信越五岳トレイル110km・最後尾スタートから
- GPS
- 17:23
- 距離
- 88.2km
- 登り
- 3,778m
- 下り
- 3,382m
コースタイム
05:30 スタート
08:17 18.5km 1A(エイド1)
09:00 20.0km
09:30 23.9km 2A
10:53 30.0km
12:35 38.5km 3A
13:05 40.0km
14:55 50.0km
15:14 51.5km 4A(第一関門:15:30関門閉鎖)
16:45 60.0km
17:59`40(66.6km)5A(第2関門:18:00関門閉鎖・18:10関門出口閉鎖)
19:00 70.0km
80.0km不明
21:30 81.0km 6A
22:40 87.0km 7A
23:22 90.0km
23:45 92.3km 8A(第3関門:24:00関門閉鎖)
8Aは21:15で台風接近でレース続行は危険と判断され閉鎖されました。
ただし、第3関門閉鎖時間24:00までに到着した者に関しては、特別完走と認定。
天候 | 台風接近中・雨・晴れ・雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
スタート会場・宿泊地・ゴール会場・表彰式会場全て送迎付き。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
特になし |
写真
感想
40歳から登山をはじめ、42km・27kmのイベントハイキングへ参加。
ハーフマラソンをひょんな事から代走し、フルマラソンデビューへ。
昨年、ついにハセツネ30Kでトレイルレースデビュー。
地道なトレーニングが嫌いで、レース参加は単なるきっかけ作りでしかなかった。
昨年の7月、ハセツネ対策として、ついに奥多摩周遊99km(24時間以内)へ参加し、フルマラソンの距離を超えた。
日本山岳耐久レース・長谷川恒男カップ、登山家としてこのネームバリューは魅力的に聞こえた。
私はランナーではない!を代名詞に、山岳装備13kgで挑み完歩。
今年に入り、ハセツネ30K完走から、ハーフ自己ベスト96分に。
そして、人気の高い「信越五岳トレイル110km」に目標設定。
わずか8分で、参加締め切りという狭き関門。
走るのは遅いけど、クリックは早いんです^^エントリー完了。
信越対策で、2回目の奥多摩周遊99kmに18時間切りの設定をして、17時間で完走。
順調に思えた調整も、このレースで故障。
8月に職場から自宅までの52kmに挑むが、10kmも走らず膝に激痛が走る。
その後も、7kmと持たず膝が痛む。
両足の親指と小指の根元も、痛みが酷くなる一方だった。
特に左足の親指に関しては、異物がコリコリと動いていたので、薄利骨折とわかった。
ここ半年くらい、フォームが崩れている自覚はあったのだが矯正できず苦労していた結果、本番前の故障となってしまった。
前置きが長くなるのは、いつものスタイル。
そして、大会前日を迎えた。
モバゲーのランニングサークル「ランナーズ2008」メンバーが、ペーサー希望の名乗り。
友人ではあるが、走力が足らず、本人にも言った事ですが、正直ペーサーは必要ないと感じていた。
ペーサーとは、選手の補助をする役割を担い、選手と共に併走する。
トレイルレースでペーサーを取り入れているのは、日本ではこの信越五岳だけ。
第2関門66.6km以降、ゴールまで選手の装備を背負うことも許され、選手をゴールまで引っ張っていく。
大宮駅で合流し、偶然にもボランティア参加しているランナーズの友人とも新幹線の同じ車両だった。
エントリー受付と、開会セレモニーに参加。
石川選手や相馬選手というトップランナーに、握手をしてもらう。
前泊・後泊が前提で、宿に戻り準備に入る。
この宿が最悪で、エアコンが無い。
避暑地・スキー場ということもあるのだろうが、この日の長野は気温32℃。
斑尾高原も熱帯夜で、蒸し暑かった。
窓には網戸も無く、蚊が入り込み、寝不足で翌日を迎えた。
いつも以上に、丁寧にテーピングを施した。
ロードで10km持たない膝。
それでもどうにかゴールまでと、作戦を練る。
クッションの効いた、柔らかい緩やかな下りのみを断続的に走る。
とにかく、着地を丁寧に。
走れない以上、登り斜面はオールプッシュで稼ぐ。
この3点で、行けるところまで行こうと決断。
アートスポーツで貰った、試供品の魔法のクリームをふくらはぎと腰に塗る。
スタート前には、ボランティア参加の友人が針を施してくれた。
気力・体力は充分。
そして、参加したくても参加できなかった多くの人達。
能力の全てを持って、スタートを切った。
最後尾から、ゆっくりと歩いてスタート。
そして1Aの18.5km地点まで、最後尾のスイーパーと談笑していくのが、いつものスタイル。(笑)
スタートから2時間40分は経過、まだ先は長いが焦らない。
膝の痛みもなく、とりあえずは順調だ。
ここでスイーパーさんとも、お別れだ。
標高1000m地点から、斑尾山1381mまで一気に上がる。
道中、1人、また1人とパス。
歩いてきた割に、近いところに人がいるものだ。
気持ちの良い稜線、東に斑尾高原スキー場、西にタングラムスキーサーカスが見えていた。
雨が時折強くなるが、樹林帯では雨具は要らないほどだった。
下りに入り、駆け下りるランナーに抜き返されていく。
登りの速さを褒められて、ちょっと嬉しい。
それよりも、飛ばせる下りで走れないストレスがでかい。
2A(23.9km)に到着し、ボトルに水を補給。
コーラとムサシを一気に何杯も椀子ドリンク。
ちょっと一服と煙草を吸っているうちに、スイーパーの姿。
30km地点を通過し、時間は10:53。
スタートから5時間半か・・・だいぶ遅い。
できるだけクッションのある地面を選び、そろそろペースアップを試みる。
とにかく、登りは更に押せ押せだ。
雨が上がり、蒸し暑くなってきたのが辛い。
3A(38.5km)に到着したのは、12:30頃。(スタートから7時間)
道中、膝に違和感が・・・。
エイド以外の補給(売店・販売機)は禁止(失格)と説明されていたのにも関わらず、自動販売機で飲み物を購入する姿に唖然。
エイドは目の前だぞ?それに、目の前のスタッフは注意せず。
かぶり水で、腕や顔を洗ってさっぱり。
塩が吹いて、ザラザラだった。
ゴミを捨て、しっかりと補給。
特にトマトが最高に美味い。
ホッと河原で一服している時に、ガクッと膝が折れる。
!!!イタタタ!!!
針で刺すような、強烈な痛み。
悩んでもしかたがない、休んでいるうちにロキソニンを投入。
これでもう、ハセツネは出られなくなるだろうなぁ・・・と思った。
薬が効き始めるまで、意図的に休憩時間を長く取った。
ゴールデンを見つけ、犬と戯れる。
ここから、河川敷だ。
晴天になり、日差しが恨めしいほど暑い。
長袖にしてきて、よかった。
直射日光を浴びているうちは、ペースダウンを決めた。
同じ登山系ランナーさんと、山の話をしながら進んだ。
40km地点から、幸いに陽が陰った。
ロキソニンは上手く効き、レース続行を決めた。
それでも着地は丁寧に、痛みを感じない体で無茶をするほど怖いものはない。
山系ランナーははるか先へ、話し相手は女性ランナーになっていた。
仙台からきたという、Zさん。
登山はしないようだったが、色々と質問されて話しに事欠かなかった。
私設エイドでは「置いて行くよ〜」と言われたが、待ちに待った山岳エリア到来。
標高は700m台まで下がっているが、ここから1300mまで上がっていく。
登りに入り「下りで追いついてくださいよ〜」とガツガツ登りに入る。
黒姫高原に入ってからは、ペースの遅さに気付く。
丁寧に丁寧に、緩やかな部分は走って進んだ。
4A・第1関門到着、制限時間15分前。
ヤバイヤバイと思いつつ、関門はエイドの先だと言うのでビックリ。
先に関門通過してきて良いですか?と聞くと、OKだけどまだ時間あるよ?と。
長居するのもまずいし、ここはさっと進むかと補給しながら、救護所でアイスパックを貰い膝をアイシング。
関門7分前に、Zさん到着。
同じようなやり取りで、先に関門通過してきますと。
ここで、事件。
関門へ進むと、彼女が「戻れない」と困っていた。
スタッフから、関門通過後はエイドに戻れませんと。
下であった経緯を、自分も説明。
時間外ならともかく、スタッフの指示の上で彼女は行動をした。
スタッフのミスで、補給できず、1人の選手がこの先棄権するかもしれないのに。
「本部に確認します」と言うが、待てども待てども、回答はこず。
結局、Zさんは「もういいです、私行きます」と言い進み始めた。
あまりにも無慈悲だ・・・・。
大会要綱を後日確認したが、関門に対するその部分の明記はなかった。
アートスポーツの大会説明会にも参加したし、前日のコースガイダンスに説明会に参加したが、記憶が正しければ説明はなかった。
わかったことは、モンブランやヨーロッパのレース様式を取り入れており、同様にペーサーの導入等や様式も同じな感じ。
この信越五岳では、ポピュラーな様式であること。
しかし、今回は初出場の選手が非常に多いことは、大会サイドは充分把握していたことも、確認している。
少なくとも、ボランティアスタッフが、正確にルールを把握していないという事実はこの後もたくさんうかがい知れた。
非常に、残念な部分であった。
黒姫高原スノーパークのゲレンデを登りながら、この話の口火を切ったのが自分だっただけに、申し訳ない思いでいっぱいだった。
エイドから補給してきた塩飴や、取って置きの紀州南高梅をZさんに渡す。
水は充分あるというので、行動食を渡すことしかできなかった。
あのやり取りさえなかったら・・・申し訳ないと謝罪する。
第2関門までの15km頑張ろうと出発。
残る時間は2時間半だった。
黒姫高原スキー場さえ登りきってしまえば、10kmほど緩い下り。
まぁ、それは終わった今、地図で確認しているわけだが(笑)
「下りで、追いついてきてくださいよ」と、登り傾斜はとにかくガンガン早歩き。
60km地点を過ぎ、16:45。
残り6.6km、残り1時間15分。
平地ではない以上、安易な距離予測はできない。
これは、やばくないか?と思い、ゆるゆるとペースアップ。
ロキソニンはよく効いているが、故に慎重に優しく丁寧にを心がける。
痛みを感じないということが、本当に恐ろしい。
道中のスタッフからかかる声、6km・・・5km・・・と。
間に合うのか?
その頃、第2関門では「475」のゼッケンコールとペーサー準備の放送が掛かっていた。
ホワイトボードに「475」が書き込まれ、ペーサーUさんが悲痛の顔でそわそわしていたらしい。
選手コールから関門まで、トップランナーは30分もしないで駆け込んでくるという。
しかし、関門ギリギリになっている今。
殆どの選手は、1時間を超えて通過しているという経過。
自分の選手はまだか・・・と、ペーサー達は祈る思いで待っていた。
自然と回りのペーサー同士で、連帯感が生まれていたらしい。
自分のコールは、制限時間45分前。
スタッフを含め、認識としては「この選手は、恐らく間に合わないかもしれません」と言われていたらしい。
道中のエイド通過はメールで送っていたものの、この第2関門、実は圏外エリア。
それを思い出したのは、残り5km地点くらいだった。
道中、何人ものランナーをパスしていく。
「大丈夫、まだ間に合う。一緒に頑張ろう!」と声を掛ける。
足が攣るのか、マッサージ・ストレッチ・屈伸・地面を眺める人・・・。
声を掛け、肩を叩き、「さー行くぞ、ガンバ!ガンバ!!」と。
残り3kmの声、制限時間まで25分前。
km8分か・・・キツイなぁ・・・と若干のペースアップ。
3kmという距離も当てにするな。
間に合うかな?という考えを捨てろ。
間に合う、信じろ。
緩むな、焦るな、スパートはまだ先だ!と、覚悟を決めた。
フッ!フッ!と強く息を吐くことに集中。
時折、深く深呼吸し、呼吸を整えながら体の前傾角を強めた。
残り2kmの声、あと18分。
まだだ、まだ我慢。
足に負担を掛ける走り方だけは、絶対にしない。
前回の反省を生かし、痛み止めを走るための道具にしてはいけないと思った。
そのころペーサーUさん、待ちきれず残り300m地点まで移動し、スタッフと祈る思いでコースを見据えていたという。
急激に薄暗くなり、視界が狭くなっていく。
足を引きずる女性、足を止めて「大丈夫ですか?」と聞く。
「大丈夫です。かまわず、行って下さい」と顔を歪めていた。
人を引っ張っていく余裕は、もう自分にもない・・・。
声を掛けてきた人の姿も、後には殆ど見えなかった。
残り1kmの声、あと8分。
km8分なんて、ジョグなら緩々な速度だ。
だーかーら・・・そういう思考をやめろ!
1kmと思うな、2kmと思え。
膝よ、すまない、少しだけ頑張らせてくれ。
傾斜に合わせて、調整しながらスパート準備に入る。
薄暗い、関門は森の向こうなのか、見えない。
なんとなく、歓声が聞こえる。
あと、少し、頑張れ俺。
丘を乗り越え、下り斜面に入る。
関門らしき明かりが見えた。
残り500m程か、森の中へ突入し更にペースアップ。
一気に暗くなり、ヘッドライトが欲しい・・・足元が暗い。
「急げ!間に合うぞ」の声がいくつも聞こえていたような気がする。
道中、待機するペーサーやスタッフが、何人もいたような気がする。
「残り300〜!!」の声と、「キター、キター」の声。
色々な声が飛び交うが、視線は足元に集中。
気がつけば、後ろにペーサーUさん。
何か言っているが、涙声で何を言っているか判別不明だった。
「大丈夫かよ、足元気をつけろよ、転ぶなよ」と声を掛ける。
ゲートが見えた、「30秒前〜」が聞こえる。
森から飛び出してきた自分に、心地よい歓声が届く。
こたえる様に「ウッシャー!!!!!」と吼えた。
ゴールでもないのに、大きな歓声に応え、拳を振り上げゲート通過。
しかし、なにやら慌しい。
関門のセンサーは、エイドの外だという。
慌てて、外へ向かって走り始めるが「違う違う!」と「何?何?」と焦る。
ようは、第1関門と同じで、関門制限は主導でゲートにバリケードを作り、制限時間終了後、エイドの出口も制限時間から10分後に閉鎖されるという仕組みらしい。
ルールを把握していなため、翻弄される。
よく頑張ったと涙する人や、知らない人達に囲まれていた。
ルールを把握するまでに、2分ほどかかった。
あと8分以内に、ここから出なくてはいけない事に気付かされた。
やいのやいのと、色々と周りの人が急かす。
ええい!焦らすな。
8分あれば、充分だから、落ち着いてと声を掛けた。
水残量0、行動食0、まさに空っぽ。
とにかく食い物を!と。
ドロップバッグの中身は、事前に広げられていた。
とりあえず、レッドブル。
ゆっくり着替えたかったが、諦めて上だけ着替える。
夜間と雨のステージ備えて、かぶり水で上半身を洗い、モンベルのジオラインに着替えた。
Tシャツはいらん・・・ウィンドベスト追加。
行動食、岩下の新生姜・南高梅・ようかん・コーラ飴・アミノバイタル補給。
運ばれてくる食事を食べつつ、「もっとパスタと温かい物を」と頼む。
「もうパスタないって・・・・、じゃがいもしかない」
「じゃがいもは、いらないっす」
そんなやり取りの中、「残り3分です、選手の人はドロップバッグの整理を」とアナウンス。
殆ど炭水化物の補給が、できなかった。
そして、ここまで色々と世話をやいれくれた女性が「ドロップバッグはそのままでいいです。私やっておきます」と言ってくれた。
お陰で、ギリギリまで補給することができた。
身支度を済ませ、とりあえずセンサー通過。
外で、もう1度腰を下ろした。
1番世話を焼いてくれた女性、Uさんと仲良くなった人だという。
広島からきていたYさん、本当にありがとうございました。
落ち着いて、装備換装ができました。
そして、Yさん自身ペーサーで、自分の選手は間に合わなかったという。
水の補給を忘れ、残量0。
ハンドライト・予備電池を持たなかったが、失敗だったかなぁと思ったが、もうエイドに戻ることはできない。
幸いUさんが水をたっぷり持っていたので、分けてもらった。
腹がペコペコだったが、15km先のエイドまで我慢だ。
ヘッドライトを点灯し、6Aを目指し出発した。
1200m台まで下がった標高も、ここから1600m近くまで上がるステージ。
感触としては、足は充分残してあった。
幸いにも、夜になっても台風の影響が少ない。
数時間おきに千葉から届く、Kからの気象情報。
詳細な台風情報と、雨雲の推移情報。
感触としては、第3関門までは影響は少ないと判断できた。
黙々と足を運びながら、ペース配分と時間と距離を計算していく。
途中何度も思ったが、結構コース設定がえげつないなぁと。
66kmから80km地点近くまで、とにかく登る。
1回高度を下げて、6Aでは1200m。
第3関門以降、コース上最高標高の瑪瑙山1748mを駆け上がる。
そしてペーサーのUさん。
実は30km以上のトレイル経験なし。
夜間走行の、経験無し。
本来のペーサーとしての仕事は、特に期待していなかった。
レース当初から、1人でやり切りたい気持ちが少なからずあった。
Uさんの勢いと、面白い・・・という遊び心の産物だった。
故障前の作戦は、第2関門以降の残り44kmに対して、Uさんの44kmトレイルレースの設定で完走できるペースを作ること。
ならば、第2関門まで押すだけ押して、できるだけのマージンを稼ごうと思っていた。
結局故障してしまって、足は温存状態。
登りでアタックを掛けるしかなく、Uさんは必死に追走する形になった。
浮石・ぬかるみ・滑る木道に木の橋、注意箇所をUさんに指示しながら進む。
おおい、どっちがペーサーやねん!と談笑しながら気持ちは和んだ。
ただ、これが幸いすることになり、足元への集中力は1人より格段に上がった。
闇雲にペースアップすることもなく、手加減する形で登りを攻めていくが、足には充分な余力が残る。
何度か泥沼のような道や沢に足を滑らせるが、靴内部への水の浸入は防げていた。
今回のレースのために導入した、モントレイルのバッドロック。
防水フィルムのモノコック構造「アウトドライ」は、予想以上に機能した。
シルク混のインナー5本指ソックスと、ウールのランニング用ソックス。
濡れ感はまったくなく、靴の中はドライに保たれている快適さはストレスレスだった。
そうこうしているうちに、6Aに到着。
正直、設定ペースからかなり遅れ始めていた。
そして時間は21時30分。
第3関門制限時間まで、残り2時間半で11km。
7Aまでのコースをスタッフに聞けば、下り基調だという。(これが曲者だった)
脱線するが、7Aでも8Aまでのコースを聞いたら、ここから下り基調だと説明を受けた。
後日コース図をみると、6Aは標高1200mで7A・8A共に登り基調だった。
そういう風に説明してくださいと言われていると後に聞いたが、まったく理由のわからない対応だなぁと思う。
空腹を満たし、水分も補給。
そしてここで、7Aでボランティア参加しているCさんからメール。
台風接近に伴い、8A第3関門でレース打ち切りという。
スタッフに確認するが、知っている人と知らない人がいる。
後に聞いた話だが、エイドでのアナウンスは極力しないようにと通達があったとも聞いた。
下がるモチベーションと残り時間に、心が折れかけた。
俄然やる気を出したのが、ペーサーUさん。
瑪瑙山、登らなくていいんだ!となぜか元気。
0時の第3関門制限時間でに通過すれば、完走扱いだよ?と声が明るい。
(おおい・・・これ以上ペース上げられるですか?・・・間に合わんよ)
と考えたが、7AのCさんの所へは行きたいし、そうなると8Aまで行くか、7Aでリタイヤするかだ。
間に合わないから、リタイヤ?
それは駄目だろう・・・充分体力は残っている。
関門アウト以外、怪我をしたわけでもなくリタイヤは駄目だ。
結局8Aまでいくんだからさ、間に合った方がいいんじゃない?とUさんに言われ、ハッと我に返る。
だよな?(笑)
おーし、ペース上げるけど、ちゃんとついてこいよ!と熱血スイッチON。
間に合わせる、絶対にだ。
どこが下りなんだよー!と何回も毒づきながら、足元の安定する場所を選びジョグ開始。
結局下りらしいくだりもなく、7A到着は22時40分。
残り5.3kmで、1時間20分あった。
ここから下りだよー!なんて、言われてホッとしたかった。
が、第2関門同様、緩まない。
時間がないので、Cさんには軽く挨拶程度しかできないまま、温かいスープを飲んだだけで出発した。
だー!下りなんかないじゃん!!なんなんだよー。
下らない以上、安心できず押せ押せで進むしかない。
残り4km〜のスタッフの声。
3・・・2・・・1km・・・、残り30分。
終わるのか・・・そうか・・・終わるのか。
正直、8Aから瑪瑙山越えが3時間で、できただろうかと考える。
気象情報を考えれば、風雨に晒される可能性が高かった。
もし登山なら、ここは進まない判断をする場面。
18km、1700m越え、3時間・・・・うーん。
計算する部分では、厳しいと判断できる。
が、余力は充分確保できていた。
可能性は、充分ある。
ここまで頑張ったんだ、最後の瑪瑙山を死ぬ気で登る気力次第と思った。
あとは、ペーサーUさんが着いて来られるかだが・・・。
逆ペーサーだな(笑)
しかししかし、ペーサーの存在は実際大きかった。
第2関門を間に合わせる原動力になったし、ゴール達成はUさんの元気さに押された。
荷物を持つとか、選手をひっぱるとか、それだけじゃないんだなと思った。
普通逆なんだろうケド、「大丈夫か?」と何度もUさんに声を掛け。
他人を思いやる余裕を持つことができる、大切さ。
心技体、揃ってこそのスポーツだと言える。
体を鍛える前に、もっと鍛える場所がある。
凄い記録を出そうが、人の手を引けないやからはどうなのか?
それを強く思う大会となりました。
23時45分、第3関門制限15分前。
石川選手に出迎えられ、レースはここで終了した。
温かい戸隠そばをまっさきに食いに行くが、吐き気に襲われる始末。
体温が急激に下がる予感に、気合のおかわり。
ウィンドストッパーのアウターを羽織、ゴール地点への送迎バスを待つ。
ゴールへ到着すると、110kmを完走してきたランナーが、ひとり、またひとりと盛大に出迎えられゴールしてくる。
華やかで、顔が輝いている。
羨ましさと悔しさが一瞬湧き上がりそうになるが、いやいや・・・俺はこれでいい。
何もスピード競技の土俵に上がろうってんじゃないんだ、誰よりも楽しむ、これが1番なんだ。
楽しかった・・・本当に満喫した。
思い描くレースは、ほぼできた。
今日はできない、だが、明日ならできる。
それを、証明したいだけなんだ。
早く口直しに、次の登山に行きたいな・・・と切実に思った。
後日談だが、おおまかではあるが、10kmごとのタイムを見てにんまりする。
1:45・1:45・1:53・2;12・1:50・1:50・2:00・2:10:2:00と、ほぼ状況に左右されず一定のペースで進んでいた。
関門での補給時間を差し引けば、本当に一定ペースを維持できていた。
翌日、宿からバスに乗り込めば、なんとZさん。
どうやら同じ宿だったみたいだ。
ゴールできた報告と、第1関門での謝罪もできた。
ランナーズの若手も、表彰会場で第3関門完走と報告も聞けた。
広島のYさんは、台風を考え表彰式に出ず、長野駅に向かったとUさんから聞いた。
その後、なんと偶然にも・・・Yさんグループと自分のスナップショット画像がUさんに届いたと言う。
は?と思ったが、スタート直後、他人の集合写真に勝手に参加したグループが1組だけあったのだが、それがYさん達だったという。
Yさん自身、そんなことは忘れていたみたいだが、ふと思い出し撮影した友人に画像をもらい、確認してビックリしたらしい。
心情的に、次はいよいよ100マイル挑戦か?と思うところもあるのだが・・・。
故障もあるが、内部的な体の消耗が気がかり。
来月のハセツネは回避と思っていたけど、身体能力的なダメージはそれほど無かったのは幸い。
ファンランなら、あるいわ・・・と。
信越の山、なかなか良かったです。
今度はゆっくりと、登山で来たいものです。
激長文、最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
故障を乗り越えての完走(?)おめでとうございます♪
「走るのは遅いけど、クリックは早い」
ってところから見習いたいと思います
非常に長い距離、本当にお疲れ様でした!
来年は私も参加できるといいなあ、と思ってみたりしてます(^^)
LArcでございます。
読み応えがあってどんどん引き込まれ、一気に拝見しました。
第2関門手前での時間との戦い!
休憩中でも気が抜けず体は満身創痍。。。
それでも他の参加者やペーサーさんへの配慮も忘れない優しい心根に尊敬を覚えます。
ライバルは自分であると同時に、自身の気力で体調を支え、体力で距離を稼いで気力を補う、心と体を相互に補完し合う関係だったのかなと思えます。
いつもこういった心情を精緻に表現しているkameasiさんのレコ、これからも楽しみにしています。
クリックからレースは始まっていると言われる、いわゆる0関門。
レースは出なくたって、充分山ラーは楽しいんですけどね。
ただ、鍛えよう!と思うと、なかなかモチベーション維持できないですし。
まずは、クリックから(笑)
メジャー&ロングのトレイルレースは、参加資格を有する場合が多いので、レース概要は要チェック。
応援、いきますよー!
真摯なコメント、いつもありがとうです。
以前はモバゲーの日記で、もっとじっくりと詳細に、さらに長編で書いていたんですよぉ(笑)
陸上の競技の延長で、山を走る一部のトレイルランナーさんのあり方は、登山と山と自然が好きな自分達にとって異質な存在であり、歓迎できない部分は大きい。
それは、自分達登山をする者にも言えることですが、やはり山のマナーとルールは、守られるべき方向であって欲しいと願うばかりです。
トレイルレースの根源は、ウルトラライトの究極系であったはずですし、それを語るには、自ら手を染めなくては同じ土俵に立って話もできませんし。
また、なるほど・・・夢中になるのもわかるな!という面白さも実感できました。
文字で何かを表現することは、難しいことですが、これはこれで楽しい行為です。
自身の遊びを、満喫しています。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する