鶏足寺見学の後 栃木百名山の石尊山と深高山
- GPS
- 04:13
- 距離
- 6.5km
- 登り
- 431m
- 下り
- 426m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
復路=叶花(かのうけ)集会所14:20ー14:35名草巨石群15:25ー16:20佐野市秋山町17:00ー19:00宇都宮 往路、復路合計距離200 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険な所はありません。ハイキングコースです。 |
写真
感想
小俣石尊山の梵天祭り 足利市重要文化財(民俗文化財)
この行事は、標高486mの石尊山に地元叶花の住民が、毎年8月14日の早暁梵箭と約15mの杉丸太を下の沢から一気に直線的に担ぎ上げ、それぞれを結び付けて組み立て日の出とともに山頂にうち立てる。山頂では予め炊いて担ぎ上げておいた赤飯とお酒が配られる。近在から老若男女が登拝してくる。やがてこの杉丸太の頂上に付けた梵箭を若者が登り競って名板、帝釈天、幣束を抜きとり、それぞれ家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を願って家に持ち帰えり飾るという祭りである。
足利市教育委員会
仏手山金剛王院 鶏足寺
大同4(809)年、東大寺の定恵上人が、世尊寺と言う寺を建てたのが、鶏足寺の始まりです。その後比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺城の拡大、整備されました。天慶2年平将門の乱、平定に際し常裕法印は秀郷の請いをうけ将門調状の修法を行いました。功により秀郷は将門を倒し、寺も鶏足寺に改められ、寺領を増やし、寺の基礎を不動のものとしました。鎌倉時代文永年間、下野薬師寺の慈猛(じゅみょう)上人をむかえ真言宗に変わり、慈猛流の全国総本山として、山内に24院、48僧房をもち全国に310余の末寺があったと伝えられています。室町時代、天文年間、兵火にかかり寺の堂字は消失し、古くからの什宝も多く、失われました。
足利市教育委員会
鶏足寺のサルスベリ4本 足利市重要文化財(天然記念物)
それぞれの目通りの太さ(胸高幹回り)1m以上あり、高さはいずれも8mを超える。花は紅色で7〜9月下旬ないし10月初旬まで咲いている。太さに多少の差はあるが、配置から見て同時期に植えられたものと考えられる。寺の記録には残されないが、樹齢は200〜300年のものと推定される。サルスベリは中国南部原産の樹木で寺院等に多く植えられている。別名百日紅と言われているように花期が長くおよそ3ヶ月に渡って花を咲かせる。市内では、他にも神社や公園などに良く植えられているが、これほど太いものがそろって健在しているのは珍しい。また太さが1mを超えるものは、今のところ見当たらない。4本そろって大切に残したいものである。
平成14年11月14日
足利市教育委員会
義倉跡(石尊山登山口の水田立て看板から)
三代目半兵衛が凶作や災害の時、玄米500俵を積村民を救済する。(江戸時代末期)
木村半兵衛 顕彰会
名草巨石群(佐野市)
名草巨石群は、厳島神社境内奥、弁天沢の中にあります。風粒の花崗岩が節理(割れやすい石)に添って、玉ねぎ状にあらわれ風化した結是中心部が糸状に残留して巨岩の累母した形となったものです。また、天然記念物に指定されており学術的にも方状節をもつ粗粒花崗岩に特有の風化現象を示す重要な資料であり、巨石群をつくるものとなった花崗岩体は、1.5kmの岩盤で、石英、斜長石、カリ長石、黒雲母などから成りたっています。
環境庁・栃木県
厳島神社境内からその奥にかけての一帯に、古生層粘板岩を貫いて出てきた花崗岩が並んでいます。花崗岩は非常に大きな塊であったが、方状の節理にそって玉ねぎ状に風化し、水に洗われた節理間の核心の部分が球状に残り巨岩を積み重ねた形になったものです。弁天沢の水底に金色に輝く小片が見られるが、これは花崗岩が風化してできた黒雲母です。この巨石群は、粗粒な花崗岩特有の風化状態を示す代表的なものとして昭和14年に国の天然記念物に指定されています。弁慶の手割石、お供石、太鼓石、石割楓、お船石等の名称で呼ばれています。
昭和58年1月
足利市教育委員会
名草の厳島神社境内からその奥にかけての一帯に花崗岩の巨大奇岩礫が並んでいます。花崗岩は非常に大きなかたまりであったが、節理(割れやすい石)にそって風化し、水に洗われてついにいくつかの大きい石のるいせきとなって残りました。名草の巨石群は、粗粒の花崗岩特有の風化状態を示す代表的なものとして、昭和14年に国の天然記念物に指定されている。
厳島神社
胎内くぐり
このお供いの石の下に洞穴があります。この洞穴をくぐり抜ける事を胎内くぐりと言います。そして胎内くぐりを致しますと、子供のない方は子宝に恵まれ、妊娠している方は、お産が軽くすむと言われております。どうぞお参りの後で胎内くぐりをして下さい。
厳島神社
弁慶の割石
弁慶がこの石の上に仁王立ちになり手にした錫杖 で「エイッ」とばかりについた所、さしものこの大石も弁慶の怪力によって見られる通り真二つに割れて現在の姿になったと伝えられております。
厳島神社
足利七福神 弁財天 名草弁天
名草弁天は弘仁年間(810〜824年)雲海上人(後の弘法大師)が水源 の守護として弁財天を祀ったのが始まりと伝えられている。白い大蛇の道案内により清水の流れる大きな岩の前に出た大師は岩の前に座り、経文を唱えて、弁財天を勧請し前に祠を建てられたという。元禄6(1693)年、全蔵院住職が領地検分の家老に弁財天宮の再建を願い出て、下附金3両でお船石上に石宮を建立したのが本宮である。明治の神仏分離令により厳島神社となった。天然記念物、名草の巨石に鎮座し多くの参拝者が訪れる。
足利市観光協会
上記は、立て看板から写したものです、写真から良く読み取れず誤字や文言等の誤りがあります。失礼します。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する