南八ヶ岳(下見)
- GPS
- 12:16
- 距離
- 21.4km
- 登り
- 1,767m
- 下り
- 1,756m
コースタイム
- 山行
- 2:40
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 2:57
- 山行
- 8:01
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 9:09
天候 | 5日:曇りのち雨 6日:雨のち曇り一時晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
小屋より上は注意は必要。 |
写真
感想
今年の冬は南八に入ろうと思っているので、下見を兼ねて出かけて来た。昔は、年末年始は毎年南八ヶ岳で過ごしていたけれど、それからずいぶん経つので下見が必要だろうと思ったから。でも行ってみて良かった。あまりにも記憶と違うことが多すぎて、いかに自分の記憶がいい加減なものかと気づくことができた。
バス待ちで何度も世話になった八ケ岳山荘脇から出発。何度も給水に寄らせてもらってた赤岳山荘まで来て一休憩。昔はこの道の正面に八ヶ岳の岩が顔を出し、さあ行くぞと気合が入ったものだけど、今はどうなんだろう。今日は曇ってて全くわからなかった。
でも順調だったのはここまで。ここからは自分の記憶のデタラメさに辟易しながらだった。まず北沢と南沢を真逆に覚えてたこと。これは帰りに気がついたのだけれど、行きは、北沢ってこんなんだっけ?とずっと思いながら歩いていた。鉱泉に着いてもハテナマークばかり。自分が毎回テン場にしてた場所はなんとなく特定できたが、すでにそこはテン場ではなくなってた。あと硫黄岳への登山口も全く記憶と違った。
さてさて。鉱泉に着くまではなんとか天気ももってくれていたが、設営を始めた頃から降り始め、設営終わると本降りになった。仕方ないのでテントの中で荷物の整理をしたり、風呂に入ったり、昼寝をしたりして過ごした。16時半からごはんの準備。雨は一向に止む気配がない。明日には雨は上がると願い18時半に寝ることにした。
夜半に一度上がった雨もその後もずっと降り続け、4時前にはその雨足が強くなり始めた。早立ちを考えていたがあまりの降り方に出発をためらう。ほかのテントも動きがなく、灯さえ付いてないテントがほとんどだった。
4時半を過ぎ、待ちきれなくなり撤収開始。雨は本降りというより土砂降り。残地ペグが多かったので、雨の中、入念にチェックをした。そして出発だが、硫黄岳の登山口を昨日確認したのに以前の記憶で反対に歩いて行ってしまった。先が思いやられるスタートだった。
とはいえ今回はあくまでも下見なのでずいぶん気楽。奥秩父主脈縦走の時のような気負いも全くなければ、久しぶりの八ケ岳という感慨も全く無かった。気楽な山行ではあったが、稜線に出てからも記憶違い、というより自分のデタラメさが続き、がっかりのし通し。樹林帯の出口も、硫黄岳の山頂までの道も、硫黄岳山頂の雰囲気も全く違った。記憶と同じだったのは硫黄岳山荘の屋根の見え方くらい。そのあとも、横岳への道で非常に気を使ったハシゴが2つ無かった。慎重さが求められたあのハシゴ2つが無くなり、鎖やそのほかのハシゴが増え実に歩きやすくなっていた。それゆえ、むしろ横岳までのルートは少し変わったのではないかと疑いさえ持った。ただ横岳の山頂標識が一緒だったのはホッとした。展望荘も頂上山荘も佇まいは同じ。展望荘は何年も年賀状を送ってくれていたので少し休憩させてもらった。
赤岳山頂には「北峰」が出来てて苦笑い。数メートル離れたくらいで北峰はないだろう。あと山頂に謎の神社ができてた。氏子の方がいらしたのでなんの真言をあげるのか聞いたら、「ウチは祝詞です。YouTubeで覚えたんですよ」。やっぱり謎だった。
そんなわけで久しぶりの赤岳山頂だったが、ガスってて眺望ゼロ。ましてや雪のない時に来てもなんの感慨もわかず早々に下山。やっぱり八ヶ岳は冬に来ないとなと。冬が楽しみになった。
帰りの文三郎尾根では、地獄のような直線のハシゴが無くなって、地に足のついた階段に変わってた。これは朗報。あの地獄の一本ハシゴは冬は厳しかったから。
行者小屋は数回しか泊まっていないかと思ったが、鉱泉よりこちらの方が記憶にかすることが多かった。覗いた小屋のバスの時間を見て、飛ばせば一本早いのに乗れそうと思い、急いで下山。バスの発車2分前に乗車することができた。
そんなわけで下見も終わり。どんな冬にしようかと考えるのが楽しみで仕方がない。
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