(過去レコ)天城山
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- GPS
- --:--
- 距離
- 26.8km
- 登り
- 1,642m
- 下り
- 1,630m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
午前6時半頃、水生地下BSの駐車場に着く。
ライト無しで道が見えるようになった6時40分にスタート。
3分ほどで国道から山道に入り、旧国道を横切って更に山道となり、7時05分に天城峠へ着く。
往路は上り御幸歩道、復路は下り御幸歩道を歩いて周回するつもりでいたが、往路(上り)の入口には『登山道が二か所で崩壊しています。登山者は下り御幸歩道を歩いてください』との看板があり、ロープを張ってあった。
ここまで来て引き返せというのか、との思いだった。
数兩僂發辰神磴涼罎法⊃真靴靴ぢ跡がロープをくぐって奥に続いていた。
やや大股で外足歩きであり、中高年の男性だろうかと思っていたが、一つ目の崖崩れ現場で追いついてみたら若い女性だった。
私より十数分早く駐車場を出たらしい。
駐車場には一台だけ山梨ナンバーの車があったが、その持ち主だと分かった。
「どちらまで行かれるんですか?」と聞くと、万次郎岳までという。
私も万次郎岳まで行く予定だったので、以後ずっと下山するまで一緒に歩くことになった。
色々話をしていると、私と同じ徳島出身、20代前半の◎藤▽子さんという方だった。
大学のワンゲル部では十勝連峰を縦走したという。
今夏、皇太子殿下が編笠山に登られた時には、アルバイトをしたことがあった青年小屋へ行ってお手伝いをし、殿下ともお話をされたという。
30キロものザックを背負って歩荷もしたというが、とてもそんな風には見えない華奢な身体つきで、しゃべり方もかわいい声でゆっくりと話す人だった。
崩落現場は二つ目も問題なく通過できた。
彼女の歩く速さが分からないので最初は先を歩いて貰ったが、私のペースよりかなり速く、汗をかくほどだった。
更に、私が後ろでは話の内容がよく聞き取れない(難聴)ので、途中からは私が前を歩くことが多くなった。
往路の万三郎岳には誰もいず、北側は樹林越しに富士山、南側は神津島が見えていた。
万次郎岳では大勢のパーティーが休んでいたので即引き返し、少し戻った好展望の岩場で食事をして休んだ。富士山は山頂部に雲が掛かり始めていた。
下山したのは午後4時半、八丁池の下の植林帯を歩いていたなら足元がよく見えない暗さだった。
彼女は地元の山岳会に所属し、ブログを書かれていた。
ブログの記録は会山行の時より単独行の時が多かった。
その後結婚されて南信へ転居され、新天地で新しいブログを書かれていた。
天城山から下山後、ブログやメールで山の素晴らしさを語り合うことはあったが、歳月の流れの中でいつしか遠い記憶の中の人となってしまった。
タカヤマさん、こんばんは。 コロナ騒ぎの直前に天城山に行くことが出来て、本当に良かった。 その天城山で、そんな出会いがあったのですね。 早く、山に戻りたいなぁ。
yasxyas さん、こんにちは
日程を見ていただければ分かりますが、2005年12月24日(土)の記録です。
日記のトップ画面に表示されますが、しばらくの間、すべての山行記録が新着順に表示されるそうです。
新着記録には過去の記録などと書いてあるもの、書いてないものがありますが、行った日にちを見れば過去の記録かどうか分かります。
古い記録ですので、行かれる時は最新の記録を参考になさってください。
新型コロナに気を付け、お元気でお過ごしください。
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