大和三山
- GPS
- 05:22
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 350m
- 下り
- 366m
コースタイム
- 山行
- 4:11
- 休憩
- 1:07
- 合計
- 5:18
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
〔距離と山のしんどさレベル〕 ※超高齢者(80歳以上)基準 ★★☆☆☆ 歩行:15km 累積標高差:300m 歩数:22,000歩 |
写真
感想
かねて行きたいと思っていた大和三山。フォロワーのヨッシーさんが2ヵ月ほど前に山ともさんたちと電車で行ってこられ、次いで先月には近鉄特急「ひのとり」を利用して高取山へ行ってきたというレポートを見ました。こういう山行もいいなあと感心し、私もまねて大和三山へ「ひのとりで Go! 」することにしました。 畝傍山、天香久山、耳成山と神武天皇陵、藤原京跡を巡るコースです。近鉄特急ひのとりはいいですね。静かなゆったりシートに身を委ね、名古屋から2時間かからずに橿原神宮前まで運んでくれました。
山自体は3山とも200mに満たない超低山なのでたいしたことはありませんが万葉の古都を往時を偲びながら歩いてきました。その中で藤原京の規模に圧倒されました。当時は天皇の代替わりのたびに遷都する仕組みになっていましたが、それを天皇は権力・権威を象徴する壮大な都市にどっしりと腰を据えて君臨するようにしたいと考えたようです。そこで、中国長安に倣おうと唐の古典である周礼(しゅうらい)という著書に基づいて藤原京を造ったといいます。その場所として古代から神聖視されている大和三山 畝傍山、天香久山、耳成山がなす三角形の中心に配置しました。しかし、周知の通り藤原京があったのは持統天皇の694年から文武天皇、元明天皇の710年までわずか16年に過ぎません。平城京へ遷都した理由は必ずしも明確ではありませんが、疫病が蔓延したこともあって縁起が悪いとされ、唐の都を手本につくられたはずの藤原京が、長安の現実とはかけ離れたものであると後の遣唐使らによって報告されたことも大きな理由のひとつだったようです。そして占いで優れた土地であるとされた平城の地へ移ったと考えられるそうです。
そんな藤原京跡ですが、菜の花、花蓮、キバナコスモス、コスモスと季節を変えて花が栽培されています。秋は300万本というコスモスで、もう終わりかけではありましたが一面に咲く花を楽しんでくることができてよかったと思います。
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