記録ID: 7325843
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無雪期ピークハント/縦走
紀泉高原
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】 牛滝山から大沢・高座石ー父鬼 役行者大明神
2016年02月19日(金) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 331m
- 下り
- 421m
コースタイム
春の一日、牛滝山周辺をさまよい歩き、足の不調で、父鬼まで行って退散した。さらに、カゼをもらい(インフルエンザではなかったが・・・)折りからの鼻炎と重なり動く気力も出てこない。
葛城二十八宿経塚巡行では、和泉葛城山第9番峯の龍王から尾根づたいに鍋谷峠、経塚山、宿山・・・とは行かずに、いったん牛滝山大威徳寺まで降りて勤行、宿をとり、大澤から東の峠を越えて、父鬼に至り、さらに大岩谷経由で尾根に上がり七越峠に至っていたようだ(「葛城の峰と修験の道」(中野榮治))。
今回は牛滝山大威徳寺から大澤まで下り、転法輪寺の背後の山にあり、役行者が行をしたと言われる高座石を見ることが第一。さらに、大澤から峠越えをして父鬼からの旧来の行者路で七越峠に登り、修験の里・神野を訪れるのが第2の目的だった。結果は足の調子が悪く父鬼で撤退したのだが、まあ、高座石に行けたのでヨシとしよう。
【コースタイム】
(1)牛滝山〜高座石
岸和田駅前8:45ー9:33牛滝山ー9:37大威徳寺9:52ー10:06紅葉橋ー10:16上大沢ー10:31転法輪寺ー
10:40墓地上部堰堤前○10:51−10:58■尾根上11:00ー11:13P277ー11:15コンタ290付近ー11:25高座石▲11:31ー11:36コンター330尾根上▲11:40ー11:42高座石▲11:48ー11:52松枯木■11:57ー12:05P277ー12:06コル下降点ー12:12林道ー12:21大澤神社・大澤寺跡
(2)大澤〜父鬼
12:24−12:43峠ー12:45池端休憩○13:00ー13:14春木川町分岐ー13:29父鬼への峠ー13:43父鬼・観音寺ー13:50役行者▲13:56ー13:58乳滝不動尊▲ー14:02観音寺・八坂神社ー14:12真田橋・乳鬼口
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■対応過去記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-279.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-280.html
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葛城二十八宿経塚巡行では、和泉葛城山第9番峯の龍王から尾根づたいに鍋谷峠、経塚山、宿山・・・とは行かずに、いったん牛滝山大威徳寺まで降りて勤行、宿をとり、大澤から東の峠を越えて、父鬼に至り、さらに大岩谷経由で尾根に上がり七越峠に至っていたようだ(「葛城の峰と修験の道」(中野榮治))。
今回は牛滝山大威徳寺から大澤まで下り、転法輪寺の背後の山にあり、役行者が行をしたと言われる高座石を見ることが第一。さらに、大澤から峠越えをして父鬼からの旧来の行者路で七越峠に登り、修験の里・神野を訪れるのが第2の目的だった。結果は足の調子が悪く父鬼で撤退したのだが、まあ、高座石に行けたのでヨシとしよう。
【コースタイム】
(1)牛滝山〜高座石
岸和田駅前8:45ー9:33牛滝山ー9:37大威徳寺9:52ー10:06紅葉橋ー10:16上大沢ー10:31転法輪寺ー
10:40墓地上部堰堤前○10:51−10:58■尾根上11:00ー11:13P277ー11:15コンタ290付近ー11:25高座石▲11:31ー11:36コンター330尾根上▲11:40ー11:42高座石▲11:48ー11:52松枯木■11:57ー12:05P277ー12:06コル下降点ー12:12林道ー12:21大澤神社・大澤寺跡
(2)大澤〜父鬼
12:24−12:43峠ー12:45池端休憩○13:00ー13:14春木川町分岐ー13:29父鬼への峠ー13:43父鬼・観音寺ー13:50役行者▲13:56ー13:58乳滝不動尊▲ー14:02観音寺・八坂神社ー14:12真田橋・乳鬼口
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■対応過去記事
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過去天気図(気象庁) | 2016年02月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
牛滝山再び、まずはここから。
ボクとしては思い切り早起き、6:20の朝一のバスに乗って、牛滝山到着が9:30頃。もう既に、七越峠越えが怪しくなってくる。なんとかならんかなとは思うが、こればかりは仕方がない。最速の9:30。
せっかくなので、大威徳寺にお参りしておこう。ここは2回めだが、葛城二十八宿経塚で10番めの経塚巡行地であるばかりでなく、ちょっと気に入ったお寺なのである。ボクはお寺はあまり好んで参拝することはないのだが、ちょっちと例外的に気に入っているので。
最初:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
ボクとしては思い切り早起き、6:20の朝一のバスに乗って、牛滝山到着が9:30頃。もう既に、七越峠越えが怪しくなってくる。なんとかならんかなとは思うが、こればかりは仕方がない。最速の9:30。
せっかくなので、大威徳寺にお参りしておこう。ここは2回めだが、葛城二十八宿経塚で10番めの経塚巡行地であるばかりでなく、ちょっと気に入ったお寺なのである。ボクはお寺はあまり好んで参拝することはないのだが、ちょっちと例外的に気に入っているので。
最初:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
牛滝の集落から少しくだって、大沢集落に入りかける頃、谷川を渡った所、紅葉橋という橋がかかっていた、今は近代的なコンクリート橋だが、昔は石橋だったらしい。そこの地蔵さんの祠に石橋建立の石碑が地蔵さんと並んであった。
すぐに、大沢転法輪寺
和泉名所図絵には、役行者開基で、役行者が修行をした手越井、滝穴、高座石、行道石、大黒窟などがあるとされている。「葛城の峰と修験の道」(中野榮治著)によれば、これらは転法輪寺の南の山中にあると書かれている。このうち、高座石は場所が分かったので、そこを訪れようとしている。他はどこにあるのやら・・・・
和泉名所図絵には、役行者開基で、役行者が修行をした手越井、滝穴、高座石、行道石、大黒窟などがあるとされている。「葛城の峰と修験の道」(中野榮治著)によれば、これらは転法輪寺の南の山中にあると書かれている。このうち、高座石は場所が分かったので、そこを訪れようとしている。他はどこにあるのやら・・・・
さてその高座石。いろいろWEBを調べると、行った人は少ないのであるが、転法輪寺の南のP277あたりにあるという。写真をみると、どうも転法輪寺裏手の尾根を登るみたいだ。今回は転法輪寺の墓地を一番上まで上がったところの堰堤のところから上がろうとしている。この階段を上るのだが、その前に昼飯。
堰堤脇の階段を登って、すぐ路はなくなったが、踏み跡らしきものが縦横無尽に走っているので、適当に選びながら尾根に上がっていく。堰堤の谷の源頭部の急坂を登ると大きな石のある尾根に出た。ここで息を整えるためしばし休息。
P277の南鞍部を通りすぎて、次の尾根に上がったところの松の枯木が横たわっているところで小休止。どうやら、今は290mのコンター付近にいるらしい。大石を探すが、まわりには何もなく樹木だけ。尾根の先の方に小さな突起みたいなのがあったので、荷物を置いて探索に出かけた。
正面の突起は北側からは樹木に遮られてよくわからなかったが、北側からぐるりと回って南側にくると、突起=大岩の全貌が見えた。これが高座石だろう。場所は330mコンター付近、尾根が二岐に別れているところ。WEBで見たGPSトラックと全然違うぞ!
岩は予想より小さく、高座岩とせずに高座石とおくゆかしい名前をつけたのがよくわかった。
岩は予想より小さく、高座岩とせずに高座石とおくゆかしい名前をつけたのがよくわかった。
ボクの見た写真には「高座石」というプレートが側の松の木に架けてあったが、それは見当たらず、石の根元の潅木には「犬鳴山修験道」のプレ−トがかかっていた。
高座石の岩の窪みには、那智山青岸渡寺のヒデが奉納されていて、平成二十四年のものが最新のようだった。さらに、よく見かける白い石仏も奉納されていた。
高座石の岩の窪みには、那智山青岸渡寺のヒデが奉納されていて、平成二十四年のものが最新のようだった。さらに、よく見かける白い石仏も奉納されていた。
高座石の南側には「葛城二十八宿経塚巡行」の看板があり、南の尾根路をさしている。
へえ、南への尾根路が正規の巡行路なのか。歩くべきだろうが、今日はこれから父鬼へ行って、七越峠越えだぞ。とても時間がない。
へえ、南への尾根路が正規の巡行路なのか。歩くべきだろうが、今日はこれから父鬼へ行って、七越峠越えだぞ。とても時間がない。
南への尾根路に心引かれ、高座石の上からも次のピークが間近に見えたので行ってみることにした。
この辺りの微地形はGoogleMapがかなり正確に表現できている。小さなピーク、小さな鞍部がよく現れている。(注:2024年現在、等高線は何も出ません)
次の小ピークからの眺めは抜群だ。南方を見る。次の360m付近のピーク、牛滝川の谷をはさんで再奥に和泉葛城の山塊が見える。
この辺りの微地形はGoogleMapがかなり正確に表現できている。小さなピーク、小さな鞍部がよく現れている。(注:2024年現在、等高線は何も出ません)
次の小ピークからの眺めは抜群だ。南方を見る。次の360m付近のピーク、牛滝川の谷をはさんで再奥に和泉葛城の山塊が見える。
ここから先、南へは尾根上の路が続いていそうで、地図をみているとおもしろそうな地形もある。帰宅後、WEBを探していると、粉河から父鬼に向かって巡行したレポートが見つかった。大威徳寺から再度尾根に上がって、高座石−大沢−父鬼と回っていくのが順路らしい。那智山青岸渡寺の一行のレポートのようだ。
http://www.kitohan.com/kumano-kodou/z-kumano-shiyugen/03-kokawa-chichioni/2007-05-12_13/0-2007-05-12-kokawa_chichioni-chizu_main.htm
これは歩かんといかんでしょう。後日にでも。
http://www.kitohan.com/kumano-kodou/z-kumano-shiyugen/03-kokawa-chichioni/2007-05-12_13/0-2007-05-12-kokawa_chichioni-chizu_main.htm
これは歩かんといかんでしょう。後日にでも。
10分ほどで林道に降りついた。この谷が牛滝川に出合うところに神福寺跡があるので近道なのだ。神福寺跡といっても現在は大沢山荘という村の集会所になっているので、取り付くシマもないのだけれど。
大沢神社横にある神福寺跡大沢山荘。集会所を撮ってもしかたないなあ。
元神福寺にあったという十一面観音、弘法大師像、不動明王像は、より下流の地蔵堂に移されたというが、それは何処。大沢山荘が地区の集会所なら、その広場の片隅にでもお祀りせんかったのか?この辺りがよくわからない。大沢山荘に前には駐在所もあり、地区の中心になるところなのに・・・
元神福寺にあったという十一面観音、弘法大師像、不動明王像は、より下流の地蔵堂に移されたというが、それは何処。大沢山荘が地区の集会所なら、その広場の片隅にでもお祀りせんかったのか?この辺りがよくわからない。大沢山荘に前には駐在所もあり、地区の中心になるところなのに・・・
大沢から峠越えで父鬼に向かうには2つの峠があったという。北から大沢峠、本田峠。大沢峠は戦後、1950年の地図で「塔ノ村」と書いてある在所から春木川を通過して、もう一度峠越えして父鬼に至る。これは現在車道となっているが、南の本田峠は途中で破線路が切れている。しかし地形からみると通れそうではある。今回はおとなしく大沢峠にする。
峠に向かっている。明治期の地図では、右手の尾根の上を路が走っている。地図からすると、昭和にはこの路があったように書かれている。
峠に向かっている。明治期の地図では、右手の尾根の上を路が走っている。地図からすると、昭和にはこの路があったように書かれている。
付近には八坂神社もあるが、社前の広場全体が工事中のため入れない。本来ここまでバス便があるのだが、工事中で転回もできないので、かなり下にある真田橋のところまでしか来ないようだ。
八坂神社はかなり高いところに社殿があるのだが、上がれない。
八坂神社はかなり高いところに社殿があるのだが、上がれない。
広場のところにある案内板によると、祭神 素盞鳴命、大山祗命 天照皇大神 菅原道真 大年神の五神を祭る、とある。
さらに、「父鬼」の由来の説明も書かれていた。
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当地、父鬼は「宿山」が発祥の地であると言われ、宿山とは宮の谷付近から七越峠一体の森のことを言う。宿山の七越峠頂上付近の盆地には「葛七大龍王」の石の宝殿があり、七堂伽藍(金堂、塔、講堂、鐘桜、経蔵、食堂、僧坊)があったのだが、天正10年(1582)、織田信長の高野攻めの際に焼失したとされる。この時代に当地を支配していたという「葛七大龍王」父鬼氏の姿が見えずその勇敢な父鬼氏を偲び「父鬼」という地名として残されている。
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父鬼とは父鬼氏が宿山一帯を支配していたが、天正の戦乱後にその名が見え亡くなったことで、地名として残したとある。
しかし、葛嶺雑記には、
「龍宿山七越峠 泉紀国境に常接待 夫より西の堂屋敷といへるに経塚あり又東のしげりは童子の杜にて宿山といふ。・・・中略・・・劒の池、甘露水あり雨壺ともいふ、各小鬼村支配に命せられたり、此山は往古龍宿山七輿寺とて七堂伽藍にして十余の堂塔宮祠四十余の僧舎あり、魏々たる霊場なりしに平治の乱に焼亡せしこと古記にみえたり大峯に比すれは弥山が岳にひとしかりと云々」
修験の道:妙経見寶塔品第十一;http://www.shiga-miidera.or.jp/blog/2011/12
あるいは、「葛城の峰と修験の道」(中野榮治)
・・・・とあり、ここには、七堂伽藍は平治の乱で焼亡したとあるが?諸説ありで、よくわからない。
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトによると、「行者に仕える前鬼の一族がこの地(宿山一帯、後に父鬼;筆者注)に移り住んだ(説がある)」とあるので、そこから「鬼」という伝説が残った、というのはちょっと納得できる。http://youkai.tou3.com/Entry/80/
さらに、「父鬼」の由来の説明も書かれていた。
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当地、父鬼は「宿山」が発祥の地であると言われ、宿山とは宮の谷付近から七越峠一体の森のことを言う。宿山の七越峠頂上付近の盆地には「葛七大龍王」の石の宝殿があり、七堂伽藍(金堂、塔、講堂、鐘桜、経蔵、食堂、僧坊)があったのだが、天正10年(1582)、織田信長の高野攻めの際に焼失したとされる。この時代に当地を支配していたという「葛七大龍王」父鬼氏の姿が見えずその勇敢な父鬼氏を偲び「父鬼」という地名として残されている。
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父鬼とは父鬼氏が宿山一帯を支配していたが、天正の戦乱後にその名が見え亡くなったことで、地名として残したとある。
しかし、葛嶺雑記には、
「龍宿山七越峠 泉紀国境に常接待 夫より西の堂屋敷といへるに経塚あり又東のしげりは童子の杜にて宿山といふ。・・・中略・・・劒の池、甘露水あり雨壺ともいふ、各小鬼村支配に命せられたり、此山は往古龍宿山七輿寺とて七堂伽藍にして十余の堂塔宮祠四十余の僧舎あり、魏々たる霊場なりしに平治の乱に焼亡せしこと古記にみえたり大峯に比すれは弥山が岳にひとしかりと云々」
修験の道:妙経見寶塔品第十一;http://www.shiga-miidera.or.jp/blog/2011/12
あるいは、「葛城の峰と修験の道」(中野榮治)
・・・・とあり、ここには、七堂伽藍は平治の乱で焼亡したとあるが?諸説ありで、よくわからない。
大阪妖怪・伝承探訪 さんのサイトによると、「行者に仕える前鬼の一族がこの地(宿山一帯、後に父鬼;筆者注)に移り住んだ(説がある)」とあるので、そこから「鬼」という伝説が残った、というのはちょっと納得できる。http://youkai.tou3.com/Entry/80/
さらに、掲示板の地図を見ていると、ココに卍印の観音寺があって、それよりやや南のところに「観音寺(葛城行所)」と記載されている。そうすると、この八坂神社の傍の観音寺は行所ではないのか?どういうことなんやろか?
さらに、大岩谷を遡って行った、三国山電波塔の手前に「雨壷」と記載されている。ちょっとここも行ってみたい。
さらに、大岩谷を遡って行った、三国山電波塔の手前に「雨壷」と記載されている。ちょっとここも行ってみたい。
ステップの脇には小さな祠があったが、その裏にある石碑が気になる。よし・・・・と彫られているような気がするが、祠がじゃまでよくわからない。道標なんだろうか?読めそうで読めないのでイライラ。
撮影機器:
感想
高座石から先、南へは尾根上の路が続いていそうで、地図をみているとおもしろそうな地形もある。帰宅後、WEBを探していると、粉河から父鬼に向かって巡行したレポートが見つかった。大威徳寺から再度尾根に上がって、高座石−大沢−父鬼と回っていくのが順路らしい。那智山青岸渡寺の一行のレポートのようだ。
http://www.kitohan.com/kumano-kodou/z-kumano-shiyugen/03-kokawa-chichioni/2007-05-12_13/0-2007-05-12-kokawa_chichioni-chizu_main.htm
これは歩かんといかんでしょう。後日にでも。
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