22.宮之浦岳(縄文杉・白谷雲水峡) 「まんてんの島」
- GPS
- 56:00
- 距離
- 21.5km
- 登り
- 1,261m
- 下り
- 1,894m
コースタイム
5月5日(二日目):淀川小屋−花之江河ー投石平−栗生岳ー宮之浦岳山頂−焼野三叉路−平石−新高塚小屋
5月6日(三日目):新高塚小屋−高塚小屋−縄文杉−ウィルソン株−大株歩道入口−楠川別れ−辻峠−もののけ姫の森ー白谷雲水峡
天候 | 全日程:晴れと曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○宮之浦岳を登るのにネックとなるのは入島するアクセスだと思います。 僕の場合、往復共に高速船「とっぴー」を利用しました。ネットでも予約が出来ますので、いくと決めたら確実に確保はしたいものです。 ○その次に入島から登山口へのアクセスですが、僕の場合は単独行なので、路線バスを利用しました。直通ではないですが、宮之浦港から安房港までいき、安房港から紀元杉までの二路線のバスを利用しました。 タクシーは予約で一杯だったのか、まったく走っていませんでしたので、当日拾って乗ればいいという考えは捨てたほうが無難です。逆にいえばタクシーでいく場合は予約は必須ということです。 ○ガス缶は宮之浦港前にある観光案内センターで「PRIMUS」が購入可能です。取り扱っているメーカーの増加や変動もありえるので事前の確認は必要です。 (ちなみに僕は「snow peak」のバーナーしかなかったので、この情報を得て「PRIMUS」のバーナーを追加で購入しました) ○淀川小屋、新高塚小屋ですが、地図上ではテント場がないことになっていますが、テラスに張ることも可能みたいです。でも僕がいった時は、淀川小屋は満杯、新高塚小屋は10名前後と余裕で宿泊出来ましたが、満杯で泊まれない最悪の事態を考えて、テントやツエルトの持参をお勧めします。 ○登山道は木道が敷かれていて、登りやすいのですが、楠川別れから白谷雲水峡までは木道は敷いてないので道迷いには注意です。 ○白谷雲水峡から宮之浦港までのバスが1時間に2本だったと思うのですが、出ていますので、もののけ姫の森も観たいという方にはお勧めの下山口だと思います。 ○縄文杉を観るのは早朝が狙い目。昼になると、縄文杉目当てで登ってくる登山者でテラスが一杯になるそうです。 「宮之浦岳に登りたいし、縄文杉も、もののけ姫の森も観たい!」 という方は僕の歩いたルートをご検討下さるといいと思います。 ○登山とは関係がないのですが、いく前に時間があったら、「学校検―集涅諭廚留撚茲鬟譽鵐織襪靴憧僂襪海箸鬚勧めします。巨匠・山田洋次監督作品なので大抵のビデオショップに置いてあるかと思います。 |
写真
感想
第22座 まんてんの島
山田洋次監督作品の映画で「十五才−学校検廚箸い作品がある。内容は不登校の中学三年生の少年がヒッチハイクを重ね屋久島に入り、縄文杉を見るために慣れない山道を登っていく・・・・。というストーリーである。僕は数年前にこの映画を観て、いつかは屋久島に行きたい! 縄文杉を見たい! と思うようになった。
しかし、屋久島は僕にとって遠い島のひとつであった。まずは休みが多く必要であったこと。それから交通機関の問題であった。今年のGWは5日間の休みがあることで、それが可能になった。それから、早めに航空券や高速船の搭乗券の確保をし、島内バスの時刻表も入手し、どのバスに乗って登山口に向かうかなどの計画を練った。
屋久島は1ヶ月に35日雨が降る土地柄、雨が降って当たり前という考えで装備品を考えた。取りあえずはレインウェアの買い替えをし、着替えと防寒着は濡らさないよう、ゴアテックスの防水袋に入れたり、特にシュラフはゴミ袋に包んで入れたりした。これだけ雨に対してかなりナーバスになったのは今回が初めてかもしれない。
5月4日の朝、僕は屋久島に向かう高速船の中にいた。その途中で、薩摩富士こと開聞岳が船窓からはっきりと見えた。来年はあの山に登りたいなぁ〜と思いつつ眺めていた。その高速船は種子島に寄港して、最後に屋久島の宮之浦港に着いた。いい意味で予想を裏切るほどの晴天であった。
僕は登山に必要のない荷物を宮之浦ポートサイドYHに預け、まず、安房までバスで向かった。残念ながら淀川登山道までいく直通バスはなく、安房で一旦バスを降り、紀元杉行のバスに乗った。そのバスは僕の他に8人の登山者がいた。この人たちも淀川小屋に泊まるのであろう。
バスは淀川登山口から2キロ手前の紀元杉で終点である。バスが登山口までいかないのは、その周辺が路肩などにクルマが駐車していてUターンが出来ないからであろう。僕はまず、淀川登山口へ向かって歩き出した。
15分ほどで淀川登山口に着いた。このあたりはこれから登山を始める人、もう登山が終わって帰り支度をする人で賑わっていた。僕はウォーミングアップのつもりで登山道に入っていった。今回の登山が2006年の登り初めで、登山に順応できるか不安があったが、丁度登山に慣れてきた頃に淀川小屋に着いてしまった。
淀川小屋は定員が40人で僕が入った時には、約40人分のマットやシュラフが敷き詰められていて、僕が入る隙間はなさそうだった。寝るスペースが通路しか残されていない状態でどうしようかと困惑していると、ロフトにいた中年男性から
「ここに入りなよ」
とわざわざ一人分スペースを空けて頂いた。丁重にお礼をいった後、すばやくマットとシュラフを空いた場所に滑り込ませた。何とか寝る場所を確保したところで、食事作りに入った。
今回は食事というよりは酒のツマミを大量に持って来たので、ひもじい思いはしなかった。周りを見渡すとビールを担いで飲んでいる人が多いみたいだが、僕の場合は紙パックの日本酒を用意して、熱燗にして飲んだ。なぜならば、日本酒はそのままで飲んでもいいし、寒かったら熱燗にして飲めるからである。19時になるとあたりは暗くなったので、翌日に備えて寝ることにした。
5月5日、全く眠れないまま3時を過ぎてしまった。この頃になると小屋のどこからかガサゴソと音がするようになった。僕はそれに呼応するように外に出た。そうしたら、空は満天の星が輝いていた。まさかこのような夜空が見られるとは思っていなかったので、おお、幸先がいいなぁ〜と思った。星空の下で朝食作りに入った。食べ終えて、荷物の整理が済んだ頃になると空が白みかけていた。5時5分に僕は淀川小屋を出発した。
屋久杉になりきれていない小杉の樹齢を想像しながら僕は登っていった。空気はひんやりとしていておいしく感じた。小杉といっても樹齢はゆうに200〜300年はいっている。ここが屋久島でなかったら老木の部類に入っているのだろうが、1000年以上の樹齢を重ねないと屋久杉と名乗る資格が与えられないという屋久島の奥深さを感じながら花之江河を目指して登っていった。
7時に花之江河に到着した。地面は苔むした湿原が広がり、いい具合に枯れて白くなった杉が配置され、今にも山神様が降臨しそうな雰囲気を醸し出していた。山に登るとこういった景色に出会う機会が多いわけだが、その度に自然の力は本当に偉大なのだなと思わずにはいられない。
そこからさらに登って、投石平に着いた。ここまで来ると森林限界を越え、地元の島民たちがいうところの「奥岳」の山々が姿を現した。ヤクザサが生い茂っているところに点々と大小の丸い岩が顔を出していた。それらは長年の降雨の積み重ねで出来たのであろう。
ここからは巨石、奇岩のオンパレードであった。豆腐を縦に切ったような岩があったり、ローソクに似た岩もあったりで見ていて楽しかった。
投石平を過ぎたあたりで反対のルートから降ってくる登山者とすれちがうようになった。その中にある団体の山ツアーで一緒だったYさんという女性と偶然に出会ったのであった。彼女は僕と逆のルートで登山して来たのだという。Yさんは元気そうで何よりだった。とにかく、この旅で一番のサプライズとなった。
いくつかのピークを乗り越え、9時50分に宮之浦岳山頂にたどり着いた。頭上には青空が広がっており、足元には雲海が広がっていた。その割れ目から海が見えていた。雨であるつもりで登って来たので、晴れているだけでも満足であった。本当に日本列島を包んでいる高気圧よ、グッジョブ! といいたい気分であった。
焼野山叉路を通って振り返ると宮之浦岳の全容が見えた。丸い岩とヤクザサに覆われた山であることが確認出来た。僕は永田岳には寄らず、新高塚小屋に向かって降りていった。ありがたいのが、登山道のほとんどが木道や階段で整備されており、安全に登山が出来たことである。いろんな山に登ったが、まんべんなく整備されているのは、ここの他にないのではないだろうか? 世界自然遺産だからという理由もあろうが、整備した作業者に頭が下がる思いである。
13時に新高塚小屋に到着。前日の淀川小屋もそうだったが、テントが約10張設営されていた。小屋の中を見ると、7人程度の宿泊者しかおらず、余裕で自分の場所の確保も出来た。(結局この日は20人前後が小屋に宿泊した)荷物の整理も済んだところで、昼食のカロリーメイトを食べた。
テラスでまったりしていると、森からヤクジカがのっそりと姿を現した。他の登山者はカメラを構えつつ遠巻きにしてヤクジカの挙動を見つめていた。シカのほうは人間を恐れる気配もなく、黙々と草を食んでいた。野生の動物を見て感動したのは剱岳で雷鳥を見た時以来かもしれない。
小屋のテラスにて自分で作ったインスタントの味噌煮込みうどんとライスなどの夕食を食べたあと、7時過ぎには寝た。2日連続でまともな睡眠がとれていなかったので、今度こそは、しっかりと寝ることが出来た。翌日は縄文杉を皮切りにいろいろな屋久杉との出会いが待っている。果たして縄文杉は、屋久杉たちは、どんな表情で迎えてくれるのだろうか?
5月6日、空は曇っているみたいで、肌寒い朝だった。朝食を作って食べた後、5時15分に新高塚小屋を出発した。歩いていくうちに汗ばんで、高塚小屋に着いた時に長袖のシャツを脱いだ。そこから程ないところに縄文杉が威厳に満ちたオーラを放ちながら鎮座していた。
縄文杉の前のテラスに立ったのが6時15分であった。この頃、テラスにいたのは6人程度と人が少なくラッキーだった。改めて縄文杉を見てみると写真などで見るよりも威圧感があった。僕は旅の中でいろいろな巨木、老木の類を見てきたが、それらの木々がかすんでしまうくらいであった。それを考えると縄文杉は屋久島のみならず、日本全土の木々の上に立つ皇帝と呼称してもいいのではないか。
縄文杉を後にして、よく整備された木の階段を降りていくとウィルソン株に着いた。このあたりから荒川登山口から登ってきた登山者と鉢合わせになった。ウィルソン株は秀吉の時代に伐採されたといわれるが、それでも縄文杉と同じくらいに太かった。もしも伐採されていなかったら、この杉が屋久杉の主になっていたのではないか?
株の中は10人前後の大人が入れば一杯という広さで、いかに太かったのかがうかがえた。
それを考えると伐採されたのは残念としかいいようがない。
ウィルソン株から降って程ないところに大株歩道入口に出た。ここからはトロッコ道をたどるルートとなる。この頃になると縄文杉を目指す多くの登山者とすれちがうようになった。山岳ガイドを先頭に3〜20人の家族連れや何かのサークルの団体が縄文杉を目指して歩いていった。その出で立ちは運動靴に腰にビニールカッパを巻いており、いかに「にわか登山者」が多いかがうかがえた。さすがにスーツにネクタイ姿や、足はサンダルかパンプスといった「猛者」は見かけなかったけど。
楠川別れで辻峠を目指して登り坂を登るわけだが、朝から降りに慣れてしまったためか、この登りが本当にきつく感じた。さすがにここまでは木道も木の階段もなく、ちょっと油断したらコースを外れる恐れすらあった。僕はこの登山道をゆっくり登ることを心がけながら登ってコースタイムが1時間かかるところを1時間30分もかけて辻峠に着いた。
後は白谷雲水峡を目指して降るだけだ。このあたり一帯は「もののけ姫の森」と呼ばれている。宮崎駿監督が「もののけ姫」の映画を作製するにあたって、この一帯を歩きながら構想を練ったという。劇中にある「シシ神の森」のモデルになったところである。僕もこの一帯を降って見えたのが、コケに彩られた「緑一色の森」だった。足を止めてたたずんでいると、どこからかシシ神が音を立てずに姿を現すような雰囲気すらあった。この森は静寂と神秘に満ちた場所であった。
13時に白谷雲水峡のバス停に着いた。その時はさすがに小雨がぱらついていた。この雨はご愛嬌というところで、3日間の登山のうち、2日間も晴天に恵まれ満足のいく登山であった。ただ残念だったのがヤクジカを見ることが出来たが、ヤクザルを見ることが出来なかったことであった。
その無念を晴らすかのように居酒屋でトビウオの塩焼きやサバの刺身を食べ、宮之浦ポートサイドYHでは地元ですら手に入りにくい焼酎「三岳」を飲むことが出来た。大したトラブルもなく登山を終えることが出来たからか、慣れない焼酎の味も受け入れられた。
ただ、ダイエットのほうは痩せたと思うのだが全然体重が減ったという実感がなかった。
まぁ、ダイエットはこれで終わりではなくて、始まりだということでご勘弁願いたい。(本当か?)
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する