鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳 赤岩尾根より
- GPS
- 32:00
- 距離
- 21.7km
- 登り
- 2,399m
- 下り
- 2,397m
コースタイム
- 山行
- 4:30
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 5:25
- 山行
- 7:25
- 休憩
- 2:35
- 合計
- 10:00
登山後 大町温泉郷 薬師の湯へ
天候 | 曇り・雨・晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
問題ない |
その他周辺情報 | 大町温泉郷 薬師の湯(当時一人200円) |
写真
感想
(当時の家内の詳細な記録から抜粋)
1985年(昭和60年)8月13日(火)14日(水)
鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳 赤岩尾根より
西俣出合まで車で入るが、お盆中にゲートが閉められると工事中の方に聞き、大谷原へ戻り歩き始める。
2:10かかるはずの西俣出合まで40分で踏破。
ここからが北アルプス一の急登と言うことで気合いを入れるが、寝不足、日射しも暑くバテ気味になる。
徐々に足取り重くなり20分歩いては休む。
汗が滝のようになられた。
家内は調子が出てきたようだが、私は四畳半で等々ダウン。
20分ほど仮眠を取ることにした。
まずは高千穂平を目指すが、梯子が多く登りにくい。
しっかり梯子をつかみ這い上がる。
四畳半辺りよりは急でなくなり楽な感じがしてきた。
15:00 視界が開け高千穂平に着く。ほぼ予定通りではある。
赤岩尾根の名前通り、赤褐色の岩が多く見られるようになる。
安山岩らしく砂礫となっていて、長ザク尾根とも言われ石をザクザク踏み歩いた。
白樺平には白樺・岳樺が這うように繁り見られた。
そこは一歩踏み外せば、一気にしたまで落ちるしかないという危険箇所が多く、見上げると小屋が見られた。
16:25 乗越山荘に到着。
テント場はさらに上だがここで夕食を取ることにした。
ビールも飲み、雑炊を食べるなど人心地着いていると雨が降り出してくるではないか。
それも土砂降りになってきた。
テントは諦め小屋泊まりへと変更することにした。
一人3700円の素泊まり。
二階のまた二階、一番端っこの座っていても頭がつかえる場所だった。
ここは今でも記憶に鮮明に残っている。
そして眠ろうと横になるが、ラジオで衝撃的な日航機の墜落事故を知る。
外はまだ雨がザァーザァーと降り続いていた。
小屋にして良かったと思いつつ眠りについていた。
朝は人の声、物音で5時に目覚める。
日の出は5:10頃。窓から外を覗いてみる。
青天!オレンジ色の太陽が出たところだった。
荷物をまとめ朝食は立山方面を眺め食べようと出発。
大きな荷物は小屋に預けたので身軽に鹿島槍ヶ岳を目指す。
歩き始めてしばらくすると親子の雷鳥に遭遇。
二羽のの子供は柔らかそうな羽をしていたがだいぶ大きくしっかりと歩いていた。
人間がいると鷹などに襲われないために人が近くに来ても平気でいるらしい。
立山・剱を見ながら布引山の手前で朝食。
雲一つ無い天気に剱岳など朝日を受けて雄大で美しい。最高!
7時前に布引山に登頂。
きれいなすそ野が広がり、正に布引山の名前に相応しい。
ハイマツ帯の稜線をジグザグに登っていくのだがトウヤクリンドウ、ハクサンフウロウなど花々も多く見られた。
さあもう少しで鹿島槍ヶ岳と思うが、ガレ場が長く感じられた。
7:30 鹿島槍ヶ岳山頂。
360℃の絶景が待っていた。
富士山、八ヶ岳、南アルプス、それに後立山の稜線が一望できた。
頂上に立つ満足感と充実感、それに感動で余分なことは頭になくなる。
下りは楽で、1時間ほどで山荘に戻り再び爺ヶ岳目指し出発。
登るにつれ雲が多くなってきた。
周りの山々があっという間に消え、そして現われる。
ハイマツの茂る爺ヶ岳への道を進む。
北峰を過ぎ中峰へと登る。
足下にはコマクサも見られたが、周りの山々は雲に隠れてしまった。
ただ日射しは強く真上の空は青く広がっていた。
「山に何しに行くの?」と聞かれたら、
「山のベッドに眠りに…。」
厳しかったが、のどかな稜線にこんなつまらないことを言っていた私がいた。
ふるちゃん
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