高速から見えていた富士山。憩いの森公園から登り始めて、最初の眺望。
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5/4 7:02
高速から見えていた富士山。憩いの森公園から登り始めて、最初の眺望。
馬返しからの眺望。富士山が見えると撮ってしまう。
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5/4 7:27
馬返しからの眺望。富士山が見えると撮ってしまう。
振り返るとこんな道を来ました。ここから先は傾斜が急に。
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振り返るとこんな道を来ました。ここから先は傾斜が急に。
愛染明王塔
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5/4 7:48
愛染明王塔
富士山の形をした不二石。
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5/4 8:09
富士山の形をした不二石。
振り返ると木立の間に富士山。
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振り返ると木立の間に富士山。
開けたところに出ました。空胎上人の墓だそうです。空胎上人って誰?
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5/4 8:14
開けたところに出ました。空胎上人の墓だそうです。空胎上人って誰?
空胎上人のお墓は富士山に向いています。ここで三ッ峠の歴史に詳しくて毎週登っている地元の方に声を掛けられ、お話を聞くことに。これがとても面白かった。空胎上人はもとはふもとで百姓相手に剣の道場を開いていた方で、侍の道場とのもめごとで寺に逃げ込んで出家して、後に三ッ峠で修行してここが気に入り、霊場としていろいろ整備したそうな。江戸時代のディズニーランドみたいなものとのこと。三ッ峠の古絵図を印刷した手ぬぐいを見せてもらったりして、そのまま一緒に登りながら話を聞かせてもらうことになりました。
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5/4 8:14
空胎上人のお墓は富士山に向いています。ここで三ッ峠の歴史に詳しくて毎週登っている地元の方に声を掛けられ、お話を聞くことに。これがとても面白かった。空胎上人はもとはふもとで百姓相手に剣の道場を開いていた方で、侍の道場とのもめごとで寺に逃げ込んで出家して、後に三ッ峠で修行してここが気に入り、霊場としていろいろ整備したそうな。江戸時代のディズニーランドみたいなものとのこと。三ッ峠の古絵図を印刷した手ぬぐいを見せてもらったりして、そのまま一緒に登りながら話を聞かせてもらうことになりました。
八十八體供養塔。ここで拝むと四国八十八ヶ所を回ったのと同じご利益が。京都の御室八十八ヶ所みたいだけど、あちらは2時間くらいかかるところ、こちらは一回拝むだけという手軽さ。富士山のほうを向いている、と説明されているそうですが、よく見ると方向が違って南を向いている。なぜか、というと参拝者が拝むと北を向くことが重要とのことで、つまりこれは北辰妙見信仰で、実際に夜には北極星が木立の間に見えるんだそうです。
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八十八體供養塔。ここで拝むと四国八十八ヶ所を回ったのと同じご利益が。京都の御室八十八ヶ所みたいだけど、あちらは2時間くらいかかるところ、こちらは一回拝むだけという手軽さ。富士山のほうを向いている、と説明されているそうですが、よく見ると方向が違って南を向いている。なぜか、というと参拝者が拝むと北を向くことが重要とのことで、つまりこれは北辰妙見信仰で、実際に夜には北極星が木立の間に見えるんだそうです。
親不知。
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5/4 9:12
親不知。
富士山がきれい。
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5/4 9:22
富士山がきれい。
木の枝で見辛いけど一字一石供養塔からの三ッ峠。三つある峰のうち右側の二峰。この間を妙見谷と言って、夜に来るとこの谷のところに北極星が見えるのだそう。供養塔は神鈴権現社の正面にあって、里の人はここに参拝に来ていたのではないか、とのこと。ここから見ると峰が三つあるのがよくわかるし、古絵図に三つの峰が描かれているのはこっちから見る山容なのは間違いないと思える。この三峰を善光寺の一光三尊と見立てるのだそうで、そう言われるとそう見えてきたりして。
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5/4 9:43
木の枝で見辛いけど一字一石供養塔からの三ッ峠。三つある峰のうち右側の二峰。この間を妙見谷と言って、夜に来るとこの谷のところに北極星が見えるのだそう。供養塔は神鈴権現社の正面にあって、里の人はここに参拝に来ていたのではないか、とのこと。ここから見ると峰が三つあるのがよくわかるし、古絵図に三つの峰が描かれているのはこっちから見る山容なのは間違いないと思える。この三峰を善光寺の一光三尊と見立てるのだそうで、そう言われるとそう見えてきたりして。
一字一石供養塔。もとはお経から抜き出した1文字が書かれた石が積まれていたはずが、持ち去られ、普通の石が積まれるようになったそうです。供養塔と相対する神鈴権現社は空胎上人が再建したときは里を見下ろせるところにあったのが、大正時代に少し後ろに移されて、その後焼失して、今はかなり奥のほうに石造りの小さな社があるとのこと。大正時代の絵はがきで写真が残っていて善光寺に似せた様式だったそう。
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5/4 9:52
一字一石供養塔。もとはお経から抜き出した1文字が書かれた石が積まれていたはずが、持ち去られ、普通の石が積まれるようになったそうです。供養塔と相対する神鈴権現社は空胎上人が再建したときは里を見下ろせるところにあったのが、大正時代に少し後ろに移されて、その後焼失して、今はかなり奥のほうに石造りの小さな社があるとのこと。大正時代の絵はがきで写真が残っていて善光寺に似せた様式だったそう。
富士山のおすすめ撮影スポット。
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5/4 10:38
富士山のおすすめ撮影スポット。
四季楽園への分岐で説明してくれた方と別れて、三ツ峠山荘に。甲斐犬がかわいいので手を出したらフンフン臭いをかぐので大丈夫かなと思ったけど、山荘のご主人が何人も噛まれてると警告してくれたので引っ込めた。まあ甲斐犬だもんね。
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5/4 10:39
四季楽園への分岐で説明してくれた方と別れて、三ツ峠山荘に。甲斐犬がかわいいので手を出したらフンフン臭いをかぐので大丈夫かなと思ったけど、山荘のご主人が何人も噛まれてると警告してくれたので引っ込めた。まあ甲斐犬だもんね。
三ツ峠は参道側から見える山容から名付けられたもので、木無山、御巣鷹山と合わせて三つというのは、新しい登山道ができて、表参道から登る人が少なくなってから言われるようになった、そうなのだけど、せっかく来たのだし、予定通りに三山巡り。しかし、木無山は鹿よけの柵で近寄れずピークを眺めるだけでした。たぶんあれが木無山のピークかな?
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5/4 10:47
三ツ峠は参道側から見える山容から名付けられたもので、木無山、御巣鷹山と合わせて三つというのは、新しい登山道ができて、表参道から登る人が少なくなってから言われるようになった、そうなのだけど、せっかく来たのだし、予定通りに三山巡り。しかし、木無山は鹿よけの柵で近寄れずピークを眺めるだけでした。たぶんあれが木無山のピークかな?
三ツ峠山荘に戻ってきて売店に入ると例の手ぬぐいを売っていたので購入。甲斐神鈴峯㞢圖。㞢は之の異体字。
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5/17 21:04
三ツ峠山荘に戻ってきて売店に入ると例の手ぬぐいを売っていたので購入。甲斐神鈴峯㞢圖。㞢は之の異体字。
四季楽園の前を通って御巣鷹山に来ました。目立たない山名板。
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5/4 11:31
四季楽園の前を通って御巣鷹山に来ました。目立たない山名板。
山名板の向いはこうです。とりあえずぐるっと周りを歩けるので、ぐるっと歩いてから、戻って三ッ峠に向かいます。
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5/4 11:31
山名板の向いはこうです。とりあえずぐるっと周りを歩けるので、ぐるっと歩いてから、戻って三ッ峠に向かいます。
三ッ峠山頂からの富士山。肝心の山頂標識は撮り忘れ。
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5/4 11:46
三ッ峠山頂からの富士山。肝心の山頂標識は撮り忘れ。
ちょっと移動して眺望のいいところから。富士の手前の府戸尾根に隠れて右側に河口湖があるはず。
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5/4 12:56
ちょっと移動して眺望のいいところから。富士の手前の府戸尾根に隠れて右側に河口湖があるはず。
ちょっと右側を見ると木無山。江戸時代には禿山だったのかな。三ッ峠山荘と四季楽園も見えます。
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5/4 12:56
ちょっと右側を見ると木無山。江戸時代には禿山だったのかな。三ッ峠山荘と四季楽園も見えます。
さらに右を見ると甲府盆地が。ということは正面の峰は南アルプス。
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5/4 12:56
さらに右を見ると甲府盆地が。ということは正面の峰は南アルプス。
さらにその右の奥のほうが八ヶ岳。
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さらにその右の奥のほうが八ヶ岳。
さらにその右に御巣鷹山。電波塔だらけ。
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5/4 12:56
さらにその右に御巣鷹山。電波塔だらけ。
さて四季楽園前から下山しようとするとさっきの地元の方の声が。今日は猫のお札を配る日だとかで、四季楽園まで戻って見せていただきました。猫は蚕の守り神なのだけど、大山祇命、おおやまつみのかみと結びついているところが面白い。これが甲府盆地側だと山犬信仰で、それは秩父からの影響なのだとか。
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5/4 13:13
さて四季楽園前から下山しようとするとさっきの地元の方の声が。今日は猫のお札を配る日だとかで、四季楽園まで戻って見せていただきました。猫は蚕の守り神なのだけど、大山祇命、おおやまつみのかみと結びついているところが面白い。これが甲府盆地側だと山犬信仰で、それは秩父からの影響なのだとか。
改めて下山。府戸尾根の向こうの富士山。
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5/4 13:19
改めて下山。府戸尾根の向こうの富士山。
西国三十三ヵ所の石碑。昔は全部あって、ここを回るだけで西国三十三ヵ所回ったのと同じことになるよくあるものだと思うけど、これは江戸時代のアトラクションのようなものなのだそうだ。
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5/4 13:24
西国三十三ヵ所の石碑。昔は全部あって、ここを回るだけで西国三十三ヵ所回ったのと同じことになるよくあるものだと思うけど、これは江戸時代のアトラクションのようなものなのだそうだ。
この西国三十三ヵ所は屏風岩の途中にあります。
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5/4 13:24
この西国三十三ヵ所は屏風岩の途中にあります。
屏風岩から水が染み出ています。この水は涸れないそうで、岩山なのにどこに溜まっているのか不思議だ、ということでかつては信仰を裏打ちするものだったとか。
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5/4 13:26
屏風岩から水が染み出ています。この水は涸れないそうで、岩山なのにどこに溜まっているのか不思議だ、ということでかつては信仰を裏打ちするものだったとか。
あまり注目されない人面石、だそうです。
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5/4 13:29
あまり注目されない人面石、だそうです。
崩れてきそうな急な沢に水が流れていますが、写真だとあまり危なそうに見えないですね。
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5/4 13:31
崩れてきそうな急な沢に水が流れていますが、写真だとあまり危なそうに見えないですね。
三十三か所の仏様こんなところにも。これは西国じゃなくて坂東かな。
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5/4 13:33
三十三か所の仏様こんなところにも。これは西国じゃなくて坂東かな。
これも坂東三十三か所。坂東のは字が入っていないのだそうです。
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5/4 13:44
これも坂東三十三か所。坂東のは字が入っていないのだそうです。
ちょっと引いてこんなところにあります。以前は山小屋があったんだそう。
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5/4 13:44
ちょっと引いてこんなところにあります。以前は山小屋があったんだそう。
三十番、かな?
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5/4 13:45
三十番、かな?
こちらは倒れてしまっているけど愛宕尊の石碑。
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5/4 13:45
こちらは倒れてしまっているけど愛宕尊の石碑。
ここも水が染み出ています
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5/4 13:50
ここも水が染み出ています
登りでもここで撮ったけど富士山。ちょっと雲がかかってきました。
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5/4 13:55
登りでもここで撮ったけど富士山。ちょっと雲がかかってきました。
空胎上人の墓の近くのお地蔵さん。首が落ちて代わりの石が乗っているけど、もしかして廃仏毀釈の関係? 三ッ峠は幕府側だったそうで、徳川瓦解の後は弾圧されたらしい。維新政府側についた富士講が今も残っているのとは対照的なんだそうで。富士の八葉も改称されてるよね。
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5/4 14:02
空胎上人の墓の近くのお地蔵さん。首が落ちて代わりの石が乗っているけど、もしかして廃仏毀釈の関係? 三ッ峠は幕府側だったそうで、徳川瓦解の後は弾圧されたらしい。維新政府側についた富士講が今も残っているのとは対照的なんだそうで。富士の八葉も改称されてるよね。
ここは股のぞきとなっていて二股になった赤松の幹の間から富士がのぞけるようになっているのだけど、股のぞきって自分の股から覗くのでは。
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5/4 14:34
ここは股のぞきとなっていて二股になった赤松の幹の間から富士がのぞけるようになっているのだけど、股のぞきって自分の股から覗くのでは。
達磨石。大日如来の梵字だそうで。もとは赤く塗られていたのかな。
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5/4 14:52
達磨石。大日如来の梵字だそうで。もとは赤く塗られていたのかな。
登山道入り口まで戻ってきました。
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5/4 14:55
登山道入り口まで戻ってきました。
三ッ峠グリーンセンターから見える三ッ峠。また来たいね。
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5/4 15:21
三ッ峠グリーンセンターから見える三ッ峠。また来たいね。
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