《台湾》太平山遊楽区・多望渓
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コースタイム
多望渓は下部は河原が続き、中流は渕が続く気持のいい谷、上流は樹にからむ苔が印象的な谷で、レベル的には泊まりに慣れてきた中級レベルの人にも可能な谷でした。
私は若い人のペースに付いていけず足腰がガタガタになって、しばらく回復できませんでした。
渓仙大会
5月1日は空港から日月潭近くの渓仙大会の会場へ陳さんの車で送っていただきました。陳さん謝謝!
中部の日月潭の近くの大濁水渓沿いの雙龍村で開かれていた第15回渓仙大会に参加してきました。今回は彰化県登山協会の主催で行われたので、私達も呼ばれたのでしょう。
会場は山の中腹の村の小学校で、広場一杯に人が集まっているのは壮観でした。
全国から500人くらい参加しているそうです。渓仙大会では海外の谷を紹介させていただきました。 昔懐かしい方々に会えて嬉しかった。持って行ったCDで海外の渓谷の紹介をしました。
2日、雙龍渓で溯渓実技をやっていましたが、こちらは多望渓の予定があったので、朝に現地を出て台北に戻りました。なかなかおもしろそうな谷で大きな滝が見えました。
多望渓
2日昼に台北に戻り、東京のマーガリンと合流。黄さんの車で宜蘭を経て多望渓に入る。
この谷の下部で温泉が自噴していて、鳩澤温泉と呼ばれる施設ができている。そこの奥で泊。
3日朝は梅雨入りの予想に反して雲ひとつ無い快晴。いよいよ溯行開始です。梅雨が始まる予想を覆し、雲一つ無い大快晴でした。下流は驚くような河原が続き、若い人達はどんどん飛ばして行ってしまい、それを必死に追いかける展開となった。振り返ると鳩沢温泉の白い噴気が見えていた。広い河原を溯ると二俣になった。
左は左俣の白嶺渓、正面が右俣で多望渓本流。
白嶺渓には4段20m滝が懸かっている。多望渓にはここから見えないが2段の滝がかかっている。二俣本流(右俣)に懸かる2段滝を右俣と左俣(白嶺渓)の間の尾根より巻いた。右俣に入るとゴーロと渕が断続的に現われる。ようやく谷らしくなってきた。
標高1000mを越えたところで泊まった。夜雨が降り出してきたので、タープの中で宴会を続けた。タープは3つ繋いで張ったので、快適だった。
4日今日も快晴で始まった。むずかしい個所はないが、谷らしくなってきた。大きな釜の直瀑10m。左岸より巻いて懸垂で滝上に降りた。ジャスミンがトップでルート工作した2段滝。ショルダーなどで力任せの滝だった。
楽しい溯行を続けると、谷は次第に水を減じて源流の様相を呈してきた。
この谷の特徴はその植物相にあると思う。上流に至ってからとこかく苔が多い。樹にまとわりつき、垂れ下がり、岩をも苔むしている。
苔、苔、苔なのだった。
4日は標高1600mで泊まったが、夜明けに寒くて目が醒めた。4時に起き出して焚火を起こし、ほっとしたのだった。
5日、多望渓溯渓を終えて林道を行くと、加羅山登山口に神木がある。見事な桧の巨樹であった。巨樹というのは人に生命に対する感銘を与える。漲る精気、漂う霊気。仰ぎ見る時、言葉を失う。
梨山
多望渓を下りて、梨山へ行って泊まった。
梨山は中部横貫公路の中継点で、昔通った時は賑わっていた。蒋介石の別荘もあった。
果樹栽培が盛んで、リンゴ、梨、桃の畑が見渡す限り広がっている。
しかし、例の大地震で中部横貫公路が崩壊し、台中への交通が途絶したままで、以来すっかりさびれたそうである。
梨山は私は3回目の訪問であるが、地震後は初めてで、たしかに以前の賑わいを感じることはできなかった。
翌日の朝、梨山を散歩してみた。天気が良ければ、谷の向いには雪山3884mが聳え、東には南湖大山の大きな山容が望める。
あいにく天気は曇で、雪山も南湖大山も見えなかったが、それはそれでなかなか味わい深い山の街の朝だった。
過去天気図(気象庁) | 2010年05月の天気図 |
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ファイル |
(更新時刻:2020/01/14 10:22)
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写真
感想
【記録】
多望渓は下部は河原が続き、中流は渕が続く気持のいい谷、上流は樹にからむ苔が印象的な谷で、レベル的には泊まりに慣れてきた中級レベルの人にも可能な谷でした。
私は若い人のペースに付いていけず足腰がガタガタになって、しばらく回復できませんでした。
渓仙大会
5月1日は空港から日月潭近くの渓仙大会の会場へ陳さんの車で送っていただきました。陳さん謝謝!
中部の日月潭の近くの大濁水渓沿いの雙龍村で開かれていた第15回渓仙大会に参加してきました。今回は彰化県登山協会の主催で行われたので、私達も呼ばれたのでしょう。
会場は山の中腹の村の小学校で、広場一杯に人が集まっているのは壮観でした。
全国から500人くらい参加しているそうです。渓仙大会では海外の谷を紹介させていただきました。 昔懐かしい方々に会えて嬉しかった。持って行ったCDで海外の渓谷の紹介をしました。
2日、雙龍渓で溯渓実技をやっていましたが、こちらは多望渓の予定があったので、朝に現地を出て台北に戻りました。なかなかおもしろそうな谷で大きな滝が見えました。
多望渓
2日昼に台北に戻り、東京のマーガリンと合流。黄さんの車で宜蘭を経て多望渓に入る。
この谷の下部で温泉が自噴していて、鳩澤温泉と呼ばれる施設ができている。そこの奥で泊。
3日朝は梅雨入りの予想に反して雲ひとつ無い快晴。いよいよ溯行開始です。梅雨が始まる予想を覆し、雲一つ無い大快晴でした。下流は驚くような河原が続き、若い人達はどんどん飛ばして行ってしまい、それを必死に追いかける展開となった。振り返ると鳩沢温泉の白い噴気が見えていた。広い河原を溯ると二俣になった。
左は左俣の白嶺渓、正面が右俣で多望渓本流。
白嶺渓には4段20m滝が懸かっている。多望渓にはここから見えないが2段の滝がかかっている。二俣本流(右俣)に懸かる2段滝を右俣と左俣(白嶺渓)の間の尾根より巻いた。右俣に入るとゴーロと渕が断続的に現われる。ようやく谷らしくなってきた。
標高1000mを越えたところで泊まった。夜雨が降り出してきたので、タープの中で宴会を続けた。タープは3つ繋いで張ったので、快適だった。
4日今日も快晴で始まった。むずかしい個所はないが、谷らしくなってきた。大きな釜の直瀑10m。左岸より巻いて懸垂で滝上に降りた。ジャスミンがトップでルート工作した2段滝。ショルダーなどで力任せの滝だった。
楽しい溯行を続けると、谷は次第に水を減じて源流の様相を呈してきた。
この谷の特徴はその植物相にあると思う。上流に至ってからとこかく苔が多い。樹にまとわりつき、垂れ下がり、岩をも苔むしている。
苔、苔、苔なのだった。
4日は標高1600mで泊まったが、夜明けに寒くて目が醒めた。4時に起き出して焚火を起こし、ほっとしたのだった。
5日、多望渓溯渓を終えて林道を行くと、加羅山登山口に神木がある。見事な桧の巨樹であった。巨樹というのは人に生命に対する感銘を与える。漲る精気、漂う霊気。仰ぎ見る時、言葉を失う。
梨山
多望渓を下りて、梨山へ行って泊まった。
梨山は中部横貫公路の中継点で、昔通った時は賑わっていた。蒋介石の別荘もあった。
果樹栽培が盛んで、リンゴ、梨、桃の畑が見渡す限り広がっている。
しかし、例の大地震で中部横貫公路が崩壊し、台中への交通が途絶したままで、以来すっかりさびれたそうである。
梨山は私は3回目の訪問であるが、地震後は初めてで、たしかに以前の賑わいを感じることはできなかった。
翌日の朝、梨山を散歩してみた。天気が良ければ、谷の向いには雪山3884mが聳え、東には南湖大山の大きな山容が望める。
あいにく天気は曇で、雪山も南湖大山も見えなかったが、それはそれでなかなか味わい深い山の街の朝だった。
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