摩耶山≪関西百名山≫
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- GPS
- 06:44
- 距離
- 9.8km
- 登り
- 773m
- 下り
- 772m
コースタイム
- 山行
- 4:11
- 休憩
- 2:19
- 合計
- 6:30
天候 | 晴れ一時曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:灘丸山公園から神戸市バスでJR六甲道駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
山寺尾根、杣谷道はよく整備されている |
写真
感想
JR六甲道から神戸市バスに乗り摩耶ケーブル駅で降りた。多くのハイカーはそのままケーブル乗り場へと歩を進めたが、神戸の山端の坂道を下り灘丸山公園へ向けて歩き出した。灘丸山公園からは杣谷川の谷が狭まり直ぐに登山口となった。登山地図にある道とルートが変わり右岸をそのまま進んだ。先月間違って登ったケーブル虹駅東尾根の取付きを見送り、摩耶東谷を渡渉し暫く進むと杣谷道から山寺尾根が分岐した。
左に折れ山寺尾根に取付くと三本の送電線が上空を通り、よく整備された道が続いていた。途中展望の得られる箇所もなく、トレランの男性と一人出会っただけの静かな尾根だった。掬星台直下の鞍部で摩耶遺跡公園への道が左に分岐すると急斜面となって掬星台の東端に乗り上がった。ロープウェイやバスで来ることができる掬星台は多くの人で賑わい昼時とあって弁当を広げていた。展望台からは神戸市街地と六甲・ポートアイランドや神戸空港が一望できた。大阪のビル群も遠望でき、その向こうに生駒山が望めたが、紀泉山地の山は雲に覆われて見ることができなかった。
ゆっくり昼食を取って直ぐ西にある摩耶山に向かった。3三角点「摩耶山」(699m)の地点に大きな山頂標識があり此処を山頂と思いがちだが、少し西の方の702mの地点が山頂で「Mt. MAYA」の標識が掲げられていた。何度も前を通り一度行ってみたかった“オテル・ド・摩耶”に立寄り窓際の席で天空コーヒーを楽しんだ。今日は車道歩きで忉利天上寺の山門から入り天上寺の本堂前の舞台から明石海峡の景色を楽しんだ。裏山の摩耶別山(717m)に登ったが神戸市の水道施設があるだけで山頂標識もなかった。
東の尾根を下り鞍部からは車道に下りず小ピークの笹の繁茂する踏み跡を辿った。微かに踏み跡があり杣谷峠に達した。車道の峠にはトイレも設置され長峰山への登山道が始まっていた。杣谷峠は杣谷道(徳川道)が越えており登山道ながら石垣で固められた切通しとなっていた。石段の整備された道で「徳川道」と呼ばれるのは、慶応3年(1867)、兵庫開港にあたって開港場を縦断している西国街道で外国人と大名の接触事故を防止するため幕府がバイパス道を作ったが完成後1ヶ月で鳥羽伏見の戦いが発生、幕府は崩壊した。幕末の遺跡のように残った「西国往還付替道」は何時しか「徳川道」と呼ばれるようになった。
杣谷川は、奥深い処まで堰堤がいくつもあり、工事道路もないのにどうして建設したのだろうか苦労が偲ばれる。歴史ある徳川道も堰堤の建設により若干ルートが変わっているようだ。木ノ袋谷など枝沢を集めて水量が増し一寸した滝もあり渡渉を繰り返して下って行った。最後に右岸に渡ると草生した踏み跡となり一寸おかしいなと思っていると本道はは少し上にあり藪を分けて本道に出たところは山寺尾根との分岐点だった。灘丸山公園に戻ってくると16:33と薄暗くなり2分後に来るバスに乗って六甲道駅に戻った。
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