《台湾》大漢渓 三光渓後段
コースタイム
17日、飛行機が遅れて深夜に空港に着いた。そこから台湾の友人の車で巴陵の駐車場へ。いきなりウィスキーの乾杯で歓迎を受ける。
18日、ほとんど寝ていない。二日酔いで食欲もない。おえ〜だ。それでも出発した。国道7号の大カーブから下降して三光渓の谷底に降り立つ。谷を少し行くと大きな釜の6m滝があった。水量も多く、迫力がある。
ルートは左岸の壁で、リッジを登って凹角をトラバースして懸垂で滝上に降りる。この滝の釜で死亡事故もあったそうである。今回は日本隊7名、台湾隊合わせると20名近い。もし釜の底に1人くらい沈んでいてもわからんだろう。私はともかく日本隊の安否だけに気持ちを集中して行く。
次の滝は1mくらいだが大きな釜だった。いくつか滝を越えると広い河原に出た。
ここで泊まるという。彰化の黄介文さんは竿を出して魚釣りを始めた。苦花という魚がどんどん釣れる。釣れた魚を鉄鍋で油で揚げる。なかなかの美味。
泊地のそばの斜面に神木があり、見に行く。
19日、荘さんがここからは簡単だというが、いきなり30m泳がされた。ゴルジュが続き、雨も降りだして、身体が冷えてくる。なにが簡単だ。けっこうきつい。60mの瀞があった。みんな泳いでいくが、私は寒くてとても泳ぐ気になれず、右岸から高巻をして瀞の上に降りた。そこは四稜温泉であった。
温泉はビニールシートを張ったもので、横の滝から落ちてくる温水を張っていた。一般の人達も水着で入っている。私達は沢の装具を付けたまま、着のみ着のままでお湯に転がり込む。ああー、なんという快感。
いつまでも入っていたかったが、そういかず温泉に別れを告げて国道へ登った。国道まで標高差200mの登りでけっこう堪えた。
過去天気図(気象庁) | 2006年03月の天気図 |
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写真
感想
三光渓というおもしろい谷があるというのはかなり前から知っていたが、なかなか機会がなかった。ようやく念願かなって行くことができた。
17日、飛行機が遅れて深夜に空港に着いた。そこから台湾の友人の車で巴陵の駐車場へ。いきなりウィスキーの乾杯で歓迎を受ける。
18日、ほとんど寝ていない。二日酔いで食欲もない。おえ〜だ。それでも出発した。国道7号の大カーブから下降して三光渓の谷底に降り立つ。谷を少し行くと大きな釜の6m滝があった。水量も多く、迫力がある。
ルートは左岸の壁で、リッジを登って凹角をトラバースして懸垂で滝上に降りる。この滝の釜で死亡事故もあったそうである。今回は日本隊7名、台湾隊合わせると20名近い。もし釜の底に1人くらい沈んでいてもわからんだろう。私はともかく日本隊の安否だけに気持ちを集中して行く。
次の滝は1mくらいだが大きな釜だった。いくつか滝を越えると広い河原に出た。
ここで泊まるという。彰化の黄介文さんは竿を出して魚釣りを始めた。苦花という魚がどんどん釣れる。釣れた魚を鉄鍋で油で揚げる。なかなかの美味。
泊地のそばの斜面に神木があり、見に行く。
19日、荘さんがここからは簡単だというが、いきなり30m泳がされた。ゴルジュが続き、雨も降りだして、身体が冷えてくる。なにが簡単だ。けっこうきつい。60mの瀞があった。みんな泳いでいくが、私は寒くてとても泳ぐ気になれず、右岸から高巻をして瀞の上に降りた。そこは四稜温泉であった。
温泉はビニールシートを張ったもので、横の滝から落ちてくる温水を張っていた。一般の人達も水着で入っている。私達は沢の装具を付けたまま、着のみ着のままでお湯に転がり込む。ああー、なんという快感。
いつまでも入っていたかったが、そういかず温泉に別れを告げて国道へ登った。国道まで標高差200mの登りでけっこう堪えた。
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