記録ID: 7293190
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ハイキング
奥多摩・高尾
【城巡り】八王子城散策
2024年09月29日(日) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 03:51
- 距離
- 10.9km
- 登り
- 614m
- 下り
- 641m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 3:47
距離 10.9km
登り 614m
下り 641m
10:40
天候 | 曇り、時々小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
高尾駅北口よりバス乗車(美22 6:40発) 八王子城入口下車 帰り 高尾駅まで徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
一部崩落箇所があった意外は特に危険箇所なし。 お城ですが、スニーカー等だと滑ったりすると思われるので、トレッキングシューズの方が良さそう。 |
その他周辺情報 | 食事:びんびん亭 高尾店(ラーメン) |
写真
城山川の両岸の斜面に、橋を架けるた めの橋台石垣が発見され、御主殿へわた る橋の存在が確認されました。
当時はこ の橋台に簡単な木橋を架け、この橋( 橋)をこわすことによって敵の侵入を防 いだものと考えられます。
橋台は、検出した石垣の崩れた部分を 新たに補い、想定復原したものです。
また、橋そのものは現代の工法で建造したものですが、史跡の景観に合うよう木造 にしました。
当時はこ の橋台に簡単な木橋を架け、この橋( 橋)をこわすことによって敵の侵入を防 いだものと考えられます。
橋台は、検出した石垣の崩れた部分を 新たに補い、想定復原したものです。
また、橋そのものは現代の工法で建造したものですが、史跡の景観に合うよう木造 にしました。
この石垣は、土の中に400年間くずれ ずによく残っていたので、検出したその ままの状態にしてあります。
戦国時代の 石積様式を示す全国でも貴重なものです。
その特徴は、この城山山中から産出する砂岩を利用して、ひとつ一つていねい に積み重ね、その隙間には小石を詰めて 全体として強固な石垣としていることです。
また、石垣の勾配が急なこと、石垣 の裏側にたくさんの砕いた石を入れていることも特徴です。
戦国時代の 石積様式を示す全国でも貴重なものです。
その特徴は、この城山山中から産出する砂岩を利用して、ひとつ一つていねい に積み重ね、その隙間には小石を詰めて 全体として強固な石垣としていることです。
また、石垣の勾配が急なこと、石垣 の裏側にたくさんの砕いた石を入れていることも特徴です。
この踊り場からは、4つの建物礎石が 発見されました。
両側の石垣の下に、敷 石の面より10僂曚氷發なっている大きな石がそれです。
礎石の間は、東西(桁 行)約4.5m、南北(梁間) 3.6mあります。
想定される建物は、通路の重要な位置にあることから、物見や指揮をする ための橋門であったかもしれません。
また、礎石のそばには、排水のための石組 側溝も発見されています。
この礎石や石組側講、大部分の石垣や 敷石は、当時のものを利用しています。
両側の石垣の下に、敷 石の面より10僂曚氷發なっている大きな石がそれです。
礎石の間は、東西(桁 行)約4.5m、南北(梁間) 3.6mあります。
想定される建物は、通路の重要な位置にあることから、物見や指揮をする ための橋門であったかもしれません。
また、礎石のそばには、排水のための石組 側溝も発見されています。
この礎石や石組側講、大部分の石垣や 敷石は、当時のものを利用しています。
通路と考えられる道路状遺構は主殿の 北東側に位置し、さらに北側の未発掘部 分に続いていくようです。
東西の両側は 石列となっており、その幅は4.2m、確認 された長さは7.2mです。
路面は山砂利を多く含む黄褐色土を突 き固めて構築され、中央部がやや高くなっ ていました。
東西の両側は 石列となっており、その幅は4.2m、確認 された長さは7.2mです。
路面は山砂利を多く含む黄褐色土を突 き固めて構築され、中央部がやや高くなっ ていました。
主殿の北東側に位置し、道路と並行し てさらに北側の未発掘部分に続いていく ようです。
土色に舗装した部分が塀の範囲を、着 色しだ部分が柱穴の位置を示しています。
発掘調査時に、石列の間に6寸(約18cm) の正方形の空洞になった柱穴が4か所検 出されました。
土色に舗装した部分が塀の範囲を、着 色しだ部分が柱穴の位置を示しています。
発掘調査時に、石列の間に6寸(約18cm) の正方形の空洞になった柱穴が4か所検 出されました。
天正十八年(一五九○) 六月二十三日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に、御主殿にいた女性や子ども、将兵たちが滝の上で自刃をし、次々と身を投じたといわれています。
その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まった との言い伝えが残っています。
【コラム 氏照の暮らしぶり】
戦国時代はいつも合戦とその準備をし ていたイメージがありますが、八王子城 から出土した遺構・遺物から見てみると、 そのイメージとは程遠いものです。
中国から輸入された五彩で華やかなお 皿で、領国内から取れたアワビやサザエ などを食べたり、ベネチアで作られた レースガラス器や信楽焼きの花器を飾り、そのもとでお茶をたしなみ、枯山水 の庭を眺めてお酒を飲んだ日々が思い浮かばれます。
これらの品々は、さぞ北条氏照の心を 和ませていたのではないでしょうか。
その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まった との言い伝えが残っています。
【コラム 氏照の暮らしぶり】
戦国時代はいつも合戦とその準備をし ていたイメージがありますが、八王子城 から出土した遺構・遺物から見てみると、 そのイメージとは程遠いものです。
中国から輸入された五彩で華やかなお 皿で、領国内から取れたアワビやサザエ などを食べたり、ベネチアで作られた レースガラス器や信楽焼きの花器を飾り、そのもとでお茶をたしなみ、枯山水 の庭を眺めてお酒を飲んだ日々が思い浮かばれます。
これらの品々は、さぞ北条氏照の心を 和ませていたのではないでしょうか。
金子丸
国指定史跡 八王子城跡。
金子三郎左衛門家重が守っていたといわれている曲輪です。
尾根をひな壇状に造成し、敵の侵入を防ぐ工夫 がされています。
【コラム 八王子城の攻防】
八王子城の戦いは、わずか1日で決着しましたが、とても激しい戦いでした。 天正18年(1590) 6月23日、豊臣側の前田 利家軍は城の大手側、上杉景勝軍は掘手側に分 かれて攻め込みました。
このとき八王子城主北 条氏照は小田原城に詰めており、留守を横地監 物・中山勘解由らの重臣が守っていました。重 臣らは奮戦しましたが、ついに搦手側から破られ、ついで大手側も陥落、重臣らの多くも討ち 死にし、八王子城は落城しました。
この戦いの様子は、江戸時代に編さんされた「新編武蔵国風土記稿や『武蔵名勝図会』に記されています。
国指定史跡 八王子城跡。
金子三郎左衛門家重が守っていたといわれている曲輪です。
尾根をひな壇状に造成し、敵の侵入を防ぐ工夫 がされています。
【コラム 八王子城の攻防】
八王子城の戦いは、わずか1日で決着しましたが、とても激しい戦いでした。 天正18年(1590) 6月23日、豊臣側の前田 利家軍は城の大手側、上杉景勝軍は掘手側に分 かれて攻め込みました。
このとき八王子城主北 条氏照は小田原城に詰めており、留守を横地監 物・中山勘解由らの重臣が守っていました。重 臣らは奮戦しましたが、ついに搦手側から破られ、ついで大手側も陥落、重臣らの多くも討ち 死にし、八王子城は落城しました。
この戦いの様子は、江戸時代に編さんされた「新編武蔵国風土記稿や『武蔵名勝図会』に記されています。
【松木曲輪】
中山勘解由家範が守っていたといわれている曲輪です。
中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。
近くには、「坎井」と呼ばれる井戸があります。
天正十八年(一五九〇) 六月二十三日に前田利家の軍勢と奮戦しましたが、多勢に無勢で防ぎきれなかったといわれています。
この時の実発の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にまでになりました。
【コラム 山上からの眺望】
ここからは、高尾山方面を一望 することができ、晴れていれば言 士山が見えることがあります。
さらに八王子神社から階段を降 りた先のちょっとひらけたところ からの旅望はなかなかです。
八王子市内が一望でき、冬の空気の潜んだ晴れた日には新新都心や地 袋のサンシャインビルまで見ることができます。
中山勘解由家範が守っていたといわれている曲輪です。
中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。
近くには、「坎井」と呼ばれる井戸があります。
天正十八年(一五九〇) 六月二十三日に前田利家の軍勢と奮戦しましたが、多勢に無勢で防ぎきれなかったといわれています。
この時の実発の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にまでになりました。
【コラム 山上からの眺望】
ここからは、高尾山方面を一望 することができ、晴れていれば言 士山が見えることがあります。
さらに八王子神社から階段を降 りた先のちょっとひらけたところ からの旅望はなかなかです。
八王子市内が一望でき、冬の空気の潜んだ晴れた日には新新都心や地 袋のサンシャインビルまで見ることができます。
【本丸跡 国指定史跡 八王子城跡】
城の中心で、最も重要な曲輪です。
平地があまり広くないので、大きな建物はなかったと考えられます。
ここは、横地監物吉信が守っていたといわれています。
城の中心で、最も重要な曲輪です。
平地があまり広くないので、大きな建物はなかったと考えられます。
ここは、横地監物吉信が守っていたといわれています。
感想
午後から予定があったため、帰国後初ハイキングをさくっと。
お天気悪くても賑やかであろう高尾山を回避して、ずっと行きたかった八王子城散策へ行ってきました。
今まで訪れた山城の中でもだいぶ険しかったので、防御力は相当なものだろう。戦力差があったとは言え、1日で落城してしまったのは驚き。
昔に想いを馳せながらお城を巡るのは面白い。百名城も制覇したい。さて明日から新潟の民です。
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