燕岳、大天井岳、常念岳、蝶ケ岳
- GPS
- 56:00
- 距離
- 32.6km
- 登り
- 2,853m
- 下り
- 2,792m
コースタイム
7月30日大天荘→常念岳→蝶ヶ岳ヒュッテ泊
7月31日蝶ヶ岳ヒュッテ→横尾→上高地
アクセス | |
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予約できる山小屋 |
蝶ヶ岳ヒュッテ
|
写真
感想
中房温泉→燕岳→大天井岳→常念岳→蝶ヶ岳→上高地
中学一年の夏休み。43歳の父とふたりで初めての縦走登山。中学校になったら北アルプスに連れて行こうという数年前からの約束だった。小学校の高学年あたりから、僕はよく二階の屋根に登って北アルプスを眺めたり、絵を描いたりするようになっていた。
学校登山で燕に登った1週間後に、父とまた燕岳に登って大天井岳、常念へという計画。山旅のような縦走山登りは初めてだ。せっかく苦労して千メートル以上も登ったのだから、そのまま高い尾根を歩かなければもったいない。ハイマツを刈り分けた夏道は、雲の上の散歩道、槍や穂高の岩山が程良く近く遠く眺められる。
燕岳という山の景観は、北アルプス全体の中ではとても特殊で、花崗岩の白と、ハイマツの緑で庭園のような優美な風景だ。北アルプス初登頂の山にしては特別な風景なのだが、最初の高山の印象として、残ってしまっている。
蛙岩を越えてハイマツと花崗岩の巨岩岩石の間の小道を延々と歩いていく。燕までの登りに比べれば景色はいいし変化があって、縦走とは実に愉快なものだ。唯一の鎖場、喜作のレリーフのところで、冒険気分の5mを越え、ガスのなか大天井へのガレ場を登って頂上直下の町営大天荘に泊まる。
この年は面白いおじさんが小屋番をやっていて、食事の案内や張り紙ひとつでもお客さんを笑わせたりしていた。たとえば「みなさん小屋の前の登りで、石に『あと十分』と書いてありませんでしたか?あれはじゅっぷんじゃなくて充分と読むんです」とか、小屋の二階に登る階段のところに「頑張れ!最後の登りです」などと書いてあったり。そんなこともあって子供心にこの小屋がとても気に入った。泊まり客20人くらいみんなでモノクロの集合写真を撮って、絵はがきで送ってくれたりもした。後で聞いた話では、この小屋は穂高町の町営なので、かえっておもしろい人材がいたそうだ。
朝はよく晴れ、小屋のすぐ近くの山頂から槍や穂高が朝焼けによく見えた。その後何度かここを訪れたがやはりこの時の印象が一番強い。
大天井岳を朝出発して、コマクサの咲く砂礫地を歩き、常念小屋のあるコルへ。針葉樹に身を半分隠した常念小屋。大きな岩が積み重なる坂をひた登ると、岩がごろごろした常念の山頂に出た。あいにく曇りで何も見えなかったが、朝に夕に住んでいる町から見上げていた常念に登るのがこの山行のメインだった。山頂ガレ岩の上で双眼鏡をのぞき、少し離れたお隣の人の弁当を眺めた。父が、相手に聞こえるように、「どらどら、お父さんにも見せてくれ、おいしそうなもの食べているぞ」といって、皆を笑わせていた。知らない人でも、声をかけて笑わせるのが好きな父だ。
松本の家から見る常念岳は神々しい。子供のころからよく眺めた。特に冬の寒い朝に西の空高く浮いてみえる常念は美しい。樹林のために白く見えない中腹部分は空と同じ紺色で、雪を載せた2500メートル以上のごつごつした高山部分だけが遠くない大空に浮いてみえた。町全体、世界全体を見下ろす横長の山脈。朝の短い時間で紺、青、金、紅、白と変わっていく。
蝶ヶ岳までの稜線はこうして家から見慣れたスカイラインだ。下から見た、空と山の境を歩いているのだと思った。蝶の小屋に泊まって、朝は穂高連峰の朝焼けを間近に見て樹林帯に下る。樹林帯から穂高が見えるところで父と記念写真を撮った。切り株にブローニー判の蛇腹カメラを吊るして自動撮影。針葉樹の間から、穂高がちらほら見えた。
上高地へ初めて降りた。人がたくさんいて驚いた。しかし山から降りてきた身には、上高地の平地がとてもありがたく思えた。北アルプスの深さを知った。山道で拾った棒切れを杖に歩いていたら、小梨平で監視員かなにかに注意された。国立公園の棒切れは持ち歩いてはいけないと。不愉快な監視員だった。未も意味の分からぬ注意だ。
このあと年に一回、北アルプスを縦走するのが父と僕との夏の楽しみになった。
かつて読んだ文章が、写真付きになるとまた違った感興を呼ぶね。米山さんの親父殿、お初にお目にかかりやます。
柳田くんににてますなあ。
今は村山富市似ですが!
ちなみに1980年の写真は、姉上です。当時大天井と槍の間のなんとかいうマイナー小屋で夏バイトしていたのです。
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