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記録ID: 2342960
全員に公開
ハイキング
霊仙・伊吹・藤原

松尾寺山と霊仙山 霊仙曼荼羅と片栗 懐かしき鈴鹿の山と谷

2005年04月09日(土) [日帰り]
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GPS
--:--
距離
8.7km
登り
555m
下り
539m

コースタイム

日帰り
山行
5:55
休憩
0:00
合計
5:55
9:40
110
下丹生 坂口橋
11:30
0:00
35
12:30
0:00
0
松尾寺跡
11:35
0:00
155
松尾寺霊仙三蔵堂
14:40
下丹生 坂口橋
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2005年04月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
コース状況/
危険箇所等
●2005年当時 特に問題なし
その他周辺情報 参考図書:
●西尾寿一著 ナカニシヤ出版 「鈴鹿の山と谷1」
●西尾寿一著 京都山の会出版社 「鈴鹿山地の雨乞」
●中島伸男著 「鈴鹿霊仙山の伝説と歴史」
●さんどう会編 サンライズ出版『霊仙三蔵と幻の霊山寺』
坂口橋にて下丹生集落と丹生川。ここから松尾寺山の坂口丁石巡りに入る。
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坂口橋にて下丹生集落と丹生川。ここから松尾寺山の坂口丁石巡りに入る。
<一丁石標・松尾寺山・坂口丁石参詣>丁石は上部三角のものが室町〜近世。方柱切石は近代。霊仙山山頂部には昔、霊山寺という大寺院があり阿弥陀如来や薬師如来などが祀られていたという伝承がある。
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<一丁石標・松尾寺山・坂口丁石参詣>丁石は上部三角のものが室町〜近世。方柱切石は近代。霊仙山山頂部には昔、霊山寺という大寺院があり阿弥陀如来や薬師如来などが祀られていたという伝承がある。
霊仙山前衛には阿弥陀ヶ峰、また最高点下には経塚山があり宗教的雰囲気を匂わせる。阿弥陀ヶ峰には「仏返山」の地元名称も。霊山寺にあった仏像は寺の衰退と共に付近の地区へ流転していった数々の物語もある。
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霊仙山前衛には阿弥陀ヶ峰、また最高点下には経塚山があり宗教的雰囲気を匂わせる。阿弥陀ヶ峰には「仏返山」の地元名称も。霊山寺にあった仏像は寺の衰退と共に付近の地区へ流転していった数々の物語もある。
<五丁>1441年文書「興福寺官務牒疏」に霊山寺の由緒・規模・概要が掲載。680年役行者修行、717年泰澄大師開基・仏像安置、769年宣教大師が7精舎建立、811年願安大師再興。さてその文書の真偽のほどは?
<五丁>1441年文書「興福寺官務牒疏」に霊山寺の由緒・規模・概要が掲載。680年役行者修行、717年泰澄大師開基・仏像安置、769年宣教大師が7精舎建立、811年願安大師再興。さてその文書の真偽のほどは?
規模は僧坊18、僧侶29、七箇所の別院(落合・河内・大杉・仏生寺・荘厳寺・男鬼・上丹生)残念ながら現在の霊仙山頂には寺跡など皆無だが、経塚山などの呼び名が残る。枝折などの発掘調査でも当該年代にあう遺物は見つからず。
規模は僧坊18、僧侶29、七箇所の別院(落合・河内・大杉・仏生寺・荘厳寺・男鬼・上丹生)残念ながら現在の霊仙山頂には寺跡など皆無だが、経塚山などの呼び名が残る。枝折などの発掘調査でも当該年代にあう遺物は見つからず。
<七丁>ではこの霊仙の展望がある松尾寺はどうか。三修上人弟子の松尾童子開基で830年代頃。「丹生」は辰砂「水銀」を意味して古代湖北豪族・息長氏支流・息長丹生真人との関連も示唆?枝折がその本拠地?
<七丁>ではこの霊仙の展望がある松尾寺はどうか。三修上人弟子の松尾童子開基で830年代頃。「丹生」は辰砂「水銀」を意味して古代湖北豪族・息長氏支流・息長丹生真人との関連も示唆?枝折がその本拠地?
<平林神社・善仁寺・下丹生古墳>下丹生集落後ろは向山。一番後ろの尾根は梓山(P497)。梓山西下は枝折集落。下丹生古墳は息長丹生真人の墓とされる。
<平林神社・善仁寺・下丹生古墳>下丹生集落後ろは向山。一番後ろの尾根は梓山(P497)。梓山西下は枝折集落。下丹生古墳は息長丹生真人の墓とされる。
<一本杉>「霊山寺之古図(16世紀後半)」が存在。そこには阿弥陀ヶ峰中心の描写で、霊山の峰々や仏跡が配置。しかし大規模な寺院の姿はどこにもない。
<一本杉>「霊山寺之古図(16世紀後半)」が存在。そこには阿弥陀ヶ峰中心の描写で、霊山の峰々や仏跡が配置。しかし大規模な寺院の姿はどこにもない。
絵図の中の特筆すべき地名には「阿弥陀ヶ峰」茗荷石・阿弥陀堂。「谷山谷」一瀧〜三瀧・白水瀧・仏共田。「経塚山」釈迦堂・御経坪・経池などがある。
絵図の中の特筆すべき地名には「阿弥陀ヶ峰」茗荷石・阿弥陀堂。「谷山谷」一瀧〜三瀧・白水瀧・仏共田。「経塚山」釈迦堂・御経坪・経池などがある。
<六地蔵>さて次は霊仙三蔵について。近江(息長氏)醒井や丹生出身とも阿波出身とも諸説あり、実際は明確な誕生・生育地は分からないらしい。「霊船」「霊宣」の名前も。金勝寺別院霊山寺で学んだとされるが・・。
<六地蔵>さて次は霊仙三蔵について。近江(息長氏)醒井や丹生出身とも阿波出身とも諸説あり、実際は明確な誕生・生育地は分からないらしい。「霊船」「霊宣」の名前も。金勝寺別院霊山寺で学んだとされるが・・。
やがて奈良興福寺でさらに修行、最澄や空海と共に遣唐使として中国に渡る。(803年)。4隻の舟で東シナ海を渡り、最澄・空海・霊仙らと遣唐大使らが乗った2隻だけが唐に上陸できた。当時、霊仙は45歳。
やがて奈良興福寺でさらに修行、最澄や空海と共に遣唐使として中国に渡る。(803年)。4隻の舟で東シナ海を渡り、最澄・空海・霊仙らと遣唐大使らが乗った2隻だけが唐に上陸できた。当時、霊仙は45歳。
長安で般若三蔵に師事して仏教の研究や翻訳(インドのサンスクリット語から中国語)に邁進(810年)。唐の皇帝より三蔵の称号を得た日本人でただ一人の高僧となる。
長安で般若三蔵に師事して仏教の研究や翻訳(インドのサンスクリット語から中国語)に邁進(810年)。唐の皇帝より三蔵の称号を得た日本人でただ一人の高僧となる。
やがて、最澄や空海は日本に帰国して日本仏教史に偉大な足跡を残した。しかし、霊仙は皇帝に重用され続けた。
やがて、最澄や空海は日本に帰国して日本仏教史に偉大な足跡を残した。しかし、霊仙は皇帝に重用され続けた。
中国での活躍を耳にした嵯峨天皇が、820年金子100両を贈る。霊仙三蔵は返礼に舎利一万粒と新訳経典を中国から献納。
中国での活躍を耳にした嵯峨天皇が、820年金子100両を贈る。霊仙三蔵は返礼に舎利一万粒と新訳経典を中国から献納。
彼が日本に送った舎利一万粒は日本の各地の寺院建築や仏教興隆に役立った。やがて、皇帝・憲宗は反仏教徒に暗殺され、彼も巻き込まれて五台山に逃れ、さらに仏教研究を続けたが、825〜828年周辺に亡くなった。
彼が日本に送った舎利一万粒は日本の各地の寺院建築や仏教興隆に役立った。やがて、皇帝・憲宗は反仏教徒に暗殺され、彼も巻き込まれて五台山に逃れ、さらに仏教研究を続けたが、825〜828年周辺に亡くなった。
現在でも中国・五台山金閣寺には霊仙三蔵の記録や石碑が残る。石碑には「日本国霊仙三蔵大師行迹碑」の文字が。三蔵の称号はもつ高僧は10人くらいしかいない。
現在でも中国・五台山金閣寺には霊仙三蔵の記録や石碑が残る。石碑には「日本国霊仙三蔵大師行迹碑」の文字が。三蔵の称号はもつ高僧は10人くらいしかいない。
さて「霊仙」の文字がこの霊仙山と一致するため、霊仙三蔵はこの近江の丹生・醒井出身ではないかという推測や仮定がなされ、ついには出身地ということになった。真偽のほどは・・。
さて「霊仙」の文字がこの霊仙山と一致するため、霊仙三蔵はこの近江の丹生・醒井出身ではないかという推測や仮定がなされ、ついには出身地ということになった。真偽のほどは・・。
鈴鹿最北の巨大な山「霊仙山」の名称や文字は明治16年以降に作られたもので、江戸期はこの山は「霊山」と呼ばれていたようだ。「霊山」つまり神聖視され崇拝の対象となる山。
鈴鹿最北の巨大な山「霊仙山」の名称や文字は明治16年以降に作られたもので、江戸期はこの山は「霊山」と呼ばれていたようだ。「霊山」つまり神聖視され崇拝の対象となる山。
日本には「霊山」と呼ばれる山があちこちにある。霊仙三蔵がどこの「霊山」と繋がりがあったのかどうかもわからないし、霊仙三蔵の「霊仙」の文字自体が山に関係するかどうかも不明。
日本には「霊山」と呼ばれる山があちこちにある。霊仙三蔵がどこの「霊山」と繋がりがあったのかどうかもわからないし、霊仙三蔵の「霊仙」の文字自体が山に関係するかどうかも不明。
鈴鹿ファンなら霊仙三蔵が醒井や丹生出身で息長氏の一員であって欲しいという願望や夢はあるのだが。。同時にまた、霊山寺の存在も歴史的事実であってもらいたいのだが・・。
鈴鹿ファンなら霊仙三蔵が醒井や丹生出身で息長氏の一員であって欲しいという願望や夢はあるのだが。。同時にまた、霊山寺の存在も歴史的事実であってもらいたいのだが・・。
北を見て。左端は醒井集落と名神高速。右の山は「醒ヶ井P327」
北を見て。左端は醒井集落と名神高速。右の山は「醒ヶ井P327」
南東を見て。右上が「阿弥陀ヶ峰P876」左中央が「小屋山P501」
南東を見て。右上が「阿弥陀ヶ峰P876」左中央が「小屋山P501」
西南を見て。地蔵峠から西坂山。琵琶湖が右に見える。
西南を見て。地蔵峠から西坂山。琵琶湖が右に見える。
松尾寺山山頂(P503)のすぐ北。夫婦杉
松尾寺山山頂(P503)のすぐ北。夫婦杉
夫婦杉の縁起書。
夫婦杉の縁起書。
蔵王権現の石祠 木立の中にある
蔵王権現の石祠 木立の中にある
南を見て霊仙山。その重なって下が阿弥陀ヶ峰。
南を見て霊仙山。その重なって下が阿弥陀ヶ峰。
地蔵峠。大日如来一本杉。北西下の中山道の番場宿に近い西坂集落からここへ簡単に登って来ることができる。
地蔵峠。大日如来一本杉。北西下の中山道の番場宿に近い西坂集落からここへ簡単に登って来ることができる。
地蔵峠の地蔵
地蔵峠石仏
立派な石積み。さぞかしの大寺だったのだろう。
立派な石積み。さぞかしの大寺だったのだろう。
この時点で残る建物と言えば、この寺門付近しかなかった。松尾寺旧本堂跡へ
この時点で残る建物と言えば、この寺門付近しかなかった。松尾寺旧本堂跡へ
階段を上る
詳しい説明がある。寺伝の中で霊仙三蔵が紹介されている。
詳しい説明がある。寺伝の中で霊仙三蔵が紹介されている。
石造九重塔。1270年の刻銘。鎌倉時代後期の特徴が明確。
石造九重塔。1270年の刻銘。鎌倉時代後期の特徴が明確。
石造九重塔。国の重要文化財。
石造九重塔。国の重要文化財。
清々しい顔をされた仏様
清々しい顔をされた仏様
宝篋印塔
地蔵峠南に松尾寺山砦跡がある。寺には浅井亮政や石田正継などの古文書残る。その力の大きさから、付近の戦国期の豪族などと交流があったもよう。信長の侵攻で本堂や宿坊など焼失。本尊は空中を飛び無事だった?
地蔵峠南に松尾寺山砦跡がある。寺には浅井亮政や石田正継などの古文書残る。その力の大きさから、付近の戦国期の豪族などと交流があったもよう。信長の侵攻で本堂や宿坊など焼失。本尊は空中を飛び無事だった?
江戸時代は彦根藩井伊家が庇護。本堂再建。約50の寺院が建ち並び松尾寺村を形成。村高は60石。お茶(松尾茶)が名産。江戸期半ばから衰退した?
江戸時代は彦根藩井伊家が庇護。本堂再建。約50の寺院が建ち並び松尾寺村を形成。村高は60石。お茶(松尾茶)が名産。江戸期半ばから衰退した?
霊仙三蔵関係伝承など。
霊仙三蔵関係伝承など。
<私見>霊仙曼荼羅。松尾寺の僧侶達はここから霊仙や阿弥陀ヶ峰を毎日眺め、霊仙の峰々に仏教曼荼羅を重ね合わせて祈りや修行をしていたのではないか?もちろん、実際に山に登って奥駈修行のようなこともしたのだろう。
<私見>霊仙曼荼羅。松尾寺の僧侶達はここから霊仙や阿弥陀ヶ峰を毎日眺め、霊仙の峰々に仏教曼荼羅を重ね合わせて祈りや修行をしていたのではないか?もちろん、実際に山に登って奥駈修行のようなこともしたのだろう。
醒井養鱒場近くの現在の松尾寺・霊仙三蔵本堂。本尊は十一面観世音菩薩と聖観世音菩薩『空中飛行観世音菩薩』『飛行観音』。観音像が雲の中から現れた?戦時中は特攻パイロットの後押しをした悲しい時代も。
醒井養鱒場近くの現在の松尾寺・霊仙三蔵本堂。本尊は十一面観世音菩薩と聖観世音菩薩『空中飛行観世音菩薩』『飛行観音』。観音像が雲の中から現れた?戦時中は特攻パイロットの後押しをした悲しい時代も。
イワナシ(岩梨)
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イワナシ(岩梨)
下丹生・平林神社奥の下丹生古墳
下丹生・平林神社奥の下丹生古墳
下丹生・平林神社奥の下丹生古墳。横穴内部も観察できる。
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下丹生・平林神社奥の下丹生古墳。横穴内部も観察できる。
下丹生古墳上より下丹生・松尾寺山方面を見る。
下丹生古墳上より下丹生・松尾寺山方面を見る。
歴史とロマンの世界から下丹生に戻る。
歴史とロマンの世界から下丹生に戻る。

感想

霊仙三蔵と霊山寺は最北の鈴鹿のロマン。身近にある里山・松尾寺山の自然と松尾寺の文化財を大切にしたい。尾根は南へ続き、八葉山や向山そして戦国期山城の鎌刃城跡から中山道番場へ周回できる。

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