北ア北部・朝日岳
- GPS
- 80:00
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 2,570m
- 下り
- 2,571m
コースタイム
8/10;平岩駅着(100)平岩駅西車デポ地発(700)蓮華温泉発(800)橋(900-30)吹上のコル(1445/1545-1605)朝日岳(1520-30)泊地(1600?)
8/11;起床(530)発(650)標高1400m事故発生(915-1105)標高1420m泊(1120)
8/12;起床(530)発(740)吹上のコル(1240)白高地沢橋泊(1600)
8/13;起床(500)発(710)蓮華温泉(1015?)
天候 | 概ね晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
本計画、蓮華温泉〜朝日岳〜恵振谷下降〜北又谷遡上〜日本海ラインは20年物の蔵出しビンテージ物、ではなく7月下旬に登った南ア北部の雨乞山からの下山の際に閃いたものである。直前になってこの南ア三日準備山行にyoneyamaさんが痛風発作で来られなくなり、痛風持ちの私にも覚えがあってメイン山行時にも不参加表明が在り得ることだと考え出したら本計画が頭に降りてきた。yoneyamaさんあっての南ア六日メイン山行だ、これは取り置くこととして藤原さんとの二人計画の代案を考えたら黒部〜栂海新道案が不意に浮かんだ。大所川を遡上して三国境から海を繋ぐのは長過ぎるのでこの際置いておき、蓮華温泉を起点として下半部に核心を絞れる恵振谷を下降路に採り(あわよくばケルン滝に極力接近して)、難物の滝二つを回避した名渓の誉れ高い北又谷を日本海へ向けて遡上、似虎谷(ねごや)若しくは初雪山を経由して日本海へと、これまでに思い付かなかったことが不思議な位の、黒部の渓谷を伝って海へと繋ぐ合理的ラインである。
計画は良い、ただその実践は残念な結果となった。
【8/ 9】過酷な仕事を終え、岐阜から下道で大糸線平岩駅まで295辧6.5時間のドライブは眠気との闘いだった。
【8/10】早朝、藤原さんと合流し、蓮華温泉へ。朝日岳登頂後、朝日池傍の恵振(いぶり)谷源頭部にて泊。藤原さんが携行したテキーラを、ジャン=ユーグ・アングラードのように呑んで景気付けする。
【8/11】恵振谷の下降開始が6:50。9:15頃、標高1400m(時計の高度計に拠る)の傾斜のあるゴーロ帯にて事故発生(沢を見下ろすと、大岩上に灌木の生えて目立つオニギリ岩)。50×50×20冂の不安定な岩が自ら手で触れたことで下降中だった藤原さんの脇の岩盤を1.5m程滑り、左足指先部分を直撃した。反射的に足を引っ込めたことが幸いして骨折は免れて打撲で済んだ模様。即刻、患部を冷やして様子を見た。親指の基部に当たったのが判るが、この時点では未だ薄っすらと赤みを帯びて腫れている程度に見えた。歩行は可能で引き返しの判断をし、50m程登った所で「イケるかも。」と明日以降の計画続行への可能性を残すために整地して宿泊した。火を熾し、今宵もテキーラを呑む。事故原因は昨日話した『マッチョイズムにみる「幸せの黄色いハンカチ」の高倉健』の中で、物語の不成立の指摘はいいとして、健さんを大根呼ばわりした因果応報、と分析された。夕刻、患部の腫れは引いた(のは気のせいだったか)。
【8/12】翌朝、再び患部は腫れておりようやく引き返しの判断をする。左足を庇いながらの歩行は可能で荷物も酒以外に分担無く背負う。痛みに耐えて登っているはずの藤原氏の口から出る、ヤクルトレディの冴えた話に笑いが過ぎて気遣う私に喘息症状が出た程だった。コルまでの登りよりも、吹上のコルからの下降で痛みが出る様子で、コースタイムの1.5倍くらいの時間を掛けて蓮華温泉を目指した。積雪深に因るであろう奥行きある森の佇まいや霧に煙る岩壁、穏やかに流下する沢をいつか探ってみたいと感じた。白高地沢で時間切れ、河原にて泊。相変わらず腫れはあるも、酒とニコチンの摂取にだけは抜かりない。
【8/13】今朝も令和の明恵・藤原氏の「夢記(ゆめのき)」を聞き、ゆっくりと発つ。腫れは小康を保ち、登り返しの道に悪態をつきつつも引き続き蓮華温泉を目指して歩行を継続できた。森の緑が年々濃くなっている気がする、とは藤原さんの言だが、アフリカ住まいが長いから? いや温暖化の進行か。到着後に温泉で汗を流し、大町で昼食を摂ってそれぞれの帰途に就いた。長いドライブ中に、思うところ多くあった。済んでのところあの程度で事態を回避できたが、最悪を考えると酷暑にしてヒヤリとした感覚が走る。今は、藤原氏による診断の報告が待たれる。骨折で無いことを祈念して。
嗚呼、それにしても二人で日本海を目にしたかった。
今回の事故は私が2019年8月、2020年7月と二年続けて起こした林業作業上の事故と同質のものである。不確定要素多い環境下での、個人が経験したことのない類の受傷である。ただ、雪渓の現れたばかりの場所だったこともあり老獪な溯行者ならば経験上回避できた性質の事故、かもしれない。足を引きずる藤原さんの背中を心で押しながら、もう一人の自分を観ている気分で歩いた。そう、充分に私が事故者で在り得ることでもあって、山行継続が叶わなかったことを悔やむのは見当違いなのだ、と。
米山さんとは早や四半世紀を、藤原さんとは2021年の夏以降4年連続の山行を共にしてきた。得難いお二人の大学山岳部先輩方との山行が、今後も継続されることを願いたい。【20240814早朝記】
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