≪過去レコ≫長男、小1で蟻の塔渡り(戸隠山)
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 921m
- 下り
- 926m
コースタイム
- 山行
- 11:00
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 11:50
メモが見つかったら、追記訂正しますが,…あるかな?
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
蟻の塔渡りを小学校1年生で!!はある意味無謀かもしれないが、 ザイルで確保している。3点支持ができるならば問題はなかった。 その後、二男、三男が小1の時はもちろんやってません。 |
写真
感想
1998年11月2日の山行。
この当時、私は某S高校の教員。3年の担任で、このS校時代は、毎日学級通信を発行していました。
そして、その学級通信に掲載した文章をアメブロに載せ、そして今回のヤマレコにもそのまま転記します。(2021年6月7日)
恐怖の蟻の塔渡り
1日の日曜日に買い物に行き、そこでふと子供用の軽登山靴のサイズが合ったので買ってしまったのだが、こうなれば明日山に行かないわけには行かない、と店で明日の山行が決まった。
家を出る直前まで、黒姫山か戸隠か決めあげていたが、戸隠のほうが大変なのは重々知ってはいたが、長男と二人きりで次男がいないのと(長男の小学校は休み、(二男の)幼稚園はそうでなかった)ちょっと恐怖を体験させてやろうと思い、戸隠に決める。
起きたのが遅くというか、自分は起きていたが子供を起こさなかったためか1時間予定より遅く家を出る。が、やはりこの1時間が大変なことになろうとは思いもしなかった。
奥社入り口を8時にスタートする。山時間では別に遅い時間ではないが、普通の観光タイムでは早いのか、店がようやく開く準備をしているところで、観光客も登山客もいなかった。朝の静けさの杉並木を、息子と二人で歩き出した。
父親に無理やり連れてこられたようなものなので、ちょっと不機嫌ではあったが、はしゃいでもいた。この先登りが大変なので、体力を温存するように息子に言う。
奥社に着き入山届を書くとともに、先行パーティがあるか調べると、3組5人がいるようだ。
いきなり急登であるが、先週に引き続きの登山と言うことと、子供のペースに合わせているので、こちらは快調な出足である。
50間長屋100間長屋と続き、鎖もぞくぞく登場してくる。最初恐がっていた息子だが、日頃のクライミングウォールのせいか岩登りも慣れて、楽しんでと言うかそんなに恐がってはいなかったように感じた。こんなところで恐がっていたのでは、この先最大の難所蟻の塔渡りがあるんだぞと言い聞かせる。
風の強まる音とともに、緊張が高まってくる。自分でさえ不安なのに、7歳の息子で本当に大丈夫だろうか、こんなことは無謀と思われても仕方ないのだろうかとも考えた。
50間長屋の所から、息子に万が一のことを考えてザイルを着けさせた。蟻の塔渡りの手前の胸突き岩で10mザイルを付け足すが、まだ短かったようである。自分の足場は悪いが、鎖の支点を取っているところで確保体制を取って、息子に合図を送る。待たされている息子は不安なのか、「お父さん、登っていい」と何度も聞いてくる。
「こっちで登っていいぞ、と言うまで待ってなさい」と言うが、それでもやはり聞き返してくる。
恐怖の蟻の塔渡り 戸隠縦走 Part2(学級通信に翌日記載したため)
奥社までの杉並木を歩いているとき、一人の人にすれ違ったとき、
「登山ですか」と聞かれた。
「え、そうです」と答えると、
「戸隠って、険しい山なんでしょ」と聞かれたので、
多分私が子供を連れていることに対して大丈夫なのか、そんな意味で聞いてきたのかと勘ぐり、
「ザイルで、子供を確保しますから・・」と、自信を持って答えた。
そう、一応自信はあったつもりである。しかしである、標高があがるにつれ、山が持つ一種独特の張り詰めた空気が漂うのである。なおかつ悪いことに風が強い。
蟻の塔渡りの手前で、2人組に先に行ってもらった。その差は広まるばかりだが、蟻の塔渡りの所で追いついたと言うか、順番待ち状態になった。
その2人も、なんか悲鳴じみたものを連発しながら、登っていた。
さあいよいよ私たち親子の順番である。
先の2人も
後ろの私たちを気にしているようだ。きっと、息子が登れるか心配なのだろう。
蟻の塔渡りとは、肩幅ぐらいのナイフエッジが40mほど続くだろうか。右も左も崖である。もし落ちるとしたら右側のほうがやや大丈夫かなと思わせるが、それでも落ちることは死を意味することは容易に想像できる。右側にエスケープルートでそのナイフエッジから5mほど下のところに鎖があるのだが、崖の崩壊にて使用しないでくださいと注意があった。(今はありません、確か)
さて、気合を入れて私が先に登る。用意したザイルの長さでは足りないので、このナイフエッジの途中で足場は悪いが息子に後ろ向きのまま確保体制をとり、合図を送る。十分時間をかけていいので、
「ゆっくりゆっくりこいよ」「四つんばいできなさーい」「いいぞ」と励ました。
こういう所で、その高度感で足がすくんで動けなくなる人もいるのだが、息子にそんな心配は無用で、危ないところは早く去ろう、そんな意識が働いていることを感じた。
蟻の塔渡りの最後には、幅が20cmくらいの通称剣の刃渡りがある。ここは、どう考えても歩くことは不可能で馬乗りの格好で行くしかないのだが、悪いことに多少のアップダウンがあるのである。後ろ向きで下りるが、途中で向きを変えないといけないのが辛い。何とか最大の難所を超えた。
一息である。もう頂上は目の前。最後チムニー(凹状のことで、チムニーとは煙突の意味)の登り(右上写真 写真は↓ )は、ここまで登って来た者にはた易いもの。
母に握ってもらったおにぎりを食べる。こういう苦労して登りついた山は格別な気持ちがするものである。おにぎりもいつもと変わらぬ味であるのだが、非常に美味しいのだ。
2年前飯綱山に行ったとき、ゆで卵を食べた印象が強かったのか、ゆで卵はと聞いてくる。3個あったので、息子が2個食べた。(実は私はあんまり好きでないが、内緒)
下りは登り以上に時間がかかるので、食べ終わると出かけることにした。 …・続く
早起きは三文の得 戸隠縦走 Part 3
八方睨みに牧場まで150分の標識があった。
勿論これは大人の休憩を含まない平均時間だから、子供を連れた場合これより多くかかることは計算済みだった。
4時間くらいで牧場に到着するだろうと言うのが父親の読みで、あせる訳ではないがのんびりともできない。
ラーメンを作る用意(コンロやコッフェル)があるのだが、牧場に早く着いたらそこで作ろうと思い、まずは無事安全なところにつくことが目標なので、昼食が終わり次第牧場に向かった。
しばらくは標高差50mくらいのアップダウンで、体調もよく歩いていた。時折右側の崖すれすれに道がついているので、うっかり踏み外すと死を意味する。
下りにかかると、足の短さゆえに大人には何でも無いような段差が用意に降りられないので、そのたびに一旦立ち止まり、手をつくか腰をかがめて降りていく。
この辺では、
「いいよ。時間はかかってもいいから、ゆっくり早く。Slowly and Steady 」と英語教育も交えながら励ましていた。これが最後の登りだよ、といいつつもちょっとした登りが続き、なかなか最低鞍部の一不動に着かなくてちょっと不安になってきた。
一不動の非難小屋が見え、もうこれで登ることは無いよ、と言い聞かせながら時計を見ると3時20分だ。
小屋に着いたら休憩と考えていたが、もうのんびり休憩している場合でない。幸い息子の体力はまだまだ大丈夫の様子なので、すぐに道を右に折れ曲がり牧場への沢筋の道へ入る。
1時間くらいで牧場に着くだろうと思っていたが、同時に高校時代友人と二人でこの戸隠から西岳への縦走で、下へついたら真っ暗という苦い経験がフラッシュバックしてくる。あの時も、上から見て1時間くらいでつくだろうの思いであったがが実際は全然そうでなかったのだ。
今回もそれと似たような様子になってきた。ゆっくりと降りていいよと言っていた父であるが、
「ちょっと急ごうか」とはっきり言ってちょっとあせりを感じてきた。
「大丈夫だ。今日は満月だから、日が沈んでも月の明かりで少しは楽だよ」と励ましながら、もう全く休憩を取らずにどんどん歩いていく。でもやっぱり、牧場に真っ暗になるのは間違いない。せめてヘッドライトを着ける位の暗さの前に、牧草地までには行きたかった。だから息子に手を貸したくなかったが、沢の渡渉でもたもたしている息子を抱えあげて進ませることにした。
牧場へはヘッドライトを着けて5時半に到着した。とある店の明かりが消え、
「帰ってきたんですね。先に下りてきた登山者から聞いて、
これから様子を見に(救助)向こうと思っていたところでした」
と店の主人に言われた。
「息子よ、山では早たち、早着きが原則なのだよ。朝1時間早かったらよかったでしょ。早起きは三文の得と言うんだよ」
それよりも何より無事下山できてよかった、よかった。
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