古賀志山 ㉟ 古賀志の里 歳時記・日光修験三峰五禅頂の道の筆者と歩く
- GPS
- 07:50
- 距離
- 4.8km
- 登り
- 558m
- 下り
- 559m
コースタイム
宇都宮市営駐車場8:30―8:35林道分岐―8:40大日堂分岐―8:50風雷神社鳥居―9:10風雷神社の赤の鳥居―9:20風穴さま―9:40雷電さま―10:15尾根出合(天狗岩)―11:00北の峯―11:20 4等三角点峰―11:30尾根分岐―1:35岩窟無縫塔―12:10尾根分岐―12:30 4等三角点峰―13:45赤岩山―14:20大日窟―15:00荒沢の瀧―15:13動物の供養石碑―15:15鉱山跡―15:16弁天三社―15:18女瀧―15:33男瀧(不動岩ゲレンデ)―15:55古賀志湯場―16:20宇都宮市営駐車場
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
・駐車スペースは、1段目3台、2段目12台、3段目15台、約30台位駐車可。 ・マイクロバスも入る事ができます。 ・「市営駐車場」の表示柱があります。無料です。 ・トイレ、水場、登山ポストはありません。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・水場、登山ポストはありません。 |
写真
感想
今日は、阿部先生の取り計らいで「古賀志の里 歳時記・日光修験三峰五禅頂の道」の筆者の池田正夫先生と、小島先生、阿部先生、他2名、計4名で赤岩山周辺を歩いてきました。江戸時代の頃のお坊さんのお墓、そして大日堂、古賀志の三滝(荒沢の滝、女滝、男滝)、鉱山跡地、男滝神社、古賀志山の湯場周辺の歴史、云われ等について池田正夫先生から私達でも分かる様に説明いただき、また、一日お付き合いいただきありがとうございました。
★赤岩山(535m)
旧名は、西の鳥屋山。周辺には、上古賀志村の小字東稲荷、西稲荷、鏡沼、田中、西田中、土橋等の村民の信仰の名残りがある。通称風穴さま、雷電さまは、これらの村民たちの依代になっていた処である。また、通称稲荷山には「三峯山」、通称柴田山には、「愛宕山」の石の祠が祀られている。嘗て、上古賀志村は、日光神領に属していた関係で祭祀が別々に行われていた。赤岩山から派生する馬頭岩線には奇岩が多い。(池田正夫先生から)
★大日堂入口の所にある説明板より
大日堂の一の鳥居は寛政4(1792)年に建立されたもの、林道の大日堂入口を登ると江戸時代には、多くの信仰があったことを物語る「江戸市谷町」と刻まれた燈呂が奉納され、また、享保9(1724)年の地蔵尊も祀られています。岩を登ると大日屈があり、その中には大日様が祀られており、城山西小学校の孝子桜の伝説の中で孝行息子がお墓参りをしたいわれのあるところです。また、大日堂の東には荒沢の滝があり岩は鉄分が含まれ銅色をしている。
★古賀志山温泉(鉱泉)にある説明板より
古賀志山南登山口にあり平成16年度に湯殿山神社、御嶽山神社、古賀志山神社を勧請した場所の上にあります。古賀志湯場は当初明治18年頃に瀧神社の境内に氏子により湯場を設けたのが始まりでしたが、数年で廃したと伝えられています。その後明治32年に地元の柴田富三郎氏が荒沢から360m程の竹の桶で水を引いてきて2階造りの湯屋を建て、お湯を沸かして地域住民などを中心に利用されていましたが、明治43年に○○上の理由で営業をやめました。お湯には鉄分の含有量が多く、リュウマチや神経痛に効能がありました。現在当時の様子を物語るものとして、祠の後ろに湯場の○が石垣として残り柴田家には温泉神社の木のお札があります。
*説明板の古賀志山温泉は間違いで、古賀志山湯場が正しいそうです。(池田正夫先生より)
★地元の古賀志町自治会では、環境美化活動の一環として、子供達の奉仕精神の育成を目的に、年に一度自治会と城山西小学校の児童、保護者が参加して古賀志山清掃登山(林道のゴミ拾いや草刈り、不法投棄粗大ゴミの撤去活動)を実施されています。ゴミ一つない綺麗な古賀志山を歩いてきました。
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