記録ID: 7248578
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳縦走
1992年07月24日(金) ~
1992年07月26日(日)
- GPS
- 19:51
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 2,136m
- 下り
- 2,136m
コースタイム
1日目
- 山行
- 6:36
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 7:11
距離 15.3km
登り 903m
下り 106m
2日目
- 山行
- 3:22
- 休憩
- 1:01
- 合計
- 4:23
距離 2.5km
登り 810m
下り 124m
3日目
- 山行
- 6:25
- 休憩
- 1:48
- 合計
- 8:13
距離 7.9km
登り 423m
下り 1,906m
14:16
ゴール地点
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
30代の頃の若い私。単独行を始めた私は一大決心をしてこのコースに挑みました。
この頃の日本の夏は梅雨が開けると梅雨開け10日といって、太平洋高気圧に覆われた安定した夏空の日が続きました。今みたいに暑くもなく雷雨も起こりません。夏山登山には絶好の時期でした。
涸沢には残雪も多く、岩場の登降のコースで体力のない私には厳しかったでしたが、天候に恵まれ、何とか歩き切ることができました。この頃はまだ山の名前など詳しくなかったと思いますが、その後、この時見えていたほとんどの山の頂上を踏むことになります。
この頃はデジカメなどなくフィルムのカメラでの撮影になりますが、1枚1枚丁寧に撮っている様子が伺えます。デジカメになった今日、とりあえずたくさん撮り、撮った後もトリミングなどしてごまかしている今の私を反省しました。このコースは厳しくてその後登ることはありませんでしたが、天気がよくて周りの景色をきちんと撮影できていたのがよかったと思います。30年以上たってネットで山の名前を調べられて感動でした。
紀美子平から一枚岩の鎖場を下る時、下まで見えていて「げっヤバい」と思った記憶があります。でもここを降りないとお家へ帰れないので頑張って降り、重太郎新道も頑張って降りました。家に帰ってから1週間くらい筋肉痛がひどかったのを覚えています。それにしてもまだ女性の単独行が少なかった時代、私、頑張ったわ、えらかったね。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:29人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する