記録ID: 6089820
全員に公開
ハイキング
奥武蔵
秩父三十四所観音霊場♪ 【三日目】札所二十四番 法泉寺〜札所二十八番 橋立堂
2023年10月22日(日) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 07:59
- 距離
- 15.9km
- 登り
- 481m
- 下り
- 552m
コースタイム
天候 | 晴れ☀️ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
今日は23番音楽寺から出発です。地図の江戸巡礼古道が出発地より高い位置に記載してあり反対方面に進んでしまったため、だいぶ時間ロスとなりました💧
音楽寺から少し下り、ここを左折します。
umi)さっき通ったお遍路さんが、また戻ってきてと、駐車場にいた方々は不審に思ったことでしょう。迷っていたのですよ〜💧
音楽寺から少し下り、ここを左折します。
umi)さっき通ったお遍路さんが、また戻ってきてと、駐車場にいた方々は不審に思ったことでしょう。迷っていたのですよ〜💧
道なりに下って行ったら、広い道路に出てしまいましたが、江戸巡礼古道に戻りました(^^;;
四国と違って案内が少なくて分かりづらいのですよ💧
umi)方向音痴の私は迷子必須。難しいわ〜💧「巡礼道」の札をもらえれば、この機会に設置しながら歩きたい。
四国と違って案内が少なくて分かりづらいのですよ💧
umi)方向音痴の私は迷子必須。難しいわ〜💧「巡礼道」の札をもらえれば、この機会に設置しながら歩きたい。
県道から来ると116段の階段を登ることになるらしいです。
観音堂は周囲に廻縁(まわりえん)をめぐらした宝形(ほうぎょう)造りの建物です。
中世には白山修験道の拠点となっていたそうですが、明治になって修験道を廃したそうです。
現在は地元の人が交代で寺の管理や納経を行なっています。
umi)地元の人のおかげのお寺なんだね。裏から来たので、116段の階段を登らなかったけど、わざとじゃないです💧
観音堂は周囲に廻縁(まわりえん)をめぐらした宝形(ほうぎょう)造りの建物です。
中世には白山修験道の拠点となっていたそうですが、明治になって修験道を廃したそうです。
現在は地元の人が交代で寺の管理や納経を行なっています。
umi)地元の人のおかげのお寺なんだね。裏から来たので、116段の階段を登らなかったけど、わざとじゃないです💧
正面三間のうち、左右の部分を壁で仕切り、前面に格子窓をつけ、内部に金剛力士を安置しているのが特徴的。この観音堂は仁王門も兼ねているという非常に珍しい構造だそうです。
umi)小さくて色鮮やかな仁王様は、なんだかかわいかったです(失礼💦)。
umi)小さくて色鮮やかな仁王様は、なんだかかわいかったです(失礼💦)。
『観音霊験記による縁起●恋ヶ窪の遊女』
恋ヶ窪の遊女が口中に腫れ物があり、薬が効かずに苦しんでいた。この女は信心深く、秩父の僧にしばしば施しをしていた。ある日、僧から一本の楊枝を与えられ、口中をそそぎ、白山観音に祈るよう言われ、遊女が従ったところ病が治った。こうして観音の霊験があらたかになって、今では病の平癒を願うものか多く礼拝に訪れる。
恋ヶ窪の遊女が口中に腫れ物があり、薬が効かずに苦しんでいた。この女は信心深く、秩父の僧にしばしば施しをしていた。ある日、僧から一本の楊枝を与えられ、口中をそそぎ、白山観音に祈るよう言われ、遊女が従ったところ病が治った。こうして観音の霊験があらたかになって、今では病の平癒を願うものか多く礼拝に訪れる。
納経所で道を教えていただき、25番『久昌寺』に向かいます。途中の竹の道。
umi)納経所の方が漬けた梅干しをいただきました。いい塩梅で美味しかったね😋先は長い。元気出ました。竹は風情あるわ。
umi)納経所の方が漬けた梅干しをいただきました。いい塩梅で美味しかったね😋先は長い。元気出ました。竹は風情あるわ。
umi)地酒「秩父錦」の醸造工場の裏を通ります。井戸のような石造物。組み合ったような意匠。中を覗くと、大きな機械が動いてました。再利用してるのかな。通りにでると、道標がありました。
広い道に突き当たり、少し登ると電柱のうしろに案内板が。ウロウロして写真真ん中辺りの草ボーボーを進みました。ここは無理に江戸巡礼古道に入らず、車道を進んだ方がその後わかりやすいと思います( ´∀`)
umi)checheriさんの道を見出す考察とカンがすごい。私には道に見えなかったです💧歩き初めから、チクチクした草の種が沢山ついてきました(>_<;)
umi)checheriさんの道を見出す考察とカンがすごい。私には道に見えなかったです💧歩き初めから、チクチクした草の種が沢山ついてきました(>_<;)
長閑な道をテクテク。お散歩日和です♪
umi)だねぇ♪ 左のフェンスは学校です。フェンスの脇には道標がありました。ここらの子たちは、道標なんて当たり前にあるものなんだろうなぁ。
umi)だねぇ♪ 左のフェンスは学校です。フェンスの脇には道標がありました。ここらの子たちは、道標なんて当たり前にあるものなんだろうなぁ。
途中で地図を見ながら、「次は29番に行こうかなぁ」と思ったのですが、『江戸時代の道しるべ』とあるのを見て、やっぱり26番に向かうことにしました(^.^)
umi)道標が沢山、楽しみです。現代も道標を沢山つけてくれると助かるんだけど💧
umi)道標が沢山、楽しみです。現代も道標を沢山つけてくれると助かるんだけど💧
『観音霊験記による縁起●奥野の鬼女』
昔、この辺りに、悪行を重ねすぎて、身重の身でありながら一族に見放されて家を追い出された女がいた。女は悪女となって久那の岩洞に住み着き、女の子を産んだ。しかし悪行が祟って、娘が15歳の時に命を落とした。娘が母の死を嘆き悲しんでいると、一人の女性が「母親は死後、地獄に堕ちているから、観音の御名を唱えて祈念しなさい」と教えた。それからほどなく訪れた旅の僧に相談すると、僧は娘を連れて里に出向き、村人たちにいきさつを告げ、堂宇を建て、僧が持ってきた観音像を本尊とし、鬼女の菩提を弔ったという。
umi)鬼女と呼ばれた人の人生壮絶、、、。
昔、この辺りに、悪行を重ねすぎて、身重の身でありながら一族に見放されて家を追い出された女がいた。女は悪女となって久那の岩洞に住み着き、女の子を産んだ。しかし悪行が祟って、娘が15歳の時に命を落とした。娘が母の死を嘆き悲しんでいると、一人の女性が「母親は死後、地獄に堕ちているから、観音の御名を唱えて祈念しなさい」と教えた。それからほどなく訪れた旅の僧に相談すると、僧は娘を連れて里に出向き、村人たちにいきさつを告げ、堂宇を建て、僧が持ってきた観音像を本尊とし、鬼女の菩提を弔ったという。
umi)鬼女と呼ばれた人の人生壮絶、、、。
納経所に向かう途中に池がありました。池の向こうの木にアオサギがいました。魚いるのかなぁ。
umi)楽しみだった広い池は水が抜かれていて、がっくり。池に鳥の足跡がテケテケ。奥に、大きそうな蓮池があります。池に水が入って蓮が咲いたら、あの世みたいかも✨
umi)楽しみだった広い池は水が抜かれていて、がっくり。池に鳥の足跡がテケテケ。奥に、大きそうな蓮池があります。池に水が入って蓮が咲いたら、あの世みたいかも✨
『御手判』
由来は、秩父札所を開いたといわれる十三権者のひとり、性空(しょうくう)上人にまつわる伝説による。
上人は、閻魔大王から石造りの手判(手形石)と証文を授かり、証文は西国24番中山寺へ納め、手判は秩父25番久昌寺に納めたという。それが寺宝として伝わる御手判。ちなみに、秩父、坂東、西国を合わせた百観音霊場でも御手判刷りを授けてくれるのはここだけだそうです。
「あの世に無事に行ける通行手形」らしいので、まだ授かるのは早いかなと思ったのですが(笑)、略縁起に「この御手判を受けた人は、いつも身も心も守られ、理想の世界に導かれると伝えられているこの上なく有難い御印です」とあるので授けていただきました。昔のものとは思えないデザインだと思う(^。^)
umi)ほんと、意味わからないけど、なんだかいいデザイン。さすが、閻魔さま、グッジョブ!
由来は、秩父札所を開いたといわれる十三権者のひとり、性空(しょうくう)上人にまつわる伝説による。
上人は、閻魔大王から石造りの手判(手形石)と証文を授かり、証文は西国24番中山寺へ納め、手判は秩父25番久昌寺に納めたという。それが寺宝として伝わる御手判。ちなみに、秩父、坂東、西国を合わせた百観音霊場でも御手判刷りを授けてくれるのはここだけだそうです。
「あの世に無事に行ける通行手形」らしいので、まだ授かるのは早いかなと思ったのですが(笑)、略縁起に「この御手判を受けた人は、いつも身も心も守られ、理想の世界に導かれると伝えられているこの上なく有難い御印です」とあるので授けていただきました。昔のものとは思えないデザインだと思う(^。^)
umi)ほんと、意味わからないけど、なんだかいいデザイン。さすが、閻魔さま、グッジョブ!
道しるべはこんな感じでポツポツあります。
umi)のどかですね。道標は、看板の地図に書いてあるより、沢山ありました。馬頭観音の文字塔も。お家の中から、「こんにちは、おつかれさま」と声を掛けてくれたお父さん、ありがとうございます。
umi)のどかですね。道標は、看板の地図に書いてあるより、沢山ありました。馬頭観音の文字塔も。お家の中から、「こんにちは、おつかれさま」と声を掛けてくれたお父さん、ありがとうございます。
26番『円融寺』に到着!ここには観音霊験記がありませんでした。「観音霊験記が公開されてないのは15番だけじゃないのか…」とここでは思っていました。
umi)道から入るとこに延命地蔵の文字塔あり。
umi)道から入るとこに延命地蔵の文字塔あり。
本来の秩父観音霊場は『奥の院 岩井堂』で、長享2年(1488)の秩父札所番付では、第六番札所とされているそうです。当時、ここは岩井堂の別当寺だったそうです。
ちなみに現在は山の上の岩井堂では管理が行き届かないため、ご本尊をはじめとする諸仏や寺宝はこの本堂に安置されています。
ちなみに現在は山の上の岩井堂では管理が行き届かないため、ご本尊をはじめとする諸仏や寺宝はこの本堂に安置されています。
『景清のろう破り』の説明。
景清は平景清のことで、源平合戦の最中、源氏方に捕まって牢に繋がれたが、これを破って出牢し、その後数奇な運命を辿ったとされている。
お能にも『景清』はありますね。かなり年老いてからのお話だけど。
umi)景清の数奇な運命を知らないから、調べようかな。
景清は平景清のことで、源平合戦の最中、源氏方に捕まって牢に繋がれたが、これを破って出牢し、その後数奇な運命を辿ったとされている。
お能にも『景清』はありますね。かなり年老いてからのお話だけど。
umi)景清の数奇な運命を知らないから、調べようかな。
この納額は、明和元年(1764)に江戸の護国寺で行われた秩父三十四観音総出開帳の時に奉納されたものだそうです。
umi)護国寺での秩父三十四観音総出開帳って、すごいね。護国寺の大灯籠といい、護国寺と秩父って縁が深いんだね。
umi)護国寺での秩父三十四観音総出開帳って、すごいね。護国寺の大灯籠といい、護国寺と秩父って縁が深いんだね。
納経所で、岩井堂までの道を教えていただきました。車の方は岩井堂近くの紫の丸印のところに駐車できるそうですよ。
umi)納経所には、やさしそうなお年寄りのプードルがいました。留守番しているうちの猫を思い出しました。
umi)納経所には、やさしそうなお年寄りのプードルがいました。留守番しているうちの猫を思い出しました。
『岩井堂』に行くには『(株)レゾナック』さんの敷地内を通らせていただきます。守衛さんに『岩井堂に行きたい』と伝えるようにと納経所で教えていただきました。
琴平神社の鳥居を潜らずに右を進むようにと、お寺でも守衛さんにも言われました。お寺の方がおっしゃるには、鳥居から入るとその後の道が分かりにくいとのことです。
umi)ガイドブックだと『昭和電工』さんですが、『(株)レゾナック』に社名変更されています。ほんとに、工場の中を歩きます。従業員の方々も見慣れてるとみえて、気にされません。
琴平神社の鳥居を潜らずに右を進むようにと、お寺でも守衛さんにも言われました。お寺の方がおっしゃるには、鳥居から入るとその後の道が分かりにくいとのことです。
umi)ガイドブックだと『昭和電工』さんですが、『(株)レゾナック』に社名変更されています。ほんとに、工場の中を歩きます。従業員の方々も見慣れてるとみえて、気にされません。
途中に可愛らしいお地蔵様がいらっしゃいます。まだ先は長い。けど、『関東ふれあいの道』の階段地獄とは違って、とても登りやすいです(^.^)
umi)馬頭観音様もいらっしゃいました。このお山のお地蔵様は、頭がなくなったのを修復してもらっているようですが、皆、可愛らしく味のあるお顔です。
umi)馬頭観音様もいらっしゃいました。このお山のお地蔵様は、頭がなくなったのを修復してもらっているようですが、皆、可愛らしく味のあるお顔です。
「わ〜っ!」と思わず声が出ました✨
崖の上に迫り出すように建てられた舞台造りの建物で、江戸中期の建立だそうです。
umi)ひっそりと、こんなすごい建物があるとは✨上だけ朱塗り、緑に映える。支える柱にうねった木を使ってるね。
崖の上に迫り出すように建てられた舞台造りの建物で、江戸中期の建立だそうです。
umi)ひっそりと、こんなすごい建物があるとは✨上だけ朱塗り、緑に映える。支える柱にうねった木を使ってるね。
観音霊験記はここにありました❗️
『観音霊験記による縁起●秩父次郎重忠』
この霊場は空を凌ぐほどの高い山にあり、山の上には愛宕、金毘羅を鎮護の神として祀っている。山上の岩盤には弘法大師の護摩壇石や、仏国禅師の坐禅石、その他諸々の神と仏が並ぶ、まさに絶景の霊場である。この霊場を保護したのは秩父地方の豪族だった、秩父別当武基の曾孫の子である太郎重弘。その子孫である重忠も霊場を保護し、霊験をこうむっていた。
umi)以前はもっといろんな建物があったんだね。入り口付近には、広いスペースも何かあったのかな。
『観音霊験記による縁起●秩父次郎重忠』
この霊場は空を凌ぐほどの高い山にあり、山の上には愛宕、金毘羅を鎮護の神として祀っている。山上の岩盤には弘法大師の護摩壇石や、仏国禅師の坐禅石、その他諸々の神と仏が並ぶ、まさに絶景の霊場である。この霊場を保護したのは秩父地方の豪族だった、秩父別当武基の曾孫の子である太郎重弘。その子孫である重忠も霊場を保護し、霊験をこうむっていた。
umi)以前はもっといろんな建物があったんだね。入り口付近には、広いスペースも何かあったのかな。
いきなり現れたのは、高さ2メートルの『鋳造大仏坐像』。1700年代に作られたようです。ここまで運ぶの大変だったろうなぁ。
umi)びっくり!きれいで古いものには見えません。台座にびっしり書かれた文字の中に「正観音 秩父二十六番下○(かげ?)森 正徳四甲牛歳(1712年)七月十八日」ほかに御鐘物師の銘などもあり。
umi)びっくり!きれいで古いものには見えません。台座にびっしり書かれた文字の中に「正観音 秩父二十六番下○(かげ?)森 正徳四甲牛歳(1712年)七月十八日」ほかに御鐘物師の銘などもあり。
下の方がもう読めない『秩父修験道』の説明。
umi)最後のところに、「外側の危険な廊下を一回りし、中央の干支の輪を動かし、十二回、回廊を回って、元の干支が出て一回の行の目安とした」とありますが、周りの廊下は、途中で朽ちて廊下とは言えなくなっているので、無理です💧
umi)最後のところに、「外側の危険な廊下を一回りし、中央の干支の輪を動かし、十二回、回廊を回って、元の干支が出て一回の行の目安とした」とありますが、周りの廊下は、途中で朽ちて廊下とは言えなくなっているので、無理です💧
大仏から少し先にある『秩父修験堂』。ここでおやつ休憩🍘
umi)すごい!お堂の中は神様仏様のお名前がかかれたお札でいっぱい!まさに「諸々の神仏が並ぶ絶景の霊場」だねぇ!手前の廊下に腰掛けさせていただきました。
umi)すごい!お堂の中は神様仏様のお名前がかかれたお札でいっぱい!まさに「諸々の神仏が並ぶ絶景の霊場」だねぇ!手前の廊下に腰掛けさせていただきました。
27番『大渕寺』には24番『法泉寺』と同じく裏から入ります(^。^)
月影堂はこの寺の観音堂です。以前の月影堂は現在地よりも高台にあったそうですが、大正8年に蒸気機関車の燻煙が元の火災で消失し、平成8年に再建されたそうです。この時、本堂も失われたそうですが、ご本尊の聖観音は被害を逃れたそうです。
umi)お山から降りてくると、お不動様がいらっしゃいました。そのまたすぐ下にもお不動様おふたりの覆屋。みな親しみやすいお顔でした。
月影堂はこの寺の観音堂です。以前の月影堂は現在地よりも高台にあったそうですが、大正8年に蒸気機関車の燻煙が元の火災で消失し、平成8年に再建されたそうです。この時、本堂も失われたそうですが、ご本尊の聖観音は被害を逃れたそうです。
umi)お山から降りてくると、お不動様がいらっしゃいました。そのまたすぐ下にもお不動様おふたりの覆屋。みな親しみやすいお顔でした。
『観音霊験記による縁起●行脚僧宝明』
諸国の霊場を巡っていた宝明という僧がこの地にやってきた時、難病によって足が不自由となり、7年の歳月を不自由なまま過ごすこととなった。そこへ、弘法大師が巡錫してきて、観音像を刻んで宝明に与えた。歓喜した宝明は一人で拝むものではないとして、里人とともに堂宇を建立したという。したがって、その寺の第一祖は宝明。「不祥をもって吉事を招く」という霊験である。
諸国の霊場を巡っていた宝明という僧がこの地にやってきた時、難病によって足が不自由となり、7年の歳月を不自由なまま過ごすこととなった。そこへ、弘法大師が巡錫してきて、観音像を刻んで宝明に与えた。歓喜した宝明は一人で拝むものではないとして、里人とともに堂宇を建立したという。したがって、その寺の第一祖は宝明。「不祥をもって吉事を招く」という霊験である。
28番『橋立堂』に向かう江戸巡礼古道は遮断機のない踏切を渡ってすぐの橋を進むのですが、なんと通行止めヽ( ̄д ̄;)ノ
そして道なりに真っ直ぐ進むと行き止まり。戻るしかないかと思ったら、次に渡る予定の橋が見えたので、繋がる道を探そう(^。^)
umi)そういう機転がきかない私はオロオロ💧線路沿いは、撮り鉄の方々が、ちらほら。
そして道なりに真っ直ぐ進むと行き止まり。戻るしかないかと思ったら、次に渡る予定の橋が見えたので、繋がる道を探そう(^。^)
umi)そういう機転がきかない私はオロオロ💧線路沿いは、撮り鉄の方々が、ちらほら。
28番『橋立堂』には鍾乳洞があるので、観光客の方が多い感じ(^.^)
お洒落なカフェがありましたが、お腹が空いたので、カフェの奥のお蕎麦屋さんでお昼をいただきます。
お店推奨の『手打甚太郎ざるそば』(1000円)をいただきました。薬味で味変する前に完食!大盛りにすればよかった(笑)それにしても、秩父はお蕎麦が美味しいですね♪ここはつゆも濃くて好み♡蕎麦湯も用意されていました。
燻製玉子はお接待でいただきました♪ありがとうございました!
umi)燻製玉子、ありがたいです。ご馳走様でした。
蕎麦も美味しかったし、この手のお店で蕎麦湯があるのも貴重だよね。このお蕎麦屋さんで行われたフォルクローレのコンサートのビデオがかかってました。フォルクローレっていいよね♡
お洒落なカフェがありましたが、お腹が空いたので、カフェの奥のお蕎麦屋さんでお昼をいただきます。
お店推奨の『手打甚太郎ざるそば』(1000円)をいただきました。薬味で味変する前に完食!大盛りにすればよかった(笑)それにしても、秩父はお蕎麦が美味しいですね♪ここはつゆも濃くて好み♡蕎麦湯も用意されていました。
燻製玉子はお接待でいただきました♪ありがとうございました!
umi)燻製玉子、ありがたいです。ご馳走様でした。
蕎麦も美味しかったし、この手のお店で蕎麦湯があるのも貴重だよね。このお蕎麦屋さんで行われたフォルクローレのコンサートのビデオがかかってました。フォルクローレっていいよね♡
高さ65mの巨大な岩壁の前に建つ観音堂。ご本尊は馬頭観音で、秩父札所ではここだけ。日本百観音でも、ここ橋立堂の他には西国29番の松尾寺だけだそうです。
ご本尊は高さ27cmほどの小さなもので、鎌倉時代の秀作だそうです。
馬頭観音は江戸時代くらいから、馬を供養する動物供養の観音さまとして信仰されるようになったらしいですが、本来は畜生道に堕ちたような人でも救ってくださるというありがたい観音さまだそうです。
umi)そんなありがたい観音様とは知らなかった!
ご本尊は高さ27cmほどの小さなもので、鎌倉時代の秀作だそうです。
馬頭観音は江戸時代くらいから、馬を供養する動物供養の観音さまとして信仰されるようになったらしいですが、本来は畜生道に堕ちたような人でも救ってくださるというありがたい観音さまだそうです。
umi)そんなありがたい観音様とは知らなかった!
アップで。
左甚五郎の作とも言われているが、定かではないようです。
umi)カワイイ〜♡ 境内には、リアルな馬の銅像めたありますが、ちょっと頭がデカいと思いました。馬頭観音の文字塔もあります。
左甚五郎の作とも言われているが、定かではないようです。
umi)カワイイ〜♡ 境内には、リアルな馬の銅像めたありますが、ちょっと頭がデカいと思いました。馬頭観音の文字塔もあります。
『観音霊験記による縁起●郡司蛇身の報い』
ある時、この村の男が閻魔大王に呼ばれ、一人の武士に会わされた。それは村の領主の郡司。閻魔大王は「この者は生前の悪行ゆえに無間地獄に落とすべきだが、一度だけ、橋立寺で灯心を掻き出して灯火を明るくしたという功徳がある。そこで、蛇身の報いを受けさせることにした。里の者に知らせなさい」と言われた。その頃から、辺りに悪蛇の化身と思われる悪龍が出たので、村人は龍退治を橋立堂に祈念した。すると橋立堂から白馬が出て龍と対峙したが、白馬は龍に呑み込まれてしまった。しかし、仏の馬を胎内に入れたことで、悪龍はとぐろを巻いて石となってしまった。その姿が今も鍾乳洞の中にある。こうしたことから、この寺の山号は石龍山という。
umi)龍でも悪いのがいるんだね。山号にもなった石になった龍もみなくちゃでしたね。
ある時、この村の男が閻魔大王に呼ばれ、一人の武士に会わされた。それは村の領主の郡司。閻魔大王は「この者は生前の悪行ゆえに無間地獄に落とすべきだが、一度だけ、橋立寺で灯心を掻き出して灯火を明るくしたという功徳がある。そこで、蛇身の報いを受けさせることにした。里の者に知らせなさい」と言われた。その頃から、辺りに悪蛇の化身と思われる悪龍が出たので、村人は龍退治を橋立堂に祈念した。すると橋立堂から白馬が出て龍と対峙したが、白馬は龍に呑み込まれてしまった。しかし、仏の馬を胎内に入れたことで、悪龍はとぐろを巻いて石となってしまった。その姿が今も鍾乳洞の中にある。こうしたことから、この寺の山号は石龍山という。
umi)龍でも悪いのがいるんだね。山号にもなった石になった龍もみなくちゃでしたね。
『不動名水』
「清冽なこの水は如何なる日照りにも涸れる事無く又打ち続く長雨でも濁る事を知らないと言う 然し言伝に依れば過去の大地震の前に此の水が必ず白濁したと伝えられる」と書いてありました。手で掬っていただきました(^-^)
umi)私は、喉渇いてたので、ゴクゴクいただきました。ぷはぁ〜、ご馳走様でした。
「清冽なこの水は如何なる日照りにも涸れる事無く又打ち続く長雨でも濁る事を知らないと言う 然し言伝に依れば過去の大地震の前に此の水が必ず白濁したと伝えられる」と書いてありました。手で掬っていただきました(^-^)
umi)私は、喉渇いてたので、ゴクゴクいただきました。ぷはぁ〜、ご馳走様でした。
撮影機器:
感想
お遍路、3日目。私は、今日が一番楽しかったです。のどかな畑の中、草ぼうぼうの道、大きな橋に川、武甲山、ハイキングコースになってるところ、カッコイイ電車、お寺も岩井堂から秩父修験堂、橋立堂が印象深い。お蕎麦も美味しかった。しかし、道はとっても分かりにくくて、私ひとりだったら、どんなに時間がかかって、どんなに心ぼそかったか。checheriさん、感謝!
今日も無事に楽しく歩いてこれて、よかった!感謝です。
今日は前回歩き終えた23番からスタートです(^-^)今回は渡渉があると、23番の納経所にあった地図に書いてあったので、スニーカーではなくいつものトレッキングシューズで歩きました(渡渉のあるところは歩けませんでしたが…)。結果、大正解でした(^。^)
今回のコースはスタートからお山に入りワクワク♪そして岩井堂からもハイキングコースを歩いたので、巡礼だかハイキングだかわからないような感覚になりました(笑)。
予定外の28番まで行ったことで、いつも以上に予習不足となり、橋立堂の奥の院が鍾乳洞だとは知らず、ただの観光スポットだと思い、行きそびれてしまいました(*´-`)ここのお蕎麦はとても美味しかったし、そばがき入りのお汁粉が売り切れで食べられなかったのもあるし、いずれ再訪したいと思います。
今日も無事に歩き通せて感謝です。ありがとうございました(*^▽^*)
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:254人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する