記録ID: 57374
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ハイキング
九州・沖縄
トホレコ☆リターンズ 2・霧島を越える。
2008年04月04日(金) ~
2008年04月07日(月)


- GPS
- 80:00
- 距離
- 79.3km
- 登り
- 2,186m
- 下り
- 1,922m
コースタイム
4/4 霧島神社へ
4/5 韓国岳登頂
4/6 えびのからくるそん峡へ。
4/7 雨。停滞。
4/5 韓国岳登頂
4/6 えびのからくるそん峡へ。
4/7 雨。停滞。
過去天気図(気象庁) | 2008年04月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
4/4 県道60号線から霧島を目指す。しばらくはスーパーや商店の並ぶ、いかにもという感じの地方の町並みが続く。お酒など買いながら歩く。町を抜けると徐々に長閑な田園風景が広がってくる。このまま60号線をひたすら登っていけば、いつかは霧島神宮に出るハズである。 ちょっとした峠を越えて行くと、日豊本線の線路が道に合流してくる。線路沿いは一面の菜の花。沿道の桜も八分咲きといったところだろうか。鹿児島市内では2〜3分咲きくらいのものだったのだが、山を上がるにつれ寧ろ桜は満開に近付いて来たようだ。折角なのでザックを道端のガードレールに立てかけて、しばし撮影を試みる。踏切の風情、はるかには霧島の峰。実に見事な景色。一体ここは何て場所なんだろう?ひとしきり撮影を終えて、ふと車道の方を振り返るとバス停があるのに気づく。見上げると「大窪」とあった。 一度合流してきた鉄道であるが「霧島神宮」の駅を最後に、進路を東に変えて都城方面に逸れて行ってしまう。ここが一応霧島神宮への最寄り駅なのではあるが、距離的にはまだ5km以上残っている。ここから先はもう買い物の出来る店もないだろう。ガスボンベを買い忘れてきたのを忽然と思いだし周辺の商店などを物色。コンビニがあったのだが、3本セットでしか売ってくれない。コンビニって確かに便利なのだが、こういう所は融通がきかないよなぁ。あちこちさまよった挙句、ボロっちい商店でようやくバラ売りしてもらう。 霧島神宮駅前から少し歩いていくと、道端に「明るい農村」の酒蔵を発見。「明るい農村」はほんのりと甘く、さつまいもの風味を生かした良心的な芋焼酎である。「お気軽にどうぞ」などと書かれていたので遠慮なく拝見させてもらう。受付と思しき部屋に入ってみるも、人影も見えずひんやりと静まり返っている。ガラス窓の向こうには仕込みのタンクなどが見えているが、勝手に入っていく訳にもいくまい。それに時季的に仕込みをやっているとは思えない。芋焼酎の仕込みは11月から年末に掛けてと相場が決まっているのだ。しばらくぼんやりしていると、係の人が出てきてあれこれ説明してくれる。市川由衣似の可愛らしい娘さんである。わーい。 なんでもここ霧島町には「佐藤」「森伊蔵」「萬膳」といった錚々たる顔ぶれが酒蔵を構えているそうだ。仕込み水はもちろん霧島山の伏流水。この辺は水が良いのである。 「あれら、ぷれみあむな方々に比べましたら、私どもなどまだまだ・・・。」 などと案内の娘さんも謙遜の面持ち。いやいや明るい農村だって負けてはいないだろう。実際、僕の好みからすれば、森伊蔵なんかより明るい農村の方がずっと芋らしくて好感が持てる。村尾とか森伊蔵って芋らしさに欠けるんだよなぁ。たぶん「百年の孤独」みたいなのを評価軸にするとあれらぷれみあむな方々に人気が集中するんではあるまいか。驚いたことに明るい農村では今年は注文が多くて、未だに仕込みに追われてるそうだ。なんだやっぱり人気あるじゃん。 例によってあれこれ試飲させてもらう。黒麹や紅芋など流行りのモノも作っているようだったが、僕はやはりスタンダードな白麹が好きかな。紅芋のやつは普通の黄金千貫のものよりもかなり甘味が強く、焼き芋みたやうな味がした。種子島の「九耀」みたいな味わい。 さて、そうこうするうちにホンワカと酔いも回ってきたのであるが、実の所、酒は今朝下の町で仕入れてきたばかりである。まるっきり購買意欲ってもんが湧いてこない。しかし、かわいこちゃんの手前、手ぶらで帰るってのも恥ずかしいやうな気がする。ということで、明るい農村オリジナル手ぬぐいを意味もなく購入してみる。これは白地に碧く「明るい農村」と染め抜かれた逸品である。酒蔵を訪問したひとにはサービスでグラスを付けてくれるそうだが、すぐに割ってしまいそうなので断った。そんな訳でほろ酔い加減で酒蔵をあとに。結局ろくに買い物もしなかったわけだが、受付の娘さんはものすごい笑顔で見送ってくれた。さすがは市川由衣似だな。今から考えると、何処かにお土産として一本発送してもらう、くらいの機転を効かせておけば良かったかも。 ここから小一時間歩くと、頭上に高々と聳える大鳥居の下に出る。霧島神宮到着である。ここの桜はほぼ満開。境内を華やかに彩っている。鳥居のそばに荷物を置いて、とりあえず参拝してみる。とくに何かを期待してやって来たわけでもないのだが、思いがけず立派なお宮でビックリしてしまった。坂本龍馬が新婚旅行でやって来たとかって看板に書いてあった。しかしくゎんこう名所というのでもないのか、境内は物静かな佇まいである。こんなに静かならここまで桜を見にくるってのもオツかもしれないと思った。大窪で菜の花を見て、神宮で桜見て・・・、てか。 参道筋にある「あかまつ荘」という宿で、温泉の日帰り入浴を試みる。酸性泉の掛け流しなのだが、湯量は心許ない。間欠泉なのか流れたり止まったりしているようだった。しかし泉質はとてもいい。他に入浴の客とてなく、いい感じで寂れている。 湯上がり、参道筋の食堂で焼肉食べ放題を980円でやっているのを発見。昨夜は大蒜と高野豆腐しか食べて無かったし、ここは一つ肉でも食い貯めておくのもいいだろう。せっかく食べ放題だと言ってくれてるわけだし。というわけで一人焼肉を敢行。りんごの効いたタレがおいしかった。しかし案外食べれないものだ。こんな時フードバトラーみたいな人たちが羨ましくなる。僕は「ど根性ガエル」のぴょん吉とヒロシが梅さんの握る寿司を片っ端から平らげていくシーンなど大好きである。あの食いっぷりには憧れるが、僕自身は残念ながらああいった大食漢ではないのである。 何時の間にか真っ暗になった道を辿って「霧島」の道の駅まで。暗くてよく分からないが、ここもどうやら桜が満開の様子。街灯の明かりに夜桜が浮かび上がる。花見で一杯と洒落たいところだが、満腹だし疲れ果てていたこともあり、あっさり眠ってしまった。海岸からここまで登って来たんだから、そりゃ疲れるだろうよ。 4/5 僕は普段、夜のご飯を大目に用意して、残ったお米やおかずを翌日の朝食としている。しかし昨夜は思いがけず焼肉食べ放題など試みる展開になったので、今朝は残飯がない。山奥のこととて、周囲には朝食を購入出来るようなお店があろうはずもない。仕方ないので白米を炊くことにする。面倒くさいんだな、朝っぱらからお米炊くのって。思いつきで食べ放題なんて試みてんじゃねーよ、等々の小言を欠伸と一緒にかみ殺しつつ炊飯を試みるも、炊き上がったお米は異常に固い。なんてこった、健気にも仄んのりと白く芯が残ってやがる・・・。考えてみれば霧島山塊の中腹まで来てるんだものな。気圧の関係でうまく炊けないのかもしれない。仕方なく水を足して雑炊にしたが、大量に出来てしまった。残す分けにも行かず、泣きながら平らげる。 明日にかけてお天気下り坂の予報ではあるが、朝のうちは穏やかな天気。うっすらと高い所に雲はかかったが、視界が展けると眼下には、鹿児島のどこやらの街並みが見渡せる。はるか洋上には桜島の勇姿も。桜島、ごつかのぅ。これで見納めかもしれないと思うとなんとも寂しい気分になる。 道の駅から5kmほど歩くと霧島温泉郷である。少し手前から遊歩道が付いているようなので、そちらを歩いてみる。源泉が迸っているそばを通ったりして面白いのだが、如何せんアップダウンが激しすぎる。畢竟、遊歩道などというものは景勝の目的のためにあるのであって、移動経路としてはいささか冗長に過ぎるのだ。そういえば山陰の海岸を歩いている時も何処かで同じような感想を持ったことを思い出す。 霧島温泉郷からは普通に車道を歩いていくことにする。道端の鹿がキョトンとしてこちらを見ている。この辺を歩いている人間というのも珍しいのかもしれない。カメラを向けると漸く気付いたやうにして、慌てて森の奥へと姿を消した。そこからしばらく行くと、今度はたぬき風の生き物を見かける。何やら真剣そうな面持ちで一心に地面をほじくり返している。遠目でははっきりしないが、どうやら凶暴な爪を有しているらしい。余程熱心に発掘しているらしく、こちらの気配に気付きそうもない。カメラを構えてからピューっと口笛を吹くと、ようやくこちらを振り向いた。 「お?・・・なんですと?」 という感じでキョトンとしている。ややしばらくあって、慌てて逃げて行った。お尻を振り振り走っていく姿がなんとも不細工でかわいい。何なんだろう、アイツ。たぬきってわけでもなさそうなんだが。良く分からないけど、一生懸命穴を掘っていたところから穴熊であろうということにしておく。別に何だっていいか。 山腹を横へ横へと歩いていくと、やがて道はえびの高原に達する。ここは大きな駐車場など整備されており、一大くゎんこうスポットの様相を呈している。土産物屋などと並んで何とスターバックスまである。僕は街中にいてもあの店を見ると何故か震え上がってしまう。ましてこんな山頂付近のプラトーでは尚更だ。ぶるぶると震えながら走って逃げた。 だだっ広い芝生の公園の端っこにちょっとしたステージがある。物陰に隠れて上手いこと雨も凌げそうな造りである。すぐ傍にはキャンプ場もある。ちょっと覗いてみたが、一泊800円も取られるらしいと分かって恐ろしくなって逃げ出してしまった。別に俺はキャンプがしたいわけじゃないんだ・・・。 先ほどのステージに荷物を置いて、空身で韓国岳をアタックする。今にも泣き出しそうな鈍色の空から、冷たい雫が滴り落ちてきそうだ。重荷から開放されて足取りも軽く登っていく。一時間ほどで山頂。何とか天気は保ってくれて、曇り空の下に周囲の山々や平原が広がるのを展望出来る。海抜0mから丸二日か・・・。まあまあだな。ジッとしてると寒いので転げるやうにして下る。荷物が無いって素敵。往復2時間弱といったところか。まあまあだな。 登頂を祝す意味も込めて、えびの高原温泉ホテルへ湯を使いに行く。ずいぶん立派な施設だが日帰り入浴500円とお値段はリーズナブル。週末ということもあり、たくさんのオヤジどもが湯殿に伸びている。それがどうも、湯けむりの加減からか、どれもこれもみんな同じオヤジに見えてくる。不気味の感に堪えない。これはどうも、漠然たるものじゃないか・・・。気さくな方が多く、あれこれと声をかけられる。こういった山奥の温泉では人間得てして気さくになり勝ちなものだ。となりで湯船に浸かっている紳士に、 「ところで、おじさん、さっきの話なんですけど・・・」 などと話しかけたら、さっきまで話していた人と全然違うおじさんだったりしてビビった。遺憾ね、どうも。 4/6 たいして雨は降らなかったが、底冷えがしてあまりよく眠れなかった。さて、今日はどの辺まで行こうか?一応今後の方針としては、えびのから北へもう一山越えて、熊本は人吉温泉を目指す予定。「くるそん峡」なる不気味な名の渓谷に沿って細い道が熊本へと続いているようなので、この道を試してみるつもりだ。えびの飯野というところに八幡丘公園という有難い感じの公園があるらしいので、今日の所はその辺を目安に歩けばよろしかろ。 何故か朝からみょーに体が軽い。不思議だ。一山越えて来たのに、体がどこも痛くない。すごいや、らぴゅたはほんたうにあったんだ、などと意味不明なことを口走りつつ軽快に山を下っていく。一気に白鳥温泉上湯まで。悪い癖で温泉があると試してみたくなる。いつから俺はこんなに温泉に卑しく成り果てたのだらうか?しかし日帰り入浴300円とお安いので入っておく。まだ時間は9時半。湯を使うにはいささか早い。錆びた色の鉄分の多い湯だった。宿の裏手に「地獄」と書かれた矢印がある。行ってみると源泉なので。九州では源泉のことを「地獄」と表現するのだ。しかしつっかけで気軽に来てしまったが、結構歩かされた。 妙な時間に湯を使ったせいか、体が重くなってしまった。上湯からしばらく行くと、当然ながら今度は下湯がある。流石にこれはパス。平地まで下りきると、道はのどかな農村の一本道と化す。路傍に無人販売所が設置されていて、「いちご、200円」とある。一つ購入して一気食い。いとうまし。 えびのの平野は実にのどかな風情である。なんの変哲もない風景がやけに胸に染みて、しきりとシャッターを切りながら歩く。サウダージというのとはまた一味違ったくゎんかくだ。ひょっとして俺はさみすいのか?また妙なところでさみすくなったものよ。道端に立派な鯉のぼりが泳いでいたりする。野太い竹の頭だけ残して枝を払ったものを、ピンと一文字に空へと突き立てておいて、鯉の一家がそこに繋がれている。実に見事なものだ。子供の日にはまだ早い気もするが、これが本式なのかもしれない。 えびの飯野の駅で一休み。あてにしていた八幡丘公園が何処にあるのかわからない。町の郊外にある小高い丘の上に何かあるやうな気配だが、ひょっとしてあれがそうなのか?行く気がしねえな。この際、くるそん峡まで歩を進めることにする。川べりに泊まれるとこくらいあるだろう。 というわけでくるそん峡へむけて歩いていると、「眼鏡橋こちら」という風な看板を目にする。近くにあるようなので寄り道してみる。矢印の方に歩いていくと道は極度に頼りなくなる。その後看板もなく、本当にこっちで良いのかまったく自信がなくなる。大体、川だって見えない。引き返すにしたって、そもそもくるそん峡とやらがどっちにあるのかも、僕の地図では判然としない。田舎の小路に迷い込むと良くあることだ。人に尋ねようにも滅多なことでは人が見付からない。それでもなんとか眼鏡橋到着。かつての軌道後で、ローマ式の建築であるとの由が案内板に書かれていた。随分古いもののやうに見える。立派な建築だ。袂が広場になっていて野営向きのやうに見える。日曜ということもあって、家族連れが茣蓙を敷いて花見に勤しんでいる。水場がないようなのでここで泊まるのは止めにして、やはりくるそん峡を目指すことにする。 さて、変な道草を喰ったせいで道がさっぱり分からなくなってしまった。当てずっぽうな方角へ頼りなく進んでいく。緩やかに弧を描いて続く田舎道を歩いていくのは何とも言えず風情である。僕はこういう風景が見たくて歩いているのである。しばらく行くとT字路のところにちゃんと「くるそん峡」の看板も立っている。矢印の方角へ進んでいくと、やがて道はくるそん大橋なる橋の袂に出る。その付近の河原で野営。水場がないので付近の民家に水を貰いにいくと、丁度お餅を突いている所だった。 河原を歩き回って、わずかな薪を集めて焚き火。 4/7 夜半より激しい雨。想定外ってやつだ。夜が明けても断続的に降り続いている。これは神様のお導きであらう・・・ということで休養にする。ひと山越えて来た訳だし、ちょうどいいかもしれない。ひねもす読書して過ごす。ザックの天蓋には那覇の古本屋で買ったアンドレ・ジッドの『田園交響楽』が忍ばせてある。鹿児島までの船の中で読むつもりだったやつだ。この小説は短いが大変良く出来ていると思った。カソリックとプロテスタントの対立がテーマになっている。盲人の視力回復がカソリックへの目覚めでもあるという図式だ。それは盲目の少女を挟んだ父と子の対立構造とも重なる。単に盲人(=無垢)の開眼が罪への目覚めでもある、という図式に止まらないところがミソだろう。神父の日記という体裁を取っているところも秀逸である。キリスト教というものに造詣が深いともっと楽しめるのかもしれない。正直、僕にとってカソリックだろうとプロテスタントだろうと頓着は無いわけだから、単にその構成や語り口が優れているのが分かるだけだ。 夕方近くなってから雨はすっかり上がって雲一つない青空になる。ラッパなど吹いて遊んでみる。焚き火を試みるも、燃えそうな薪は昨日みんな燃やしてしまった。そういえば、本のページに切手が挟んであるのを見付けた。もとの持ち主が忘れたまま売りに出してしまったのだらう。こんな時サウダージは何処からともなくやって来て僕を包む。 |
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