ドコノ森
- GPS
- 03:00
- 距離
- 1.1km
- 登り
- 131m
- 下り
- 124m
コースタイム
天候 | 晴れのち高曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
道は無し。ササと灌木のヤブ |
写真
感想
ドコノ森をはじめ、東北の山名に多い「森」は、朝鮮語、アイヌ語の「山」と似た音で、ヤマトによる王化以前の日本語との事。ドコノ森、十和利山、黒又山(くろまんた)、大黒森には、同じく、その山頂南側斜面に刻線石と言われる、人為的に描いた(削った)模様の石が多くある。古代人が何かの祭壇か狼煙台を作った跡ではないかと推測されている。
70年以上前から話題になっている石。その経緯の大筋は田子の馬場さんに教えていただいた。
その刻線石発見の現場へ田子の今野さんたちに案内してもらった。
かぎかけ川沿いの林道から、ドコノ森の南向かいの、スキー場のある大黒森の山頂まで車で登って一帯の地形とドコノ森をまずは眺める。凄く展望の良い山頂で、田子町の語源になったアイヌ語、タプコプ(タンコブみたいな山がつらなるところ)を納得する風景を眺める。かぎかけ川に降りる。・342二股で渡渉の際、みんなでフキの葉に煮干しと塩を載せてお神酒を供え、二礼二拝する。過去には良くない事も起こったとのこと。山に向かう人の慢心をこれで濯ぐ。
尾根に乗り、舗装が切れる。この車道はドコノ森西の鞍部まで続いているようだが標高670あたりの広場に車を停めて、そこから分かれている廃道気味の元車道を行く。山の中腹を東側へ同コンタで進む。これを適当なところからヤブに突入し、山頂三角点の東の肩を目指して直上する。ササと灌木のミックスだが、30分もこぐと薮の薄い、岩の多い斜面に出る。その標高760あたり、見晴らしの良い所に、その刻線石のポイントがあった。以前はたくさん刻線石がたくさんあったそうだがずいぶん持ち去られて減ったそうだ。持ち出せない岩の表面に、模様はあった。
ここでもお供えをして二礼二拝。カミサマは多分いる。人は、人の力や知恵を越えた存在を、もっとしばしば思い出さなくてはケガをする。
今野さんによれば、この山は昔は広葉樹林だったが、炭焼きで木を切り尽くして禿げ山になり、数十年前までは牛を放つ牧野だったそうだ。刻線石発見はその時代のようだ。その後、昭和40年代にヘリで種を撒くなどして草木を生やしたそうで、それで最近は灌木が増えている。カラマツが多いのも、荒れ地に強いカラマツを人が植えたためらしい。10m以下ながら、カラマツも特徴的だ。
ここで引き返し組と別れて最高点突撃班が上を目指す。ヤブは3級くらいか。ときどき木登りして前方確認し乍ら、稜線にあがり、三角点を探す。10年以上前に来た今野さんが、見覚えのあるシラカバの木に、ドコノ森の看板を見つけた。その脇にコケの付いた三角点も発見。ヤブの間からは戸来(へらい)岳、十和利岳、遠くに櫛ヶ峰の白い斜面が見えた。
帰りは南の最大傾斜面の笹薮を直滑降することにして、30分で元の道に出た。
帰りのニンニク畑でドコノ森を振り返ると、どうも来た事があると思いだせば、昨年正月、椛山の巨木、蛇王の松を撮影した山里だった。
この辺りの山域は、新郷村キリストの墓伝説、ピラミッド伝説、UFO目撃証言多発地帯に併せて謎の刻線石ときて、スピリチュアル愛好家の間では、相当評判の高い地帯なのである。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
こんばんは
山梨県にも森の付く山名が多いです。そのほか関東では丸(まる)が山名に多く見られます。同じ語源なのでしょうか。名前に惹かれて登りに行ってしまう、そんな響きですね。「ドコノ森」
じんさんこんにちは
少し前にもヤマレコ日記でどなたか書いてました。
朝鮮語にも、アイヌ語にも山を意味する「モリ」に似た言葉があって、ヤマト朝廷の征服がおくれた地域に残っているそうです。モイとかモヤとかも関連あるようで、マルも怪しい、実に怪しいですね。
しかしドコノ森の怪しさは、やはり宇宙人ピラミッド説でしょうか。シュメール文字との関連性まで説があるそうです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する