パンケヌーシ、芽室岳、雪盛山、ルベシベ山、ピパイロ岳、1940m峰


- GPS
- 248:00
- 距離
- 50.0km
- 登り
- 3,012m
- 下り
- 3,033m
コースタイム
3月22日C1(5:50)→芽室岳→(10:00)→標高1633西のコル雪洞C2(13:00)
3月23日C2(6:10)→雪盛山(8:15)→ルベシベ分岐雪洞C3(11:30)
3月24日C3→チロロ岳アタック引き返し→C3=C4
3月25日C4=C5
3月26日C5=C6
3月27日C6=C7
3月28日C7(5:45)→1696(7:10)→1712C8(8:30)
3月29日C8→ピパイロアタック引き返し→C8=C9
3月30日C9(5:55)→ピパイロ分岐(7:00)→1940峰(8:00)→ピパイロ岳(9:50)→C9(11:30ー12:20)→尾根末端(14:20)→八の沢出合C10(16:10)
3月31日C10→十勝平野
アクセス | |
---|---|
コース状況/ 危険箇所等 |
【ルート】芽室岳 パンケヌウシ岳 雪盛岳 ルベシベ岳 ピパイロ岳 1940峰 芽室岳からピパイロ、l940峰をつなぐ計画でスター卜した。林道からカラマツ林の向こうにパンケヌーシの三角の見えるのが素敵だ。林道は雪がしまって歩きやすかったので、スキーを引っ張って歩いた。ところがディックはスキーを引っ張る紐がいつのまにか切れたことに気がつかず、スキーを落としたままかなり歩いてから気付き、ショックを受ける。ディックが林道を往復してもどってくるまで3時間、尾根末端で震えて待つ。 合流してのち、尾根を登り、半ばでテン卜をはる。岡島さんが焚火をしようと太いタンネにノコギリを入れる。めきめきと倒れた先には張ったばかリのテン卜。そのわずか1メートルたらずの近くにタンネは倒れた。冗談ですんでよかった。翌朝はタンネとカンバの林を抜け、再び芽室岳に登頂。はるか南方に白い襞を飾ったピパイロの吊り尾根、その右にはペットリと雪をのせた三角の1940m峰。今回の山行の最終点のこのコンビが日をおって近づき、大きくなっていくのだ。 芽室岳南の雪洞を出て、カンバがちょろりと生えている、十勝側に切れ落ちた主稜線をスキーで進む。雪盛山は三角にそそり立つ、なかなかスマートな山なのだが、そこから分岐して派生する尾根を持たないため主稜線上の単なる高まりと考えられなくもない。ちょうど中部日高のピラミッド峰が似ている。日高におけるピークの条件は厳密には、3方向以上の稜線の合流点であることかもしれない。だが、容姿端麗なので、やはり一人前のピークとして待遇したい。雪盛山付近の稜線上は、張りだした雪庇の付け根が、クレバス状に割れ、そこに風成雪によって蓋ができ、巧妙な落し穴が随所にある。はまる度に雪庇を踏みぬいたかと思って、ぞっとする。 ルベシべ山は国境稜線のチロロ岳への分岐点から50mほど西へいったあたりだ。芽室岳からピパイロ岳への途中、この分岐の東向きの雪洞に泊まってチロロ岳アタックに備えた。一日かけて往復するロングアタックだ。しかしこの雪洞に、なんと5泊もするはめになった(雪洞長居の最高記録)。低気庄がつぎつぎにやってきては去っていった。6日目の朝、やっと来た高気庄を逃さず、凍り付いたスキーをひっこ抜き、ピパイロへむかった。もはやチロロに行っている日数の余裕は無くなっていた。 午前6時マイナス18度。朱色に染まるピパイロもずいぶん近づいた。風がそうとう強いが標高点1696と1712の間の細い岩稜を越えて行き、1712の直下に穴を掘る。掘っている間にあまりの強風で、適当に置いといた僕のザックが谷底に飛ばされてしまった。なんてこった。往復1時間コンタ差300mの往復をシゴかれた。回転落下中、天蓋がちぎれ中身が散乱したが、幸い何も失わなかった。 84年夏のポンチロロ川からは直接l940m峰に登った。この時東に平らでさえない山があるなあ、というのがピパイロの第一印象。足元より低かったのもいただけなかった。しかし、ピパイロの本当のすばらしさを知ったのは、その北面を見たときだ。最初は芽室岳の辺りから、藪山の上に白い屏風がそびえるのを見る。そのときは北部日高のそのまた北の藪山にしか登る力のなかった僕に対し、本物の日高として燦然と輝いていた。二つのピークから内向きに緩い弧を描いて落ちる左右対称の尾根はくすぐる形をしていた。そのピパイロが、この天場からは目の前だ。 わずかな好天をついた2度目のアタックで、刑務所の壁と呼ばれる急斜面を一番乗りで登りきると、トッタベツ川の源流部の山々と、札内川のカール群、切れて尖った本物の日高山脈に、突然出会った。雪煙に霞むこの風景は忘れられない。みんなが登ってくるまでの数分間をこの稜線で一人過ごした。風景との対話。日高のカンチェンジュンガと誰かが言った細い稜線を時に急斜面のトラバースを繰り返し、ピークにいたる。天気の巡り合わせの悪さから、半ば諦めていただけに、最高の気分を味わう。吹雪に加え濃厚なガスに巻かれていたが、山頂とは一つ、特種な場所だ。雲の中とは不思議なものだ。平地にいては手の届かないものだが、山岳地帯においては、空気のようなものになってしまう。 ピパイロ分岐からの登りは雪の深い雪稜。山全体が新雪でできているのではないかと思うくらい真っ白い山だ。山頂の狭さが心地よい。雪煙の彼方にポロシリが高い。北の端から日高を南下してきてとうとう、ヒダヒダの美しい本物の日高に足を踏み入れた。これからの山岳部の積雪期長期山行を、すべて日高に捧げてもいい、と決心した。 3月31日下山。この日を限りに国鉄は無くなった。士幌線も広尾線も廃止になった。国鉄最終日の青春18切符で札幌に帰った。 |
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【ルート】芽室岳 パンケヌウシ岳 雪盛岳 ルベシベ岳 ピパイロ岳 1940峰
芽室岳からピパイロ、l940峰をつなぐ計画でスター卜した。林道からカラマツ林の向こうにパンケヌーシの三角の見えるのが素敵だ。林道は雪がしまって歩きやすかったので、スキーを引っ張って歩いた。ところがディックはスキーを引っ張る紐がいつのまにか切れたことに気がつかず、スキーを落としたままかなり歩いてから気付き、ショックを受ける。ディックが林道を往復してもどってくるまで3時間、尾根末端で震えて待つ。
合流してのち、尾根を登り、半ばでテン卜をはる。岡島さんが焚火をしようと太いタンネにノコギリを入れる。めきめきと倒れた先には張ったばかリのテン卜。そのわずか1メートルたらずの近くにタンネは倒れた。冗談ですんでよかった。翌朝はタンネとカンバの林を抜け、再び芽室岳に登頂。はるか南方に白い襞を飾ったピパイロの吊り尾根、その右にはペットリと雪をのせた三角の1940m峰。今回の山行の最終点のこのコンビが日をおって近づき、大きくなっていくのだ。
芽室岳南の雪洞を出て、カンバがちょろりと生えている、十勝側に切れ落ちた主稜線をスキーで進む。雪盛山は三角にそそり立つ、なかなかスマートな山なのだが、そこから分岐して派生する尾根を持たないため主稜線上の単なる高まりと考えられなくもない。ちょうど中部日高のピラミッド峰が似ている。日高におけるピークの条件は厳密には、3方向以上の稜線の合流点であることかもしれない。だが、容姿端麗なので、やはり一人前のピークとして待遇したい。雪盛山付近の稜線上は、張りだした雪庇の付け根が、クレバス状に割れ、そこに風成雪によって蓋ができ、巧妙な落し穴が随所にある。はまる度に雪庇を踏みぬいたかと思って、ぞっとする。
ルベシべ山は国境稜線のチロロ岳への分岐点から50mほど西へいったあたりだ。芽室岳からピパイロ岳への途中、この分岐の東向きの雪洞に泊まってチロロ岳アタックに備えた。一日かけて往復するロングアタックだ。しかしこの雪洞に、なんと5泊もするはめになった(雪洞長居の最高記録)。低気庄がつぎつぎにやってきては去っていった。6日目の朝、やっと来た高気庄を逃さず、凍り付いたスキーをひっこ抜き、ピパイロへむかった。もはやチロロに行っている日数の余裕は無くなっていた。
午前6時マイナス18度。朱色に染まるピパイロもずいぶん近づいた。風がそうとう強いが標高点1696と1712の間の細い岩稜を越えて行き、1712の直下に穴を掘る。掘っている間にあまりの強風で、適当に置いといた僕のザックが谷底に飛ばされてしまった。なんてこった。往復1時間コンタ差300mの往復をシゴかれた。回転落下中、天蓋がちぎれ中身が散乱したが、幸い何も失わなかった。
84年夏のポンチロロ川からは直接l940m峰に登った。この時東に平らでさえない山があるなあ、というのがピパイロの第一印象。足元より低かったのもいただけなかった。しかし、ピパイロの本当のすばらしさを知ったのは、その北面を見たときだ。最初は芽室岳の辺りから、藪山の上に白い屏風がそびえるのを見る。そのときは北部日高のそのまた北の藪山にしか登る力のなかった僕に対し、本物の日高として燦然と輝いていた。二つのピークから内向きに緩い弧を描いて落ちる左右対称の尾根はくすぐる形をしていた。そのピパイロが、この天場からは目の前だ。
わずかな好天をついた2度目のアタックで、刑務所の壁と呼ばれる急斜面を一番乗りで登りきると、トッタベツ川の源流部の山々と、札内川のカール群、切れて尖った本物の日高山脈に、突然出会った。雪煙に霞むこの風景は忘れられない。みんなが登ってくるまでの数分間をこの稜線で一人過ごした。風景との対話。日高のカンチェンジュンガと誰かが言った細い稜線を時に急斜面のトラバースを繰り返し、ピークにいたる。天気の巡り合わせの悪さから、半ば諦めていただけに、最高の気分を味わう。吹雪に加え濃厚なガスに巻かれていたが、山頂とは一つ、特種な場所だ。雲の中とは不思議なものだ。平地にいては手の届かないものだが、山岳地帯においては、空気のようなものになってしまう。
ピパイロ分岐からの登りは雪の深い雪稜。山全体が新雪でできているのではないかと思うくらい真っ白い山だ。山頂の狭さが心地よい。雪煙の彼方にポロシリが高い。北の端から日高を南下してきてとうとう、ヒダヒダの美しい本物の日高に足を踏み入れた。これからの山岳部の積雪期長期山行を、すべて日高に捧げてもいい、と決心した。
3月31日下山。この日を限りに国鉄は無くなった。士幌線も広尾線も廃止になった。国鉄最終日の青春18切符で札幌に帰った。
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