貝月山(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 525m
- 下り
- 526m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
平成15年の大型連休は晴天が続いていた。5月3日の憲法記念日に、気乗りのしない妻を温泉を餌にさそって出掛けた。国道303号線で久瀬村から坂内村に入り、揖斐高原を目指した。潰れて原っぱと化した揖斐高原カントリーを横目に見て、終点の「ふれあいの森」に着いた。「敷地内の施設は全て有料です」と書かれた公園の入り口は閉ざされたままで、入り口前の道路脇に駐車した。公園の中の道は丸太で階段が作られ、きれいに整備されていたが案内が全くなく、適当にバンガローの間を登っていった。10時40分、流れにかかる木製の立派な橋を渡り10分程歩くと、右手に古びた立て札があり「ワラビの坂」と読める。一応丸太で土留めした階段があるのでその中に入って行った。折れた木の枝で被われた道は人の通った気配がなく、両側から伸びた木の枝が行く手を阻む。どうみても人の通る道ではないが、階段状になっているところを見ると以前はちゃんとした道であったのだろう。道の真ん中にも木が生え茂り、からみ合う枝をほぐしながらしゃにむに登って行った。もう少しで山頂という時に、道は山肌をトラバースしながら下るようになり、眼下に林道が見え、どうもそこへ向かっているようだ。丸太はくずれ、相変わらず木が生い茂り、水が流れている道を若干不安を覚えながら下った。林道の向こうの山に登山道が見え、そこを下りてくる人の姿も見え、あれが貝月山への道なんだと思われた。もうすぐ林道に出る所では道がとぎれていたが、急斜面をお尻をつかって滑り降りやっとの事で林道に出る事が出来た。丁度1時間、今は使われていない、いにしえの遊歩道を悪戦苦闘してさまよい歩いた。「今通ってきた道は一体何のための道だったのか」、「入り口には通行不能の案内を出すべきだ」、「公園内は有料ならばもっと適切な案内を作るべきだ」とかぶつくさ云いながら林道を下った。右手に登り口があり、「〇〇坂」と判読不能な立て札に、落書きでしっかりと「貝月山」と書かれていた。落書きの方が余程適切である。しっかりした丸太の土留めの階段が続き、所々に「峠まで〇〇m」と書かれた標識が倒れている。案内本を見ると「ふれあいの森」からは直登と日越峠経由の二つのルートがあると記されており、今登っている道は日越峠経由の道であると理解した。同案内本には「道が右にトラバース気味になると意外に早く日越峠に出る」と記されているが、いつまで経っても峠に着かず「峠まで〇〇m」の標識が続く。ガレ気味の斜面があったりするがほとんどは階段状の道で変化に乏しい。峠で一服しようと考えながら登っていたが、いつまで経っても峠につかないのでとうとう丸太の階段に腰をおろして水分を補給した。さらに階段を登り尾根に出ると、アンテナが数本立つピークが見え、それに向かっての尾根歩きとなった。きっとあれが日越峠なのだろうと、最後の急登をハアハア云いながら、「峠まで100m」の標識に励まされピークに着いた。登山口から丁度1時間であった。そこには広場があり、木製の展望台やテーブル、イスが置かれ、「貝月山頂」と書かれた立て札が立っていた。どうもここが頂上らしく、そこにいた人に今登ってきた道が案内本にある峠経由の道であることを確認し、頂上に着いた喜びよりも「一体、峠はどこにあったのか」という怒りが込み上げ、再び不親切な案内に当り散らした。「峠まで〇〇m」の峠は貝月山の頂上を指していたようであるが、「頂上まで〇〇m」と記すのが普通である。ブツクサ気分に追い討ちをかけるように小さな蠅が群れをなし、昼飯を食べている間中まとわりついて来た。ただし、快晴のもとさえぎるものが無く、北東に白山、能合白山、北西に三国岳、南に伊吹山、360度の展望が得られ、次第に気分も回復した。13時10分、頂上を出発し、直登ルートを下って行った。最初は溝状の岩だらけの道であったがやがて丸太の土留めの階段となるが、真っ白なコブシの花が咲き乱れた中を下るのは登りと違って気分の良いものであった。14時5分、車にたどり着いた。帰りは日坂峠を超えて下り、途中「白龍の湯」につかって疲れをほぐした。
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