記録ID: 7340904
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ハイキング
近畿
3つの砦を落とし、行市山砦へ
2024年10月12日(土) [日帰り]
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体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:39
- 距離
- 10.0km
- 登り
- 567m
- 下り
- 568m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:53
- 休憩
- 1:47
- 合計
- 5:40
距離 10.0km
登り 567m
下り 568m
9:35
7分
スタート地点
15:15
ゴール地点
天候 | 晴天 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
今市バス停下車(400円) |
コース状況/ 危険箇所等 |
賤ケ岳の戦いにて、造られた軍道を歩き 行市山に向かいます。 危険箇所は有りません。 1ヶ所、ロープが張られた滑りやすい急坂が あり、ここは慎重に登ります。 |
その他周辺情報 | トイレは、木ノ本駅のみです。 駐車場は、毛受の森の正面にあります。 |
写真
柴田勝家軍が不利となり、撤退するにあたり、主君の身代わりとなるため、勝家の馬標を受け取り、兄弟他300名で秀吉軍を食い止めたが、奮戦むなしく力尽き討ち死にしました。
その遺徳を偲び、墓碑が建立されました。
その遺徳を偲び、墓碑が建立されました。
最も高所の砦、
佐久間玄蕃盛政は、秀吉が美濃へ出陣した留守を狙い、
行市山を降りて大岩山砦の中川清秀を攻め、
清秀を討ち取りました。
しかし、反転(美濃の大返し)した秀吉に敗れ、逃亡の途次
捕らえられ処刑されました。
佐久間玄蕃盛政は、秀吉が美濃へ出陣した留守を狙い、
行市山を降りて大岩山砦の中川清秀を攻め、
清秀を討ち取りました。
しかし、反転(美濃の大返し)した秀吉に敗れ、逃亡の途次
捕らえられ処刑されました。
撮影機器:
感想
JR秋の乗り放題パスを利用して、JRハイクに参加。
今回は、中谷山砦跡、別所山砦跡、行市山砦跡、林谷山砦跡の
四か所を、一気に訪問することが出来ました。
土塁、堀切等の遺構を眺めることはもちろん、実際に歩くこともでき、
大変満足しました。
その中でも、前田利家、利長親子の別所山砦は、土塁も高く幅広く、
横堀も深く幅広くて、攻略が難しそうな砦として見ごたえがありました。
反面、佐久間盛政の行市山砦は、土塁はやせていて細く、堀切は浅く、
簡単に攻め込まれそうな感じでした。
案内板の説明では、単郭構造の陣城を基調に、行市連邦を連結する
塹壕や土塁で、全山を要塞化して防御する構造にしているとのことでした。
そういえば、別所山砦から行市山砦までの尾根道には、何か所か深い堀切で
切られている所がありました。
写真撮り漏らしてました、残念。
(ここから妄想)
佐久間盛政は行市山砦で防御することを、当初から考えていなかったのでは。
だから簡素な砦を構築したのではないのか。
そして、大岩山砦の中川清秀陣地に攻め込み、柴田勝家から一戦交えたら、
即刻引き返すように厳命されていたにも関わらず、引き返す事は
しませんでした。敵地に攻め込むことのみを考えていたのです。
このように考えれば、砦造りと戦の仕掛けに整合性が取れてきます。
妄想ですけど・・・。
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