比叡山から横川中堂へ 梅里雪山17人の遭難「鎮嶺」碑をたずねて


- GPS
- --:--
- 距離
- 17.7km
- 登り
- 1,188m
- 下り
- 1,051m
コースタイム
- 山行
- 7:50
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 8:10
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポストなし きらら坂はやや急で狭いところが多い。 横川中堂へは、つつじヶ丘より、西塔方面、浄土院前から釈迦堂へたどり、東海自然歩道の案内版によって行く。車道を二回くぐる。寺院山内を見る時は700円の入山料が必要。仰木峠への登り道は、広場で横川中堂への入り口左横の大きな灯籠と看板の後ろにある。仰木峠への道は荒れている。急な階段が多い。谷へ降りてまたあがる。注意すれば危険はない。トイレはケーブル比叡駅、頂上四明岳広場、横川中堂広場などにある。大原戸道もやや急であるが、危険はない。 |
その他周辺情報 | 横川中堂への道はドライブウエイの横を通る。仰木峠への道は横高山水井岳の裾を巻いている。途中に比叡山延暦寺の堂塔を一杯参拝できる。下山後、大原にはお土産屋さんや三千院などがある。 温泉は八瀬釜風呂温泉など |
写真
感想
白山から帰って5日目
そろそろ山へ登っておかないと、来週末から登る空木岳登山で、
皆について行けないと困る
今日は晴れ曇りで 雨は降らないというので、出かけた〜〜
比叡山に登る
それも目的を持って
今日は 先日読んだ小林尚久氏のキンドル本
「梅里雪山−17人の友を探して」(ヤマケイ文庫)。
(1991年に中国領チベットにある梅里雪山で、京大学士山岳会が中心となった日中合同梅里雪山学術登山が行われた
雪崩で遭難して、学士山岳会と協力者では17人が死亡した
小林尚久氏は当時京大の学生で山岳部に所属し この仕事の一部をになっていたが、多くの先輩や師 同輩を亡くした
それらの遭難した人々の遺体捜索のために
現場の梅里雪山のすその明永村を1998年より毎年訪れて
10年以上をついやした
17人の内16人の遺体と多くの遺品を収容した)
その人々の遭難碑「鎮嶺」が比叡山の横川中堂に
建てられている!!
本に書いてあった
今回は ただ 比叡山に登る ではなくて
登山が好きなら 是非その碑を訪ねて、お参りしたいと思った
比叡山は少しづつ秋の訪れが〜〜
樹々が僅かに色づき、木の実がなり、赤いススキの穂も美しくて
大比叡頂上からつつじヶ丘経由で、横川中堂へ向かった
疲れと脱水から途中で止めたくなったが、引き返すこともできず、
頑張って歩いて、横川中堂へついた
途中は誰にも会わず、独りであった
横川中堂の聖観音さまにお参りして、
「鎮嶺」碑の場所を訊ねて、そこへ行った
「虚子の塔」の近くであったが、知らないと行けない
何故、「鎮魂」ではなくて「鎮嶺」なのか それは
本を読まないと分からない深い意味がある。
そのあと、元三大師堂にお参りした
そのまま仰木峠への道を登り下りして、仰木峠へ
この道は 見捨てられて 荒れていた
下山道は、今回は、新しい道、大原戸道をたどった
この道は、旧若狭道で、滋賀県の仰木里から、この峠へでて
大原の里を経て京都へ行く道であったと。
夏も終わり これからは比叡山へのぼるのが楽しい季節の到来!
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