JR西日本東海道本線の安土駅に到着
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12/31 10:58
JR西日本東海道本線の安土駅に到着
安土城郭資料館が安土駅に隣設されている。安土駅の南口側。
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12/31 10:58
安土城郭資料館が安土駅に隣設されている。安土駅の南口側。
安土駅隣設の安土城郭資料館。さすがに大晦日は閉まっている。
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12/31 10:57
安土駅隣設の安土城郭資料館。さすがに大晦日は閉まっている。
安土駅前の相撲の石像。織田信長により,1570年に安土の常楽寺で相撲が行われたとある。常楽寺は現在は安土駅の北側一帯の地名として残っている。
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12/31 10:58
安土駅前の相撲の石像。織田信長により,1570年に安土の常楽寺で相撲が行われたとある。常楽寺は現在は安土駅の北側一帯の地名として残っている。
相撲の石像の説明板「安土と相撲」。信長が1570年に安土の常楽寺で開催したのが,興業相撲の始まりとされる。安土城築城後の1578年からは安土城で毎年のように興業相撲が開催された。
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12/31 10:59
相撲の石像の説明板「安土と相撲」。信長が1570年に安土の常楽寺で開催したのが,興業相撲の始まりとされる。安土城築城後の1578年からは安土城で毎年のように興業相撲が開催された。
安土駅南口の安土町観光案内図
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12/31 10:59
安土駅南口の安土町観光案内図
安土駅南口を出て,やがて滋賀県道198号安土停車場桑実寺本堂線を歩いてゆく。県道198号線上より観音寺山をのぞむ。
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12/31 11:08
安土駅南口を出て,やがて滋賀県道198号安土停車場桑実寺本堂線を歩いてゆく。県道198号線上より観音寺山をのぞむ。
県道198号線上より観音寺山
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12/31 11:08
県道198号線上より観音寺山
県道198号線上より観音寺山
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12/31 11:17
県道198号線上より観音寺山
県道198号線上より観音寺山。麓の住宅街にさしかかった。住宅街の地名は安土町桑実寺。
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12/31 11:21
県道198号線上より観音寺山。麓の住宅街にさしかかった。住宅街の地名は安土町桑実寺。
史跡瓢箪古墳,桑實寺,文芸の郷などの道標があった。桑實寺の方へ進む。桑實寺まで450m,桑實寺は天智天皇の勅願により創建とある。
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12/31 11:23
史跡瓢箪古墳,桑實寺,文芸の郷などの道標があった。桑實寺の方へ進む。桑實寺まで450m,桑實寺は天智天皇の勅願により創建とある。
桑実寺のバス停前を通過。桑實寺は初代定恵和尚が唐から桑の実を持ち帰り,日本で最初に養蚕を始めたことが寺名の由来とされる。
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12/31 11:23
桑実寺のバス停前を通過。桑實寺は初代定恵和尚が唐から桑の実を持ち帰り,日本で最初に養蚕を始めたことが寺名の由来とされる。
西国薬師第46番霊場桑實寺(くわのみでら)の看板
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12/31 11:23
西国薬師第46番霊場桑實寺(くわのみでら)の看板
石柱の道標。桑實寺まで四丁とある。メートル条約加入後の1891年1.2kmを11丁と定めたので,1丁は109.09mとなった。
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12/31 11:24
石柱の道標。桑實寺まで四丁とある。メートル条約加入後の1891年1.2kmを11丁と定めたので,1丁は109.09mとなった。
桑實寺への石段の途中に西国薬師第46番霊場桑實寺の縦書看板
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12/31 11:26
桑實寺への石段の途中に西国薬師第46番霊場桑實寺の縦書看板
桑實寺への石段
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12/31 11:26
桑實寺への石段
石段を登り始めてすぐに山門
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12/31 11:27
石段を登り始めてすぐに山門
桑實寺の山門
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12/31 11:28
桑實寺の山門
山門に大人300円,子供150円と拝観料が記されている。山門から観音寺城の城跡,および繖山(きぬがさやま)山頂付近の三角点までは桑實寺の山林境内で史跡であることも記されている。
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12/31 11:28
山門に大人300円,子供150円と拝観料が記されている。山門から観音寺城の城跡,および繖山(きぬがさやま)山頂付近の三角点までは桑實寺の山林境内で史跡であることも記されている。
山門をくぐったところの左側に桑實寺全景の絵図
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12/31 11:29
山門をくぐったところの左側に桑實寺全景の絵図
山門をくぐったところの桑實寺の説明板。桑實寺は藤原鎌足の長男である定恵の開基。室町時代末1532年(天文元年)に室町幕府12代将軍足利義晴が滞在。15代将軍足利義昭も滞在した。
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12/31 11:29
山門をくぐったところの桑實寺の説明板。桑實寺は藤原鎌足の長男である定恵の開基。室町時代末1532年(天文元年)に室町幕府12代将軍足利義晴が滞在。15代将軍足利義昭も滞在した。
山門から先の石段
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12/31 11:29
山門から先の石段
石段の途中に石橋。石橋の下の沢は西の湖に通じる。
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12/31 11:30
石段の途中に石橋。石橋の下の沢は西の湖に通じる。
石橋の途中の石橋
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12/31 11:30
石橋の途中の石橋
石橋からの先も石段が続く。
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12/31 11:31
石橋からの先も石段が続く。
石橋から先の石段を登ってゆくと左側に地蔵堂
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12/31 11:32
石橋から先の石段を登ってゆくと左側に地蔵堂
地蔵堂のところに二丁と書かれた石柱
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12/31 11:32
地蔵堂のところに二丁と書かれた石柱
地蔵堂から先の石段
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12/31 11:32
地蔵堂から先の石段
地蔵堂から先,石段を登ってゆく。
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12/31 11:33
地蔵堂から先,石段を登ってゆく。
三丁と書かれた石柱
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12/31 11:35
三丁と書かれた石柱
足元にサワガニ発見
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12/31 11:35
足元にサワガニ発見
桑實寺の本堂へと石段を登る。
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12/31 11:36
桑實寺の本堂へと石段を登る。
本堂が近づいてくると幟が並んでいる。
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12/31 11:37
本堂が近づいてくると幟が並んでいる。
桑實寺の本堂の下。桑實寺の山号は繖山(きぬがさやま)。桑實寺や観音正寺,観音寺城跡のある繖山は観音寺山とも呼ばれる。
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12/31 11:38
桑實寺の本堂の下。桑實寺の山号は繖山(きぬがさやま)。桑實寺や観音正寺,観音寺城跡のある繖山は観音寺山とも呼ばれる。
桑實寺の本堂
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12/31 11:38
桑實寺の本堂
本堂に改めて拝観料の表示あり。このあと社務所で拝観料を支払う。
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12/31 11:38
本堂に改めて拝観料の表示あり。このあと社務所で拝観料を支払う。
桑實寺の社務所の軒下に置いてあった果物。ヤマナシ[山梨](イシナシ)だろうか。はじめはマルメロかとも思った。でもどちらなのかわからない。
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12/31 11:40
桑實寺の社務所の軒下に置いてあった果物。ヤマナシ[山梨](イシナシ)だろうか。はじめはマルメロかとも思った。でもどちらなのかわからない。
桑實寺の社務所裏の鐘楼
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12/31 11:42
桑實寺の社務所裏の鐘楼
桑實寺の本堂の左側面
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12/31 11:42
桑實寺の本堂の左側面
本堂から先,大師堂(経堂)への石段。
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12/31 11:43
本堂から先,大師堂(経堂)への石段。
影清の背くらべ石とその説明板。説明板には「影清」とあるが,平家物語の屋島合戦で活躍したり,歌舞伎にも登場する伊藤「景清」で,藤原景清,平景清とも呼ばれる。
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12/31 11:44
影清の背くらべ石とその説明板。説明板には「影清」とあるが,平家物語の屋島合戦で活躍したり,歌舞伎にも登場する伊藤「景清」で,藤原景清,平景清とも呼ばれる。
説明板「平ノ影清は平安時代の勇猛な武将ですが,晩年は薬師如来を信仰し,京都より桑実寺へ眼病平癒のため日参したと伝えられ,そのとき背丈をとゞめた石と伝えられています。」
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12/31 11:43
説明板「平ノ影清は平安時代の勇猛な武将ですが,晩年は薬師如来を信仰し,京都より桑実寺へ眼病平癒のため日参したと伝えられ,そのとき背丈をとゞめた石と伝えられています。」
「影清の背くらべ石」の奥に鎮守三社。
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12/31 11:44
「影清の背くらべ石」の奥に鎮守三社。
「鎮守三社(天和元年建立 一六八一」「右 スサノオの妃」「中央 大黒天」「左 スサノオの命」
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12/31 11:44
「鎮守三社(天和元年建立 一六八一」「右 スサノオの妃」「中央 大黒天」「左 スサノオの命」
鎮守三社の左の祠。スサノオの命を祀るもの。
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12/31 11:44
鎮守三社の左の祠。スサノオの命を祀るもの。
「影清の背くらべ石」の少し先に大師堂(経堂)
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12/31 11:45
「影清の背くらべ石」の少し先に大師堂(経堂)
大師堂(経堂)の説明板。天正四年(1576年),織田信長により,建立され,もともとは天台・伝教大師像が安置されていた。明治末期の風水害のために大破した後は経堂として再建された。
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12/31 11:45
大師堂(経堂)の説明板。天正四年(1576年),織田信長により,建立され,もともとは天台・伝教大師像が安置されていた。明治末期の風水害のために大破した後は経堂として再建された。
大師堂(経堂)から先は本格的に山道となってゆく。
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12/31 11:45
大師堂(経堂)から先は本格的に山道となってゆく。
大師堂(経堂)から先は本格的に山林となるが,山林側から本堂に入ってきたときのための案内板。
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12/31 11:46
大師堂(経堂)から先は本格的に山林となるが,山林側から本堂に入ってきたときのための案内板。
大師堂(経堂)から先,観音寺城跡へと続く道。
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12/31 11:47
大師堂(経堂)から先,観音寺城跡へと続く道。
五丁の石柱。「五」の上の横棒がないように見えるが。
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12/31 11:48
五丁の石柱。「五」の上の横棒がないように見えるが。
六丁の石柱
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12/31 11:52
六丁の石柱
朽ちて壊れた道標が道脇に落ちている。この位置は桑実寺(桑實寺)から200m,観音正寺まで600mの位置。
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12/31 11:53
朽ちて壊れた道標が道脇に落ちている。この位置は桑実寺(桑實寺)から200m,観音正寺まで600mの位置。
水のない沢地形を渡ったところ
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12/31 11:53
水のない沢地形を渡ったところ
水のない沢地形を渡り,その先の山道を登ってゆく。
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12/31 11:53
水のない沢地形を渡り,その先の山道を登ってゆく。
「NPO 西国古道 ウォーキングサポート」の標識が道端にある。特定非営利活動法人西国古道ウォーキングサポート(事務局は神戸市)が西国三十三ヶ寺の古道を整備しているようだ。
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12/31 11:54
「NPO 西国古道 ウォーキングサポート」の標識が道端にある。特定非営利活動法人西国古道ウォーキングサポート(事務局は神戸市)が西国三十三ヶ寺の古道を整備しているようだ。
七丁の石柱
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12/31 11:56
七丁の石柱
観音寺城跡への山道
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12/31 11:57
観音寺城跡への山道
ナメコ
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12/31 11:57
ナメコ
ナメコ
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12/31 11:57
ナメコ
クリタケか?
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12/31 12:00
クリタケか?
八丁の石柱
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12/31 12:00
八丁の石柱
石垣の一部が見えた。
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12/31 12:02
石垣の一部が見えた。
山頂に近づき坂道の勾配が緩やかになってきた。
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12/31 12:02
山頂に近づき坂道の勾配が緩やかになってきた。
杉林の中に狭いが平らなところがある。おそらくここに何らかの建物があったのであろう。
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12/31 12:03
杉林の中に狭いが平らなところがある。おそらくここに何らかの建物があったのであろう。
九丁の石柱
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12/31 12:04
九丁の石柱
坂をほぼ上りつめたようだ。
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12/31 12:04
坂をほぼ上りつめたようだ。
これより桑實寺山林境内と通告の看板あり
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12/31 12:05
これより桑實寺山林境内と通告の看板あり
観音寺城跡の本丸の虎口(こぐち)跡に到着。虎口は出入り口のこと。ここは本丸跡への西側からの入口。
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12/31 12:06
観音寺城跡の本丸の虎口(こぐち)跡に到着。虎口は出入り口のこと。ここは本丸跡への西側からの入口。
本丸の虎口のあたりにある道標
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12/31 12:06
本丸の虎口のあたりにある道標
本丸の虎口の石垣
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12/31 12:06
本丸の虎口の石垣
虎口の石垣の根元に十丁の石柱
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12/31 12:06
虎口の石垣の根元に十丁の石柱
虎口から本丸跡の内側に入る。
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12/31 12:06
虎口から本丸跡の内側に入る。
観音寺城の本丸跡にサザンカ(山茶花)が咲いていた。サザンカはツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
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12/31 12:07
観音寺城の本丸跡にサザンカ(山茶花)が咲いていた。サザンカはツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
「観音寺城跡」の説明板。観音寺城は近江守護の佐々木六角氏の本城。応仁2年(1468年)に完成。永禄11年(1568年)に織田が入城するも,天正10年(1582年)安土城とともに滅亡した。
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12/31 12:07
「観音寺城跡」の説明板。観音寺城は近江守護の佐々木六角氏の本城。応仁2年(1468年)に完成。永禄11年(1568年)に織田が入城するも,天正10年(1582年)安土城とともに滅亡した。
「本丸跡」の標柱。観音寺城跡の標高は約400m。
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12/31 12:07
「本丸跡」の標柱。観音寺城跡の標高は約400m。
観音寺城の本丸跡。太夫殿井戸まで2分,池田丸まで5分,大石垣まで10分の表示。
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12/31 12:07
観音寺城の本丸跡。太夫殿井戸まで2分,池田丸まで5分,大石垣まで10分の表示。
観音寺城の本丸跡
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12/31 12:08
観音寺城の本丸跡
本丸跡から東側へと下りてゆく石段
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12/31 12:08
本丸跡から東側へと下りてゆく石段
本丸跡の平坦部
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12/31 12:08
本丸跡の平坦部
本丸跡の平坦部
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12/31 12:09
本丸跡の平坦部
カラスタケだろうか
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12/31 12:09
カラスタケだろうか
フユイチゴ(冬苺)。バラ科キイチゴ属の常緑匍匐性の小低木。別名:カンイチゴ(寒苺)。
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12/31 12:09
フユイチゴ(冬苺)。バラ科キイチゴ属の常緑匍匐性の小低木。別名:カンイチゴ(寒苺)。
サザンカ
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12/31 12:10
サザンカ
「観音寺城跡」の説明板。昭和44,45年に近江国風土記の丘の関連で本丸付近を整備,発掘した。発掘により,当時の遺物や遺構が発見されている。
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12/31 12:10
「観音寺城跡」の説明板。昭和44,45年に近江国風土記の丘の関連で本丸付近を整備,発掘した。発掘により,当時の遺物や遺構が発見されている。
本丸跡の内側より西側の虎口の石垣
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12/31 12:12
本丸跡の内側より西側の虎口の石垣
本丸跡から東側へと下りはじめる。ここにもNPO西国古道ウォーキングサポートの標識がある。
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12/31 12:14
本丸跡から東側へと下りはじめる。ここにもNPO西国古道ウォーキングサポートの標識がある。
本丸東側下の道標
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12/31 12:15
本丸東側下の道標
ミヤコザサだろうか。冬に葉の縁が枯れて白くなる。
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12/31 12:16
ミヤコザサだろうか。冬に葉の縁が枯れて白くなる。
観音寺城大石垣までここから15分くらい,と書かれている。我々はともかく大石垣の方向へ歩いてゆくことにした。
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12/31 12:16
観音寺城大石垣までここから15分くらい,と書かれている。我々はともかく大石垣の方向へ歩いてゆくことにした。
フユイチゴ
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12/31 12:17
フユイチゴ
屋敷跡の方向へ進む。
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12/31 12:17
屋敷跡の方向へ進む。
石段の下に出た。石段を登れば観音寺城跡本丸の表示。大石垣まで15分ともある。
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12/31 12:18
石段の下に出た。石段を登れば観音寺城跡本丸の表示。大石垣まで15分ともある。
観音寺城本丸への石段。ここを下りて来れば我々が現在いる場所に来れたようだ。石段を右側に見上げながら大石垣方面へ直進。
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12/31 12:18
観音寺城本丸への石段。ここを下りて来れば我々が現在いる場所に来れたようだ。石段を右側に見上げながら大石垣方面へ直進。
「池田・落合・平井(観音寺城郭跡),追手道(石寺天満宮へ)」と書かれた方向に歩いてゆく。この方向が屋敷跡や大石垣に通じるようだ。
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12/31 12:19
「池田・落合・平井(観音寺城郭跡),追手道(石寺天満宮へ)」と書かれた方向に歩いてゆく。この方向が屋敷跡や大石垣に通じるようだ。
大石垣まで7分の表示
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大石垣まで7分の表示
道端にお地蔵さん
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12/31 12:21
道端にお地蔵さん
道脇に苔むした石垣
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12/31 12:21
道脇に苔むした石垣
先にすすむと右側にしっかり積まれた石垣が見えてきた。
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先にすすむと右側にしっかり積まれた石垣が見えてきた。
右側の石垣で囲まれているところは,平井氏屋敷跡(平井丸)と伝えられているところ。
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右側の石垣で囲まれているところは,平井氏屋敷跡(平井丸)と伝えられているところ。
「ここは平井丸 大石垣まで5分」の道標板。この道標の右側に平井氏屋敷跡の入口(虎口)がある。大石垣へはやや左前方方向へ歩いてゆくが,写真正面に落合氏屋敷跡がある。
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12/31 12:23
「ここは平井丸 大石垣まで5分」の道標板。この道標の右側に平井氏屋敷跡の入口(虎口)がある。大石垣へはやや左前方方向へ歩いてゆくが,写真正面に落合氏屋敷跡がある。
平井氏屋敷跡入口の右側の石垣。大きな石が使われている。
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平井氏屋敷跡入口の右側の石垣。大きな石が使われている。
「伝平井丸の虎口」。平井氏屋敷跡の入口。平井氏屋敷跡は,観音寺城本丸跡から南側に延びる尾根上にある。地図上では本丸跡からすぐ南側にあたる。
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「伝平井丸の虎口」。平井氏屋敷跡の入口。平井氏屋敷跡は,観音寺城本丸跡から南側に延びる尾根上にある。地図上では本丸跡からすぐ南側にあたる。
「伝 落合氏屋敷跡」の表示。落合氏屋敷跡は,地図上では平井氏屋敷跡の南側の尾根地形上にある。落合氏屋敷跡は比較的狭いようだ。
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「伝 落合氏屋敷跡」の表示。落合氏屋敷跡は,地図上では平井氏屋敷跡の南側の尾根地形上にある。落合氏屋敷跡は比較的狭いようだ。
「伝 平井氏屋敷跡」の表示。平井氏屋敷跡の入口から中に入ると,林の中にこの標柱がある。
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「伝 平井氏屋敷跡」の表示。平井氏屋敷跡の入口から中に入ると,林の中にこの標柱がある。
平井氏屋敷跡への入口のい石垣の根元に石仏が並べられている。
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12/31 12:24
平井氏屋敷跡への入口のい石垣の根元に石仏が並べられている。
平井氏屋敷跡の入口から歩いてきた方向を振り返る。本丸跡から平井氏屋敷跡へと,この道を歩いてきた。
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平井氏屋敷跡の入口から歩いてきた方向を振り返る。本丸跡から平井氏屋敷跡へと,この道を歩いてきた。
平井氏屋敷跡を後にして大石垣の方向へ歩いてゆく。
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平井氏屋敷跡を後にして大石垣の方向へ歩いてゆく。
「ここは池田丸 大石垣まで3分」の道標板。
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「ここは池田丸 大石垣まで3分」の道標板。
池田氏屋敷跡の中に行ってみる。
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12/31 12:27
池田氏屋敷跡の中に行ってみる。
池田氏屋敷跡の平坦部分は広い。本丸から南に延びる尾根上に平井氏屋敷跡,その南に池田氏屋敷跡が地図上に並んでいるようだ。
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池田氏屋敷跡の平坦部分は広い。本丸から南に延びる尾根上に平井氏屋敷跡,その南に池田氏屋敷跡が地図上に並んでいるようだ。
池田氏屋敷跡の西側の虎口。我々は,東側から池田氏屋敷跡に入ってきた。
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12/31 12:28
池田氏屋敷跡の西側の虎口。我々は,東側から池田氏屋敷跡に入ってきた。
池田氏屋敷跡内の足元の様子
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12/31 12:29
池田氏屋敷跡内の足元の様子
「伝 池田氏屋敷跡」の表示
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12/31 12:29
「伝 池田氏屋敷跡」の表示
池田氏屋敷跡から大石垣に向かう。「大石垣まで5分」の表示。さきほどは「大石垣まで3分」の表示があったようにも思えるが...
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12/31 12:29
池田氏屋敷跡から大石垣に向かう。「大石垣まで5分」の表示。さきほどは「大石垣まで3分」の表示があったようにも思えるが...
西側眼下には国道8号線と東海道新幹線を見下ろすことができる。
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西側眼下には国道8号線と東海道新幹線を見下ろすことができる。
足元の風化した石。繖山(観音寺山)は,花崗岩でできているようだ。
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12/31 12:32
足元の風化した石。繖山(観音寺山)は,花崗岩でできているようだ。
観音正寺(かんのんしょうじ)が枝越しに垣間見える。観音正寺は観音寺城跡の西側にある。天台宗山号は繖山(きぬがささん)。天台宗系の単立寺院。西国三十三所第三十二番札所。
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観音正寺(かんのんしょうじ)が枝越しに垣間見える。観音正寺は観音寺城跡の西側にある。天台宗山号は繖山(きぬがささん)。天台宗系の単立寺院。西国三十三所第三十二番札所。
大石垣付近に到着
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12/31 12:33
大石垣付近に到着
女郎岩。大石垣への入口にある。
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12/31 12:34
女郎岩。大石垣への入口にある。
大石垣の上にある観音寺城の幟
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大石垣の上にある観音寺城の幟
大石垣展望台まで3分の表示。ここがすでに大石垣展望台といわれているところのような気がする。
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12/31 12:34
大石垣展望台まで3分の表示。ここがすでに大石垣展望台といわれているところのような気がする。
ほぼ南側眼下にある老蘇の森(おいそのもり)を見下ろす。老蘇の森の中には奥石(おいそ)神社がある。奥石神社の本殿は,本天正9年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて造営。
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12/31 12:34
ほぼ南側眼下にある老蘇の森(おいそのもり)を見下ろす。老蘇の森の中には奥石(おいそ)神社がある。奥石神社の本殿は,本天正9年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて造営。
観音寺城の幟
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12/31 12:34
観音寺城の幟
観音寺城の幟
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12/31 12:34
観音寺城の幟
大石垣付近の山の斜面
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12/31 12:38
大石垣付近の山の斜面
観音寺城の幟
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12/31 12:39
観音寺城の幟
大石垣
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12/31 12:40
大石垣
大石垣
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12/31 12:40
大石垣
大石垣
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12/31 12:41
大石垣
大石垣
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12/31 12:41
大石垣
足元にテントウムシ(天道虫)。ナナホシテントウ(七星瓢虫,七星天道)。
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12/31 12:44
足元にテントウムシ(天道虫)。ナナホシテントウ(七星瓢虫,七星天道)。
大石垣
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12/31 12:45
大石垣
大石垣
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12/31 12:46
大石垣
大石垣。ここから平地へ下りてゆく道をさがすが,尾根地形上を下りてゆく道は踏み跡が細い。周りを行ったり来たりしたが,結局はもときた女郎岩にいったん戻ることにした。
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12/31 12:47
大石垣。ここから平地へ下りてゆく道をさがすが,尾根地形上を下りてゆく道は踏み跡が細い。周りを行ったり来たりしたが,結局はもときた女郎岩にいったん戻ることにした。
女郎岩のあたりから下りてゆく道を見つけ,急な斜面を下りてゆく。
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12/31 12:50
女郎岩のあたりから下りてゆく道を見つけ,急な斜面を下りてゆく。
「木村邸・埋み門まで3分→,←大石垣まで3分」の表示
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12/31 12:51
「木村邸・埋み門まで3分→,←大石垣まで3分」の表示
我々は,木村邸・埋み門の方から下りて来た。ここから大石垣の下へも行くことができるようだ。そのまま下山を続行。
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12/31 12:51
我々は,木村邸・埋み門の方から下りて来た。ここから大石垣の下へも行くことができるようだ。そのまま下山を続行。
冬に咲いているツツジ
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12/31 12:55
冬に咲いているツツジ
ツツジの花
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12/31 12:55
ツツジの花
ツツジの花
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12/31 12:56
ツツジの花
山道を下りてゆくと,舗装道路が見えてきた。観音正寺の表参道駐車場への道路のようだ。
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12/31 12:56
山道を下りてゆくと,舗装道路が見えてきた。観音正寺の表参道駐車場への道路のようだ。
舗装道路上に出た。
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12/31 12:58
舗装道路上に出た。
舗装道路にはここから下りて来た。
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12/31 12:58
舗装道路にはここから下りて来た。
山道から舗装道路に下りて来たところの幟。西国三十二番札所観音正寺のもの。ここから舗装道路を歩いて下りてゆく。
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12/31 12:59
山道から舗装道路に下りて来たところの幟。西国三十二番札所観音正寺のもの。ここから舗装道路を歩いて下りてゆく。
カラスタケだろうか。
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12/31 13:11
カラスタケだろうか。
コシダ(小羊歯)。ウラジロ科コシダ属のシダ植物。ウラジロに似ているが,葉が繰り返し二叉分枝する。
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12/31 13:12
コシダ(小羊歯)。ウラジロ科コシダ属のシダ植物。ウラジロに似ているが,葉が繰り返し二叉分枝する。
舗装道路をしばらく歩いてゆくと,表参道の料金所に来た。閉鎖されたゲートの脇を抜け,ゲートの外側に出た。観音正寺への表参道道路は冬期閉鎖のようだ。
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12/31 13:14
舗装道路をしばらく歩いてゆくと,表参道の料金所に来た。閉鎖されたゲートの脇を抜け,ゲートの外側に出た。観音正寺への表参道道路は冬期閉鎖のようだ。
冬期閉鎖された観音正寺への道路の料金所
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12/31 13:14
冬期閉鎖された観音正寺への道路の料金所
観音正寺表参道道路の料金所前。この道路は繖山(きぬがさやま)林道と呼ばれるようだ。
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12/31 13:15
観音正寺表参道道路の料金所前。この道路は繖山(きぬがさやま)林道と呼ばれるようだ。
観音正寺の表参道道路の料金所前から右に進路をとる。左にも行けるが,次の目的地の安土城の方向である右方向へと進む。
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12/31 13:15
観音正寺の表参道道路の料金所前から右に進路をとる。左にも行けるが,次の目的地の安土城の方向である右方向へと進む。
安土城を目指して舗装道路を歩いてゆく。
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12/31 13:16
安土城を目指して舗装道路を歩いてゆく。
安土瓢箪山古墳前を通る。墳丘長134mの滋賀県最大規模の前方後円墳。古墳時代前期の4世紀中葉頃の築造と推定されている。かつては琵琶湖に突き出す半島上に古墳があったと考えられる。
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12/31 13:29
安土瓢箪山古墳前を通る。墳丘長134mの滋賀県最大規模の前方後円墳。古墳時代前期の4世紀中葉頃の築造と推定されている。かつては琵琶湖に突き出す半島上に古墳があったと考えられる。
観音寺城跡への往路で歩いてきた県道198号線に再び戻ってきた。198号線を渡ったところから繖山(観音寺山)をのぞむ。
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12/31 13:33
観音寺城跡への往路で歩いてきた県道198号線に再び戻ってきた。198号線を渡ったところから繖山(観音寺山)をのぞむ。
目指す安土山が左前方に見える。
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12/31 13:34
目指す安土山が左前方に見える。
クロガネモチ(黒鉄黐)の赤い実。クロガネモチはモチノキ科モチノキ属の常緑高木。あづちマリエート前。あづちマリエートは,総合体育館・多目的ホールを含む体育施設。
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12/31 13:37
クロガネモチ(黒鉄黐)の赤い実。クロガネモチはモチノキ科モチノキ属の常緑高木。あづちマリエート前。あづちマリエートは,総合体育館・多目的ホールを含む体育施設。
あづちマリエート前に植えられたクロガネモチ
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12/31 13:38
あづちマリエート前に植えられたクロガネモチ
クロガネモチ
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12/31 13:38
クロガネモチ
信長の館など,付近の施設はさすがに年末は休館のようだ。
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12/31 13:40
信長の館など,付近の施設はさすがに年末は休館のようだ。
信長の館の看板前を通過。信長の館の案内方向の先には,安土文芸セミナリヨ,安土城天主信長の館がある。
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12/31 13:40
信長の館の看板前を通過。信長の館の案内方向の先には,安土文芸セミナリヨ,安土城天主信長の館がある。
右手に安土城考古博物館が見える。
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12/31 13:40
右手に安土城考古博物館が見える。
安土城考古博物館
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12/31 13:40
安土城考古博物館
JR東海道本線の下をくぐって線路の北側へ。
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12/31 13:44
JR東海道本線の下をくぐって線路の北側へ。
繖山(観音寺山)を振り返る。
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12/31 13:45
繖山(観音寺山)を振り返る。
滋賀県道2号大津能登川長浜線に出た。県道2号線上に信長の館の案内板。県道2号線の向こう側が安土山。
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12/31 13:47
滋賀県道2号大津能登川長浜線に出た。県道2号線上に信長の館の案内板。県道2号線の向こう側が安土山。
県道2号線上の安土城跡の案内板
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12/31 13:48
県道2号線上の安土城跡の案内板
県道2号線上の安土城跡の案内板
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12/31 13:49
県道2号線上の安土城跡の案内板
安土城の大手道入口付近のおみやげもの屋さんとトイレ
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12/31 13:53
安土城の大手道入口付近のおみやげもの屋さんとトイレ
安土城の南正面の大手道入口付近
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12/31 13:53
安土城の南正面の大手道入口付近
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12/31 13:54
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12/31 13:54
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12/31 13:55
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特別史跡安土城跡の説明板
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12/31 13:55
特別史跡安土城跡の説明板
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12/31 13:56
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12/31 13:58
安土城跡は国の特別施設であるため,トイレの施設はないとの通告。
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12/31 13:58
安土城跡は国の特別施設であるため,トイレの施設はないとの通告。
安土城の大手道入口。安土城跡の入場料(拝観料)は大人1人700円。
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12/31 13:58
安土城の大手道入口。安土城跡の入場料(拝観料)は大人1人700円。
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12/31 14:00
織田信長と安土城年表。1576年(天正4年),信長は総普請奉行に丹羽長秀を据えて安土築城を命じる。1579年完成した天主に信長が移り住む。1582年6月15日,明智光秀により安土城焼失。
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12/31 14:00
織田信長と安土城年表。1576年(天正4年),信長は総普請奉行に丹羽長秀を据えて安土築城を命じる。1579年完成した天主に信長が移り住む。1582年6月15日,明智光秀により安土城焼失。
「頂上天主跡?畫 登り石段
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12/31 14:00
「頂上天主跡?畫 登り石段
大手道の石段
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12/31 14:00
大手道の石段
安土城跡の大手道入り口の料金所の建物に掲示されている戦国武将漫像図
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12/31 14:00
安土城跡の大手道入り口の料金所の建物に掲示されている戦国武将漫像図
大手道の石段を登り始めてすぐ左に「伝 羽柴秀吉邸跡」の石柱
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12/31 14:02
大手道の石段を登り始めてすぐ左に「伝 羽柴秀吉邸跡」の石柱
「大手道跡の石仏」の説明板。安土城では石仏が築城の際に大手道の石材として使われた。石段の石材として埋め込まれている。
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12/31 14:02
「大手道跡の石仏」の説明板。安土城では石仏が築城の際に大手道の石材として使われた。石段の石材として埋め込まれている。
石段の石材として埋め込まれている石仏。言われてみないと気付かない。
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12/31 14:03
石段の石材として埋め込まれている石仏。言われてみないと気付かない。
石段に石材として埋め込まれた石仏と、その説明板。
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12/31 14:03
石段に石材として埋め込まれた石仏と、その説明板。
安土城大手道の石段
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12/31 14:03
安土城大手道の石段
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12/31 14:03
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12/31 14:03
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12/31 14:04
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12/31 14:04
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12/31 14:07
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12/31 14:07
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12/31 14:08
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12/31 14:09
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12/31 14:09
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「右 天主,本丸跡」
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12/31 14:11
「右 天主,本丸跡」
石段の中に石仏。築城の際に,墓石や石仏も使われたようだ。石仏は本来は信仰の対象ではあるが,築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している
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12/31 14:12
石段の中に石仏。築城の際に,墓石や石仏も使われたようだ。石仏は本来は信仰の対象ではあるが,築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している
石段に使われている石仏。教えられないと気付かない。
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12/31 14:12
石段に使われている石仏。教えられないと気付かない。
大手道の石段の坂
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12/31 14:12
大手道の石段の坂
石段に使われている石仏
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12/31 14:13
石段に使われている石仏
石段に使われている石仏
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12/31 14:13
石段に使われている石仏
石段に使われている石仏
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12/31 14:13
石段に使われている石仏
たくさんの石仏が石段に使われている。
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12/31 14:14
たくさんの石仏が石段に使われている。
「傳 武井夕庵邸址」の石柱。武井夕庵は信長の右筆として活躍した武将。信長の右筆としては、他にも、明院良政、楠正虎、松井友閑、太田牛一などが知られているようだ。
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12/31 14:14
「傳 武井夕庵邸址」の石柱。武井夕庵は信長の右筆として活躍した武将。信長の右筆としては、他にも、明院良政、楠正虎、松井友閑、太田牛一などが知られているようだ。
武井夕庵邸跡。敷地内には井戸の跡もあるという。武井夕庵の屋敷跡は、安土城の本丸から、森成利(森蘭丸)、津田信澄、織田信忠の屋敷跡に次いで近い場所にあった。
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12/31 14:15
武井夕庵邸跡。敷地内には井戸の跡もあるという。武井夕庵の屋敷跡は、安土城の本丸から、森成利(森蘭丸)、津田信澄、織田信忠の屋敷跡に次いで近い場所にあった。
武井夕庵邸跡を登ったところに直進が帰路、右折が天主閣跡の案内あり。まずは天主跡へ。帰りはここから直進する方向で安土山を下りた。
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12/31 14:16
武井夕庵邸跡を登ったところに直進が帰路、右折が天主閣跡の案内あり。まずは天主跡へ。帰りはここから直進する方向で安土山を下りた。
「傳 織田信忠邸址」の石柱の脇を通る。
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12/31 14:17
「傳 織田信忠邸址」の石柱の脇を通る。
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12/31 14:17
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12/31 14:17
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12/31 14:17
森蘭丸邸址、織田信澄邸址の石柱。信澄は信長の甥にあたる。信長の嫡男の信忠とは同年代であったと考えられている。
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12/31 14:19
森蘭丸邸址、織田信澄邸址の石柱。信澄は信長の甥にあたる。信長の嫡男の信忠とは同年代であったと考えられている。
黒金門址。黒金門付近の石垣には、安土城の中でも大きな石が使われていると言われる。黒金門のあるところは、枡形虎口になっている。
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12/31 14:20
黒金門址。黒金門付近の石垣には、安土城の中でも大きな石が使われていると言われる。黒金門のあるところは、枡形虎口になっている。
「黒金門」の説明板。黒金門から安土城主郭部に入る。説明板には安土城主郭部平面図が描かれている。主郭部には、天主跡、本丸跡、二の丸跡などが含まれる。
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12/31 14:21
「黒金門」の説明板。黒金門から安土城主郭部に入る。説明板には安土城主郭部平面図が描かれている。主郭部には、天主跡、本丸跡、二の丸跡などが含まれる。
二の丸の下あたりに仏足石が置かれている。この仏足石は築城当時は石材として石垣に使われていたものが、昭和の初期、この付近の崩れた石垣の中から発見されたという。
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12/31 14:22
二の丸の下あたりに仏足石が置かれている。この仏足石は築城当時は石材として石垣に使われていたものが、昭和の初期、この付近の崩れた石垣の中から発見されたという。
仏足石。仏足跡は釈迦の足跡を表現したもので、古代インドでは仏像の出現以前から崇拝の対象であった。日本では奈良の薬師寺のものが現存する最古(奈良時代、国宝)のものとして有名。
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12/31 14:23
仏足石。仏足跡は釈迦の足跡を表現したもので、古代インドでは仏像の出現以前から崇拝の対象であった。日本では奈良の薬師寺のものが現存する最古(奈良時代、国宝)のものとして有名。
「二の丸阯」の石柱
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12/31 14:24
「二の丸阯」の石柱
「織田信長公本廟」の石柱
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12/31 14:24
「織田信長公本廟」の石柱
安土城二の丸跡の織田信長本廟。1583年(天正11年)2月に羽柴秀吉によって建立。信長の太刀や烏帽子。直垂(ひたたれ)などの遺品を埋葬したとされる。
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12/31 14:25
安土城二の丸跡の織田信長本廟。1583年(天正11年)2月に羽柴秀吉によって建立。信長の太刀や烏帽子。直垂(ひたたれ)などの遺品を埋葬したとされる。
二の丸跡の織田信長本廟
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12/31 14:25
二の丸跡の織田信長本廟
二の丸跡の織田信長本廟
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12/31 14:25
二の丸跡の織田信長本廟
二の丸跡の織田信長本廟
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12/31 14:26
二の丸跡の織田信長本廟
二の丸跡の織田信長本廟前に絵馬が掛けられている。
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12/31 14:26
二の丸跡の織田信長本廟前に絵馬が掛けられている。
二の丸跡を後にする。「二の丸阯」の石柱の裏側には「滋賀縣」,側面には「昭和六年六月建設」と彫られている。
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12/31 14:27
二の丸跡を後にする。「二の丸阯」の石柱の裏側には「滋賀縣」,側面には「昭和六年六月建設」と彫られている。
「本丸跡」の説明板。太田牛一の『信長公記』の記載には、本丸御殿には天皇を招き入れる「御幸の間」があったという。本丸御殿は、京都御所内の清涼殿と酷似した構造であることも判明。
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12/31 14:29
「本丸跡」の説明板。太田牛一の『信長公記』の記載には、本丸御殿には天皇を招き入れる「御幸の間」があったという。本丸御殿は、京都御所内の清涼殿と酷似した構造であることも判明。
本丸跡の奥から天主台へのぼるための石段。本丸御殿があったとされる平坦地は千畳敷と呼ばれている。
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12/31 14:29
本丸跡の奥から天主台へのぼるための石段。本丸御殿があったとされる平坦地は千畳敷と呼ばれている。
「安土城跡は、国の特別史跡です。無断で石・瓦等を持ち帰ると、文化財保護法により罰せられます。 捴見寺 滋賀県」
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12/31 14:30
「安土城跡は、国の特別史跡です。無断で石・瓦等を持ち帰ると、文化財保護法により罰せられます。 捴見寺 滋賀県」
本丸跡から天主台跡へ
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12/31 14:30
本丸跡から天主台跡へ
「天守閣址」の石柱を見ながら最後の石段を登る。
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12/31 14:31
「天守閣址」の石柱を見ながら最後の石段を登る。
「天守閣址」の石柱
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12/31 14:31
「天守閣址」の石柱
安土城の天主台跡。天主台跡は、石垣に囲まれた、東西南北それぞれ約28mの台地となっている。
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12/31 14:31
安土城の天主台跡。天主台跡は、石垣に囲まれた、東西南北それぞれ約28mの台地となっている。
安土城の天主台跡。礎石が1〜2mおきに礎石が並んでいる、この石垣に囲まれた窪地は、かつての穴蔵(天主の地階)にあたるという。
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12/31 14:31
安土城の天主台跡。礎石が1〜2mおきに礎石が並んでいる、この石垣に囲まれた窪地は、かつての穴蔵(天主の地階)にあたるという。
安土城の天主は、完成してからわずか3年後の1582年に焼失。安土城は地上6階、地下1階の高層の大建築であったとされる。天主台跡の標高は198m
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12/31 14:32
安土城の天主は、完成してからわずか3年後の1582年に焼失。安土城は地上6階、地下1階の高層の大建築であったとされる。天主台跡の標高は198m
安土城の天主台跡
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12/31 14:33
安土城の天主台跡
安土城天主台跡より虹が見えた。
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12/31 14:34
安土城天主台跡より虹が見えた。
安土城天主台跡よりのぞむ虹
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12/31 14:34
安土城天主台跡よりのぞむ虹
冬に咲くツツジ
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12/31 14:36
冬に咲くツツジ
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12/31 14:43
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12/31 14:44
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?絶見寺跡の説明板
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12/31 14:46
?絶見寺跡の説明板
?絶見寺本堂址
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12/31 14:46
?絶見寺本堂址
?絶見寺の三重塔(重要文化財)
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12/31 14:46
?絶見寺の三重塔(重要文化財)
?絶見寺の三重塔
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12/31 14:47
?絶見寺の三重塔
?絶見寺より西の湖を見下ろす。
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12/31 14:48
?絶見寺より西の湖を見下ろす。
?絶見寺の三重塔
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?絶見寺の三重塔
?絶見寺の三重塔
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12/31 14:48
?絶見寺の三重塔
?絶見寺二王門。我々は門の裏側から石段を下りて来た。
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?絶見寺二王門。我々は門の裏側から石段を下りて来た。
?絶見寺二王門の説明板
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12/31 14:51
?絶見寺二王門の説明板
二王門の金剛力士像。向かって右側の阿形の金剛力士。
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二王門の金剛力士像。向かって右側の阿形の金剛力士。
二王門の金剛力士像。向かって左側の吽形の金剛力士。
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二王門の金剛力士像。向かって左側の吽形の金剛力士。
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安土城を後にし、安土駅に向かう。安土城を出てほどなく水路を渡る。
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12/31 15:07
安土城を後にし、安土駅に向かう。安土城を出てほどなく水路を渡る。
安土駅の北口に戻ってきた。
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12/31 15:22
安土駅の北口に戻ってきた。
安土駅北口前の店舗
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12/31 15:22
安土駅北口前の店舗
安土駅北口の織田信長像
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安土駅北口の織田信長像
織田信長像
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12/31 15:23
織田信長像
安土駅の改札外にスタンプラリーのスタンプ台。「駅から始まる西国三十三所めぐりスタンプラリー 第三十二番札所 観音正寺」とある。
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安土駅の改札外にスタンプラリーのスタンプ台。「駅から始まる西国三十三所めぐりスタンプラリー 第三十二番札所 観音正寺」とある。
安土駅の北口から出て,線路沿いに左に行ったところ。居酒屋ほんち。
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安土駅の北口から出て,線路沿いに左に行ったところ。居酒屋ほんち。
居酒屋ぼんちの少し先。中なか。名物の鮒ずしがここで食べられるのだろうか。安土駅で時間があったので,駅の周りを少し探索とたところ。
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居酒屋ぼんちの少し先。中なか。名物の鮒ずしがここで食べられるのだろうか。安土駅で時間があったので,駅の周りを少し探索とたところ。
安土駅北口
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安土駅北口
安土駅前の「織田桜」
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安土駅前の「織田桜」
安土駅北口の「安土城下町観光マップ」
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安土駅北口の「安土城下町観光マップ」
安土駅北口
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安土駅北口
安土駅のプラットホームより,安土城郭資料館をのぞむ。安土駅から大阪方面行の列車に乗る。
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12/31 15:36
安土駅のプラットホームより,安土城郭資料館をのぞむ。安土駅から大阪方面行の列車に乗る。
大阪まで戻ってきて,どうとんぼり神座阪急三番街店でラーメンを食べることに。3人で入店。
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12/31 17:39
大阪まで戻ってきて,どうとんぼり神座阪急三番街店でラーメンを食べることに。3人で入店。
神座で,期間限定で復刻版チャーシューメンがあるよう。
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12/31 17:41
神座で,期間限定で復刻版チャーシューメンがあるよう。
私は復刻版チャーシューメンを注文
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12/31 17:41
私は復刻版チャーシューメンを注文
店内の「神座のこだわり」
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12/31 17:47
店内の「神座のこだわり」
復刻版チャーシューメン。神座のラーメンは,天理ラーメンに似ているが,天理ラーメンよりややスープが甘い感じ。
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12/31 17:49
復刻版チャーシューメン。神座のラーメンは,天理ラーメンに似ているが,天理ラーメンよりややスープが甘い感じ。
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