可部冠山、西冠山(堂床山登山口から反時計回りに周回)【広島市安佐北区、広島県】
- GPS
- 02:35
- 距離
- 6.8km
- 登り
- 549m
- 下り
- 555m
コースタイム
- 山行
- 2:14
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 2:36
堂床山登山口駐車場 1052 ― 堂床山・西冠山分岐 1053 ― 石釆の加賀都の滝分岐 1113 ― 小ピーク 1118 ― 明神ダム方面分岐 1134 ― 明神ダム方面からの踏み跡の合流する小ピーク 1148 ― 西冠山1159 ― 堂床山・冠山分岐点 1200/昼食/1212 ― 可部冠山 1223/1232 ― 可部峠 1237/1238 ― 街道太郎松 1252 ― しるべ石 1256 ― こわれた橋 1303 ― 石州街道登山口 1307 ― キャンプ場 1322 ― 堂床山登山口駐車場 1325
●行動時間 2:33
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
・国道54号で可部地内北部にある「南原(=なばら)」交差点から西へと進み県道253号へ。南原ダムをやり過ごしさらに進むと、トイレのある小さな広場が対岸に見える。そこが堂床山登山口駐車場 ・橋の手前にある駐車スペースも含めると10台以上は駐められそうだ (2024.12現在) |
コース状況/ 危険箇所等 |
○堂床山登山口〜西冠山 ・登山口から10数メートル進むと堂床山方面と西冠山方面が分岐している。西冠山方面の道は、ジグザグを切って土の急斜面を登り尾根に出る。尾根の道は緩急を繰り返す。道筋は、下草のない灌木帯のため分かりやすい ・全般にピンクテープ等のマーキングがあり、それは頼りになる。足下も落ち葉に埋もれてはいるが、よく歩かれているようで、トレースはわかりやすい。道標は分岐箇所にある程度。西冠山には山名標はなかった ○西冠山〜可部冠山〜可部峠 ・どちらの山頂も直下は一気に標高差約50mの急斜面の木の根張りを登る ○可部峠〜石州街道登山口 ・旧街道の名残のある道幅区間もあるが、過半はふつうの山道。地元の戸主会が手入れをされているようで、迂回路等のあるところでは、ロープやテープが誘導してくれる。山中には際立つ派手なテープがちょっと残念 (いずれの記述も2024.12現在) |
その他周辺情報 | ●買う、食べる ・可部に出ればコンビニも飲食店も多数ある ●日帰り温泉 ・可部には「満天の湯」がある |
写真
感想
毎日何らかの用事もあり、なかなか終日空きになってくれない中、偶然一日の時間を得たので、別の道楽と折り合わせて広島県の山へ。
堂床山登山口駐車場は、ヤマケイの本では“龍頭ヶ原園地”となっている。近隣は園地のふうもなく、登山口というのが適切な感じで、トイレのある小さな広場だけだ。
ちょうど堂床山方面へと行くトレランのランナーが出て行くところ。予習をしていてもトレランの記録が目につく。堂床山から冠山にかけては比較的なだらかなのかもしれない。
登山口に入ってすぐに西冠山と堂床山が分かれる。西冠山方面が枝分かれする形だ。その道へと進み、まずは尾根に出るまでの斜面の上り。ジグザグに道が付けられ、腐朽木の目立つ土の急斜面を登っていく。
尾根に出ても下草のない土の道で、道筋が分かりやすく歩いていても気持ちがよい。灌木が茂っているため見通しは利かないが、時折、冬枯れの木々の合間にダムや山々が見えることもある。それにしても明神ダムは標高の高いところにある。なかなかダムを追い越せない。
途中には、ダムサイトやダム側にある著名な滝を経由する道が合流する。その都度素っ気ない標識が立っているばかりで、標示は豊かではない。
西冠山はガイドにも名前があるが、山名標らしき者は見当たらなかった。少し先の分岐点で昼食を摂ることにする。着いてみると、先ほど見送ったトレランのランナー氏が休んでいる。堂床山を回ってきたのにすでに到着しているとは、さすがランナーは早い。
西冠山からは一旦緩く下って冠山へと登り返す。どちらの山も円錐形の山だけあって、山頂下は一気の登りになっている。
冠山の山頂は刈り払われている。さらに70cm高程度の岩もあり、それに登ると視界は一気に広がる。東の鷹ノ巣山や白木山、さらには呉娑々宇山などが立ち並ぶ。西には堂床山が大きく聳えている。こちらよりも背が高いことは明らかだ。
それにしても紅葉が遅い。山頂付近もちょうど今が見頃のように見える。常緑樹が支配的ではあるが、ところどころに彩りが見える。
下りは可部峠から旧石州街道へ。こんな山中に石見への道があることに驚く。地図を見ると、可部から直線的に北広島に向かうものらしい。今どきの道路は広島ジャンクション辺りを迂回しており、ここを通ることはないのだが、確かにそれでは遠回りになる。昔の人には700mごときは大した峠ではなかったのであろうか。
旧街道とはいえ約100年前にはその使命を終えているはずだ。全体に勾配が緩やかになるように造られているものの、ところどころは積年の自然の力を受け、今やただの山道にしか見えない。地元では大切にされているようで、南原戸主会が設置した手入れが度々現れる。峠にも一里塚の碑があったが、こういった地元の努力は代えがたく尊い。
途中には大きな崩壊地があり、上部には山道らしからぬ柵が設けてある。よく見ると、崩壊下部にも道が通っている。おそらくこのあと通ることになるのであろう。案の定、下に見えた道もこのルートで、通り過ぎた後で見渡せる地点で振り返ると、斜面崩壊の全容が眼に入った。
石州街道登山口からは舗装路になる。南原川に沿って下っていくが、河原の至る所に土砂が堆積しているのが分かる。西日本豪雨の爪痕だと思われるが、河道が変わるほどのところもある。一時はこの道も通行できない状態であったようだ。今日はそんな過去を意識することもない道を下降したが、復旧もさぞたいへんなことであったろう。
仕事柄災害現場は見慣れているが、爪痕が至ること路に残る姿を見ると、次のことが心配になった。
災害はないに越したことはない。
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