前回と同じく金沢林道のダートになったすぐ先に駐車して、記念碑前をスタートです。
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6/11 8:45
前回と同じく金沢林道のダートになったすぐ先に駐車して、記念碑前をスタートです。
前回は気づきませんでしたが、上方に二棟の石祠がありました。どちらも無銘でした。もしかしたらここが三峰参詣古道の入口?
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6/11 8:45
前回は気づきませんでしたが、上方に二棟の石祠がありました。どちらも無銘でした。もしかしたらここが三峰参詣古道の入口?
さらに近くにもう二棟。右の石祠に銘がありました。
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6/11 8:49
さらに近くにもう二棟。右の石祠に銘がありました。
「正徳六歳/六月廿二日」(1716)。なかなかの年代物、初っ端から良い物に出会えました。山道がとても気になりますが、
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6/11 8:50
「正徳六歳/六月廿二日」(1716)。なかなかの年代物、初っ端から良い物に出会えました。山道がとても気になりますが、
予定通り林道を行きます。
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6/11 8:54
予定通り林道を行きます。
そして金沢峠。まずは川内側へ下ります。
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6/11 9:20
そして金沢峠。まずは川内側へ下ります。
徒中、未踏の谷筋のルートを降りてみます。
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6/11 9:26
徒中、未踏の谷筋のルートを降りてみます。
なるほど。見覚えのある所に出ました。
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6/11 9:39
なるほど。見覚えのある所に出ました。
大崩林道に合流。例の石標はこの辺り?と思って周囲を探すもないようです。
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6/11 9:48
大崩林道に合流。例の石標はこの辺り?と思って周囲を探すもないようです。
木製の道標が落ちていました。
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6/11 9:51
木製の道標が落ちていました。
大カーブの所で林道と別れて最初の徒渉。
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6/11 9:58
大カーブの所で林道と別れて最初の徒渉。
しばらく右岸を歩き、
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6/11 10:00
しばらく右岸を歩き、
「保安林」のあたりで沢向こうの山腹に取り付きます。
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6/11 10:08
「保安林」のあたりで沢向こうの山腹に取り付きます。
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6/11 10:10
やはり「従是峯西(山)上仁田村分」と読んだ方がしっくりくる気がしますが・・銘があるのは珍しい。
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6/11 10:13
やはり「従是峯西(山)上仁田村分」と読んだ方がしっくりくる気がしますが・・銘があるのは珍しい。
「寛延元年辰十月吉日」(1748)、
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6/11 10:15
「寛延元年辰十月吉日」(1748)、
右下は「宮境」でしょうか。やはり境界を示しているようです。
この後、今回も如意輪様は見つけられず、
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6/11 10:15
右下は「宮境」でしょうか。やはり境界を示しているようです。
この後、今回も如意輪様は見つけられず、
滝場まで来てしまいました。
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6/11 10:25
滝場まで来てしまいました。
不動像のある岸壁。前回枯れていた滝にも水が落ち、岩も濡れてスベリそうなので遠目から。
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6/11 10:25
不動像のある岸壁。前回枯れていた滝にも水が落ち、岩も濡れてスベリそうなので遠目から。
今回は不動尊がこんなことに。
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6/11 10:25
今回は不動尊がこんなことに。
元に戻しても再びずり落ちてしまいそうなので、こんな感じで許してもらいましょう。
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6/11 10:27
元に戻しても再びずり落ちてしまいそうなので、こんな感じで許してもらいましょう。
八大童子の文字塔
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6/11 10:28
八大童子の文字塔
「八大童子」の背面には「武州比企郡小川町 紀伊路屋惣(助)」
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6/11 10:32
「八大童子」の背面には「武州比企郡小川町 紀伊路屋惣(助)」
「指徳(しとく)童子」の背面には、
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6/11 10:34
「指徳(しとく)童子」の背面には、
「武汎間郡森戸村吉五(郎)」
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「武汎間郡森戸村吉五(郎)」
「制多迦(せいたか)童子」
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6/11 10:35
「制多迦(せいたか)童子」
「阿耨達多(あのくた)童子」
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「阿耨達多(あのくた)童子」
「烏倶婆誐(うくばが)童子」
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「烏倶婆誐(うくばが)童子」
そして「矜羯羅童子」はあそこにあります。中央上部の大きな落石のやや左上の岩棚。
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6/11 10:39
そして「矜羯羅童子」はあそこにあります。中央上部の大きな落石のやや左上の岩棚。
そこを右にたどると不動尊像が見えます。
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6/11 10:42
そこを右にたどると不動尊像が見えます。
本日の清浄の滝
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6/11 10:43
本日の清浄の滝
滝の左の岩屋にあるお馴染みの不動尊像。
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6/11 10:44
滝の左の岩屋にあるお馴染みの不動尊像。
憤怒相ではなく微笑しているようにも見えます。
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6/11 10:46
憤怒相ではなく微笑しているようにも見えます。
その不動尊のある岩屋。この後あの上部あたりまで行くことができました。
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6/11 10:48
その不動尊のある岩屋。この後あの上部あたりまで行くことができました。
大岩を見上げながら左に巻いて行きます。
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6/11 10:51
大岩を見上げながら左に巻いて行きます。
側面基部はこんな感じ。
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6/11 10:52
側面基部はこんな感じ。
左の岩場に小天狗の石祠、右に中央の石祠があります。ここを直登もできそうですが、もう少し巻きます。
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6/11 10:53
左の岩場に小天狗の石祠、右に中央の石祠があります。ここを直登もできそうですが、もう少し巻きます。
大岩の裏側に回ってここから取り付きます。
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6/11 10:55
大岩の裏側に回ってここから取り付きます。
小天狗の石祠が見えました。
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6/11 10:56
小天狗の石祠が見えました。
屋根の両側面に「小」の字。小天狗で間違いないと思います。
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屋根の両側面に「小」の字。小天狗で間違いないと思います。
こんな感じで里を見守っています。
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6/11 10:58
こんな感じで里を見守っています。
お隣の岩場にはが中央の石祠が見えます。
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6/11 10:58
お隣の岩場にはが中央の石祠が見えます。
ドーハンが立っているのが沢に落ちていた部分です。
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ドーハンが立っているのが沢に落ちていた部分です。
「寛政元己七月吉日」(1788)
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6/11 11:01
「寛政元己七月吉日」(1788)
「名久木村中」とあります。
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6/11 11:03
「名久木村中」とあります。
後ろの沢原に落ちていました。
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6/11 11:03
後ろの沢原に落ちていました。
そして、もう一段下がった所に、
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6/11 11:04
そして、もう一段下がった所に、
「大」の字のある大天狗の石祠。岩場の先端にあるので前に回れませんでした。
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「大」の字のある大天狗の石祠。岩場の先端にあるので前に回れませんでした。
さらに下って、その祠を見上げます。
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6/11 11:07
さらに下って、その祠を見上げます。
先程の岩屋の上あたりまできましたが、こちらには特に何もあろませんでした。
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6/11 11:10
先程の岩屋の上あたりまできましたが、こちらには特に何もあろませんでした。
中央の石祠。両隣の祠に比べると屋根等部材も立派なので、やはりこれが石尊宮(石尊山)だと思います。
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6/11 11:15
中央の石祠。両隣の祠に比べると屋根等部材も立派なので、やはりこれが石尊宮(石尊山)だと思います。
烏天狗と八海山に会いに行きます。枯沢をまたぎます。
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6/11 11:20
烏天狗と八海山に会いに行きます。枯沢をまたぎます。
これが先程の岩壁の不動尊の隣の滝になります。
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6/11 11:21
これが先程の岩壁の不動尊の隣の滝になります。
そして倒れた烏天狗。立っていれば羽根も見られますが・・・
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6/11 11:24
そして倒れた烏天狗。立っていれば羽根も見られますが・・・
よく見ると意外にイケメンさんだったのね。
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6/11 11:24
よく見ると意外にイケメンさんだったのね。
そしてちょっと危ない所に立つ
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6/11 11:28
そしてちょっと危ない所に立つ
八海山大頭羅神王です。
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6/11 11:29
八海山大頭羅神王です。
宝剣に宝珠。八海山の神像にしては人間味あふれるお顔です。
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6/11 11:29
宝剣に宝珠。八海山の神像にしては人間味あふれるお顔です。
続いて三笠山のつもりでしたが、斜面を登りすぎてしまい
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6/11 11:48
続いて三笠山のつもりでしたが、斜面を登りすぎてしまい
「茨山大権現」の所へ出ちゃいました。
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6/11 11:55
「茨山大権現」の所へ出ちゃいました。
少し尾根を下ります。
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6/11 11:55
少し尾根を下ります。
上部(首)の無い石像が二体。
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6/11 11:58
上部(首)の無い石像が二体。
まずは金剛鈴を持つ童子像といわれるもの。台石には飛雲も。
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6/11 12:00
まずは金剛鈴を持つ童子像といわれるもの。台石には飛雲も。
傍らには「願主」の石標
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6/11 12:01
傍らには「願主」の石標
「嘉永 辛亥 四月吉日」(1851)
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「嘉永 辛亥 四月吉日」(1851)
「□□ 副倍」? 行者名でしょうか?
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6/11 12:03
「□□ 副倍」? 行者名でしょうか?
そして三笠山刀利天宮。羂索が太いですね。また機会をみてお顔を探しに行きましょう。
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6/11 12:06
そして三笠山刀利天宮。羂索が太いですね。また機会をみてお顔を探しに行きましょう。
尾根を戻って茨山の所まで戻ってきました。
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6/11 12:11
尾根を戻って茨山の所まで戻ってきました。
良く見てみると「天王宿」?の銘がありました。
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6/11 12:14
良く見てみると「天王宿」?の銘がありました。
「不動慧童子」塔。天保?
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6/11 12:16
「不動慧童子」塔。天保?
左側面に「前原吾兵エ」、
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6/11 12:25
左側面に「前原吾兵エ」、
台石には「當國勢多郡(王)橋 願主瀬谷藤右衛門」。上と下は別物かもしれません。
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6/11 12:23
台石には「當國勢多郡(王)橋 願主瀬谷藤右衛門」。上と下は別物かもしれません。
「三十六童子」の背面には
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6/11 12:26
「三十六童子」の背面には
「江戸 鶴沢(勘・・)」「野州 生方源(之・・)」「セハ今泉菊・・)」
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6/11 12:28
「江戸 鶴沢(勘・・)」「野州 生方源(之・・)」「セハ今泉菊・・)」
「金剛童子」塔の
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6/11 12:32
「金剛童子」塔の
右側面は「安政三丙辰九月吉日」(1866)
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右側面は「安政三丙辰九月吉日」(1866)
左側面には「大間々 吉田屋卯兵衛 麻屋清右エ門 金子菊之助」
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6/11 12:34
左側面には「大間々 吉田屋卯兵衛 麻屋清右エ門 金子菊之助」
こんな感じで並んでいます。
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こんな感じで並んでいます。
こんな感じで並んでいます。
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こんな感じで並んでいます。
そして三十六童子の親分の不動尊。
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6/11 12:37
そして三十六童子の親分の不動尊。
童子の道から山頂に出ました。
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6/11 12:41
童子の道から山頂に出ました。
まずは御嶽信仰の流れで御嶽山座王大権現にご挨拶。
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6/11 12:42
まずは御嶽信仰の流れで御嶽山座王大権現にご挨拶。
台石右側「□□□ 仁田山村 小倉村 大間々町 今泉村 如来堂村 堤村 廣沢村 ( 村) 小平村 館林 講中 」
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6/11 12:43
台石右側「□□□ 仁田山村 小倉村 大間々町 今泉村 如来堂村 堤村 廣沢村 ( 村) 小平村 館林 講中 」
左側「五ヶ村 氏子世話人中 如来堂 加藤冨蔵 □エ 講中」
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6/11 12:44
左側「五ヶ村 氏子世話人中 如来堂 加藤冨蔵 □エ 講中」
続いて三峰信仰の流れで、山頂にあるとても立派な石祠
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6/11 12:53
続いて三峰信仰の流れで、山頂にあるとても立派な石祠
「三峯山」
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6/11 12:53
「三峯山」
やはり「四十」ではなく「明治四未仲秋吉日」(1871)のようです。「穐」と彫りかけて「秋」にしたような感じもします。
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6/11 12:54
やはり「四十」ではなく「明治四未仲秋吉日」(1871)のようです。「穐」と彫りかけて「秋」にしたような感じもします。
山頂を少し下ると、
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6/11 12:56
山頂を少し下ると、
もう一つの「三峯山」石祠があります。
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6/11 12:56
もう一つの「三峯山」石祠があります。
朱塗りが少し残っています。
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6/11 12:57
朱塗りが少し残っています。
山頂に戻って、ここから奥宮に向かいます。
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6/11 13:03
山頂に戻って、ここから奥宮に向かいます。
まずは急下降
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6/11 13:04
まずは急下降
鞍部から岩が出はじめ、岩峰を登り返すと、
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鞍部から岩が出はじめ、岩峰を登り返すと、
奥宮「三峰山」石祠があります。
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6/11 13:08
奥宮「三峰山」石祠があります。
ここは「峯」ではなく「峰」が使われています。
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6/11 13:08
ここは「峯」ではなく「峰」が使われています。
台石の正面には「眷属守護」
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6/11 13:08
台石の正面には「眷属守護」
右に「文政九歳丙戌三月日(1826)惣氏子中」
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6/11 13:11
右に「文政九歳丙戌三月日(1826)惣氏子中」
さらに尾根を下ります。登りでは直登した岩場ですが、下りで濡れていたので巻きました。
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6/11 13:13
さらに尾根を下ります。登りでは直登した岩場ですが、下りで濡れていたので巻きました。
おだやかな尾根になりました。
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6/11 13:17
おだやかな尾根になりました。
例の頑丈なフェンスが現われました。
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6/11 13:22
例の頑丈なフェンスが現われました。
フェンスの向こうは伐採地
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6/11 13:26
フェンスの向こうは伐採地
ネジキ?
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6/11 13:31
ネジキ?
しばらくして、また岩峰が現われると
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6/11 13:34
しばらくして、また岩峰が現われると
妙見宮の石祠です。
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6/11 13:35
妙見宮の石祠です。
こちらもなかなか立派なものです。
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6/11 13:36
こちらもなかなか立派なものです。
「妙見宮」と言えば、どうしても秩父神社と関連付けてしまいますね。
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6/11 13:36
「妙見宮」と言えば、どうしても秩父神社と関連付けてしまいますね。
台石正面に「村内安全」
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6/11 13:36
台石正面に「村内安全」
右側面には亀。屋根の朱塗りも。
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6/11 13:36
右側面には亀。屋根の朱塗りも。
台石には「文政十二丑年 十月吉日」(1829)
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6/11 13:38
台石には「文政十二丑年 十月吉日」(1829)
左にはあまり目つきのよくない蛇さん。北辰(妙見)守護の玄武をあらわしているいるようです。
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6/11 13:39
左にはあまり目つきのよくない蛇さん。北辰(妙見)守護の玄武をあらわしているいるようです。
それでは予定通り祠の見守る方向の尾根を下ります。
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6/11 13:44
それでは予定通り祠の見守る方向の尾根を下ります。
妙見宮の岩峰を振り返り。
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6/11 13:46
妙見宮の岩峰を振り返り。
何となく道のようなものがありました。
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6/11 13:48
何となく道のようなものがありました。
最後は植林帯を適当に下ると、
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6/11 13:56
最後は植林帯を適当に下ると、
あっけなく林道、しかもコンクリ舗装の道に出ました。所々結構荒れていました。
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6/11 14:02
あっけなく林道、しかもコンクリ舗装の道に出ました。所々結構荒れていました。
路面が良くなって、思っていた所に出ました。
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6/11 14:13
路面が良くなって、思っていた所に出ました。
その先のちょっと隠れた所に様々なの造物が集積場があります。
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6/11 14:18
その先のちょっと隠れた所に様々なの造物が集積場があります。
ちょっと印象的な聖観音像には「寛延三庚午十月吉日」(1750)の銘がありました。
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6/11 14:19
ちょっと印象的な聖観音像には「寛延三庚午十月吉日」(1750)の銘がありました。
林道を駐車場に向かって歩いて行くと、左手にある小さな石祠に気づきました。
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6/11 14:28
林道を駐車場に向かって歩いて行くと、左手にある小さな石祠に気づきました。
「明治十二年己卯一月吉日(1879) 向田氏」
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6/11 14:23
「明治十二年己卯一月吉日(1879) 向田氏」
「嚴島社」でしょうか?水場もあるし。
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6/11 14:25
「嚴島社」でしょうか?水場もあるし。
記念碑に戻って、本当ならゴールでしたが、どうしても気になったのでお替りしました。
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6/11 14:31
記念碑に戻って、本当ならゴールでしたが、どうしても気になったのでお替りしました。
スタート時の石祠の道をたどってみました。まずは山腹の急斜面を登って
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6/11 14:32
スタート時の石祠の道をたどってみました。まずは山腹の急斜面を登って
おだやかな尾根に乗りました。
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6/11 14:38
おだやかな尾根に乗りました。
そして石祠がありました。しかも江戸物のようです。
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6/11 14:40
そして石祠がありました。しかも江戸物のようです。
「天明八申年六月廿四日」(1788)とありました。
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6/11 14:41
「天明八申年六月廿四日」(1788)とありました。
「施主 金沢村中」まさにご当地。よいものに出会えました。
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6/11 14:41
「施主 金沢村中」まさにご当地。よいものに出会えました。
この後、林道を横断してしばらくすると、岩場がちなアップダウンの激しい尾根になりました。
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6/11 14:44
この後、林道を横断してしばらくすると、岩場がちなアップダウンの激しい尾根になりました。
松枯れも激しい
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6/11 15:00
松枯れも激しい
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6/11 15:15
展望地から大形山
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6/11 15:17
展望地から大形山
どうやら一般参道ではなさそうかな。
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6/11 15:22
どうやら一般参道ではなさそうかな。
でも修験道としたら・・・
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6/11 15:26
でも修験道としたら・・・
最後に(仮称)烏帽子岩を過ぎると、
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6/11 15:30
最後に(仮称)烏帽子岩を過ぎると、
山頂下の「三峯山」石祠
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6/11 15:36
山頂下の「三峯山」石祠
再び三峰山山頂です。先程と同じ所から下山して、
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6/11 15:38
再び三峰山山頂です。先程と同じ所から下山して、
今度は奥宮の鞍部から谷筋を下りました。奥宮のある岩峰を見上げる。
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6/11 15:45
今度は奥宮の鞍部から谷筋を下りました。奥宮のある岩峰を見上げる。
一歩ごとに小石の雪崩を起こしながら下ると、
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6/11 15:49
一歩ごとに小石の雪崩を起こしながら下ると、
コンクリ舗装の林道です。こちらも途中荒れています。
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6/11 16:04
コンクリ舗装の林道です。こちらも途中荒れています。
林道分岐、右です。
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6/11 16:17
林道分岐、右です。
ここから入り元の尾根に乗りました。
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6/11 16:22
ここから入り元の尾根に乗りました。
石祠と車が見えてゴールです。
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6/11 16:30
石祠と車が見えてゴールです。
兼宮神社前にある道標「三峯山道 三十八丁余」、その上部には、
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6/11 16:55
兼宮神社前にある道標「三峯山道 三十八丁余」、その上部には、
「秩父分地」とあります。“ちちぶ”から“ポテくまくん”を招聘してみました。
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6/11 16:55
「秩父分地」とあります。“ちちぶ”から“ポテくまくん”を招聘してみました。
右側面には「是ヨリ根本山迠四里半余」
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6/11 16:56
右側面には「是ヨリ根本山迠四里半余」
左は「文政九丙戌歳(祝)月吉(辰)」(1826)「當邑中」
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6/11 16:56
左は「文政九丙戌歳(祝)月吉(辰)」(1826)「當邑中」
兼宮神社。石鳥居は享和三年(1803)。
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6/11 16:57
兼宮神社。石鳥居は享和三年(1803)。
石燈籠(左)は天明二年(1782)、
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6/11 17:00
石燈籠(左)は天明二年(1782)、
右の石燈籠は
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6/11 17:01
右の石燈籠は
「享保四天」(1719)です。
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6/11 17:01
「享保四天」(1719)です。
社殿左手には道祖神と石燈籠付の石祠と宝珠型仏塔
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6/11 17:02
社殿左手には道祖神と石燈籠付の石祠と宝珠型仏塔
その裏手に巨大な庚申文字塔が並んでいます。左の2基には「天明八戊申年九月吉日」(1788)の銘。
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6/11 17:05
その裏手に巨大な庚申文字塔が並んでいます。左の2基には「天明八戊申年九月吉日」(1788)の銘。
その隣には青面金剛(文字塔)庚申塔。左は「文化十二乙亥季九月吉祥日」(1815)、右は月、日輪と三猿がいます。
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6/11 17:06
その隣には青面金剛(文字塔)庚申塔。左は「文化十二乙亥季九月吉祥日」(1815)、右は月、日輪と三猿がいます。
「奉供養庚申青面金剛尊像/享保十一丙午年十月吉祥日(1726)湯沢村講中欽白」
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6/11 17:07
「奉供養庚申青面金剛尊像/享保十一丙午年十月吉祥日(1726)湯沢村講中欽白」
宝珠型仏塔ソ字弁財天は
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6/11 17:08
宝珠型仏塔ソ字弁財天は
「文化二乙丑年八月吉日」(1806)
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6/11 17:09
「文化二乙丑年八月吉日」(1806)
社殿の裏手に回ってみると、
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6/11 17:09
社殿の裏手に回ってみると、
とても立派な石祠、
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6/11 17:10
とても立派な石祠、
「文化二乙丑年仲穐吉日」(1806)。先程の弁財天と同じですね。
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6/11 17:10
「文化二乙丑年仲穐吉日」(1806)。先程の弁財天と同じですね。
さらに小祠がたくさん並んでいました。
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6/11 17:11
さらに小祠がたくさん並んでいました。
ファミレスで思わず読み込んでしまいました。三峰山の章では見解の異なる箇所もありますが、その他目から鱗状態で、ますます桐生界隈の山歩きが楽しくなりそうです。
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6/11 19:08
ファミレスで思わず読み込んでしまいました。三峰山の章では見解の異なる箇所もありますが、その他目から鱗状態で、ますます桐生界隈の山歩きが楽しくなりそうです。
またまた、行ってこられましたね。そして、今回も充実ですね。よく歩いてこられましたね。前回のレコで救出した祠も見られて、お〜!と思いました。まっぷたつの不動明王、倒れてしまった烏天狗、胸が痛みます。昨年のレコを再び拝見し、元気だった姿を見直してしまいました。不動明王は、ヒビは入ってしまってたのですね。とはいえ、これだけの時間で、こんなに様子が変わっていってしまうと、今後が心配でなりません。妙見宮の蛇さん、カワイイ♡ 私は好きです。いつまでも、きれいに残っていて欲しいです。雨が降った後で、足元が大変そうですが、石造物に刻まれた文字は、濡れていたほうがよく読める感じに写ってますね。本も、お役にたてて良かったです。
またのレコ、楽しみにしております。
良い本を紹介していただいてありがとうございました。
詳細な記述でとても参考になりますね。桐生は元々好きな街でしたが、歩いてみたいルートがたくさんあって、リタイアしたら数年くらい桐生に住みたいくらいですぅ。(笑)
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