可愛岳(ラストサムライの山)
- GPS
- 06:02
- 距離
- 13.7km
- 登り
- 1,512m
- 下り
- 1,538m
コースタイム
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年11月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
「のぞき」の行場まで行くのは全く問題ないが、 のぞき経由で山頂へ行くのはルーファイに自信無い人はやめといた方がいい。元の道へ戻るのがおすすめ。 |
その他周辺情報 | 西郷隆盛宿陣跡資料館は150年前の民家そのもの。この山を知るために是非寄って欲しい。 |
写真
感想
可愛岳、と書いて「えのたけ」と読む。
難読な山名。日本書紀にある「筑紫日向可愛山之山陵」天孫ニニギノミコトのお墓はここにあるのだという根拠になっている。実際古墳はあって、宮内庁の「陵墓参考地」に指定されている。
現実に宮内庁の直轄地として陵墓の指定を受けているのは鹿児島の薩摩川内市にある「新田神社」でいかにもたいそうな社殿が鎮座している。
あれ、書記には「日向の国」って書いてるのに鹿児島なら薩摩じゃん、と思うよね。
実は薩摩の国ってのはなかったのだよ神代には。九州の南は全部日向だったのだ。
正確には、日向の南の、まだ「まつろわぬ者たち」の住まう土地だったのだ。
更に言うと、明治の短い時期、丁度西南戦争の頃って、宮崎県は「なかった」。
宮崎県は鹿児島県だったんだよね。その前は延岡は延岡県だったそうな。
実際ニニギノミコトがいらっしゃったのかどうかとか、日本書紀の記述が正しいのかどうか、ニニギノミコトのお墓が延岡なのか薩摩川内市なのか真実は重要ではなくて、歴史において大事なエッセンスは「当時の人が何を信じていたのか」これが歴史を動かすんだ。
それが理系人間には分からんのだよ。
生物の進化はなぜ起こるのか「適合したものが生き残るから」これ理系。
文系の進化論は「そうなりたかったから」だよ。
鳥は何で飛べるようになったのかそりゃあ「飛びたかったから」だよ。
それを世界は「中二病」と呼ぶんだぜわっははは。
資料館にはここに天孫ニニギノミコトが眠っているから最後の拠り所としたとある。
西郷さんがなぜここを薩軍最後の本陣として解散式をし、陸軍大将の服を燃やしたのか。
可愛岳に登って資料館に行ってすごく心を打たれた。
天皇家に全てをお返しし、一塊の「賊」となって鹿児島・城山へ向かう脊梁山脈400kmの逃避行がこの可愛岳より始まる。
何かめっちゃ切ない気持ちでキューンってなったよ。
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