記録ID: 602144
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
支笏・洞爺
支笏湖外輪山一周
2013年03月22日(金) ~
2013年03月25日(月)
北海道
snufkinjr
その他1人
体力度
10
2~3泊以上が適当
- GPS
- 51:04
- 距離
- 75.3km
- 登り
- 5,580m
- 下り
- 5,576m
コースタイム
1日目
- 山行
- 1:47
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:47
23:59
宿泊地
2日目
- 山行
- 14:22
- 休憩
- 1:36
- 合計
- 15:58
3日目
- 山行
- 18:17
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 19:22
5:16
86分
宿泊地
1:09
またまた長文です.
2012年冬,恵庭岳.眼下に広がる支笏湖とその周囲に連なる峰々を見た瞬間に「支笏湖外輪山一周」というプランが降りてきました.その時には,そんなことが可能かどうかもわかりませんでしたが,その後,支笏湖の山々に通いながら,繰り返し地図を眺めながらプランを立て,必要な装備を揃えていくうちに,次第に実現の可能性が見えてきました.やっぱり無理だと思ったことも何度もありましたが,いくつもの問題を解決し,トレーニングを重ね,ついに決行です.
子供の頃,山に行き,崖があるとなんとか登れないだろうかと思い挑戦することがありました.跳べる跳べないか,ギリギリの小川を跳び越えた時の達成感.できるか,できないかわからないけれど,思い切って危険に飛び込み,それを達成した時の高揚感は,あの頃も,今も変わらないような気がしていて,だからこんなことを考えるのかもしれません.
2013年3月22日(金).いつも通りに勤務を終えてから支笏湖に向かいます.これまでのチャレンジは,単独行でしたが,今回は,支笏湖の山々の偵察を共におこなってきたFさんが一緒です.霙の懸念もあったのですが,天候はまずまずです.月齢10.65の月も姿を見せています.22時5分.スノーシューを履き,樽前林道のゲート前からスタート.夜間のナビゲーションで,頼りはGPS.
度数の高いコンタクトレンズでは,GPSの表示が見えにくいので(要するに老眼),今回は,眼鏡でスタートです.ひどい近視に加えて,最近は老眼のため(いやだ,いやだ...)眼鏡は,日常生活,特に近いところを見るように合わせてあり,遠くを見るには適しません.さらに暗くなるとい っそう見えない!月明かりはありますが,木立に阻まれ,最初に登るモラップ山も視認できません.GPSを確認しながら進むのですが,最初に登るモラップ山も視認できず,GPSに表示される方向も安定しません.歩き始めて,すぐに目の前に道路が見えてきました.どう考えてもこれはおかしい.渡ってきた国道以外に道はないはず.実は,ぐるっと一回りしていたのでした.典型的な環状彷徨.気を取り直して再スタートです.さらに迷走しながら歩き,ようやくGPSの方向表示も安定し,モラップ山もみえてきて一安心.急斜面を登り,22時48分,モラップ山(506.6m).沢地形の急斜面を下り,再び急登して,23時27分,雪庇が発達したコルでつながっているキムンモラップ山(478m).
国民休暇村への急斜面を下り,千歳川にかかる鉄橋の前で,スノーシューをザックに装着し,アイゼンに交換.0時29分,紋別岳登山口.積雪が多くて,高さが2mくらいあるはずのフェンスがほぼ完全に雪に埋まっています.深くはありませんが新雪ラッセル.途中から再びスノーシューに変更.標高700m地点で作業道を離れ,山頂に真っ直ぐ続く尾根を登ります.途中から苫小牧,白老の街の灯りが綺麗に見えました.1時46分,紋別岳(865.8m).
次は,イチャンコッペ山を目指して,ひたすら新雪をラッセルしながら,いくつかのピークを越えていきます.本来は,とても美しく支笏湖を望めるルートですが,残念ながら闇の中.GPSを頼りに進みますが,時折,迷走してしまいます.午前2時55分.734.8mピーク.734.8mピークと610mピークの間の平坦部分には,鹿の足跡が縦横に走っていて壮観.夢の世界のようです.ここは,鹿の運動場か.
午前4時30分.松の苗木が植えてある斜面.なんとなく,イチャンコッペ山4合目地点に似た雰囲気.イチャンコッペに近づいてきた証拠だと思っていました.ここで大苦戦.尾根がはっきりせず,GPSの方向指示も一定せず,気がついたらぐるっと回っていました.目の前に自分達のトレースが出現.再び環状彷徨.なんとか進路を定めて,さらに小ピークを越えます.そして,4時50分,目の前のピークと地図上の地形を見て,強烈な違和感を感じました.このピークって,もしかしたら幌平山?というか,まさしく幌平山でした.イチャンコッペ山への分岐を完全に見落としていました.進路を保持するためにGPSの表示を拡大して,必死にあるいていたのと,GPSの表示のイチャンコッペ山へのルートが等高線とほとんど変わらないようなラインだったので,分岐を完全に見落としていました.あの松の苗木が植えてある斜面は,まさしくイチャンコッペ山4合目だったのです.既に二つの小ピークを越えて来ていますが,戻るしかありません.分岐を通り過ぎたのが,午前4時24分.分岐に復帰したのが,午前5時19分.1時間近くのタイムロスとかなりの体力を消耗してしまいました.
5時42分,引き返す途中で,雲間から日が昇ってきました.紋別岳モルゲンロート:朝焼け.6時18分,イチャンコッペ山(828.8m)に達し,すぐに来た道をピストンします.7時31分,幌平山(718.1m)そして,オコタンペ分岐までの稜線歩き.8時53分,オコタンペ分岐.昨晩,ここに野営道具をデポしておきました.ツェルト,シュラフ,マット. ストーブ,ガス,クッカー,食料(マルトデキストリン,フリーズドライのパスタ,最中ブラウニー),水,OS-1ゼリーなど.とにかく削れるものは全て削って軽量化した装備です.およそ10kg.今回の給水地点は,ここしかないので,たっぷり水分を補給.
深いラッセルの78号線をしばらく歩き,9時3分,,適当なところから,恵庭岳北東尾根に取りつきます.荷物で一杯のザックを木の枝にひっかけ,再びデポ.アタックザックに最小限の防寒着とアイゼンを入れて恵庭岳に挑戦.最短距離で一気に急斜面を登りますが,これが実につらかった.登っても登っても終わりがない感じ.スノーシューが滑って倍以上の労力が必要です.さらに,風の音がゴーゴーと響き山を振るわせています.漁岳方面は,おそらくかなりの強風でしょう.それでもなんとか岩塔基部まで辿り着き,アイゼンに履き替え,クーロワールを越えます.本当は,ここで支笏湖の姿が目に飛び込んでくるはずですが,残念ながら支笏湖は見えませんでした.しかし,このチャレンジを決意した場所に戻ってきました.11時46分,恵庭岳(1320m).オコタンペ湖がかすかに見えるだけで,残念ながら,最後まで支笏湖は全く見えません.展望は期待できず,さらに先は長いので,12時57分,長居をせず下山開始.
次はオコタンペ山を経て漁岳へ向かいます.雪が舞い,風が強くなっていきます.ラッセルしながらひたすら急登.さらに山頂への最後の急斜面は,スノーシューが何度も何度も滑って登りきれません.頂上近くでクレバスに落ち込んだりもして,どんどん体力が消耗します.14時50分,オコタンペ山(968m).景色は,ほとんど見えません.支笏湖はもちろん,恵庭岳もオコタンペ湖も漁岳も,全く見えない.
ひたすら新雪ラッセルを繰り返して前に進みますが,風はさらに強く吹きつけてきます.残雪期を選んだはずなのに,これでは厳冬期と変わりません.16時9分,標高945m地点.このまま漁岳に進み,森林限界を越えてハイマツ帯に出たら,遮るもののない暴風雪の中,ビバークすることもできずに遭難してしまう可能性が高いと考え,時間は,まだ早いのですが,ここでビバークすることにしました.稜線から少し降りて,風を遮ることのできる大きな木の下に避難.身体が冷え切ってしまわないように,防寒着を着込んでから,ツェルトを設営しました.漁岳までの標高差残り373mの地点が,この日の最終到達地点でした.すぐにお湯を沸かし,パスタを食べ,ココアで身体を温めます.時に雪が吹き込んでくるツェルト泊ですが,火をつけるだけで暖かくなってきます.全ての防寒着を着込んで,凍ったら困る水やOS-1ゼリーなどを全て抱きかかえて,シュラフにもぐり込みました.ツェルトに結露して氷結した霜が,ツェルトが揺れる度に降りかかってきますが,金曜日の夜からの連続行動でしたから,とにかく眠るしかありません.
条件は厳冬期に近い状態のうえ,ここから先に進めば支笏湖外輪山の最深部に突入することとなり,エスケープも不可能となります.そして,さらに雪が深くなる可能性や風に苦しめられる危険もあります.ここで撤退し,漁川林道から下山し,スタート地点に戻るという選択肢もありました.しかし,後半部は,風不死岳を除けば,過酷な急登は多くありません.食料も水も最低限は残っています.一晩,ビバークすれば,ある程度,疲労もとれます.天候も,出発前に確認した限りでは,日曜日から回復に向かうはずです.この状況で撤退するくらいなら,最初からこんな挑戦はしません.まだ撤退するのは早い.あとは,翌日の天候の回復に期待するだけと考え,眠りにつきました.
2013年3月23日(土)2時45分,起床.マットとマットの間に置いていたシューズは,すっかり凍りついています.冷たい!スピード優先で軽量なシューズを選び,冬用の登山靴ではないので,限界があります.まだ雪が舞い,月も星も見えませんが,風は,ほぼ,やんでいます.そして,パスタとココアの朝食.これで荷物が少し減ります.ツェルトを撤収し,防寒のために着込んだウェアを脱ぎ,行動用に薄着になります.最初は寒くても,動きだせば必ず暖かくなる.最初から暖かい状態でスタートすると,むしろ汗をかいてしまい,手持ちの水分だけでは足りなくなってしまいます.
5時16分,行動再開.昨晩さらに新雪が積もり,ラッセルを余儀なくされます.それでも,朝の太陽がわずかに顔を出すと後方に恵庭岳も見えてきました.しかし,一時は回復するかと思われた天候も,漁岳に近づくにつれて,再び悪化して,最初は見えていた漁岳の大斜面も霞んでいきます.もちろん頂上は確認できません.GPSとブッシュを頼りに登っていきます.6時46分,漁岳(1317.7m).ハイマツが凍りつき,荒涼とした風景が広がっています.風が雪を上から下から舞い上げ,襲いかかってきます.凍ったハイマツに足を取られて,何回か手ひどく転倒.風を遮るところは全くありません.昨日,あの風の中ここまでやって来て,夜になったら,本当に危険でした.8時,小漁山(1235.2m).風雪が強く,頂上標識があるかどうか確認する余裕もありませんでした.
次に目指すのは,1128mピークです.巨大な雪庇が発達しているので,林内を進むこととしました.林内を登り,ピークに出ると目の前に尾根が伸びています.一瞬,これが南東尾根かと思いましたが,実は,ピークはさらに左に向かって登った地点で,そこを登って初めて進行すべき尾根が目に入ってきました.最初に南東尾根と思った尾根は,西に向かう尾根だったのでした.
8時29分,1128mピーク.この頃から,ようやく天候が回復してきました.9時39分,フレ岳(1046m).この辺は,支笏湖山系の最深部で,訪れる人はごくわずかです.928mピークを越えるとオープンバーンが広がり,次第に魚の背鰭のような山容の丹鳴岳が近づいてきました.10時,丹鳴岳の北側急斜面取りつき.10時36分,丹鳴岳(1039.6m).丹鳴岳の東斜面は崖になっていて,雪庇も発達しているので,いったん北斜面を再下降して,雪庇が切れたところから,下降する尾根に向かいます.急斜面を滑り降りて,大雪庇の下をトラバース.北斜面を下降した最後に,一部,雪庇の端をきってしまったので,雪庇が崩れてくる危険があり緊張しました.危険なトラバースを終え,少しゆっくりと裏恵庭岳の姿を堪能します.この方向から恵庭岳を見るのは初めてで,新鮮です.いまだに札幌オリンピックの滑降コースの痕跡が残っています. 天候は急速に回復し,日差しが強くなってきました.丹鳴岳の南側は尾根と沢が複雑に入り組んで迷路のようになっています.今回のチャレンジを計画するにあたって,ここをどう攻略するかがひとつの鍵でした.当初は,南側の尾根を縫うように繋ぎ,丹鳴尾(742.4m)を経て美笛橋に至るルートを考えていましが,何回も地図を眺めているうちに,ふと支笏湖湖岸寄りに尾根がきれいに伸びていることに気がつきました.天気が良ければ,支笏湖を眺めながら下降することもできるかもしれないと思い,ここを通ることにしました.ただ,このルートが楽だったわけでは決してありません.急速に日差しが強くなり,気温も上がり,雪が一気に重くなっていきます.また,尾根上を歩くつもりが,湖側に発達した雪庇に亀裂が入っていて,そこに新雪が積もってヒドゥンクレバスになっています.クレバスに落ちたり,雪庇もろとも転落する危険があるため,ブッシュの中を歩かざるを得ません.気温が上がっているため,アイゼンに団子状に雪が付き,爪が効かなくなりスリップしていまいます.午後2時7分.それでも,ようやく尾根を下り終えました.
午後2時37分.美笛橋.ここから美笛トンネルを越える尾根に乗るというプランもありましたが,時間を考えて,林道を国道まで歩くことにしました.このへんから,両腕前腕橈側(親指側)の痛みがひどくなり,ポールを握れなくなってきました.仕方が無いので,ストラップで引きずるようにして歩きました.
そして,15時23分,美笛の林道入り口ゲート.ここでひとつの決断をしました.残された体力で,野営道具を全て背負ってゴールまで歩くのは難しい.天候は安定しており,荷物が軽ければ,たとえペースダウンしたとしても,天候がくずれる前に,あるいは力尽きる前にゴールできるだろう.そう考えて,身を守る装備は切り捨てることにしました.最低限の防寒着を残して,シュラフ,マット,ツェルト,ストーブ,ガス,クッカーなどはここで捨てることにしました.ゴールしてから,取りに来ればいいと考えたのです.スノーシューは,必要になった場合,もしなければ先に進めなくなるので,重くても捨てるわけには行きません.闘うための装備だけは持って,身を守る装備はデポして,いよいよ最後のステージ.国道を越えて,支笏湖南岸の台地に登る急斜面に取りつきます.16時15分,ようやく台地にあがり,崖に沿って前に進んでいくと木立の間から,恵庭岳や,金曜日から土曜日の夜にかけて歩いた紋別岳からイチャンコッペ山への稜線が綺麗に見えます.この台地は,地図上では,平坦ですが,時折,沢が切れ込んできて,そこを越えざるをえません.これが疲れた身体には,えらく堪えます.気温が下がってきて,昼間溶けた雪の表面が凍って,モナカ雪になっているのも,体力を奪います.歩いても歩いても距離が伸びていきません.17時12分,瘤山トラバース.多峰古峰山への中間地点.ここも登るつもりだったのですが,パスすることにしました.人生は選択の連続.なにかを得るためには何かを捨てる必要があります.今は,一周することだけを考え,そのために計画自体をそぎ落とす必要もでてくるのだと考えることにしました.18時25分,多峰古峰山取りつき.水分に関しては,この時点で,OS-1ゼリー200gが残りひとつ.汗をできるだけかかないように薄着で行動してきたので,なんとかギリギリ間に合うとは思いますが,大切にしなければなりません.試しに雪を口に含んでみましたが,とても水分補給になりそうにありません.3回目の夜に突入.ヘッドライト装着.ロキソニンを服用.18時39分,多峰古峰山(661m).残りは,あと樽前山と風不死岳を残すのみ.
しかし,ここから筆舌に尽くしがたい壮絶な苦しみが始まるのでした.歩いても歩いてもGPSの軌跡が伸びていきません.モナカ雪も予想以上に足に堪えます.スノーシューに履き替えた方が良いのだろうかと思いながらも,その決断もつきません.さらに繰り返し現れる沢地形が,心と身体を砕きます.これで本当にたどり着けるのだろうかという不安が急速に膨らんできます.しかし,エスケープしようにも,左は崖が落ち込み,簡単に下る事はできません.もし降りることができたとしても広大なシシャモナイ沢が広がり,苔の同門に代表される深い渓谷が何本か走っているので,道を阻まれ先に進めなくなる可能性もあります.要するにエスケープできるルートは無いということです.野営装備を全て捨てたので,歩き続けるか,立ち止まって凍死するか,ふたつにひとつしかありません.せめて,ツェルトくらいは持ってくるべきだったかもしれませんが,それを置いてきたのは,ある意味,自分を限界まで追い込むことで,最後の力を絞り出せるのではないかと思ったからです.「人間は,いつ死ぬかわからない.」いつも,そう思って生きてきました.しかし,今は,まだその時ではない.これまでの経験上,スピードは落ちているけれど,まだまだ連続行動は可能です.止まりさえしなければ,凍死する心配はないし,その先に光は見えてきます.あきらめるな!
苦しい歩みの中,唯一救いだったのは,時折聞こえてくる,エゾフクロウの鳴き声です.初めて聞きました.生還して,今度は,もっとのんびりとこの夜の山に戻ってこよう.そして,テントの中からエゾフクロウの鳴き声を聞こう.
延々と続く苦しみの中,21時20分,気がつくと,標高651mを過ぎたあたりから,少しずつ登りが始まっています.いよいよ樽前山への登りです.山頂に招くようになだらかな尾根が続き,導かれるようにそこを登っていきます.それまでの苦しさがなんだったのだろうかというくらい,元気が出てきました. 22時32分,標高900m地点で,ついに森林限界を超え,樽前山西山に続くクラスト斜面が目に飛び込んできました.もうラッセルする必要もありません.アイゼンの爪をきかせて,快調に高度を上げていきます.太平洋と街の灯りが遠くまで広がっているのが見えます.噴煙をあげる夜の樽前山ドーム.夜の樽前山のこんな姿を目にする人は,ほとんどいないのではないだろうか.22時51分,樽前山西山(993.9m). 23時10分,樽前山神社(921m)そして,23時29分,樽前山東山(1022m)到着.
残すは,風不死岳(1102.4m)ひとつ.ここで最後の決断を迫られます.なんとかここまで辿り着きましたが,ここから先,風不死岳に向かうルートは,再び急登かつラッセルになるでしょう.さらに,それは,今回のルートの中で最も深いラッセルになる可能性があります.冷静に考えれば,二人のうち,どちらが動けなくなってもおかしくない状態です.身を守る装備も全て捨ててしまっています.どちらか片方でも行動不能になったら,背負っていけるわけもなく,そこで間違いなく疲労凍死するのを待つだけになるでしょう.なんとか,風不死岳の山頂までたどり着きさえすれば,あとは北尾根を下って国道にでることもできますが,かなりの危険を伴うことは明らかです.普通の人に無謀に見えるこれまでの行動は,自分にとっては全て想定内でした.けれど,この状態で風不死岳に挑むのは,あまりにも「無謀」です.「冒険」と「無謀な行為」は違います.さらに,タイムリミットも迫っています.残念ですが,風不死岳は諦めて,下山することにしました.パーフェクトではないけれど,まがりなりにも支笏湖外輪山一周はできます.
しかし,すっかり遅くなってしまいました.もしやと思い,iPhoneを見ると圏内になっています.心配しているだろうと思い,妻に電話をかけました.「今,樽前山山頂.」と伝えると,電話の向こうで,「えーっ!樽前山!」と大受けして爆笑していました.まあ,これで,お互い安心です.
月明かりに照らされる樽前山のクラストした斜面を駈け降り,ヒュッテから月明かりの林道をひたすら歩き,2013年3月25日(月)1時9分,ついに樽前林道ゲート前に戻ってきました.いつもなら達成したことで完全な開放感に浸るところですが,やはりやり残した思いが残っています.それでも,無事,生きて帰ってきました.また挑戦することはできます.長い旅が終わりました.
風不死岳をパスしたことで,パーフェクトな支笏湖外輪山一周を果たしたとは言えません.しかし,最後の風不死岳に拘り,命を落としたら,そこに全く美しさはありません.そして,愚かな行為だと言われるでしょう.生還してこその冒険です.もし木曜日から金曜日にかけてあれほど雪が降らず,雪が締まり,ラッセルにあれほど苦しめられなければ,もし先行者のトレースがあったら,もし土曜日の午後のあの強風がなく,順調に距離を伸ばすことができていたら...しかし,それは全て仮定の話です.現実は,違った.それはそれで良いのです.未来を予測することは簡単ではありません.与えられた条件の中で,全力を出し尽くして闘うしか道はない.どちらにしてもかけがえのない時間でした.ほとんどのルートが新雪で,誰の足跡も残っていない所を進めたことは,本当に幸せでした.たとえ視界が限られていたとしても,支笏湖の山々は美しかった.
誰も考えたことのないような過酷で美しい課題を見つけ出すこと.当初は不可能ではないかと思うようなチャレンジを,ルート,日程,装備,体力など,あらゆる面で計画していくこと.そして,トレースのない道を,自らルートを切り開き,前に進み,ゴールする.その全てに意味があります.支笏湖外輪山を一周することだけに意味があるのではなく,恵庭岳のピークで思いついた,「支笏湖を巡る山々を一周したい」という思いを実現するための全ての時間に意味があったのです.
支笏湖チャレンジ:支笏湖外輪山一周.
スタート:2013年3月22日(金)22時5分.
ゴール:2013年3月25日(月)1時9分.
時間51時間5分.距離78.8km.
獲得標高6720m.
思い続ければ,夢は叶う!
金曜日の仕事を終えてからスタートし,月曜日の仕事に間に合うように戻ってくる.そして,当たり前の顔をして仕事をする.それが,週末冒険家の美学です.
冒険は終わりました.
さあ,つぎの挑戦は?
To be continued.
2012年冬,恵庭岳.眼下に広がる支笏湖とその周囲に連なる峰々を見た瞬間に「支笏湖外輪山一周」というプランが降りてきました.その時には,そんなことが可能かどうかもわかりませんでしたが,その後,支笏湖の山々に通いながら,繰り返し地図を眺めながらプランを立て,必要な装備を揃えていくうちに,次第に実現の可能性が見えてきました.やっぱり無理だと思ったことも何度もありましたが,いくつもの問題を解決し,トレーニングを重ね,ついに決行です.
子供の頃,山に行き,崖があるとなんとか登れないだろうかと思い挑戦することがありました.跳べる跳べないか,ギリギリの小川を跳び越えた時の達成感.できるか,できないかわからないけれど,思い切って危険に飛び込み,それを達成した時の高揚感は,あの頃も,今も変わらないような気がしていて,だからこんなことを考えるのかもしれません.
2013年3月22日(金).いつも通りに勤務を終えてから支笏湖に向かいます.これまでのチャレンジは,単独行でしたが,今回は,支笏湖の山々の偵察を共におこなってきたFさんが一緒です.霙の懸念もあったのですが,天候はまずまずです.月齢10.65の月も姿を見せています.22時5分.スノーシューを履き,樽前林道のゲート前からスタート.夜間のナビゲーションで,頼りはGPS.
度数の高いコンタクトレンズでは,GPSの表示が見えにくいので(要するに老眼),今回は,眼鏡でスタートです.ひどい近視に加えて,最近は老眼のため(いやだ,いやだ...)眼鏡は,日常生活,特に近いところを見るように合わせてあり,遠くを見るには適しません.さらに暗くなるとい っそう見えない!月明かりはありますが,木立に阻まれ,最初に登るモラップ山も視認できません.GPSを確認しながら進むのですが,最初に登るモラップ山も視認できず,GPSに表示される方向も安定しません.歩き始めて,すぐに目の前に道路が見えてきました.どう考えてもこれはおかしい.渡ってきた国道以外に道はないはず.実は,ぐるっと一回りしていたのでした.典型的な環状彷徨.気を取り直して再スタートです.さらに迷走しながら歩き,ようやくGPSの方向表示も安定し,モラップ山もみえてきて一安心.急斜面を登り,22時48分,モラップ山(506.6m).沢地形の急斜面を下り,再び急登して,23時27分,雪庇が発達したコルでつながっているキムンモラップ山(478m).
国民休暇村への急斜面を下り,千歳川にかかる鉄橋の前で,スノーシューをザックに装着し,アイゼンに交換.0時29分,紋別岳登山口.積雪が多くて,高さが2mくらいあるはずのフェンスがほぼ完全に雪に埋まっています.深くはありませんが新雪ラッセル.途中から再びスノーシューに変更.標高700m地点で作業道を離れ,山頂に真っ直ぐ続く尾根を登ります.途中から苫小牧,白老の街の灯りが綺麗に見えました.1時46分,紋別岳(865.8m).
次は,イチャンコッペ山を目指して,ひたすら新雪をラッセルしながら,いくつかのピークを越えていきます.本来は,とても美しく支笏湖を望めるルートですが,残念ながら闇の中.GPSを頼りに進みますが,時折,迷走してしまいます.午前2時55分.734.8mピーク.734.8mピークと610mピークの間の平坦部分には,鹿の足跡が縦横に走っていて壮観.夢の世界のようです.ここは,鹿の運動場か.
午前4時30分.松の苗木が植えてある斜面.なんとなく,イチャンコッペ山4合目地点に似た雰囲気.イチャンコッペに近づいてきた証拠だと思っていました.ここで大苦戦.尾根がはっきりせず,GPSの方向指示も一定せず,気がついたらぐるっと回っていました.目の前に自分達のトレースが出現.再び環状彷徨.なんとか進路を定めて,さらに小ピークを越えます.そして,4時50分,目の前のピークと地図上の地形を見て,強烈な違和感を感じました.このピークって,もしかしたら幌平山?というか,まさしく幌平山でした.イチャンコッペ山への分岐を完全に見落としていました.進路を保持するためにGPSの表示を拡大して,必死にあるいていたのと,GPSの表示のイチャンコッペ山へのルートが等高線とほとんど変わらないようなラインだったので,分岐を完全に見落としていました.あの松の苗木が植えてある斜面は,まさしくイチャンコッペ山4合目だったのです.既に二つの小ピークを越えて来ていますが,戻るしかありません.分岐を通り過ぎたのが,午前4時24分.分岐に復帰したのが,午前5時19分.1時間近くのタイムロスとかなりの体力を消耗してしまいました.
5時42分,引き返す途中で,雲間から日が昇ってきました.紋別岳モルゲンロート:朝焼け.6時18分,イチャンコッペ山(828.8m)に達し,すぐに来た道をピストンします.7時31分,幌平山(718.1m)そして,オコタンペ分岐までの稜線歩き.8時53分,オコタンペ分岐.昨晩,ここに野営道具をデポしておきました.ツェルト,シュラフ,マット. ストーブ,ガス,クッカー,食料(マルトデキストリン,フリーズドライのパスタ,最中ブラウニー),水,OS-1ゼリーなど.とにかく削れるものは全て削って軽量化した装備です.およそ10kg.今回の給水地点は,ここしかないので,たっぷり水分を補給.
深いラッセルの78号線をしばらく歩き,9時3分,,適当なところから,恵庭岳北東尾根に取りつきます.荷物で一杯のザックを木の枝にひっかけ,再びデポ.アタックザックに最小限の防寒着とアイゼンを入れて恵庭岳に挑戦.最短距離で一気に急斜面を登りますが,これが実につらかった.登っても登っても終わりがない感じ.スノーシューが滑って倍以上の労力が必要です.さらに,風の音がゴーゴーと響き山を振るわせています.漁岳方面は,おそらくかなりの強風でしょう.それでもなんとか岩塔基部まで辿り着き,アイゼンに履き替え,クーロワールを越えます.本当は,ここで支笏湖の姿が目に飛び込んでくるはずですが,残念ながら支笏湖は見えませんでした.しかし,このチャレンジを決意した場所に戻ってきました.11時46分,恵庭岳(1320m).オコタンペ湖がかすかに見えるだけで,残念ながら,最後まで支笏湖は全く見えません.展望は期待できず,さらに先は長いので,12時57分,長居をせず下山開始.
次はオコタンペ山を経て漁岳へ向かいます.雪が舞い,風が強くなっていきます.ラッセルしながらひたすら急登.さらに山頂への最後の急斜面は,スノーシューが何度も何度も滑って登りきれません.頂上近くでクレバスに落ち込んだりもして,どんどん体力が消耗します.14時50分,オコタンペ山(968m).景色は,ほとんど見えません.支笏湖はもちろん,恵庭岳もオコタンペ湖も漁岳も,全く見えない.
ひたすら新雪ラッセルを繰り返して前に進みますが,風はさらに強く吹きつけてきます.残雪期を選んだはずなのに,これでは厳冬期と変わりません.16時9分,標高945m地点.このまま漁岳に進み,森林限界を越えてハイマツ帯に出たら,遮るもののない暴風雪の中,ビバークすることもできずに遭難してしまう可能性が高いと考え,時間は,まだ早いのですが,ここでビバークすることにしました.稜線から少し降りて,風を遮ることのできる大きな木の下に避難.身体が冷え切ってしまわないように,防寒着を着込んでから,ツェルトを設営しました.漁岳までの標高差残り373mの地点が,この日の最終到達地点でした.すぐにお湯を沸かし,パスタを食べ,ココアで身体を温めます.時に雪が吹き込んでくるツェルト泊ですが,火をつけるだけで暖かくなってきます.全ての防寒着を着込んで,凍ったら困る水やOS-1ゼリーなどを全て抱きかかえて,シュラフにもぐり込みました.ツェルトに結露して氷結した霜が,ツェルトが揺れる度に降りかかってきますが,金曜日の夜からの連続行動でしたから,とにかく眠るしかありません.
条件は厳冬期に近い状態のうえ,ここから先に進めば支笏湖外輪山の最深部に突入することとなり,エスケープも不可能となります.そして,さらに雪が深くなる可能性や風に苦しめられる危険もあります.ここで撤退し,漁川林道から下山し,スタート地点に戻るという選択肢もありました.しかし,後半部は,風不死岳を除けば,過酷な急登は多くありません.食料も水も最低限は残っています.一晩,ビバークすれば,ある程度,疲労もとれます.天候も,出発前に確認した限りでは,日曜日から回復に向かうはずです.この状況で撤退するくらいなら,最初からこんな挑戦はしません.まだ撤退するのは早い.あとは,翌日の天候の回復に期待するだけと考え,眠りにつきました.
2013年3月23日(土)2時45分,起床.マットとマットの間に置いていたシューズは,すっかり凍りついています.冷たい!スピード優先で軽量なシューズを選び,冬用の登山靴ではないので,限界があります.まだ雪が舞い,月も星も見えませんが,風は,ほぼ,やんでいます.そして,パスタとココアの朝食.これで荷物が少し減ります.ツェルトを撤収し,防寒のために着込んだウェアを脱ぎ,行動用に薄着になります.最初は寒くても,動きだせば必ず暖かくなる.最初から暖かい状態でスタートすると,むしろ汗をかいてしまい,手持ちの水分だけでは足りなくなってしまいます.
5時16分,行動再開.昨晩さらに新雪が積もり,ラッセルを余儀なくされます.それでも,朝の太陽がわずかに顔を出すと後方に恵庭岳も見えてきました.しかし,一時は回復するかと思われた天候も,漁岳に近づくにつれて,再び悪化して,最初は見えていた漁岳の大斜面も霞んでいきます.もちろん頂上は確認できません.GPSとブッシュを頼りに登っていきます.6時46分,漁岳(1317.7m).ハイマツが凍りつき,荒涼とした風景が広がっています.風が雪を上から下から舞い上げ,襲いかかってきます.凍ったハイマツに足を取られて,何回か手ひどく転倒.風を遮るところは全くありません.昨日,あの風の中ここまでやって来て,夜になったら,本当に危険でした.8時,小漁山(1235.2m).風雪が強く,頂上標識があるかどうか確認する余裕もありませんでした.
次に目指すのは,1128mピークです.巨大な雪庇が発達しているので,林内を進むこととしました.林内を登り,ピークに出ると目の前に尾根が伸びています.一瞬,これが南東尾根かと思いましたが,実は,ピークはさらに左に向かって登った地点で,そこを登って初めて進行すべき尾根が目に入ってきました.最初に南東尾根と思った尾根は,西に向かう尾根だったのでした.
8時29分,1128mピーク.この頃から,ようやく天候が回復してきました.9時39分,フレ岳(1046m).この辺は,支笏湖山系の最深部で,訪れる人はごくわずかです.928mピークを越えるとオープンバーンが広がり,次第に魚の背鰭のような山容の丹鳴岳が近づいてきました.10時,丹鳴岳の北側急斜面取りつき.10時36分,丹鳴岳(1039.6m).丹鳴岳の東斜面は崖になっていて,雪庇も発達しているので,いったん北斜面を再下降して,雪庇が切れたところから,下降する尾根に向かいます.急斜面を滑り降りて,大雪庇の下をトラバース.北斜面を下降した最後に,一部,雪庇の端をきってしまったので,雪庇が崩れてくる危険があり緊張しました.危険なトラバースを終え,少しゆっくりと裏恵庭岳の姿を堪能します.この方向から恵庭岳を見るのは初めてで,新鮮です.いまだに札幌オリンピックの滑降コースの痕跡が残っています. 天候は急速に回復し,日差しが強くなってきました.丹鳴岳の南側は尾根と沢が複雑に入り組んで迷路のようになっています.今回のチャレンジを計画するにあたって,ここをどう攻略するかがひとつの鍵でした.当初は,南側の尾根を縫うように繋ぎ,丹鳴尾(742.4m)を経て美笛橋に至るルートを考えていましが,何回も地図を眺めているうちに,ふと支笏湖湖岸寄りに尾根がきれいに伸びていることに気がつきました.天気が良ければ,支笏湖を眺めながら下降することもできるかもしれないと思い,ここを通ることにしました.ただ,このルートが楽だったわけでは決してありません.急速に日差しが強くなり,気温も上がり,雪が一気に重くなっていきます.また,尾根上を歩くつもりが,湖側に発達した雪庇に亀裂が入っていて,そこに新雪が積もってヒドゥンクレバスになっています.クレバスに落ちたり,雪庇もろとも転落する危険があるため,ブッシュの中を歩かざるを得ません.気温が上がっているため,アイゼンに団子状に雪が付き,爪が効かなくなりスリップしていまいます.午後2時7分.それでも,ようやく尾根を下り終えました.
午後2時37分.美笛橋.ここから美笛トンネルを越える尾根に乗るというプランもありましたが,時間を考えて,林道を国道まで歩くことにしました.このへんから,両腕前腕橈側(親指側)の痛みがひどくなり,ポールを握れなくなってきました.仕方が無いので,ストラップで引きずるようにして歩きました.
そして,15時23分,美笛の林道入り口ゲート.ここでひとつの決断をしました.残された体力で,野営道具を全て背負ってゴールまで歩くのは難しい.天候は安定しており,荷物が軽ければ,たとえペースダウンしたとしても,天候がくずれる前に,あるいは力尽きる前にゴールできるだろう.そう考えて,身を守る装備は切り捨てることにしました.最低限の防寒着を残して,シュラフ,マット,ツェルト,ストーブ,ガス,クッカーなどはここで捨てることにしました.ゴールしてから,取りに来ればいいと考えたのです.スノーシューは,必要になった場合,もしなければ先に進めなくなるので,重くても捨てるわけには行きません.闘うための装備だけは持って,身を守る装備はデポして,いよいよ最後のステージ.国道を越えて,支笏湖南岸の台地に登る急斜面に取りつきます.16時15分,ようやく台地にあがり,崖に沿って前に進んでいくと木立の間から,恵庭岳や,金曜日から土曜日の夜にかけて歩いた紋別岳からイチャンコッペ山への稜線が綺麗に見えます.この台地は,地図上では,平坦ですが,時折,沢が切れ込んできて,そこを越えざるをえません.これが疲れた身体には,えらく堪えます.気温が下がってきて,昼間溶けた雪の表面が凍って,モナカ雪になっているのも,体力を奪います.歩いても歩いても距離が伸びていきません.17時12分,瘤山トラバース.多峰古峰山への中間地点.ここも登るつもりだったのですが,パスすることにしました.人生は選択の連続.なにかを得るためには何かを捨てる必要があります.今は,一周することだけを考え,そのために計画自体をそぎ落とす必要もでてくるのだと考えることにしました.18時25分,多峰古峰山取りつき.水分に関しては,この時点で,OS-1ゼリー200gが残りひとつ.汗をできるだけかかないように薄着で行動してきたので,なんとかギリギリ間に合うとは思いますが,大切にしなければなりません.試しに雪を口に含んでみましたが,とても水分補給になりそうにありません.3回目の夜に突入.ヘッドライト装着.ロキソニンを服用.18時39分,多峰古峰山(661m).残りは,あと樽前山と風不死岳を残すのみ.
しかし,ここから筆舌に尽くしがたい壮絶な苦しみが始まるのでした.歩いても歩いてもGPSの軌跡が伸びていきません.モナカ雪も予想以上に足に堪えます.スノーシューに履き替えた方が良いのだろうかと思いながらも,その決断もつきません.さらに繰り返し現れる沢地形が,心と身体を砕きます.これで本当にたどり着けるのだろうかという不安が急速に膨らんできます.しかし,エスケープしようにも,左は崖が落ち込み,簡単に下る事はできません.もし降りることができたとしても広大なシシャモナイ沢が広がり,苔の同門に代表される深い渓谷が何本か走っているので,道を阻まれ先に進めなくなる可能性もあります.要するにエスケープできるルートは無いということです.野営装備を全て捨てたので,歩き続けるか,立ち止まって凍死するか,ふたつにひとつしかありません.せめて,ツェルトくらいは持ってくるべきだったかもしれませんが,それを置いてきたのは,ある意味,自分を限界まで追い込むことで,最後の力を絞り出せるのではないかと思ったからです.「人間は,いつ死ぬかわからない.」いつも,そう思って生きてきました.しかし,今は,まだその時ではない.これまでの経験上,スピードは落ちているけれど,まだまだ連続行動は可能です.止まりさえしなければ,凍死する心配はないし,その先に光は見えてきます.あきらめるな!
苦しい歩みの中,唯一救いだったのは,時折聞こえてくる,エゾフクロウの鳴き声です.初めて聞きました.生還して,今度は,もっとのんびりとこの夜の山に戻ってこよう.そして,テントの中からエゾフクロウの鳴き声を聞こう.
延々と続く苦しみの中,21時20分,気がつくと,標高651mを過ぎたあたりから,少しずつ登りが始まっています.いよいよ樽前山への登りです.山頂に招くようになだらかな尾根が続き,導かれるようにそこを登っていきます.それまでの苦しさがなんだったのだろうかというくらい,元気が出てきました. 22時32分,標高900m地点で,ついに森林限界を超え,樽前山西山に続くクラスト斜面が目に飛び込んできました.もうラッセルする必要もありません.アイゼンの爪をきかせて,快調に高度を上げていきます.太平洋と街の灯りが遠くまで広がっているのが見えます.噴煙をあげる夜の樽前山ドーム.夜の樽前山のこんな姿を目にする人は,ほとんどいないのではないだろうか.22時51分,樽前山西山(993.9m). 23時10分,樽前山神社(921m)そして,23時29分,樽前山東山(1022m)到着.
残すは,風不死岳(1102.4m)ひとつ.ここで最後の決断を迫られます.なんとかここまで辿り着きましたが,ここから先,風不死岳に向かうルートは,再び急登かつラッセルになるでしょう.さらに,それは,今回のルートの中で最も深いラッセルになる可能性があります.冷静に考えれば,二人のうち,どちらが動けなくなってもおかしくない状態です.身を守る装備も全て捨ててしまっています.どちらか片方でも行動不能になったら,背負っていけるわけもなく,そこで間違いなく疲労凍死するのを待つだけになるでしょう.なんとか,風不死岳の山頂までたどり着きさえすれば,あとは北尾根を下って国道にでることもできますが,かなりの危険を伴うことは明らかです.普通の人に無謀に見えるこれまでの行動は,自分にとっては全て想定内でした.けれど,この状態で風不死岳に挑むのは,あまりにも「無謀」です.「冒険」と「無謀な行為」は違います.さらに,タイムリミットも迫っています.残念ですが,風不死岳は諦めて,下山することにしました.パーフェクトではないけれど,まがりなりにも支笏湖外輪山一周はできます.
しかし,すっかり遅くなってしまいました.もしやと思い,iPhoneを見ると圏内になっています.心配しているだろうと思い,妻に電話をかけました.「今,樽前山山頂.」と伝えると,電話の向こうで,「えーっ!樽前山!」と大受けして爆笑していました.まあ,これで,お互い安心です.
月明かりに照らされる樽前山のクラストした斜面を駈け降り,ヒュッテから月明かりの林道をひたすら歩き,2013年3月25日(月)1時9分,ついに樽前林道ゲート前に戻ってきました.いつもなら達成したことで完全な開放感に浸るところですが,やはりやり残した思いが残っています.それでも,無事,生きて帰ってきました.また挑戦することはできます.長い旅が終わりました.
風不死岳をパスしたことで,パーフェクトな支笏湖外輪山一周を果たしたとは言えません.しかし,最後の風不死岳に拘り,命を落としたら,そこに全く美しさはありません.そして,愚かな行為だと言われるでしょう.生還してこその冒険です.もし木曜日から金曜日にかけてあれほど雪が降らず,雪が締まり,ラッセルにあれほど苦しめられなければ,もし先行者のトレースがあったら,もし土曜日の午後のあの強風がなく,順調に距離を伸ばすことができていたら...しかし,それは全て仮定の話です.現実は,違った.それはそれで良いのです.未来を予測することは簡単ではありません.与えられた条件の中で,全力を出し尽くして闘うしか道はない.どちらにしてもかけがえのない時間でした.ほとんどのルートが新雪で,誰の足跡も残っていない所を進めたことは,本当に幸せでした.たとえ視界が限られていたとしても,支笏湖の山々は美しかった.
誰も考えたことのないような過酷で美しい課題を見つけ出すこと.当初は不可能ではないかと思うようなチャレンジを,ルート,日程,装備,体力など,あらゆる面で計画していくこと.そして,トレースのない道を,自らルートを切り開き,前に進み,ゴールする.その全てに意味があります.支笏湖外輪山を一周することだけに意味があるのではなく,恵庭岳のピークで思いついた,「支笏湖を巡る山々を一周したい」という思いを実現するための全ての時間に意味があったのです.
支笏湖チャレンジ:支笏湖外輪山一周.
スタート:2013年3月22日(金)22時5分.
ゴール:2013年3月25日(月)1時9分.
時間51時間5分.距離78.8km.
獲得標高6720m.
思い続ければ,夢は叶う!
金曜日の仕事を終えてからスタートし,月曜日の仕事に間に合うように戻ってくる.そして,当たり前の顔をして仕事をする.それが,週末冒険家の美学です.
冒険は終わりました.
さあ,つぎの挑戦は?
To be continued.
天候 | 曇り/雪/曇り/晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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写真
装備
個人装備 |
ベースレイヤー:TNF S/S Paramount Mesh Crew.ミッドレイヤー:Smartwool マイクロウェイトジップT.アウターシェル:Rab Stretch Neo Jacket.ボトム:Rab MecCo 120 Boxer
Rab MeCo 165 Pants
Rab Neo Stretch Pants.<br />ゲイター:Rab Neo Stretch Gaiter.ソックス:fintrack フラッドラッシュスキンメッシュソックス
smartwool Moutaineering.<br />グローブ:Rab Primaloft Glove.Rab Latok Ice Gauntlet.<br />バラクラバ:Patagonia R1 Balaclaba.<br />ヘッドバンド:Patagonia R1 Headband.<br />ヘッドライト:Petzl Nao.<br />シューズ:Salomon Synapse Winter WP.<br />スノーシュー:Tubbs Women's Flex Alp.<br />ザック:macpack AMP Race 40.<br />ウェストバック:TARAS BOULBA ウォーカーズライトバック.<br />ポール:Black Diamond Compactor.<br />GPS:Garmin eTrex 30.
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トランスシリーズ、極まれり(@_@)
snufkinjrさんのおっしゃられる
計画の美しさ
計画の柔軟性
それに必要な装備など
それらが形になり、そして力が遺憾なく発揮された素晴らしい記録だと思います。
厳しい状況に応じて柔軟に対応して行く・・・
もう、何と言って良いのか。凄いです。
テレビ番組が製作されてもおかしくありません。
成功おめでとうございます!
Ei-taroさん,ありがとうございます.お返事が遅れてすみません.
屋久島に行っていました.
落ち着いたら「屋久島探検記」もアップします.それと2年前の「知床岬探検帯」も.
どうぞ御期待下さい.
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