【巨摩山地】七面山
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- GPS
- 28:40
- 距離
- 12.5km
- 登り
- 1,633m
- 下り
- 1,826m
コースタイム
二日め 敬慎院8:40 七面山10:00 喜望峰10:40-11:00 敬慎院12:00
高住14:40
天候 | 初日 晴れ時々小雪 二日目 ハレ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
標高1000m以上は雪。のち氷になるのでアイゼン付ける。 表参道も裏参道も敬慎院の坊様たちが雪かきしてくれていて、アイゼンさえあれば苦労無し。 敬慎院より上はツボや輪かんのトレースあり。御前中ならズボらない。 三角点山頂まではトレースもあるが、南アルプスなどの展望は無い。展望台の喜望峰までは、トレースが複数になっていて不明瞭で、引き返す人が多かった。行くのなら地形図を持って行かないと迷う。 足は軽登山靴+アイゼン 輪かんは不使用。 |
写真
装備
個人装備 |
軽登山靴とアイゼン 1
輪かん(不使用) 1
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感想
七面山の山域と位置
今の時代は地味な山域にある身延山、七面山は、100年前の中央本線開通以前は甲斐の物流の大動脈、富士川通船の街道沿いだった。そこに修験道以来の霊山があり、春分の日に富士から日が昇る特別な場所。その上そこに龍神の住む沼があれば、祀られないはずが無い。七面山開山は身延山久遠寺の16年後だそう。
敬慎院
敬慎院は、1720mにあるお寺。麓から1200mの標高差を足でしか登れないお寺は老いた参拝者にはかなり過酷で、五合目からの富士山とほぼ同じ標高差。お釈迦様ではなく、この池の龍神様、七面大明神を祀っている珍しいお寺。日蓮総本山身延山の南西(裏鬼門)にあたる守護神。
山小屋ではなく宿坊なので宿泊者は仏教的な体験が出来る。七面大明神の御開帳、それから「おつとめ」という読経時間がある。日蓮宗独特のビートの利いたアップテンポで大音量の読経は圧巻。お経の印象が一新される。リズムはエイトビートを超えている。これだけの大人数でこのスピードは、敬慎院ならではのライブだ。この速さに鍛えられ、ここ出身のお坊さんは読経がうまいと定評があるとか。280もあるという「曲目」をすべて暗記している。大声で身をゆらしての読経は身体技法としても深い意味がありそう。
寒い玄関でのお出迎え、お見送りと、このお寺のおもてなしは、高級旅館並みの繊細さがある。きびきびしていて元気がいい。山中孤立の30人近くのお坊さん集団は、一つの目的のために集まった男子学生寮や南極越冬隊的な、男集団独特の粋な光線を放っている。苦労もあろうけど、きっと引力も強かろうなあ。礼が整っているとこちらの礼までが整う気がする。
1780年築の古い建築、一の池で見つかった竜の爪の化石など寺の宝物も見学できる。明治21年に画かれた、武田信玄が龍神に責められる夢を見て身延攻めを諦めた話の板絵は良かった。
ご飯とみそ汁食べ放題の精進料理。寝床には湯たんぽという隠しサービスもあり〼。
春分のご来光
昼と夜の長さが同じ春分と秋分は、仏教でお彼岸という。彼岸は此岸(しがん・この世)に対するあの世の概念だが、日蓮宗では死後の世界ではなく、生きたこの身のままの生まれ変わりをさすという。参道(産道)を通って敬慎院に至り、生まれ変わりの体験をする意味があるとのこと。春分は再生の季節で、春の芽吹き、欧米では復活祭もある。3月21日が、お鉢の上から登る中日だが、今年は20日が雨で、影響が残るかと思って一日送らせた。結果21日の朝は晴れ渡ったそうだが22日も見事なご来光だった。太陽の位置は少し左から出たけれど、なかなか毎回見えるとは限らないから、幸運だった。何度も来て今回初めてだという人も多い。何度見ても太陽が顔を出し始めの強烈な光線が目に差し込む一時には、根源的な身構え反応を起こす。あれは古代人とも共感できると思う。
春分、秋分に富士山を通る東西の直線上には出雲大社もあるという。そこから富士山は見えないのに。
表参道
学生シナツ君と登る。敬慎院を50丁として一丁ずつ柱があり、腰掛けもある。倍の10時間かけて登る老人もいる。2、13、23、36丁目にお寺がある。傾斜は変わらず急登だが、くねくね道が丁寧に切ってある。大きな杉や檜の並木も続く。お坊さんのツユウさん、ラモトさんと二丁目神力坊でお会いする。二人は朝一番で降りて来てくれた。朝は快晴で甲府からも七面山が見えたが、ガスがでたり時々小雪が舞ってきれい。
なんで50なのか訊いたら、人生50年に例えての事らしい。今年は50だから、なかなか良い年に七面山に来たな。と話していたらツユウさんの39丁目だった。月に20日は山中に詰めて、精進料理と読経修行の日々で、好きでなければ続かないところだという。もう通算7年だとか。不便だけど不便が楽しいとおっしゃる。先月の大雪の時は背丈を超える深雪が一夜にして積もったから、泳ぎ回って建物の確認をして回ったとのこと。参道の雪かき、よくぞここまでかいてくださいました。長いボブスレーコースみたいに雪の溝が延々続いている。
春分のご来光だから、この雪山なのに人が多い。50人ほどが敬慎院に泊まるために登る。体調万全ではない高齢者も多数。北海道から九州まで全国各地から。途中無縁仏を祀るお堂もある。昔は病の治療のため末期患者が登りにくる事もあったそうで、当然参道で亡くなる。それも霊山の有りようかもしれない。死地としての霊山。インドのベナーレスみたいに、終末期なんだからふさわしい場所で死にたいという思考はわかる。
13、23、36丁目の休み所はまだ人が登って来ていなかった。結構な急登なのに有人のお店があるのは、参拝者が多いという事なのだろう。46丁目和光門は老朽化でおととし建て直したばかりの新しい門。この場所には明治初期の廃仏毀釈までは鳥居があったようだ。その材を使って門を建て、今回もその材を使っているらしい。昔の巨材は長生きだ。この山は神仏分離で仏になったのだ。
鬱蒼とした森は随身門でようやく展望が開けた。富士山、身延山に対面する。甲府盆地と駿河湾を両側に見下ろす、なかなか良い位地なんだな。富士川下りの全行程が見えるよ。
山頂往復
敬慎院から上は普通の春山。トレースもあるけどほとんどの人はこの先行かない。輪かんも用意したが朝のうちはそれほど潜らないので、アイゼンで行く。参道の南を上がってくる荷物リフトの終点の横から南へ。一の池と敬慎院のある大きな窪地は地滑り地形かな。山頂東面の落差500mはある七板ガレの絶壁の淵へ。絶えず落石の音が響き七面山を削る。山頂まで樹林帯。きょうは人も多い。子供も来ていた。雪で足場が高くなっていても、南アルプスは樹林で見えない。30年前の記録では展望抜群とあるから木が伸びたようだ。こういうところの木は切った方がいいと思うよ。片道30分先の喜望峰と呼ばれる展望台まで足を伸ばす。途中雪の窪地を回って行く。窪地の多い山だ。喜望峰からは、北岳から聖まで全部見えた。真正面は、いま最も気になる山、笊ヶ岳だ。双児峰に突き上げる谷が美しい。今度はあそこの山頂から富士ご来光と行きたいところだ。
裏参道
敬慎院から奥の院までは自動車も通れる幅の道。ここにも窪状地形が多い。奥の院からの下り道も丁寧に雪がかいてある。タイヘンな手間だ。もし雪で道が埋まっていても頭上に電線が通っているので誤ることは無い。シウミ君と自転軸と公転面の話や暦の話、十二支十干の話などしながら3時間を一気に下る。標高1000mでアイゼンを脱ぐ。途中トチノキの巨木のあるお休み所の小屋では、小屋開きの準備をしていた。大きな板を担ぎ上げる青年とすれ違った。麓のお寺では、先の大雪で壊れたという屋根瓦を取り替えていた。七面山の登路としては表より裏の方が歴史が古いのではないかな。こちらを登る方が自然な気がする。
高住の早川沿いすぐ右にある町営南アルプスプラザの食堂でラーメン。チャーシューがダブダブで凄かった。水もうまい。髪をきりきりまとめ、目もとすゞやかな姐さんにチャーシューの感想を述べると、「手作りなのです!また来てくださいね!」とのお答え。七面山の美しい思い出に加わった。
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