柳沢峠-笠取山-一之瀬高原 〜33年の時を超えて〜 S1
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- GPS
- 12:10
- 距離
- 35.6km
- 登り
- 1,461m
- 下り
- 2,286m
コースタイム
柳沢峠BS9:20-ハンゼノ頭10:10-板橋峠10:50-12:00倉掛山12:35-白沢峠13:15-ヤブ沢峠15:05-15:20笠取小屋
第2日
笠取小屋5:40-6:20笠取山6:30-水干6:45-中島川口8:00- 一之瀬高原キャンプ場8:30-8:55将監登山道入口付近民宿9:05- 一之瀬林道入口10:15-11:50丹波BS
天候 | 第1日 晴れ 第2日 曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
西沢渓谷入口行は増発されていたが、落合行は席数の2割増し程度、 ほとんどが大菩薩峠登山口で下車、柳沢峠では私を含め2組下車。 第2日 丹波BS14:15(西東京バス-1便増発)15:08奥多摩駅 当然のごとく増発、途中からの乗車により満員。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・柳沢峠〜板橋峠 柳沢峠は言わずと知れた青梅街道の最高点、暫しライダーや峠攻めの車を眺めながら準備体操。少しずつ高度を上げると柳沢の頭、富士が美しい。ほどなく展望の開けたハンゼノ頭、南アの雄姿がくっきりと。防火帯の広々とした道が続き、少々のアップダウンを経て板橋峠。 ・板橋峠〜倉掛山〜白沢峠 バイク止めのゲートを越えると、いよいよアップダウンが激しくなる。3回以上の急登(木々がないのでほぼ壁)を経て、もうそろそろいいだろうという頃合いで倉掛山。奥秩父連山の眺望が得られる。樹林帯をどのルートを選択すべきか悩みながら、ほぼ尾根沿いに高度を下げ、やがて「トラック」の白沢峠。 ・白沢峠〜笠取小屋 一旦東に転進したあと、巻きながら進む。少し疲労を感じ始める頃なのでアップダウンの少ない道はありがたい。ひたすら樹林帯を進み、やがて一之瀬からの道と合流、さらに行けば作場平口からのヤブ沢峠。ここまで来れば笠取小屋はまもなく。 ・笠取小屋〜笠取山〜水干 小さな分水嶺手前で雁峠方面への道を分け、水干方面を進む。分水嶺を越えてから笠取山方面へ。名高い、ほぼ壁のような急登を登ると西峰、晴れていれば眺望は良いのだろう。さらに岩場を少し進むと、1953mの東峰に着く。水干へは山頂から東進し稜線と分かれて下る。(ショートカットルートあり)分岐から小屋方面に少し戻ると最初の1滴であるところの水干。 ・水干〜一之瀬高原 歩きやすい、よく整備された道をどんどん下りる。笠取山周辺は東京都水道局のお蔭で指導標が正しく整備されており、迷う心配が全くない。中島川橋を渡ったのち再び歩道へ、一之瀬高原キャンプ場に着く。 |
写真
感想
山歩きをとことん楽しめた第1日、時を超えて自然への敬虔な気持ちを確かめられた第2日、有意義で忘れられない山行となった。
天候に恵まれ、久しぶりに山上から美しい富士に会えた。南アの雄姿を眺めながらこれから始まる2日間の旅の安全を願う。3時間前、およそ登山客しか乗せていないかと思われるほどの立川発甲府行きは乗車率およそ130%、行く先々の混雑を憂いでいたが、塩山からのバスもほとんどが途中で降り、柳沢峠で下車したのは私を含め2組だった。そして今は一人、防火帯の広々とした道を北へ北へと進んでゆく。
板橋峠を過ぎると現れる数回の急登を克服し、連休とは思えないほど静かな倉掛山山頂に着く。予定より早く着いたこともあり、久しぶりに山頂でコーヒーを淹れる。実にうまかった。目的地である笠取山付近をはるか彼方に眺めたあと、防火帯から樹林帯へと移る道をゆっくり下ってゆく。やがて今日のハイライト、白沢峠のトラックが目に入る。噂に違わぬ存在感、そこにあるはずのない瀟洒な芸術作品にも映る。
名残惜しいが、峠をあとにし、樹林帯の中のほぼ平坦な道をひたすら歩く。ヤブ沢峠に近づくと急に人の気配が強まり、今日2組めの登山者に遭った。笠取小屋は連休の賑わい、30張近くのテントが小屋を囲んでいた。チェックインを済まし、夕食までの時間を小屋の内外でゆったりと過ごす。予定よりも2時間早く着けたことは、単独登山者を心配する親身な小屋番にとっても良いことだったのかもしれない。同宿者は計6名、17時15分から夕食、18時半には就寝準備に入った。小さくとも登山者には優しく頼りがいのある山小屋だった。
翌朝、思いがけない出来事が起きた。地震である。ちょうど朝食を食べていた頃、ラジオから地震を告げる一報が流れた直後、小屋が大きく揺れた。東京の震度は5弱と聞き、少し不安になった。天候も予報どおり曇天、にわか雨も高確率で予想されるため、早々に出発することにした。雁峠への道を分け、分水嶺経由で笠取山を目指す。代名詞の急登を前にしても少しも歩を緩めることのないほど気が逸っていた。
33年の時を超えて笠取山に立った。総勢66名が参加していた新歓合宿。2年生の私はCLを務め、計画担当だった。塩山から貸切バスで落合まで、そこから犬切峠を越えた一之瀬高原でキャンプ、中日に笠取山の往復をし、翌日ゆっくりと帰京する計画だった。第1日めの夜、翌日の悪天候を予期させる気象通報を聞き、二人のSL、会計係、食料係らと協議したが結論は出ず、結局当日朝、私たちは歩くことを目的とした同好会のメンバーであり山岳部ではないのだからと、決行派を抑えて私は登山を中止した。麓の穏やかな小雨の中で、OBや決行派からかなり嫌味を言われたが、私は当然の選択をしたと思うようにしていた。けれどもそれから時間が経つに連れ、私の中で何かが燻るようになった。
風は強さを増し、今にも降り出しそうな空を見上げ、あの日も山上はこうであったに違いない、そう思えてきた。西の峰から岩場を進む。もしここが雨で濡れていたら、山登りをしたことのない10数名の新人たちを風雨に晒しながら導いていたら。東の峰に到達する頃私は確信した、あの日の選択はきっと正しかったのだと。昨日同様、連休とは思えぬほど寂しい山頂で私は一人清々しさを感じていた。
最早下山に躊躇はなかった。答えを得たこと、悪天候と地震による様々な事態への心配から、私は唐松尾山への縦走を止め、懐かしき一之瀬を目指し下ることにした。途中、水干に寄り、何よりそこに存在する山に感謝し、答えを導き出してくれた自然の偉大さに敬意を示した。よく整備された道を無心で下りゆき、やがて中島川口に着けば一之瀬はもうすぐである。
私たちが20張のテントを設けたキャンプ場は、広い空地と朽ちたバンガローや炊事場を残すのみだった。この広場の中心でキャンプファイヤーを囲んだのだ。セピア色の光景が眼前に広がった。暫し佇んだあと、さらに下りると現在の一之瀬高原キャンプ場が見えてきた。駐車場はほぼ満車であり、人の多さに急に現実に引き戻された。さて、ここからどうやって帰ろうか。落合発のバスは15:30、塩山からタクシーを呼び途中で落ち合うか、ここは民宿の意見を聞くべし、と将監登山道入口まで上がる。
昔はテニスコートやお店もありましたよね。「林道はできたし、犬切峠の道もよくなったけど年寄だけだからお店も無くなった、民宿に泊まる人も少なくなった」暫しの会話のあと、勧めに従い、丹波までの3時間コースを歩くことにした。幸い雨は降ってこない。舗装路であれば傘でも差してゆっくり歩こう。
それにしても長かった。13劼諒涸路歩きは、学生時代の夏合宿を思い出させる。あの頃背負っていた30圓硫拱に比べたらはるかに軽い装備だが、今の私はその数倍の計り知れないものたちを背負っているのだろう。ようやく電波が通じ、家族にも現場にも地震による影響のないことがわかった。安堵の気持ちが満ちると共に、東京を目指し青梅街道を一歩ずつ歩くことが楽しくなった。
「想い出の山」写真&レポートコンテスト 「山行記録部門」 by モリパーク アウトドアヴィレッジ(MOV)
コメント
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kimichinさん、はじめまして。
私は、前日に新地平から入山、4日に雁峠~笠取山~柳沢峠と歩くつもりでしたが、
前日の林道歩きで不覚にも日射病状態になり、4日は予定を変更して雁峠往復のみで下山しました。予定通りに縦走していたら、白沢峠~倉掛山間でkimichinさんとすれ違ったはずと思います。
私も今回のコース取りの切っ掛けが33年前(逆算するとそうなりました)の出来事(と言うには軽いのですが)でしたし、この記録を拝見して、今更ながら予定を変更したのが残念でなりません。
山行頻度が少ないですが、私も富士山が見える山に出かけますので、どこかでお会いするかもしれませんね。その折にはよろしくお願いします。
Wataru3さん、コメントありがとうございます。
4日は天気良く紫外線も強かったので、大事に至らず良かったですね。柳沢峠から白沢峠までのルートは本当に良い道で、翌日の唐松尾山をあっさり諦められるほど充実した時間を過ごせました。
私も昨年秋から登山を再開しました。どこかでお会いできる日を楽しみにしております。
kimichinさんはじめまして。
およそ30年前、自転車を引いて斎木林道を訪れました。
白沢峠のど真ん中でツエルト張って寝たのですが、夜中にヘッデンも付けないで、ドスッドスッと山靴でツエルトの周りを歩き周る音が・・・。
昼間でさえ人に会わない斎木林道で、真夜中にそれも結構長時間歩き回っていたのは一体何者だったのでしょうか?
レコを拝見してとても懐かしく怪しい思い出が甦りました。
enoshimanさん、コメントありがとうございます。
30年前にも白沢峠にあのトラックはあったのでしょうか。夜の白沢峠に一人、考えただけでも怖いですね。日中でも独特の雰囲気のある場所ですから。
kimichinさん、こんにちは。
同じバスでしたね。板橋峠から倉掛山まで、防火帯での東側の展望は如何だったでしょう?。一番上を歩けば、多摩川源流域の好展望が望める所が多く、好きなコースの一つです。私は一度も通った事のない笠取林道を辿ったのですが、時々樹林の向こうに見える景色に「今日は上を行った方が良かったなー」と思った次第。さぞや良い眺めだったのではないかと….。
P.S.
夜の白沢峠の足音は、多分、大きいカエルです。夜中で静まり返っているので、結構大きい音に聞こえ、音はすれども姿は見えず(カエルだと思わないから地面を探さない)、ぞーっとするキャンパーが多いようです。->enoshimanさん。
a_tomさん、コメントありがとうございます。
天気良く、アップダウンもそれほど苦にならないほど眺望に恵まれました。親子連れの一組とすれ違ったほかは誰とも遭わず、連休とは思えぬほど静かな山歩きを楽しめました。
a_tomさん、正体はカエルですか?!
将監峠行く途中に遭難碑があったりしてたので、私の数少ない怪奇譚になっていたのですが、ネタがこれでなくなりました。
相当巨大なカエルですね。
重登山靴みたいなドスッドスッという音だったんでかなり不気味でした。
kimichinさん、当時白沢峠のど真ん中にはトラックは無かったと記憶しております。
誰かが移動したのでしょうね。
当時から路肩に3台くらい朽ちていました。
斎木林道はもともと材木を切り出すための林道で、戦後復興が終わって材木の需要が減るとともに、材木搬出用に米軍から払下げをうけたトラックがそのまま打ち捨てられたようです。
enoshimanさん、ありがとうございます。
山中にトラックの眠る理由がわかりました。白沢峠から笠取山方面に行ったところにも1台あるのですが、それもそういうことですね。これからもいろいろと教えてください。
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