記録ID: 21476
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
奥穂高岳
1981年08月06日(木) ~
1981年08月08日(土)
イグルスキー米山
その他1人
- GPS
- 56:00
- 距離
- 32.3km
- 登り
- 1,781m
- 下り
- 1,762m
コースタイム
8月6日松本→上高地→涸沢
8月7日涸沢→奥穂→上高地
8月8日上高地→松本
8月7日涸沢→奥穂→上高地
8月8日上高地→松本
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
高校二年の夏休み。同級生のキャンと上高地にある高校のベースキャンプを訪れる。小梨平には高校の大型テントが夏中張ってあり、生徒が自由に寝泊まりできる。山岳部員やOBが常駐しているが、このときは現役は涸沢に前進中で、ベーキャンではOBが酒を飲ませてくれた。そのまま涸沢の山岳部のやつらのところに夜中乱入した。途中、屏風岩にラテルネの灯かりが見えたり、梓川本流を渡渉したりと、いろいろあった。 涸沢は真っ暗でどのテントか分からず、暗闇で呼んで探した。既に皆寝ていたが、起こしてテントに入れてもらった。部員は翌朝早くどこかへ登りに行った。僕とキャンはザイテングラードを登って奥穂をアタックした。 |
写真
撮影機器:
感想
高校二年の夏休み。同級生のキャンと上高地にある高校のベースキャンプを訪れる。小梨平には高校の大型テントが夏中張ってあり、生徒が自由に寝泊まりできる。山岳部員やOBが常駐しているが、このときは現役は涸沢に前進中で、ベーキャンではOBが酒を飲ませてくれた。そのまま涸沢の山岳部のやつらのところに夜中乱入した。途中、屏風岩にラテルネの灯かりが見えたり、梓川本流を渡渉したりと、いろいろあった。
涸沢は真っ暗でどのテントか分からず、暗闇で呼んで探した。既に皆寝ていたが、起こしてテントに入れてもらった。部員は翌朝早くどこかへ登りに行った。僕とキャンはザイテングラードを登って奥穂をアタックした。
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”ラテルネ”ってヘッドランプか懐中電灯のことですよね。
家族で話すときは照明のことを”ラテルネ”と言ってますが、
家族以外では昔の書籍を除くと、その言葉は初めて見ました。
私のドロミテは、若いとき山を始めるために大枚はたいて買いましたが、
普段靴より5mm大きいだけだったので、爪が内出血し、
結局あまり使わず、現在、女房の冬山用として活躍してくれてます。
プロフィールを拝見すると、私と同じくらいの年輩のお方と
お見受けしました。私はブランクが長く、心だけ子供のまま
ふらふら山を歩いております。また昔話でもさせてください。
古い記録に感想ありがとうございます。この文章は1992年頃書いた物です。
ヘドランプが発明される以前から続いている古い山岳部では、手持ちの灯りだったのです。それでドイツ語の灯り、「ラテルネ」と言う言葉が、今も北大山岳部ではずっと使われています。
ドロミテの靴はその後大学の山岳部の積雪期に使い、山スキー(ワイヤーバッケン式のジルブレッタ125番)でゴシゴシ歩いて、底が反り返ってしまい、かかとの縫い目も破けて雪が入って来るに至り、ご臨終になりました。もっと手入れしたり、早期に修理すれば良かったなあ、と今は思います。その後冬の靴はプラ靴になったりしましたがやはりプラは駄目で、今は合成皮革の二重靴でもう10年以上山スキーでも履いています。
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