牛滝山再び、まずはここから。
ボクとしては思い切り早起き、6:20の朝一のバスに乗って、牛滝山到着が9:30頃。もう既に、七越峠越えが怪しくなってくる。なんとかならんかなとは思うが、こればかりは仕方がない。最速の9:30。
せっかくなので、大威徳寺にお参りしておこう。ここは2回めだが、葛城二十八宿経塚で10番めの経塚巡行地であるばかりでなく、ちょっと気に入ったお寺なのである。ボクはお寺はあまり好んで参拝することはないのだが、ちょっちと例外的に気に入っているので。
最初:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
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2/19 9:37
牛滝山再び、まずはここから。
ボクとしては思い切り早起き、6:20の朝一のバスに乗って、牛滝山到着が9:30頃。もう既に、七越峠越えが怪しくなってくる。なんとかならんかなとは思うが、こればかりは仕方がない。最速の9:30。
せっかくなので、大威徳寺にお参りしておこう。ここは2回めだが、葛城二十八宿経塚で10番めの経塚巡行地であるばかりでなく、ちょっと気に入ったお寺なのである。ボクはお寺はあまり好んで参拝することはないのだが、ちょっちと例外的に気に入っているので。
最初:
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
秋に来ようと思っていたが、なにもない季節に。陽の光と静寂はあり余るほど。
朝日を受けた一丁石地蔵さん
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2/19 9:39
秋に来ようと思っていたが、なにもない季節に。陽の光と静寂はあり余るほど。
朝日を受けた一丁石地蔵さん
経塚横の金剛童子
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2/19 9:47
経塚横の金剛童子
第10経塚・牛瀧山大威徳寺 妙経 法師品
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2/19 9:40
第10経塚・牛瀧山大威徳寺 妙経 法師品
重文・多宝塔。朝日を浴びて朱が鮮やか。
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2/19 9:42
重文・多宝塔。朝日を浴びて朱が鮮やか。
本堂前には、長命不動尊。多分、廃仏毀釈で、袈裟懸けに壊されたのだろう。それでも復活したので「長命地蔵」?
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2/19 9:44
本堂前には、長命不動尊。多分、廃仏毀釈で、袈裟懸けに壊されたのだろう。それでも復活したので「長命地蔵」?
本堂前のお地蔵さん。お顔を見ると、丁石地蔵と同じ趣のお顔だ。作者が同じなのだろう。
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2/19 9:45
本堂前のお地蔵さん。お顔を見ると、丁石地蔵と同じ趣のお顔だ。作者が同じなのだろう。
本堂。なかなか渋い!
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2/19 9:45
本堂。なかなか渋い!
せっかくなので、牛滝から大澤まで歩く。春はボケから。石垣の上のボケ。
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2/19 9:55
せっかくなので、牛滝から大澤まで歩く。春はボケから。石垣の上のボケ。
棚田
葛城山直下からいくつもの滝を降ってきた谷川が、ようやく小さな平地(というほど広くはないが)にたどりついたところ。
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2/19 9:58
棚田
葛城山直下からいくつもの滝を降ってきた谷川が、ようやく小さな平地(というほど広くはないが)にたどりついたところ。
牛滝の集落から少しくだって、大沢集落に入りかける頃、谷川を渡った所、紅葉橋という橋がかかっていた、今は近代的なコンクリート橋だが、昔は石橋だったらしい。そこの地蔵さんの祠に石橋建立の石碑が地蔵さんと並んであった。
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2/19 10:07
牛滝の集落から少しくだって、大沢集落に入りかける頃、谷川を渡った所、紅葉橋という橋がかかっていた、今は近代的なコンクリート橋だが、昔は石橋だったらしい。そこの地蔵さんの祠に石橋建立の石碑が地蔵さんと並んであった。
地蔵さん
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2/19 10:07
地蔵さん
異様な風景だと思ったら、廃ペットボトルの置き場だった。重要な静脈産業なので文句はないのだが、見た目は異様だ。便利さが異様な光景に支えられている社会だ。
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2/19 10:12
異様な風景だと思ったら、廃ペットボトルの置き場だった。重要な静脈産業なので文句はないのだが、見た目は異様だ。便利さが異様な光景に支えられている社会だ。
大沢集落
昨年の秋にバスで通りかかったが、ここには祭礼の御礼札が一面に掲げてあった。ここ「もだんじり命」なんだろう。さすがは岸和田。今の季節はその面影もない静かな村だ。
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2/19 10:16
大沢集落
昨年の秋にバスで通りかかったが、ここには祭礼の御礼札が一面に掲げてあった。ここ「もだんじり命」なんだろう。さすがは岸和田。今の季節はその面影もない静かな村だ。
結構大きなお家が多いのだが・・・・○○商店といって、なんでも売っていて、地域の核になるようなお店だったらしいのだが・・・
Google Mapを見ると、酒屋さんだったらしい。
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2/19 10:22
結構大きなお家が多いのだが・・・・○○商店といって、なんでも売っていて、地域の核になるようなお店だったらしいのだが・・・
Google Mapを見ると、酒屋さんだったらしい。
お地蔵さんを奉るスピリットは廃れていない。しかし周囲のススキを見るとねえ・・・
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2/19 10:22
お地蔵さんを奉るスピリットは廃れていない。しかし周囲のススキを見るとねえ・・・
こういうの見るの好き。ここは上大沢という在所のようだが、ちょっとまだ捕らえどころがない。
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2/19 10:25
こういうの見るの好き。ここは上大沢という在所のようだが、ちょっとまだ捕らえどころがない。
牛滝川に架かる古い橋が残っており、その袂に地蔵堂があった。
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2/19 10:30
牛滝川に架かる古い橋が残っており、その袂に地蔵堂があった。
ここもちゃんと手入れされていて気持ちがよい。
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2/19 10:29
ここもちゃんと手入れされていて気持ちがよい。
すぐに、大沢転法輪寺
和泉名所図絵には、役行者開基で、役行者が修行をした手越井、滝穴、高座石、行道石、大黒窟などがあるとされている。「葛城の峰と修験の道」(中野榮治著)によれば、これらは転法輪寺の南の山中にあると書かれている。このうち、高座石は場所が分かったので、そこを訪れようとしている。他はどこにあるのやら・・・・
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2/19 10:31
すぐに、大沢転法輪寺
和泉名所図絵には、役行者開基で、役行者が修行をした手越井、滝穴、高座石、行道石、大黒窟などがあるとされている。「葛城の峰と修験の道」(中野榮治著)によれば、これらは転法輪寺の南の山中にあると書かれている。このうち、高座石は場所が分かったので、そこを訪れようとしている。他はどこにあるのやら・・・・
境内をブラブラしてみたが、修験の縁は感じられない。
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2/19 10:32
境内をブラブラしてみたが、修験の縁は感じられない。
さてその高座石。いろいろWEBを調べると、行った人は少ないのであるが、転法輪寺の南のP277あたりにあるという。写真をみると、どうも転法輪寺裏手の尾根を登るみたいだ。今回は転法輪寺の墓地を一番上まで上がったところの堰堤のところから上がろうとしている。この階段を上るのだが、その前に昼飯。
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2/19 10:51
さてその高座石。いろいろWEBを調べると、行った人は少ないのであるが、転法輪寺の南のP277あたりにあるという。写真をみると、どうも転法輪寺裏手の尾根を登るみたいだ。今回は転法輪寺の墓地を一番上まで上がったところの堰堤のところから上がろうとしている。この階段を上るのだが、その前に昼飯。
堰堤脇の階段を登って、すぐ路はなくなったが、踏み跡らしきものが縦横無尽に走っているので、適当に選びながら尾根に上がっていく。堰堤の谷の源頭部の急坂を登ると大きな石のある尾根に出た。ここで息を整えるためしばし休息。
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2/19 11:00
堰堤脇の階段を登って、すぐ路はなくなったが、踏み跡らしきものが縦横無尽に走っているので、適当に選びながら尾根に上がっていく。堰堤の谷の源頭部の急坂を登ると大きな石のある尾根に出た。ここで息を整えるためしばし休息。
だだっ広い尾根には路がある。境界の路か植林の作業路だろう。
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2/19 11:06
だだっ広い尾根には路がある。境界の路か植林の作業路だろう。
すぐにP277に着いた。左手から登ってきたが、正面、北東から登ってくる尾根路もあった。転法輪寺の墓地のある谷奥からの路があるみたいだ。
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2/19 11:13
すぐにP277に着いた。左手から登ってきたが、正面、北東から登ってくる尾根路もあった。転法輪寺の墓地のある谷奥からの路があるみたいだ。
P277の南鞍部付近。WEBのレポートではこのあたりに高座石があるようなGPSマップが載っていたが、石のあるような雰囲気ではない。こんななだらかな尾根で修行もないだろう。
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2/19 11:13
P277の南鞍部付近。WEBのレポートではこのあたりに高座石があるようなGPSマップが載っていたが、石のあるような雰囲気ではない。こんななだらかな尾根で修行もないだろう。
P277の南鞍部を通りすぎて、次の尾根に上がったところの松の枯木が横たわっているところで小休止。どうやら、今は290mのコンター付近にいるらしい。大石を探すが、まわりには何もなく樹木だけ。尾根の先の方に小さな突起みたいなのがあったので、荷物を置いて探索に出かけた。
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2/19 11:53
P277の南鞍部を通りすぎて、次の尾根に上がったところの松の枯木が横たわっているところで小休止。どうやら、今は290mのコンター付近にいるらしい。大石を探すが、まわりには何もなく樹木だけ。尾根の先の方に小さな突起みたいなのがあったので、荷物を置いて探索に出かけた。
正面の突起は北側からは樹木に遮られてよくわからなかったが、北側からぐるりと回って南側にくると、突起=大岩の全貌が見えた。これが高座石だろう。場所は330mコンター付近、尾根が二岐に別れているところ。WEBで見たGPSトラックと全然違うぞ!
岩は予想より小さく、高座岩とせずに高座石とおくゆかしい名前をつけたのがよくわかった。
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2/19 11:44
正面の突起は北側からは樹木に遮られてよくわからなかったが、北側からぐるりと回って南側にくると、突起=大岩の全貌が見えた。これが高座石だろう。場所は330mコンター付近、尾根が二岐に別れているところ。WEBで見たGPSトラックと全然違うぞ!
岩は予想より小さく、高座岩とせずに高座石とおくゆかしい名前をつけたのがよくわかった。
ボクの見た写真には「高座石」というプレートが側の松の木に架けてあったが、それは見当たらず、石の根元の潅木には「犬鳴山修験道」のプレ−トがかかっていた。
高座石の岩の窪みには、那智山青岸渡寺のヒデが奉納されていて、平成二十四年のものが最新のようだった。さらに、よく見かける白い石仏も奉納されていた。
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2/19 11:46
ボクの見た写真には「高座石」というプレートが側の松の木に架けてあったが、それは見当たらず、石の根元の潅木には「犬鳴山修験道」のプレ−トがかかっていた。
高座石の岩の窪みには、那智山青岸渡寺のヒデが奉納されていて、平成二十四年のものが最新のようだった。さらに、よく見かける白い石仏も奉納されていた。
白い石仏
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2/19 11:46
白い石仏
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2/19 11:31
高座石の南側には「葛城二十八宿経塚巡行」の看板があり、南の尾根路をさしている。
へえ、南への尾根路が正規の巡行路なのか。歩くべきだろうが、今日はこれから父鬼へ行って、七越峠越えだぞ。とても時間がない。
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2/19 11:31
高座石の南側には「葛城二十八宿経塚巡行」の看板があり、南の尾根路をさしている。
へえ、南への尾根路が正規の巡行路なのか。歩くべきだろうが、今日はこれから父鬼へ行って、七越峠越えだぞ。とても時間がない。
高座石の上にも登ることができ、なかなかの眺めだ。北方を見ると、富田林のPLの塔もよく見える。その先には、二上山。そうすると、遠くにシルエットがみえる山は六甲山なのか?
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2/19 11:45
高座石の上にも登ることができ、なかなかの眺めだ。北方を見ると、富田林のPLの塔もよく見える。その先には、二上山。そうすると、遠くにシルエットがみえる山は六甲山なのか?
南への尾根路に心引かれ、高座石の上からも次のピークが間近に見えたので行ってみることにした。
この辺りの微地形はGoogleMapがかなり正確に表現できている。小さなピーク、小さな鞍部がよく現れている。(注:2024年現在、等高線は何も出ません)
次の小ピークからの眺めは抜群だ。南方を見る。次の360m付近のピーク、牛滝川の谷をはさんで再奥に和泉葛城の山塊が見える。
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南への尾根路に心引かれ、高座石の上からも次のピークが間近に見えたので行ってみることにした。
この辺りの微地形はGoogleMapがかなり正確に表現できている。小さなピーク、小さな鞍部がよく現れている。(注:2024年現在、等高線は何も出ません)
次の小ピークからの眺めは抜群だ。南方を見る。次の360m付近のピーク、牛滝川の谷をはさんで再奥に和泉葛城の山塊が見える。
その左手には岩雄山と大石ヶ峰に続く尾根、一番奥に三国山のレーダーが見える。
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その左手には岩雄山と大石ヶ峰に続く尾根、一番奥に三国山のレーダーが見える。
P277を越えてだだっ広い鞍部にきた。西の谷に降りる路があったので、そこを降ってみる。
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2/19 12:06
P277を越えてだだっ広い鞍部にきた。西の谷に降りる路があったので、そこを降ってみる。
すぐに路はなくなったが、踏み跡があちこちにあるので、ジグザグに谷を降りる。
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2/19 12:11
すぐに路はなくなったが、踏み跡があちこちにあるので、ジグザグに谷を降りる。
10分ほどで林道に降りついた。この谷が牛滝川に出合うところに神福寺跡があるので近道なのだ。神福寺跡といっても現在は大沢山荘という村の集会所になっているので、取り付くシマもないのだけれど。
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2/19 12:13
10分ほどで林道に降りついた。この谷が牛滝川に出合うところに神福寺跡があるので近道なのだ。神福寺跡といっても現在は大沢山荘という村の集会所になっているので、取り付くシマもないのだけれど。
大沢神社
神福寺跡の大沢山荘の横には大沢神社がある。かつては神福寺がその神宮寺だったと言われている。
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2/19 12:23
大沢神社
神福寺跡の大沢山荘の横には大沢神社がある。かつては神福寺がその神宮寺だったと言われている。
拝殿の格子越しにみる本殿
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2/19 12:21
拝殿の格子越しにみる本殿
灯篭の台座。はたして「大澤宮」と読むのだろうか?
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2/19 12:22
灯篭の台座。はたして「大澤宮」と読むのだろうか?
中にはいろいろ祠や石碑もあるのだが、さっぱり分からない。
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2/19 12:22
中にはいろいろ祠や石碑もあるのだが、さっぱり分からない。
大沢神社横にある神福寺跡大沢山荘。集会所を撮ってもしかたないなあ。
元神福寺にあったという十一面観音、弘法大師像、不動明王像は、より下流の地蔵堂に移されたというが、それは何処。大沢山荘が地区の集会所なら、その広場の片隅にでもお祀りせんかったのか?この辺りがよくわからない。大沢山荘に前には駐在所もあり、地区の中心になるところなのに・・・
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2/19 12:24
大沢神社横にある神福寺跡大沢山荘。集会所を撮ってもしかたないなあ。
元神福寺にあったという十一面観音、弘法大師像、不動明王像は、より下流の地蔵堂に移されたというが、それは何処。大沢山荘が地区の集会所なら、その広場の片隅にでもお祀りせんかったのか?この辺りがよくわからない。大沢山荘に前には駐在所もあり、地区の中心になるところなのに・・・
大沢から峠越えで父鬼に向かうには2つの峠があったという。北から大沢峠、本田峠。大沢峠は戦後、1950年の地図で「塔ノ村」と書いてある在所から春木川を通過して、もう一度峠越えして父鬼に至る。これは現在車道となっているが、南の本田峠は途中で破線路が切れている。しかし地形からみると通れそうではある。今回はおとなしく大沢峠にする。
峠に向かっている。明治期の地図では、右手の尾根の上を路が走っている。地図からすると、昭和にはこの路があったように書かれている。
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2/19 12:39
大沢から峠越えで父鬼に向かうには2つの峠があったという。北から大沢峠、本田峠。大沢峠は戦後、1950年の地図で「塔ノ村」と書いてある在所から春木川を通過して、もう一度峠越えして父鬼に至る。これは現在車道となっているが、南の本田峠は途中で破線路が切れている。しかし地形からみると通れそうではある。今回はおとなしく大沢峠にする。
峠に向かっている。明治期の地図では、右手の尾根の上を路が走っている。地図からすると、昭和にはこの路があったように書かれている。
ここが大沢峠なのか?春木川の向こうにも峠があるので・・・
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2/19 12:43
ここが大沢峠なのか?春木川の向こうにも峠があるので・・・
峠の地蔵堂
ちょっとピンぼけだが、地蔵さんのお顔は葛城山への丁石地蔵と同系統だと思われる。
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2/19 12:43
峠の地蔵堂
ちょっとピンぼけだが、地蔵さんのお顔は葛城山への丁石地蔵と同系統だと思われる。
峠を越えたところにある池の端で昼飯(12:46ー13:02)。
足はイマイチだ。休憩していても足が痺れることがある。
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2/19 12:45
峠を越えたところにある池の端で昼飯(12:46ー13:02)。
足はイマイチだ。休憩していても足が痺れることがある。
春木川へくだる
果たして何を作っているのやら(13:06)。「こどもが取りにくる」 どの田舎でも同じやなあ・・・
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2/19 13:06
春木川へくだる
果たして何を作っているのやら(13:06)。「こどもが取りにくる」 どの田舎でも同じやなあ・・・
春木川集落(13:14)
何も調べていないので今日は通過。
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2/19 13:14
春木川集落(13:14)
何も調べていないので今日は通過。
春木川から父鬼へは広い道が通じていた。もうひとつ峠を越える(13:29)
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2/19 13:29
春木川から父鬼へは広い道が通じていた。もうひとつ峠を越える(13:29)
モノレール
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2/19 13:30
モノレール
橋を渡る。橋には真田橋という名前が付いていた。
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2/19 14:17
橋を渡る。橋には真田橋という名前が付いていた。
南方の峠の方に上がっていく
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2/19 14:14
南方の峠の方に上がっていく
父鬼観音寺
ここは葛城修験の行所になっているのだが、行者さんはともかく、普通の訪問者にとってはどうこが行所なのやら・・・
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2/19 13:43
父鬼観音寺
ここは葛城修験の行所になっているのだが、行者さんはともかく、普通の訪問者にとってはどうこが行所なのやら・・・
このお堂がそれらしいのだが。
境内にはいろいろと石碑もあるが、よほどの予備知識がないと取りつくシマもない。
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2/19 14:02
このお堂がそれらしいのだが。
境内にはいろいろと石碑もあるが、よほどの予備知識がないと取りつくシマもない。
付近には八坂神社もあるが、社前の広場全体が工事中のため入れない。本来ここまでバス便があるのだが、工事中で転回もできないので、かなり下にある真田橋のところまでしか来ないようだ。
八坂神社はかなり高いところに社殿があるのだが、上がれない。
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2/19 14:04
付近には八坂神社もあるが、社前の広場全体が工事中のため入れない。本来ここまでバス便があるのだが、工事中で転回もできないので、かなり下にある真田橋のところまでしか来ないようだ。
八坂神社はかなり高いところに社殿があるのだが、上がれない。
広場のところにある案内板によると、祭神 素盞鳴命、大山祗命 天照皇大神 菅原道真 大年神の五神を祭る、とある。
さらに、「父鬼」の由来の説明も書かれていた。
------------
当地、父鬼は「宿山」が発祥の地であると言われ、宿山とは宮の谷付近から七越峠一体の森のことを言う。宿山の七越峠頂上付近の盆地には「葛七大龍王」の石の宝殿があり、七堂伽藍(金堂、塔、講堂、鐘桜、経蔵、食堂、僧坊)があったのだが、天正10年(1582)、織田信長の高野攻めの際に焼失したとされる。この時代に当地を支配していたという「葛七大龍王」父鬼氏の姿が見えずその勇敢な父鬼氏を偲び「父鬼」という地名として残されている。
------------
父鬼とは父鬼氏が宿山一帯を支配していたが、天正の戦乱後にその名が見え亡くなったことで、地名として残したとある。
しかし、葛嶺雑記には、
「龍宿山七越峠 泉紀国境に常接待 夫より西の堂屋敷といへるに経塚あり又東のしげりは童子の杜にて宿山といふ。・・・中略・・・劒の池、甘露水あり雨壺ともいふ、各小鬼村支配に命せられたり、此山は往古龍宿山七輿寺とて七堂伽藍にして十余の堂塔宮祠四十余の僧舎あり、魏々たる霊場なりしに平治の乱に焼亡せしこと古記にみえたり大峯に比すれは弥山が岳にひとしかりと云々」
修験の道:妙経見寶塔品第十一;http://www.shiga-miidera.or.jp/blog/2011/12
あるいは、「葛城の峰と修験の道」(中野榮治)
・・・・とあり、ここには、七堂伽藍は平治の乱で焼亡したとあるが?諸説ありで、よくわからない。
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトによると、「行者に仕える前鬼の一族がこの地(宿山一帯、後に父鬼;筆者注)に移り住んだ(説がある)」とあるので、そこから「鬼」という伝説が残った、というのはちょっと納得できる。http://youkai.tou3.com/Entry/80/
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広場のところにある案内板によると、祭神 素盞鳴命、大山祗命 天照皇大神 菅原道真 大年神の五神を祭る、とある。
さらに、「父鬼」の由来の説明も書かれていた。
------------
当地、父鬼は「宿山」が発祥の地であると言われ、宿山とは宮の谷付近から七越峠一体の森のことを言う。宿山の七越峠頂上付近の盆地には「葛七大龍王」の石の宝殿があり、七堂伽藍(金堂、塔、講堂、鐘桜、経蔵、食堂、僧坊)があったのだが、天正10年(1582)、織田信長の高野攻めの際に焼失したとされる。この時代に当地を支配していたという「葛七大龍王」父鬼氏の姿が見えずその勇敢な父鬼氏を偲び「父鬼」という地名として残されている。
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父鬼とは父鬼氏が宿山一帯を支配していたが、天正の戦乱後にその名が見え亡くなったことで、地名として残したとある。
しかし、葛嶺雑記には、
「龍宿山七越峠 泉紀国境に常接待 夫より西の堂屋敷といへるに経塚あり又東のしげりは童子の杜にて宿山といふ。・・・中略・・・劒の池、甘露水あり雨壺ともいふ、各小鬼村支配に命せられたり、此山は往古龍宿山七輿寺とて七堂伽藍にして十余の堂塔宮祠四十余の僧舎あり、魏々たる霊場なりしに平治の乱に焼亡せしこと古記にみえたり大峯に比すれは弥山が岳にひとしかりと云々」
修験の道:妙経見寶塔品第十一;
http://www.shiga-miidera.or.jp/blog/2011/12あるいは、「葛城の峰と修験の道」(中野榮治)
・・・・とあり、ここには、七堂伽藍は平治の乱で焼亡したとあるが?諸説ありで、よくわからない。
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトによると、「行者に仕える前鬼の一族がこの地(宿山一帯、後に父鬼;筆者注)に移り住んだ(説がある)」とあるので、そこから「鬼」という伝説が残った、というのはちょっと納得できる。
http://youkai.tou3.com/Entry/80/
さらに、掲示板の地図を見ていると、ココに卍印の観音寺があって、それよりやや南のところに「観音寺(葛城行所)」と記載されている。そうすると、この八坂神社の傍の観音寺は行所ではないのか?どういうことなんやろか?
さらに、大岩谷を遡って行った、三国山電波塔の手前に「雨壷」と記載されている。ちょっとここも行ってみたい。
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2/19 13:43
さらに、掲示板の地図を見ていると、ココに卍印の観音寺があって、それよりやや南のところに「観音寺(葛城行所)」と記載されている。そうすると、この八坂神社の傍の観音寺は行所ではないのか?どういうことなんやろか?
さらに、大岩谷を遡って行った、三国山電波塔の手前に「雨壷」と記載されている。ちょっとここも行ってみたい。
乳滝不動尊
観音寺から少し南に上がると不動尊があった。
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2/19 13:46
乳滝不動尊
観音寺から少し南に上がると不動尊があった。
いかにも、というような祠と古そうな石碑もあるのだが、よくわからない。
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2/19 13:59
いかにも、というような祠と古そうな石碑もあるのだが、よくわからない。
お地蔵様
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2/19 13:59
お地蔵様
石仏に蛇もいてる
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2/19 13:58
石仏に蛇もいてる
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトの乳滝不動尊の写真によると祠の前にはどこかのヒデが奉納されているようだったが、今回はなにも見えなかった。結局よくわからずじまい。
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2/19 13:58
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトの乳滝不動尊の写真によると祠の前にはどこかのヒデが奉納されているようだったが、今回はなにも見えなかった。結局よくわからずじまい。
■父鬼役行者
ここから少し南に上がると、役行者がお祭りされている場所がある。そこは土砂崩壊避けの屋根のある手前だった。かなりキワドイ。右手正面には三国山のレーダーがよく見える。
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2/19 13:47
■父鬼役行者
ここから少し南に上がると、役行者がお祭りされている場所がある。そこは土砂崩壊避けの屋根のある手前だった。かなりキワドイ。右手正面には三国山のレーダーがよく見える。
三国山のレーダー
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2/19 13:55
三国山のレーダー
なかなかのロケーションだが、行者さんはこの鎖を伝って登るのだろう。
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2/19 13:52
なかなかのロケーションだが、行者さんはこの鎖を伝って登るのだろう。
ステップはあるが、下段のほうは摩耗している。登ってみようとは思っていたが、遠慮した。
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2/19 13:53
ステップはあるが、下段のほうは摩耗している。登ってみようとは思っていたが、遠慮した。
ステップの脇には小さな祠があったが、その裏にある石碑が気になる。よし・・・・と彫られているような気がするが、祠がじゃまでよくわからない。道標なんだろうか?読めそうで読めないのでイライラ。
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2/19 13:54
ステップの脇には小さな祠があったが、その裏にある石碑が気になる。よし・・・・と彫られているような気がするが、祠がじゃまでよくわからない。道標なんだろうか?読めそうで読めないのでイライラ。
休憩していると足が攣ってくる。やはりここで退散とする。
父鬼は役行者の縁もあるが、こちらの知識もまとまりがなく、情報も散発的でよく分からないことが多い。情報をうまく与えてくれれば興味深い土地だとは思うが、せっかくの文化資産があるのに、ちょっともったいない気がする。まあ、自分で調べよ、と言われているのだろう。
とりあえず退散して、リベンジを画策しよう。
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2/19 13:55
休憩していると足が攣ってくる。やはりここで退散とする。
父鬼は役行者の縁もあるが、こちらの知識もまとまりがなく、情報も散発的でよく分からないことが多い。情報をうまく与えてくれれば興味深い土地だとは思うが、せっかくの文化資産があるのに、ちょっともったいない気がする。まあ、自分で調べよ、と言われているのだろう。
とりあえず退散して、リベンジを画策しよう。
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