高尾山北面日影沢林道の3本巨杉の由来に関する聞き取り歩きーー高尾山口駅から南浅川上流端(宝珠寺口)まで+初沢山・初沢城址
- GPS
- 04:33
- 距離
- 9.8km
- 登り
- 266m
- 下り
- 142m
コースタイム
- 山行
- 3:35
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 4:59
本日の主目的は過去2回のレコ:
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3655558.html
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4739362.html
で報告した日影沢林道の3本巨杉のいわれを聞き取ること。
3本巨杉の姿は、「ファイル」欄のファイル名"CIMG1311-3.jpg"をクリックするか、「写真」欄のトップを見れば写真がアップしてある。写真中央一番奥の最も太い樹幹の胸高胴回りは4.4m、推定300年以上=「感想」欄の末尾に詳述。
結論として、3本巨杉については多くの人に現在まで語り継がれるような由来は残っていない。
3本巨杉の生育地の様子から推定するに、江戸初期かそれ以前に誰かが植えたものがそのまま残ったというだけのようだ。そこは林道の他の部分に比べ、かなり広く整地されている。しかし、聞き取りで80歳過ぎの方の話では、日影沢林道の施工(開通は1989年ころ)以前の子供時代に日影沢からそこに至る道はあったとのこと。いまのキャンプ場のすぐ上でウサギなどを放し飼いにしていたという。”日影”というくらい日当たりが悪く、そんなことしかできなかったそうだ。
ただ、その方は3本巨杉のことは知らないが、山にはそのくらいの杉はほかにもいくらでもあって珍しくはなく、最近は花粉症などの関係もあり多くの杉が伐採されているとのことだった。我が”3本巨杉”はとくに歴史に残る由緒ある杉ではなかったようだ。そうとは知らず、これらの巨杉に妙な思い込みを持ってしまったものだ。
こだわるようだが、3本巨杉は最大7・8m離して整地された場所に同じレベルで何かの意図があって植えられ、その後忘れ去られたと思われる。個人的な植樹であれば、子孫たちしか語り継がないからいつしか由緒は消滅したのであろう。
なお、昭和17年ごろの「ハイキング地図」(武相観光社蔵版)によれば日影方面から3本巨杉付近を通って薬王院方面へ向かう道が記されているので、登山者・参拝者がここを通過した時期があったようだ。しかし、探してもすでにその痕跡は見つからなかった。
不思議な場所である。3本の巨杉と平らな草地があるだけ(ファイル欄の写真参照)なのだが、そこを訪れるとほかと異なる独特の落ち着きがある。ここでは何度も昼食をとった。
天候 | ハレ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
バス利用:小仏BS→高尾駅北口 帰路乗車:京王高尾駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
公道とハイキング路のみ |
ファイル |
3本巨杉、2021.10.23撮影
(更新時刻:2022/11/03 00:55) |
写真
装備
個人装備 |
通常のハイキング装備その他非常用具(縄など)
|
---|
感想
聞き取りは荒井BSの東で1軒、西で1軒、それぞれ立派な庭木のあるお宅でちょうど剪定作業をしているところで話が聞けた。いずれも樹木には関心がある方なので、現在の林業や林野庁のことも話題に上った。しかし3本巨杉のことはまったくご存じなかった。林業に携わる人がいなくなり話が聞ける人はほかに紹介してもらえなかった。今回は3本巨杉についての情報はまったく得られずじまいであった。
高尾山口駅から宝珠寺までの、聞き取りをしながらの道は長く疲れた。いつもの踏み跡探査の装備(ザイル等)を詰めたままのザックを担いでいたので荷重は7圓△蝓郷道歩きだからかいたくこたえた。山道のように前傾姿勢で歩かないので背筋が立つ姿勢だったせいか腰に来た。宝珠寺につく頃は腰だけでなく足も弱り、帰路、小仏BSでバスが発車を待っていたのを見ると迷わず乗ってしまった。
昼食をとる場所がなかったので、どこか山でと思ったが、バスで高尾駅北口まで行き、聞いたことのある初沢山へ行くことにした。
登り口の高尾天神の急な長い階段を見上げるとちょっとばかり肝をつぶした。転べばやばい。それほど足に来ていた。
天神の奥には「←初沢城入口」の道標があり、途中はほとんど人はいなかったが、山頂は標識の周りに家族がシートを引いており、何やら異様だった。
下山はヤマレコの”みんなの足跡”の濃い周回路を取ったが途中から道はどこかの施設の敷地に入ったようで、地域の関係者以外は通行禁止の大きな看板があった。出口にも同じ看板があったが、私道といえども公共性と慣習を踏まえたらこんな看板は外した方がよい。
とにかく、体力の衰えを感じた。平地歩きと高低差150mほどの初沢山ハイキングコースなのに足と腰に来た。もう踏み跡探査は無理かとさえ思った。となるとヤマレコも終活すべきか?まさかと思っていたことが身近に迫る。しかし、そう簡単には諦められない。
今回の歩き始めで訪ねた駒木野庭園と小仏関跡は普段は通り過ぎていたが、あらためてゆっくり見るとそれぞれに風情があった。こういうゆったりした歩きもいいものだ。
庭園はもともと駒木野病院の前身の開業医の医院だったものが八王子市に寄贈された、典型的な和風建築。落ち着いたたたずまいにほっとした気持ちになる。この次の機会には喫茶に立ち寄ってみよう。
小仏関趾は地形と、なんとか石しか残っていないが、その前の旧甲州街道からは西方に小仏峠が望め、昔の街道を彷彿とさせた。
山だけではなく、郷道にももっと目を向けるべきだと反省した次第。体力を考えると郷道散布も悪くはない。
以上、3本巨杉の由緒は思い込みに過ぎなかった、の巻でした。
参考:
スギの年齢推定
スギ民有林収穫表(https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/030201/files/2012030100634/2012030100634_www_pref_kochi_lg_jp_uploaded_attachment_36922.pdf)
によれば、生育地の等級で成長速度が異なる。1等地から5等地までの樹齢と胸高直径の表があるのでその表を基に年齢が推定できる。
胸高胴回りが440cmだったので直径は140cmである。1等地の成長速度は45.2cm/100年であり5等地は32.9cm/100年なので、それぞれで計算すると樹齢は1等地なら310年、5等地なら425年となる。現地がこの表のカバーする範囲であれば大雑把に樹齢は約300年から400年ということになるが、北斜面の谷筋で日当たりが良くないことを考慮するとさらに悪条件(樹齢400年以上)かもしれない。いずれにせよ、300年を下回ることはなさそうだ。どう見ても江戸時代初期より昔に植えられたものと推定される。
コメント
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他レコチェックのついでですが、3本巨杉の話、遅まきながら興味深く拝読しました。
>日影沢林道の施工(開通は1989年ころ)以前の子供時代に日影沢からそこに至る道はあったとのこと。
それは貴重な話ですね。
昔から3本巨杉の平場と巻き道があったとすると、造成は戦国時代「しか」有り得ないと思います。
下の道を通らずに軍勢を安全に移動する目的の道で、恐ろしく無駄なアップダウンが無い道です。
ただし、道幅は70センチ程しかありません。
実は、ただの廃林道だと思っていたので、城山の遺構としてはノーマークでした。
杉自体は恐らく自然に生えて大きくなったものと思います。
八王子神社の下にも同じような杉の巨木が3本程あります。
普段から薮は切り裂いてから通る主義で、薮漕ぎはしないのですが、何故かマダニには何度も嫌な目に会っています。
もし3本巨杉コースの整備をしたいという思いがおありなら、重装備持参で応援致します。
倒木の片付けなど体力を消耗しますので(若い人限定ですが)、人数は多い方が良いですね。
思い込みたっぷりでこだわりのレコをお読みいただき、コメントを下さりありがとうございます。castle_hunterさんのお名前は古道の検索等で度々お目にかかり、道の整備や歴史調査などの活動をされていることは存じ上げておりました。
日影沢から”三本巨杉”の間の道は、聞き取りの結果と「ハイキング地図」の二つが一致しているので多分間違いないと思われます。ご指摘の戦国時代の軍道の可能性は大いにあり、ロマンですね。甲州道中から小仏城山(要衝)への間道として興味をそそられます。
現在の日影沢林道は入り口付近の崩壊で林道の機能が失われ、荒れるに任せ、立ち入る人も少ないので、自然が戻りつつあり、好ましく思っています。
知人が林野庁に”三本巨杉”のことを問い合わせた折に、バリケードを越えることを問うたところ、気を付けてくださいとのコメントをいただいたので、歩くことは問題ないようでした。とはいえ、倒木や崩落などは半端ない状態なので、人ひとりの通れる幅は確保できるので、おっしゃるような「3本巨杉コースの整備」によりさらに歩きやすくすれば人が増えるので、せっかくのご提案ですが、身勝手ながらそっとしておきたい気分です。
”三本巨杉”の平地にたたずんでいると時折人が通りますが、大抵は単独で静かに歩いています。時間がある限りじっとしていたいとても落ち着く不思議な場所です。自然に生えた杉の可能性もご指摘のようにあり得ますが、あの広い平地が気になります。林道整備の機材置き場に最適なので、そういう目的に整地されたのかもしれませんが、杉の根の位置が3本同じレベルにあるのも昔からの平地であった可能性をにおわせ、何か物語を創作したくなります。
マダニいやですね。昔は出会うことはなかったのですが、この2年ほどの間に3つ出会い、1回は噛まれ、皮膚科で切開してもらいました。今日の朝日新聞にはこの10年ほどでウイルス性のSFTSでの死者数が増加しているという記事がありました。皮膚科の慎重な姿勢が納得できました。マイナールートは大好きですが、このところ冬場以外はマダニに恐れをなしています。お互いに気をつけましょう。
コメントありがとうございました。
コース整備と言っても、勝手に案内板を付ける訳でもないので、人がどっと増える心配は無いかと思います。
簡易的な土木工事も出来ますので、どこか一個所でも手を入れたいという所があれば、ご連絡ください。
個人的には一度は調査に立ち入りたいと思います。
3本巨杉の「広い平地」は林道整備の前からあったとすると、軍道の整備や警備のための詰め所(陣屋)として作られた可能性が高いですね。
ただし、詰め所の場合は一段高い位置に作られ、直下に軍道を通す事が多いはずなので、
元の軍道は林道の掘削土砂で埋まっている可能性もあります。
マダニに噛まれた場合は、そこそこ熱くなった電気ゴテを軽く当てると、脱兎の如く逃げ出すので、機会があればお試しください。
ご提案ありがとうございます。今のところ通行に困難を感じる箇所はありません。林野庁の管轄下の林道であり、歩行専用のトレイルでもないのでちょっと億劫です。わたしとしては現状で満足しています。
「元の軍道」をさぐることができれば面白いですね。発掘許可などを得て。
マダニに電気ゴテは有効そうですね。でもそこまで行きたくないです。すでにウイルスが体内に注入されているでしょうから。思い出すだけでぞっとします。でも、かまれたらすぐ、コンロ用のライターの火を当てます。
林野庁の管轄エリアで何か作業許可が降りる事はありません。
なので、違法とならない範囲(それもある意味勝手な解釈ですが)で勝手にやるしかないのです。
流石に発掘まではやりませんよ。
重機も無しに一人で何か出来る事はありません。
40センチは掘ってからでないと始まりませんから。
ただ、尾根筋で林道が切り通しになっている所など、尾根先に古道が残っている事が良くあります。
私の場合は、マダニにやられたのが分かるのが全て帰宅後なので、最適な方法で・・という事です。
最悪気付いたのが4日後とかもありました。
風呂で垢こすりでこすった程度では取れませんね。
病気持ちだったら完全にSFTSに感染してます。
ホント嫌な虫ですが、頻度的にはブヨの方が嫌です。
先週末も耳の後ろを食われ(虫除けのハッカ油切れ)、今も痒いです。
日の当る所はブヨだらけでしたね。真冬だというのに。
たしかに一般人に発掘許可なんてありえませんね。文化財が埋まっていることがわかればしかるべきところの出番になるでしょうから、何かをひそかに発見することでしょうね。
知人の地質屋の話では鉱物については他人の土地でも採掘権が認められるので、一発当てればいいんだとか。山屋というやつです。でも、国有地はどうなのかな。
もうブヨですか。確かにいるところといないところの差ははっきりしていまっすね。何が違うのでしょう。逃げ出すしかない場所ってありますね。
わたしもマダニに食われたのに気づいたのは多分3日後頃でした。さいわい感染しませんでしたが、SFTS以外にも怖いビョーキが多いので怖いです。感染源は北上しつつあるようですし。
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