岩手山(2038,2m)
![情報量の目安: S](https://yamareco.org/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年09月の天気図 |
コース状況/ 危険箇所等 |
9/15(月)桑園6:42――7:26新千歳8:05―(JAL2900)―9:10仙台――仙台駅11:00―(都市間バス)―13:17盛岡――市内見学ーーホテルカリーナ(泊) 9/16(火)ホテルカリーナ5:30―(タクシー)―登山口(馬返し)6:30――11:30岩手山12:00――16:00登山口(焼走り)16:10―(タクシー)―18:50盛岡・ホテルカリーナ(泊) 9/17(水)ホテルカリーナ9:00―ー盛岡ーー平泉ーー毛越寺ーー中尊寺―ー高館義経堂ーー平泉ーー一ノ関ーー小牛田ーー仙台――仙台空港19:45―(JAL2919)―20:55新千歳21:16―(汽車)―21:55札幌22:05――22:07桑園 ホテルカリーナ 〒020-0022 盛岡市菜園2−6−1 TEL;019-624-1111 |
写真
感想
盛岡のホテルからはタクシーで馬返し登山口へ。広い駐車場には数台の車が停っていたが人影はない。キャンプ場で水を汲んだ。
樹林帯の中、しっとりした道が続いている。小さな特徴ある道標が立っている。
一息登った所で、道が平らで広くなっていて、同年輩の男性が休んでいた。この山には年に2〜3回登るが今年は初めてだという。
一緒に出発したが、彼はかなり健脚なので、僕はマイペースでゆっくり登ることにした。「 樋の渕」という標識があり、左側が崖で立派な杭にロープが張ってある。
木立の上に朝日を受けた岩手山の山頂がチラッと見えた。
2,5合目は新道、旧道の分岐点である。新道を行くことにした。
3合目を過ぎると樹高が低くなり、見晴らしが利くようになってきた。振り返ると
馬返し登山口や広い原っぱのような原野のような自衛隊の演習場が見え、その先・滝沢、盛岡方面は霞んでいた。
5合目・駒鳥清水という標識があった。水場らしいが、水は持っていたし、8合目まで行けば水場があるのだ。
辺りはハイマツや背の低い木で道は岩礫で斜面も急である。年配のソロの男性が追い越していった。若者が2人追いついて来た。
最前から目標にしていた大岩のところへ来た。高さ3mぐらいの白い岩である。
その左側は大きな崩落帯で崖になっている。
間もなく7合目についた。年配のカップル(Aさん)が休んでいた。右手に岩手山の山頂がゆったりと聳えていた。実はこれは外輪山の南側の斜面なのだが・・・
山頂を右手に裾の平坦な原っぱを進んで行くと8合目の小屋が見えてきた。
左手も山で、ここ不動平は広い意味での岩手山を東西に分けるコルである。
小屋は二階建てで大きく立派である。
小屋と山頂を入れて写真を撮ろうと思ったが前庭が狭くていい場所がなかった。
庭の隅に「御成清水」があり樋から綺麗な水が流れ出ていた。1年中こんこんと湧いているそうだ。こんな高い所に飲料水があるのは本当に助かる。
サラサラと清水湧きたり8合目 はい松の原小屋の庭先
水を補給して愈々山頂を目指す。原っぱの西端に不動平避難小屋が見えた。
山頂はゆったりと盛り上がった禿山である。
先ほど水を汲んだボトルを道端のハイマツの中にデポする。実はこのことがあとで取り返しのつかない判断ミスの原因になった。
Aさんたちが先に登っていった。砂礫の道を緩やかに登って行く。
山頂に着いたと思いきや、そこは外輪山の最低部だった。外輪山は雄大で直径約500m、その中に基部の直径約150mの中央火口丘・妙高岳が、丁度お椀の中に小さめのプリンが収まっているという感じである。中央火口丘の基部には白煙を上げている火口があった。里から見た限りでは想像もできない複雑な山頂である。
お椀は傾いていて最高地点・薬師岳までは外輪山を半周登らなければならない。
中央火口丘を右手に見ながらお椀の縁を緩やかに登って行く。
道端には地蔵さんが鎮座している。
左側に焼走りへ行く分岐点の標識があった。
山頂に着くとAさんが山頂標識の所で昼食中だった。
山頂からの眺めは雄大である。北側は大部分雲海に覆われている。南側は中央火口丘である。東側には外輪山が続いている。茶碗の縁がかけたように低くなっている。そこを点々と人が歩いている。
カルデラに巨大なプリン火口丘 北上平野遠くかすめり
Aさんに焼き走りコースの分岐点を確認した。
Aさん「焼き走りコースは長いですよ」と。
Aさんたちは外輪山を1周して不動平へ降りて行くそうだ。これが最もポピュラーなコースである。
不安だったが焼き走りコースを降ることにした。不動平を通らないので水が不足することが心配である。それでも焼き走り溶岩流を見たかったのだ。
山頂から少し下ってすぐ右に別れ、外輪山の北西側斜面を右に巻きながら下って行く。行く手下方に平笠不動の岩と避難小屋が見える
左手には西岩手山方面がガスで見え隠れしている。小さな池も見える。
平笠不動避難小屋の後ろには屏風のような大岩がある。
一休みして水分を補給する。覚悟はしていたが水は底をついてしまった。
ここからは周りの木々の丈が高くなり見晴らしは利かなくなった。
上坊コースとの分岐点で一休みしていると若いカップルが追い越して行った。
「焼き走りコースは長いですよ」といわれ覚悟はしていたが、水不足のせいもあり確かに長い。
やがてコマクサの群生地に来た。溶岩が砕けた砂礫地帯である。コマクサは養分が少なくて他の植物が育たない所でしか育たない。他の植物が生えると、生存競争に負けてしまうのだ。花の時期は過ぎていたが、あっちこっちに大小の株が散らばっている。密度は低いがスケールは大きい。
水分不足がこたえてきた。なけなしのリンゴは食べてしまった。
パンは水分を含んでいる筈だと思ってパンを食べてみるが焼け石に水である。
暫く下って行くと「第2噴火口跡」の看板があった。登山口まで3,1kmとある。
黒く、多孔質のゴツゴツした大岩があった。樹林の中に入って傾斜がきつくなり道も岩礫で歩き辛くなった。
若者が走って登って来た。どこかの大学陸上部の学生と思われる。腰に水筒をつけていた。
出来るだけ汗をかかないように省エネでゆっくり下って行く。喉の渇きは我慢するとしても一番心配なのは脱水症状になることである。
先ほどの若者が降りて来た。水を分けてもらいたかったが迷っている間に行ってしまった。彼だって貴重な水なのだ。でも余っているかもしれない。売ってもらうことにすれば言い出し易かっただろう。
何とか大事に至らないうちにあと700mとなった。タクシー会社に電話した。「もう出た」という返事だ。
そして右手に待望の焼走り溶岩流跡が広がっていた。これを観るために態々このコースを選んだのだ。
享保17年(1732年)中腹の小火口から流れ出し、延長約4km、幅は下流ほど広くなり最も広い所で約1kmである。黒っぽい多孔質のゴツゴツした岩礫の堆積である。
焼走り登山口に着いた。広い駐車場があり、タクシーが待っていた。すぐ乗り込んだ。自販機の所でポカリスエットを買った。
滝沢から汽車に乗れば安上がりだがそのままタクシーで盛岡のホテルに帰った。
すぐ風呂に入った。渇きは治まらない。冷たい牛乳が美味しかった。
そのうちに寒気がしてきた。ペットボトルにお湯を詰めて湯たんぽにして寝た。心配だったが翌朝の目覚めは特に異常はなかった。
そして札幌に帰ってからも特に異常はなかった。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する