今回はウサトレ初の春の青春18きっぷ利用で、ちょっぴり遠出。静岡県の三島で電車乗り継ぎがてら、駅前でモーニング♪
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3/30 7:33
今回はウサトレ初の春の青春18きっぷ利用で、ちょっぴり遠出。静岡県の三島で電車乗り継ぎがてら、駅前でモーニング♪
今日は黄砂の予報だったから富士山は隠れちゃうかな〜という心配を吹き飛ばすこの車窓。
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3/30 8:36
今日は黄砂の予報だったから富士山は隠れちゃうかな〜という心配を吹き飛ばすこの車窓。
JR東海道本線興津駅に到着〜ポカポカ陽気の中、とっても静かな駅前をスタート。
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3/30 9:15
JR東海道本線興津駅に到着〜ポカポカ陽気の中、とっても静かな駅前をスタート。
国道1号へ出ました。ここのあたりは東海道新旧合流路ですね。趣のある舗装歩道は広くて歩きやすいです。東西大動脈の交通量の大半は、海沿いの国道1号静清バイパスを通るんでしょうね。ここはいたって静かです。
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3/30 9:18
国道1号へ出ました。ここのあたりは東海道新旧合流路ですね。趣のある舗装歩道は広くて歩きやすいです。東西大動脈の交通量の大半は、海沿いの国道1号静清バイパスを通るんでしょうね。ここはいたって静かです。
江戸日本橋から41里の興津一里塚跡です。
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3/30 9:19
江戸日本橋から41里の興津一里塚跡です。
ウサトレには縁の深い日蓮宗の古刹、理源寺さんを参拝。今日は法事があって、これからご住職が不在になるので、御朱印はお預かり、ことでしたが、今日はここに戻ってこれないので「次回」としました。
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3/30 9:25
ウサトレには縁の深い日蓮宗の古刹、理源寺さんを参拝。今日は法事があって、これからご住職が不在になるので、御朱印はお預かり、ことでしたが、今日はここに戻ってこれないので「次回」としました。
四阿のある興津宿公園で、トイレを借りて、ウサさんはトレッキングポールの準備。
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3/30 9:32
四阿のある興津宿公園で、トイレを借りて、ウサさんはトレッキングポールの準備。
興津宿の案内板もありました。この公園には昔、伝馬所(江戸時代に宿駅で人馬の継立てをした所。問屋場)があったようです。
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3/30 9:33
興津宿の案内板もありました。この公園には昔、伝馬所(江戸時代に宿駅で人馬の継立てをした所。問屋場)があったようです。
東海道17番宿・興津宿の標識があったので、ウサクマ写真パシャリ。次の江尻宿の宿境まで一里、がんばります〜
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3/30 9:49
東海道17番宿・興津宿の標識があったので、ウサクマ写真パシャリ。次の江尻宿の宿境まで一里、がんばります〜
興津宿の東本陣跡。興津宿には本陣が2軒あって、東本陣は耀海寺(線路を挟んだ向かい側)の開祖に所縁の市川家がつとめたそうです。江戸初期の興津宿の大火では、自分も焼出されたのに300両以上の大金を人々に無利息で融通したそうな。
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3/30 9:51
興津宿の東本陣跡。興津宿には本陣が2軒あって、東本陣は耀海寺(線路を挟んだ向かい側)の開祖に所縁の市川家がつとめたそうです。江戸初期の興津宿の大火では、自分も焼出されたのに300両以上の大金を人々に無利息で融通したそうな。
ウサさんが事前にチェックしていた明治30年創業の宮様まんぢう「潮屋」さんへ立ち寄り、さっくり美味しい「あげまんぢう」をゲットしました〜
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3/30 9:52
ウサさんが事前にチェックしていた明治30年創業の宮様まんぢう「潮屋」さんへ立ち寄り、さっくり美味しい「あげまんぢう」をゲットしました〜
潮屋さんのすぐ隣りにある水口屋さんは、かつて昭和天皇、伊藤博文、岩倉具視など超大物の方々が宿泊されていた高級旅館。
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3/30 9:56
潮屋さんのすぐ隣りにある水口屋さんは、かつて昭和天皇、伊藤博文、岩倉具視など超大物の方々が宿泊されていた高級旅館。
いまは当時の貴重な資料を無料で展示する美術館になっていて、ガイドのおば様が丁寧に案内してくれました。江戸の頃には「脇本陣」も務めたそうです。
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3/30 9:56
いまは当時の貴重な資料を無料で展示する美術館になっていて、ガイドのおば様が丁寧に案内してくれました。江戸の頃には「脇本陣」も務めたそうです。
興津宿の西本陣跡。西本陣は手塚家がつとめ、寛永12年(1635年)から明治3年(1870年)まで、東本陣の市川家と月番で営んでいたそうです。
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3/30 10:25
興津宿の西本陣跡。西本陣は手塚家がつとめ、寛永12年(1635年)から明治3年(1870年)まで、東本陣の市川家と月番で営んでいたそうです。
踏切がカンカン鳴ってる〜踏切前の道端で洗車していたオジサンが、この先に行くと滝があるよ、昨日の雨で水増えてるから、と教えてくれました。
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3/30 10:26
踏切がカンカン鳴ってる〜踏切前の道端で洗車していたオジサンが、この先に行くと滝があるよ、昨日の雨で水増えてるから、と教えてくれました。
踏切を渡ると、イモカタバミの揺れるむこうに味のある奥津不動尊の石鳥居。1200年の歴史があり、地元漁師を嵐から護る波切不動として今も大切にされているようです。
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3/30 10:29
踏切を渡ると、イモカタバミの揺れるむこうに味のある奥津不動尊の石鳥居。1200年の歴史があり、地元漁師を嵐から護る波切不動として今も大切にされているようです。
昨日の大雨が功を奏したみたい。普段は水量少ないらしく、ネット記事の「水ちょろちょろ〜」的な書き込みが大半ですが、今日はそれを払拭する、落差10mほどの見事な滝です。
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3/30 10:34
昨日の大雨が功を奏したみたい。普段は水量少ないらしく、ネット記事の「水ちょろちょろ〜」的な書き込みが大半ですが、今日はそれを払拭する、落差10mほどの見事な滝です。
折角なので一眼のスローシャッターでも撮影。綺麗な節理の岩崖を落ちる水が、ポカポカ陽気に煌めきます。
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3/30 10:37
折角なので一眼のスローシャッターでも撮影。綺麗な節理の岩崖を落ちる水が、ポカポカ陽気に煌めきます。
滝の傍らに合祀されている津嶋神社の「牛頭天王」は、神仏習合では建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)と同一視されているせいか、ずいぶんとイケメンですね。
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3/30 10:37
滝の傍らに合祀されている津嶋神社の「牛頭天王」は、神仏習合では建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)と同一視されているせいか、ずいぶんとイケメンですね。
でも・・・2019年ウサトレで訪れた奥武蔵・竹寺のRPGラスボスのような牛頭天王とはだいぶ雰囲気が違うニャ〜あ、そうそう、これこれ!
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2/16 10:44
でも・・・2019年ウサトレで訪れた奥武蔵・竹寺のRPGラスボスのような牛頭天王とはだいぶ雰囲気が違うニャ〜あ、そうそう、これこれ!
旧東海道に戻って歩いていくと、石とタイルで作られた立派な興津宿の案内板がありました。興津の力の入れようが分かりますね。
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3/30 10:46
旧東海道に戻って歩いていくと、石とタイルで作られた立派な興津宿の案内板がありました。興津の力の入れようが分かりますね。
潮屋の女将さんもお勧めだった巨鼇山清見興国禅寺さんの山門。ビックリすることに、この山門と本堂の間(境内)をJR東海道本線が走っています!
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3/30 10:48
潮屋の女将さんもお勧めだった巨鼇山清見興国禅寺さんの山門。ビックリすることに、この山門と本堂の間(境内)をJR東海道本線が走っています!
山門を抜けて年季の入った跨線橋で線路を渡り、振り返ると、清水港が一望。たまたまご一緒したオジサン(JAMSTEC関係者らしい)が、港でひときわ高くそそり立っている櫓が、今入港中の地球深部探査船「ちきゅう」だと教えてくれました♪
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3/30 10:50
山門を抜けて年季の入った跨線橋で線路を渡り、振り返ると、清水港が一望。たまたまご一緒したオジサン(JAMSTEC関係者らしい)が、港でひときわ高くそそり立っている櫓が、今入港中の地球深部探査船「ちきゅう」だと教えてくれました♪
境内に入るとまず目に留まるのが咸臨丸碑。あまり語られない気がしますが、咸臨丸は幕府の軍艦だったので、幕末に清水港で明治政府の軍艦と交戦し、乗員は義に殉じたそうです。
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3/30 10:52
境内に入るとまず目に留まるのが咸臨丸碑。あまり語られない気がしますが、咸臨丸は幕府の軍艦だったので、幕末に清水港で明治政府の軍艦と交戦し、乗員は義に殉じたそうです。
十一面観世音菩薩坐像が安置される大方丈の前には「臥龍梅」。もう花は終わってしまっていましたが、その枝ぶりだけでも迫力があります。
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3/30 10:53
十一面観世音菩薩坐像が安置される大方丈の前には「臥龍梅」。もう花は終わってしまっていましたが、その枝ぶりだけでも迫力があります。
大方丈を拝観(300円)。裏手にある庭園は、桜や紅葉など様々な木々で四季を通じて彩りを楽しめ、また一年を通じて緑に覆われるように造られているそうです。
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3/30 11:09
大方丈を拝観(300円)。裏手にある庭園は、桜や紅葉など様々な木々で四季を通じて彩りを楽しめ、また一年を通じて緑に覆われるように造られているそうです。
庭園の奥には小さな滝が勢いよく流れ落ちていましたが、ここもさっきの不動の滝と同様で、この滝を見られる昨日の大雨の賜物とのこと。案内人のオジサン曰く「実に運がいい」
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3/30 11:10
庭園の奥には小さな滝が勢いよく流れ落ちていましたが、ここもさっきの不動の滝と同様で、この滝を見られる昨日の大雨の賜物とのこと。案内人のオジサン曰く「実に運がいい」
大方丈の西の間の奥には、家康公手習いの間の遺構も。大方丈内は撮影自由。この欄間や武器に関する解説も、案内人オジサンが楽しく説明してくれました。
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3/30 11:13
大方丈の西の間の奥には、家康公手習いの間の遺構も。大方丈内は撮影自由。この欄間や武器に関する解説も、案内人オジサンが楽しく説明してくれました。
二階に上がると、窓からは清水港が一望。日本平から三保の松原も望めます(昔は眼下からすぐ海で、大正天皇が海水浴に来たそうです)
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3/30 11:18
二階に上がると、窓からは清水港が一望。日本平から三保の松原も望めます(昔は眼下からすぐ海で、大正天皇が海水浴に来たそうです)
二階に上がると、隣の鐘楼の中に釣られた立派な鐘がよく見えます。コロナ禍以降「除夜の鐘」は中止されたままだそうですが、以前は大晦日にハシゴでここに登って鐘が撞けたそうです。
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3/30 11:20
二階に上がると、隣の鐘楼の中に釣られた立派な鐘がよく見えます。コロナ禍以降「除夜の鐘」は中止されたままだそうですが、以前は大晦日にハシゴでここに登って鐘が撞けたそうです。
清見寺からほんの少し歩くと、第7代内閣総理大臣・西園寺公望公が政治の最前線から引退した後、別邸として1920年に建てた興津坐漁荘(2004年再建)です。
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3/30 11:37
清見寺からほんの少し歩くと、第7代内閣総理大臣・西園寺公望公が政治の最前線から引退した後、別邸として1920年に建てた興津坐漁荘(2004年再建)です。
当時の坐漁荘は老朽化のために取り壊され、愛知県犬山市の明治村に移築されているそうですが、この記念館の忠実な再現ぶりは、水口屋ギャラリーのガイドのおば様も自慢気でした。
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3/30 11:49
当時の坐漁荘は老朽化のために取り壊され、愛知県犬山市の明治村に移築されているそうですが、この記念館の忠実な再現ぶりは、水口屋ギャラリーのガイドのおば様も自慢気でした。
坐漁荘を過ぎると、旧東海道といえども旧跡史跡の数は極端に減ります。まあ、点在するお寺やお地蔵様なんかに手を合わせながら、のんびりと歩きます。狭い旧東海道が国道1号と合流する所に延命地蔵堂と秋葉山常夜灯が一つ残されていました。建立当時に近い状態で存在する稀な石塔だそうです。
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3/30 12:37
坐漁荘を過ぎると、旧東海道といえども旧跡史跡の数は極端に減ります。まあ、点在するお寺やお地蔵様なんかに手を合わせながら、のんびりと歩きます。狭い旧東海道が国道1号と合流する所に延命地蔵堂と秋葉山常夜灯が一つ残されていました。建立当時に近い状態で存在する稀な石塔だそうです。
気温は25℃を越えましたけど(汗)川風が気持ちいい。清水区伊佐布の高山を源流とし、清水港に注ぐ庵原川。庵原川橋上から上流を望むと、源流のある高山、その向こうに竜爪山の双耳峰が。
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3/30 12:55
気温は25℃を越えましたけど(汗)川風が気持ちいい。清水区伊佐布の高山を源流とし、清水港に注ぐ庵原川。庵原川橋上から上流を望むと、源流のある高山、その向こうに竜爪山の双耳峰が。
ここにも延命地蔵尊。供花も新しく、大切にされていることが分かります。
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3/30 13:03
ここにも延命地蔵尊。供花も新しく、大切にされていることが分かります。
海岸沿いのしみずマリンロードへ繋がる嶺神明通りを渡る祖師町第三歩道橋から望む高山と竜爪山とひこうき雲。
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3/30 13:09
海岸沿いのしみずマリンロードへ繋がる嶺神明通りを渡る祖師町第三歩道橋から望む高山と竜爪山とひこうき雲。
この辺りは路傍にスミレが満開です。
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3/30 13:10
この辺りは路傍にスミレが満開です。
この先、辻町三叉路の右側が旧東海道ですが、あ、久しぶりに何か出た。最初は壁に描かれた松の木の「絵」かと思いました・・・
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3/30 13:26
この先、辻町三叉路の右側が旧東海道ですが、あ、久しぶりに何か出た。最初は壁に描かれた松の木の「絵」かと思いました・・・
細井の松原。かつて206本あったとされる松並木も太平洋戦争当時に松根油(航空機燃料)として伐採されて今はなく、この松は平成初期に寄贈されたもの。伐採当時、多くの人骨が出土。東海道で倒れた旅人を埋葬したものと思われ、今は「無縁さんの碑」が立っている。
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3/30 13:27
細井の松原。かつて206本あったとされる松並木も太平洋戦争当時に松根油(航空機燃料)として伐採されて今はなく、この松は平成初期に寄贈されたもの。伐採当時、多くの人骨が出土。東海道で倒れた旅人を埋葬したものと思われ、今は「無縁さんの碑」が立っている。
静かな旧道を歩いていくと、江戸日本橋ヵら42里の「辻一里塚跡」です。向かい側には高札場の案内板もありました。この先に東海道18番宿の江尻宿の東木戸(見附)があるはずなのですが、当該交差点周辺を探しても見つからず。
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3/30 13:37
静かな旧道を歩いていくと、江戸日本橋ヵら42里の「辻一里塚跡」です。向かい側には高札場の案内板もありました。この先に東海道18番宿の江尻宿の東木戸(見附)があるはずなのですが、当該交差点周辺を探しても見つからず。
ここでお腹も空いたので、いったん旧東海道を離脱してJR清水駅の連絡通路へ
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3/30 13:53
ここでお腹も空いたので、いったん旧東海道を離脱してJR清水駅の連絡通路へ
静岡市清水区は、さくらももこ先生の故郷とあって、やっぱり駅周辺には「まる子」がいっぱい〜
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3/30 13:55
静岡市清水区は、さくらももこ先生の故郷とあって、やっぱり駅周辺には「まる子」がいっぱい〜
清水港の出ると、年季の入った石油コンビナートの向こうに、考査に負けない立派な富士山。でも、ウサクマの目は清水魚市場にくぎ付け~
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3/30 13:59
清水港の出ると、年季の入った石油コンビナートの向こうに、考査に負けない立派な富士山。でも、ウサクマの目は清水魚市場にくぎ付け~
昼飯どきを少し外しているけど、河岸の市「まぐろ館」は、どのお店も長蛇の列で殺気立ってるな〜と、ひと気の薄い方へ流れていくウサクマ。その先は「いちば館」。その名前が食事だけが目的な観光客をブロックするのか、こっちはゆったり食べられそう
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3/30 14:16
昼飯どきを少し外しているけど、河岸の市「まぐろ館」は、どのお店も長蛇の列で殺気立ってるな〜と、ひと気の薄い方へ流れていくウサクマ。その先は「いちば館」。その名前が食事だけが目的な観光客をブロックするのか、こっちはゆったり食べられそう
ちゅどーーーーん!(ウサクマ爆死昇天)なんですか、この夢のようなマグロ丼は!間違いなく、これまで熊生で最高コスパのマグロ丼ですね。
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3/30 14:39
ちゅどーーーーん!(ウサクマ爆死昇天)なんですか、この夢のようなマグロ丼は!間違いなく、これまで熊生で最高コスパのマグロ丼ですね。
食後の抹茶ソフトも、抹茶が濃くて美味〜♪
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3/30 15:31
食後の抹茶ソフトも、抹茶が濃くて美味〜♪
旧東海道へ戻る途中、清水駅前で「まる子」のマンホールも発見しました♪
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3/30 15:46
旧東海道へ戻る途中、清水駅前で「まる子」のマンホールも発見しました♪
こちらはなんとも品のある道標「久能山東照宮 従是弐里三拾町」今計画中の久能山東照宮は、ここから5.5kmほどらしい。
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3/30 15:50
こちらはなんとも品のある道標「久能山東照宮 従是弐里三拾町」今計画中の久能山東照宮は、ここから5.5kmほどらしい。
旧東海道・江尻宿に戻りました〜この辺りは鍛冶町と呼ばれたらしい。
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3/30 15:56
旧東海道・江尻宿に戻りました〜この辺りは鍛冶町と呼ばれたらしい。
その名にふさわしい、レトロな金物屋さんだな〜
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3/30 16:03
その名にふさわしい、レトロな金物屋さんだな〜
市中山江浄寺。徳川家康の息子ながら21歳で自害させられた松平信康公の墓が、山門潜り直ぐ左手にあります。
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3/30 16:04
市中山江浄寺。徳川家康の息子ながら21歳で自害させられた松平信康公の墓が、山門潜り直ぐ左手にあります。
旧東海道は清水銀座通りへ。伝馬町から魚町への街道は意図的に鈎型に曲げてあるそうです。
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3/30 16:13
旧東海道は清水銀座通りへ。伝馬町から魚町への街道は意図的に鈎型に曲げてあるそうです。
この通りもレトロなお店が点在していました。
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3/30 16:14
この通りもレトロなお店が点在していました。
鈎型に折れて巴川に架る稚児橋を渡るのが旧東海道ですが、ちょっと寄り道で直進すると、魚町稲荷神社です。
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3/30 16:19
鈎型に折れて巴川に架る稚児橋を渡るのが旧東海道ですが、ちょっと寄り道で直進すると、魚町稲荷神社です。
社殿の傍らには大きなサッカーボール。ここ清水は少年サッカー発祥の地だそうです。
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3/30 16:20
社殿の傍らには大きなサッカーボール。ここ清水は少年サッカー発祥の地だそうです。
お目当てはこれ。永禄十一年(1568)に駿河に攻め入った武田信玄が築いた江尻城てす。
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3/30 16:23
お目当てはこれ。永禄十一年(1568)に駿河に攻め入った武田信玄が築いた江尻城てす。
本丸のあった所は、今は清水江尻小学校。正門には「本丸門」という銘板も掲げられています。
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3/30 16:26
本丸のあった所は、今は清水江尻小学校。正門には「本丸門」という銘板も掲げられています。
小学校外周路で本丸、二の丸のあった周辺を巡ると巴川。有史以前には、 巴川流域は古麻機湾という深い入り江だったらしい。
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3/30 16:32
小学校外周路で本丸、二の丸のあった周辺を巡ると巴川。有史以前には、 巴川流域は古麻機湾という深い入り江だったらしい。
かつては大きく蛇行して、天然の堀として江尻城の守ったことでしょう
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3/30 16:39
かつては大きく蛇行して、天然の堀として江尻城の守ったことでしょう
稚児橋周辺には河童ちゃんがいっぱい。夕刻迫る川辺でちょっとたそがれ気味の河童ちゃんが良い雰囲気です。
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3/30 16:46
稚児橋周辺には河童ちゃんがいっぱい。夕刻迫る川辺でちょっとたそがれ気味の河童ちゃんが良い雰囲気です。
慶長十六年(1611)家康公の命令でここに初めての橋が架けられた時、その渡り初めで、巴川より不思議な男の子が突然現れて橋の上を駿府の方角に歩き去った・・・以来、この橋を「稚児橋」と云うそうな。この男の子は河童の類といわれているんだって。
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3/30 16:48
慶長十六年(1611)家康公の命令でここに初めての橋が架けられた時、その渡り初めで、巴川より不思議な男の子が突然現れて橋の上を駿府の方角に歩き去った・・・以来、この橋を「稚児橋」と云うそうな。この男の子は河童の類といわれているんだって。
紫雲山江照院法岸寺。このお寺院には、「朝顔日記」と呼ばれた 悲恋物語のヒロインである日向国秋月藩主の娘深雪のお墓があるそうですが、残念ながら「朝顔日記」自体を知らず・・・
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3/30 16:57
紫雲山江照院法岸寺。このお寺院には、「朝顔日記」と呼ばれた 悲恋物語のヒロインである日向国秋月藩主の娘深雪のお墓があるそうですが、残念ながら「朝顔日記」自体を知らず・・・
江尻宿木戸跡(西木戸)に到着。ここが江尻宿の上方見附、江尻宿を歩き切りました。
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3/30 17:01
江尻宿木戸跡(西木戸)に到着。ここが江尻宿の上方見附、江尻宿を歩き切りました。
この雑貨屋さんの看板も年季が入っていますが、それをウリにしているようですね。峰の内部はとても綺麗で洒落ています。
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3/30 17:03
この雑貨屋さんの看板も年季が入っていますが、それをウリにしているようですね。峰の内部はとても綺麗で洒落ています。
営業時間に間に合わずに残念だった追分羊羹のお店の角に、追分道標が建っていました。京の日蓮宗の篤信者・谷口法悦が建立した題目碑道標で「是より志三づ道」と刻まれています。
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3/30 17:13
営業時間に間に合わずに残念だった追分羊羹のお店の角に、追分道標が建っていました。京の日蓮宗の篤信者・谷口法悦が建立した題目碑道標で「是より志三づ道」と刻まれています。
ハナモモかな?源平咲きが鮮やかですね〜
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3/30 17:17
ハナモモかな?源平咲きが鮮やかですね〜
文久元年(1861)清水次郎長は子分の森の石松の恨みを晴らすために、都田吉兵衛をここで討ったそうな。でも地元の人々が、吉兵衛の菩提を弔う人が少ないことに哀れんで、この供養塔を建てたらしい。仇も憐れんで弔ってしまうのは、日本人の古来の人情らしい。
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3/30 17:18
文久元年(1861)清水次郎長は子分の森の石松の恨みを晴らすために、都田吉兵衛をここで討ったそうな。でも地元の人々が、吉兵衛の菩提を弔う人が少ないことに哀れんで、この供養塔を建てたらしい。仇も憐れんで弔ってしまうのは、日本人の古来の人情らしい。
昔からこのあたりは、東海道と清水湊への道『志ミづ道』の分岐点であることから『追分』と呼ばれていたそうです。
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3/30 17:20
昔からこのあたりは、東海道と清水湊への道『志ミづ道』の分岐点であることから『追分』と呼ばれていたそうです。
この夕日をみると、やっぱり黄砂来てるかな〜でも、思った以上に良い天気が続いて有難かったです。
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3/30 17:34
この夕日をみると、やっぱり黄砂来てるかな〜でも、思った以上に良い天気が続いて有難かったです。
緩やかに上りながら道は右に曲がり、左からの道と合流すると、『久能寺観音道』道標があり、この先左手には北条早雲から名がとられたという宋丹池。
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3/30 17:37
緩やかに上りながら道は右に曲がり、左からの道と合流すると、『久能寺観音道』道標があり、この先左手には北条早雲から名がとられたという宋丹池。
宋丹池を廻りこんで歩くと、上原子安地蔵堂。天正十年(1582)徳川家康が武田勝頼を攻めるに先立ち、武田の宿将で江尻城主の穴山梅雪と、この地蔵堂で会見した結、果梅雪は家康に降り、武田氏滅亡のきっかけとなったというエピソードがあるそうです。
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3/30 17:44
宋丹池を廻りこんで歩くと、上原子安地蔵堂。天正十年(1582)徳川家康が武田勝頼を攻めるに先立ち、武田の宿将で江尻城主の穴山梅雪と、この地蔵堂で会見した結、果梅雪は家康に降り、武田氏滅亡のきっかけとなったというエピソードがあるそうです。
上原子安地蔵堂の桜はすべて遅咲きの八重桜、と聴いたので見上げてみると、お〜蕾がだいぶ膨らんでますね。それほど遅くなく咲き出しそうです。
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3/30 17:48
上原子安地蔵堂の桜はすべて遅咲きの八重桜、と聴いたので見上げてみると、お〜蕾がだいぶ膨らんでますね。それほど遅くなく咲き出しそうです。
旧東海道が静岡県道407号静岡草薙清水線に合流して間もなく、江戸日本橋から43里、草薙一里塚跡がありました。
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3/30 18:02
旧東海道が静岡県道407号静岡草薙清水線に合流して間もなく、江戸日本橋から43里、草薙一里塚跡がありました。
一里塚跡の傍らには大きな信楽焼のたぬきさん。こんな大きな狸さんを焼ける窯はもうないそうなので、このたぬきさんが「日本最大」かもしれません。
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3/30 18:04
一里塚跡の傍らには大きな信楽焼のたぬきさん。こんな大きな狸さんを焼ける窯はもうないそうなので、このたぬきさんが「日本最大」かもしれません。
18時も回ったので、今回はここで旧東海道を離脱します〜
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3/30 18:16
18時も回ったので、今回はここで旧東海道を離脱します〜
5分ちょっと歩くと、日帰り温泉の「あおい温泉草薙の湯」に到着〜カルシウム・ナトリウム・塩化物泉の露天風呂で1時間ほど、たっぷりと身体を伸ばしました。
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3/30 18:23
5分ちょっと歩くと、日帰り温泉の「あおい温泉草薙の湯」に到着〜カルシウム・ナトリウム・塩化物泉の露天風呂で1時間ほど、たっぷりと身体を伸ばしました。
さっきの神マグロ丼で、まだまだおなか満足状態なので、今日の打ち上げは静岡名物「黒はんぺん」と枝豆でカンパ〜イ♪
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3/30 20:17
さっきの神マグロ丼で、まだまだおなか満足状態なので、今日の打ち上げは静岡名物「黒はんぺん」と枝豆でカンパ〜イ♪
湯上りサッパリお腹も満足で10分弱歩けば、JR東海道本線 草薙駅。マグロたっぷり歴史どっぷりの春の青春18きっぷウサトレ、大団円でございます〜♪
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3/30 21:11
湯上りサッパリお腹も満足で10分弱歩けば、JR東海道本線 草薙駅。マグロたっぷり歴史どっぷりの春の青春18きっぷウサトレ、大団円でございます〜♪
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