箱根旧街道と屏風山ハイキング
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- GPS
- 04:40
- 距離
- 6.7km
- 登り
- 377m
- 下り
- 375m
コースタイム
10:30 急登始まり⇒ 10:45 急登終り⇒ 10:50 要害山⇒
11:05 屏風山⇒ 11:50 国道1号線車道⇒ 11:55 甘酒茶屋 12:45⇒
13:00 箱根旧街道⇒ 13:40 お玉観音堂⇒ 13:45 権現坂⇒
13:50 杉並木(車道)⇒ 14:00 元箱根⇒ 14:10 杉並木旧街道⇒
14:30 箱根関所⇒ 14:40 箱根町バス停
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
運賃が割安になる往復乗車券(1780円)を利用しました |
コース状況/ 危険箇所等 |
箱根芦ノ湖海賊船乗り場近くの公衆トイレで用を済ましてから、国道1号線車道を北方向元箱根方面に進みました。 シェルガソリンスタンドの手前箱根関所入口前の民家の塀の脇から屏風山ハイキングコースに入りました。 少し登ると木の丸太の急勾配の階段になり、階段の高さもまちまちなので大変きつい登りになりました。 急勾配の登りは短時間で終わりやがて登山道は緩やかになり、要害山は標示が無く地図を開いて見てこの辺の高くなっている付近かと思うぐらいで確認はできませんでした。 屏風山山頂は展望が無い雑木林の中でした。 屏風山の表示板の付近が一番高い山頂なのか周囲には箱根笹が茂り、三角点の位置を確認しようとしましたが脇に入れずに確認できませんでした。 屏風山からは下り坂になり二子山が木々の間から見え、さらに高度を下げると国道1号線車道小田原側に出ました。 車道を2〜3分下がった所に茅葺屋根の甘酒茶屋がありました。 外のベンチをお借りして昼食その後甘酒茶屋店内に入り、名物の甘酒を呑み昔の旅人になった雰囲気をあじわいました。 甘酒茶屋裏の歩道を登り国道1号線車道を横断して石畳の箱根旧街道に入り白水坂天ヶ石坂を登り、展望台などに寄り道してお玉観音堂から権現坂を下がりました。 約395年前徳川幕府により造られたとされる杉並木現在は車道になっている部分を歩き元箱根朱色の大きな鳥居の横に出ました。 箱根芦ノ湖畔を少し歩き再び箱根旧街道杉並木を散策して、恩賜公園前を過ぎ箱根関所付近のみやげ物屋さんを覗き箱根町バス停に戻りました。 |
写真
須雲川上流沿いの絶壁を屏風に見立てて山名がつけられたと言われています山頂には小田原北条氏の砦跡が残っていると説明板に表示されていました
樹林に覆われ展望はありません
三角点と砦跡は確認できませんでした
当時箱根八里の間で13軒あったそうです現代まで残ったのはこの一軒だけになりました
12代目の山本達雄さん早朝7時から開店「たとえ一人でも数日に一度でも街道を行き交うお客さんのため温かい甘酒をもてなしてあげた」いと営業しているそうです
江戸時代から秘伝の米麹の発酵によって生じた自然の甘みだけで作られているそうです
飲んでみると砂糖や添加物を使用していないという甘酒の味はなんとなく違和感がありました
400円で現代に伝わる江戸時代の甘酒を味わいました
元禄15年(1702年)4月赤穂浪士ひとり神崎与五郎が江戸に向かう途中、通りかかたところ馬子の丑五郎に「馬に乗れ」と言いがかりをつけられたそうです
大石内蔵助の命を受けた討ち入り前の大事な時と怒りを抑え詫び状を書いたそうです
それでも足りないと息巻く丑五郎の股をもくぐらされたそうです
その後赤穂浪士の討ち入りがありその中に
神崎与五郎がいたことを知った馬子の丑五郎は己を恥じたそうです
文久3年(1863年)2月孝明天皇の妹和宮内親王が
14代将軍徳川家茂のもとに降嫁されるにあたり
文久2年に改修されたようです道幅約3.6mの中央部分に約1.8mの幅に石が敷き詰めてあります
ケンベルはオランダ通称使節の一員として元禄4年(1691年)と元禄5年に箱根を越え箱根の美しさを世界に紹介してくれました
C.M.バーニーは箱根に別荘を構えた英国貿易商です
たいしょう11ねんにケンベルの薯「日本誌」の序文を引用した自然を大切にするように碑を建てました
ふたりの功績を讃えた碑です
宇治川の先陣争いで名高い梶原景季(ふじわらかげすえ)はある年箱根を通りかかった時何者かに襲われました
当時弁舌巧みでたびたび人を陥れた平景時と間違えられ襲われたようです
幸いにも傍らにあった地蔵が身替わりになり命が助かりました
それ以来この地蔵を景季の身替わり地蔵と呼んでいるそうです(説明板より)
徳川幕府によって1618年箱根宿が造られたころ旅人に木陰を与えようと植えられたそうです
現在は国指定史跡として保護されています
芦ノ湖周辺の四つの場所に分かれ約420本が残されているようです
感想
登山愛好会の忘年山行です。
12月に入り良い天気が続いていたのに今日に限って曇り空、箱根に着くと駒ヶ岳はガスがかかり山頂は見えず富士山はもちろん見えないあいにくの天気になりました。
日頃の行いの悪さが出たのでしょうか気温も低く霧雨が降っている天候不良の日になりました。
いつもこのような山行時は弱音が出て予定変更ショートカット温泉へ直行などの意見が出て終いリーダー無視の烏合の衆になりかけてきます。
今日もその芽が出始めましたが計画書通り何とか修正一日を過ごす事が出来ました。
個人的には箱根旧街道杉並木を歩いてみたいと思っていました。
樹齢約300年以上の杉の巨木が並ぶ旧街道、江戸時代の旅人参勤交代の大名行列で賑わっていたと思われる街道を現代も観光に訪れた人達やハイカーが散策していました。
杉の巨木を見上げながらタイムスリップしたらどんな光景に出合えるのか想像も及ばずに現代の一人の旅人になり歩いて来ました。
石畳の旧街道にはかなり勾配がきつい坂があり、引き詰めた石の表面が滑り歩きにくく、昔のわらじなら滑らずに歩けたのか疑問に思いました。
武士などが馬に乗って登りは良くても下りは馬も足が滑り、乗馬しての通過は映画やテレビの時代劇のように行か無いように思いました。
駕籠屋さんもお客さんを乗せて通過するには困難だったと思います。
寒い中を歩行したので暖房が利いた帰りの三島行きのバスの中では、疲れが出たのか気持ち良く寝てしまいました。
駅前の大衆酒場で開いた忘年会では空いた腹に酒と料理がスームーズに入り酔いのまわりが速く感じました。
今年一年の山行の思い出や反省などを話て盛り上がれば格好良いと思いますが、現実は下世話な話で盛り上がる何時ものパターンでした。
口が滑らかになった時本音で山の話をしてみたい。
私どもはまだ未熟と経験不足の為にその域に達していないようです。
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