27.阿蘇山 「青年は荒野をめざす」
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 419m
- 下り
- 432m
コースタイム
天候 | 曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○降水確率が90パーセントなのに雨が降っていなかったので、奇跡的に登ることが出来ました。 ○一般的には仙酔峡登山口から基点で登り降りするコースが紹介されていますが、この時の僕はレンタカーではなかったので、路線バス便がある砂千里コースを利用しました。レンタカーやマイカーの場合は仙酔峡から、路線バス利用の場合は砂千里コースを利用したほうがいいかと思います。 |
写真
感想
第27座 青年は荒野をめざす
九州地方における日本百名山も残すところ阿蘇山のみとなった。実をいえは阿蘇山を登るのは初めてではない。
僕の記憶がある限りでは高校の修学旅行で火口まで来たのが最初だったと思う。それ以後は20歳の時に卒業旅行を兼ねたオートバイでの西日本ツーリングでこれまた火口まで来たのが2回目。
そして2002年に仙酔峡から高岳に登ろうとして、立っていられないほどの強風に阻まれ高岳まであと200メートルのところで撤退したのが3回目である。
そして今回、5月4日昼に熊本に入り、中華の老舗として有名なCという料理店で太平燕(たいぴーえん)を食し、熊本城を見学した後に列車で阿蘇駅に向かった。コンビニで弁当などを買い込み(これから宿泊する阿蘇YHは食事提供がないため)歩いて阿蘇YHへ向かうつもりだった。
ところがその途中、一台のライトバンが僕の横を停まった。運転席から初老のお母さんが顔を出してこういった。
「あんた、YHに泊まる人かい?」
「はい、そうですが・・・・」
「今から4人の団体さんを迎えにいく途中だから、あんたも乗りなよ」
僕はその言葉に応じ、ライトバンに乗った。駅に向かう途中で、その4人の団体と合流した。その団体は4人とも20代の女性だった。彼女たちがいうにはコンビニに寄ってからYHに向かうとのことで、結局、大きな荷物だけをライトバンに預けYHへ引き返した。
阿蘇YHは公営YHで開業はいつなのか分からないが、古くから営業されているらしい。風呂も食事も終わった僕は日本酒を飲みながら明日のコースの確認などのため地図を眺めていた。今回は阿蘇山ロープウェイで河口付近に入り、そこから中岳、高岳と向かうつもりであったが、仙酔峡から入るコースも捨てがたい、というかこちらから入ったほうが安全ではないかとも考えた。しかしここから仙酔峡までいくにはタクシーしかなく、いきはともかくとして帰りはうまくタクシーが拾える保障はなかった。それならば、最悪でもバス便がある前者のルートがいいのではないかと考えに落ち着いた。
かくして5月5日の朝を迎えた。その朝は大雨という最悪の朝であった。僕は布団やシーツを畳み、荷物を整理して、食堂にあるテレビを見ていた。阿蘇地方の降水確率は無情にも90パーセントを示していた。宿泊者の多くはライダーでレインウェアを着込み、次々とYHを後にしていった。僕も意を決し、8時50分に阿蘇YHを後にした。
外に出たら、取りあえず雨は止んでいた。雨が降らないうちに早く登りたいと思ったがバスがなかなか来ない。早く来ないかなと思っているうちに数分遅れでバスが来た。バスに乗り込むと先客が10人前後いた。雨なのに意外に多いなぁと思った。そのバスは高度を上げつつ阿蘇山に向かっていった。その途中で米塚を見ることが出来た。この山には美観保護のためかと思うが登れないのが残念だが、登られることによってこの山の美観が損なわれるならば登山禁止もやむを得ないかなと思った。
バスは草千里ヶ浜に停まった。ここでは牛や馬が放牧されており、その間を縫うようにして人を乗せた馬の列が見られた。ホーストレッキングである。馬に乗れていいなぁ〜と思ったらバスが数分停車するということで、僕はここで記念撮影をした。今度もしここを訪れる機会があるならば、ホーストレッキングをしたいなと思った。しばらくたって、バスは再び走り出し、阿蘇山ロープウェイ阿蘇山西駅に着いた。
火口西駅まで一気にロープウェイで高度を稼ぎ、阿蘇山火口まで来ることが出来た。天気が悪いのに関わらずたくさんの観光客が火口を覗いていた。僕も火口を覗いて見た。火口から白い噴煙をモクモクとあげていて、これを見て僕は地球が生きているのだなと思った。ここでも雨は降っていない。今のうちに登山を始めてしまおうと登山口に向かった。
登山口に入って、まずは砂千里ヶ浜を通った。火山灰で敷き詰められこげ茶色一色に染まっていた。先に地球は生きていると書いたが、ここの景色を眺めていると、まさに荒野だと思った。そして僕の目の前には溶岩で覆われた登り坂がそびえていた。ここまで来ると観光客は全くいなかった。それどころか登山者も全くいなかった。降水確率が90パーセントならば登山者ならずとも敬遠するだろうなと思った。しかし、現に雨は降っていない。それどころか雲は遠く、うっすらと太陽が見えているほどだ。
溶岩で固められた登山道は確かに急勾配だったが、ペンキマークが随所にあって迷うことはなかった。ここを登ると眼下には青々とした田畑が拡がっていた。降水確率90パーセントから考えるとこの景色は奇跡だといってもいい。ここからは火口の縁を歩くコースとなる。ここからは先ほど覗いた火口や、先ほど歩いた砂千里ヶ浜を眼下に眺めることが出来た。その稜線を歩いていくうちに中岳に着いた。ここまで来ると阿蘇山最高峰である高岳は目の前だ。
ここまで来ても登山者とはあまりすれ違わない。賑やかなGWの割には静かな山旅になったなと思いつつ12時15分に高岳に着いた。相変わらず曇っているもののかろうじて遠くまでの景色を眺めることが出来た。しかし、天気が天気だけに早々と山を降りることにした。と思ったら中岳を過ぎたあたりから雨が本降りとなり、僕は転がるように来た道をたどり、14時10分に火口西駅に着いた。
阿蘇山西駅に着くと運良くタクシーが待機していた。バス便があることはあるが、早く駅に着きたかった僕はそこでタクシーに乗り、途中で阿蘇YHに寄り、預けていた荷物を回収して阿蘇駅に着いた。これで阿蘇カルデラ観光列車「あそ1962」に乗る希望が生まれた。「あそ 1962」とは熊本から宮地を結ぶ観光列車で、外観も内装も昭和30年代に活躍した列車をリメイクされている。
「新しいのだけれど、何だか懐かしさを感じる」
と好評の列車だ。
そんな列車なので、座席券は満席だろうと駅員に聞いたら運良く1座席確保出来た。待ち時間の間、パッキングをし直しているうちに、丁度いい時間になったのでホームに入った。しばらくして「あそ1962」が阿蘇駅のホームに入って来た。こげ茶色の外観は紛れもなく「昭和」テイストを醸し出していた。車内に入るとリクライニングがないボックスシート、天井を見ると扇風機が数機取り付けられていた。こういう列車に乗っていると鉄ヲタならずとも興奮したくもなる。車内販売で黒川温泉にて作られた地ビールを飲みながら、移りゆく車窓を眺めているうちに夕方に新水前寺駅に到着した。途中道に迷いながらも今晩の宿となる水前寺YHに着いた。
水前寺YHに着くと、荷物の整理をして風呂に入って市電に飛び乗るように乗って夜の繁華街へと向かった。通町筋駅を下車して下通アーケードを南に歩くと銀座通りに突き当たる。その道を左に入ってすぐのところに目的地である馬肉郷土料理店Kに着いた。ガイドブックに載っているほどの居酒屋で混雑しているかと思ったが、客が僕ひとりだけだったので、すんなりカウンター席に通された。それでも座敷席はほぼ満席で繁盛している様子だった。僕はそこで馬肉の刺身や握りや辛しレンコンなどを肴に熊本産の焼酎をロックで飲んでいた。何だかんだ飲み食いして合計金額が7000円ちょっとかかったが後悔はしていない。天気は悪かったが熊本に来てやれることはやったという充実感をもって熊本を後にした。
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