茅ヶ岳~金ヶ岳 深田久弥さんを偲ぶ山歩き
- GPS
- 06:35
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 1,074m
- 下り
- 1,070m
コースタイム
- 山行
- 5:28
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 6:34
天候 | 晴々 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
茅ヶ岳。日本百名山の著者、深田久弥さんの終焉の山。1971年3月21日茅ヶ岳山頂の近くの尾根で脳卒中のため急逝された山として知られています。そして毎年春になると茅ヶ岳では深田祭が催されいるということです。
日本山岳会のウェブサイトに丁寧にアーカイブされている会報誌「山岳」 の1971年度の号にその最期の様子が追悼として記されています。
そして茅ヶ岳の山歩きを前にその文献と出会えたことは、ただ眺望を楽しみに行くだけでなく、また違った意味を持つ山歩きになりそうだと予感します。
山歩きを始めてから、嫌でも目に入ってくる百名山の名前も昔の人が選んだ100つの山、最初はスタンプラリーの様に考えていました。
富士山の様に誰が見てもそれはそうだと思うような日本各地の有名な山々が羅列されているだけだと。
そしてその冠がついた山はさぞ素晴らしいものだろうと。もしくは百名山に選ばれたから有名になったのか。
百名山9座目となる天城山を登ったのを機会に日本百名山とは何ぞ、、と、先に述べた印象と違うことに疑問を持ち始め、その著書を買い求め、登った山から読み始め、いよいよ日本百名山や深田久弥さん自身に興味が芽生え、何故その山を選んだのかに興味が向くことに。
そんな深田久弥さん終焉の地としての茅ヶ岳がとても気になり、バスが運行されるのを待ち、いよいよいつものジョンコナー部長と、いざ行ってみようとなる。
行きの電車で今一度、その会報誌を読み返す。
せっかくなので茅ヶ岳とその先の金ヶ岳を合わせて、アップダウンは約1100mほどあるが、距離は9km弱と、何となくこれくらいならと、短い周回ルートを選択。
バスは小さめ、少し立ち客が出てしまうくらいの、皆、茅ヶ岳を目指している様子。
登山口からは緩やかで、まだ朝の気持ちいい風が流れて、意気揚々と。
もう半袖。気持ちいい。
女岩を過ぎた頃から本格的な急登が始まり、久しぶりのちょっとした岩稜地帯に少し頬が緩み楽しくなってくる。
なかなかの急登。汗が吹き出して息が上がりそうになるころ眺望も良くなってきて、気持ちも切り替わる。
いよいよ深田久弥さんの終焉の地。石碑が現れる。会報誌に書かれていたその情景が思い出され、そっと手を合わせて、少し感慨に耽る。
何の縁かは分かりませんが、山歩きとは切っても切り離せない、深田久弥さんを偲ぶ。
茅ヶ岳山頂では、西側は富士山、そしてまだ雪化粧の南アルプスに八ヶ岳連峰、その先には北アルプスも微かに顔を覗かせ、東側は金峰山や奥秩父の山塊が広がるパノラマな眺望。
ここでたっぷり休んでしまうと次が続かない。休憩もほどほどに、金ヶ岳を目指します。
急坂を下り登り返すという、げっそりするほどの急登に閉口。言葉も少なくなってきて、我慢の時をひたすら耐える。
茅ヶ岳と金ヶ岳の底部に、自然が作り出した見事な石門を潜り再びの急登。
ようやく金ヶ岳南峰を過ぎ、最後の登り返しで金ヶ岳山頂に。
お腹が減った。喉も乾いた。
暑い今日は缶ビールを担ぎ上げて、ジョンコナー部長のソーセージとホットドックセットを3本頂き、本当にぺろっと頂き、下山に備えます。といっても、南峰への登り返し、茅ヶ岳への登り返しを思い出すたび、まだ気が抜けないと心の隅で。。
この冬は毎週欠かさずに山歩きをして来たはずなのに、あまり鍛えられていないことに反省するきつい山歩き。
しかしながら深田久弥さんの終焉の地、是非来てみたかった茅ヶ岳。
なぜここでそんなことが起こってしまったのか、自分の足で実際に歩いてみたかった。そんなことを終始考えされる山歩きでした。
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