は有明峠で西側の日掛に下る道が分岐する筈だが道形は認められなかった。南の稜線へと進み40m程登り返すと竜本山(たつもとやま468m)でやはり山頂標識はなかった。竜本山南峰(468m)には4等三角点「竜本山」があるが此方も標識はなかった。暫し休憩して東に張出す尾根を下りだすと山頂まであった薄い踏み跡もなくなり標高差200m、地形図を確認しながら下った。傾斜が落ち着きコブを二つ越えるとまた下りで登り返して丸隈山(272m)に到るが、此処にも山頂標識、展望共になく少し休憩しただけで南に下った。途中から西南西に進路を変え50m下ると荒れ方の酷い林道に飛び出した。少し辿ると明瞭な車道に合流した。
厳原の中心街まで3.8劼亮崙司發は久田浦から海沿いの旧道を歩いた。久田道集落では烏賊加工場があり高速で回転する烏賊干し機で乾燥している処だった。中心部に戻りホテルに戻る前に日本人だけの居酒屋“めしや”で刺身定食を食べて一日を終えた。
【登山データ】歩行12.1 4時間50分 延登高856m 延下降850m 7座登頂
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する